月の兎は何を見て跳ねる   作:よっしゅん

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第37話

 

 

 

 

 

 初めて人間の『死』を間近で触れたのはいつだったか。

 初めて『死』を感じたのはいつだったか。

 初めて自らの手で人間を『処分』したのはいつだったか。

 

 自分は最初から壊れていたわけでは無い。

 少なくとも、自身の役目をしっかりと果たそうとした事はあった。

 しかし実行した時があまりにも遅かった。

 手遅れだった。

 感情という汚染が、既にこの身に浸透していた。

 

 自分の役目の一つは人間の管理。

 増やし過ぎず、減らし過ぎず人間の数を調整する。

 そして不穏分子があるのなら、それを処分する。

 言うなれば掃除屋だ。

 だから、あの時すぐに処分すれば良かったのだ。

 裁定など必要なかった。

 そうすればこんな後悔も感じる事なく、世界は、人間は幸せだっただろうに。

 

 まだ間に合う、そう信じて自分は初めて人間を処分した。

 たった一人だが、自身の役割を全うした。

 そしてたった一人目で、心が折れた。

 無理だった、これ以上は、無理だ。

 今でも覚えてる。

 あの時、訳もわからず処分される人間の顔を。

 それは恐怖、怒り、悲しみが入り混じったようなものだった。

 その顔がどうしても頭から離れない。

 

 嗚呼、何故我らが地球()は自身にこんな役目を押し付けたのか。

 何故処分の方法を、物理的手段しか与えてくれなかったのか。

 消えろ、そう念じるだけで事が済めばどれだけ良かったか。

 

 どうして、どうして、どうして。

 感情なんて余計な物を手にしたのか。

 何も感じず、何も知らなければ幸せだっただろうに。

 その手に真の永遠を掴めただろうに。

 何故人間は禁断の果実(感情)を口にしたのか。

 

 全てが上手くいってればきっと、きっと自分は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、珍しいお二人が揃って何か用ですか?」

 

 客用……最近は天魔と鬼神用になりつつあった湯呑みに、茶を注いで差し出す。

 茶請けは人里で買った馴染みある羊羹だ。

 

「これはご丁寧に……ありがとうございます」

 

「こんな怪しい我らを客として迎えてくださるとは、頭が上がりませぬな」

 

 何故かしみじみと感謝を述べるこの二人。

 片方は『聖白蓮』と呼ばれる魔法使い

 もう片方は『豊聡耳神子』と呼ばれる聖人。

 どちらも比較的最近幻想郷にやってきては、異変に関係した者だ。

 尤も、そのどちらの異変にも関わってないし、直接的に対面した事はあまり無いのだが。

 

「我ら……というのは少し違いませんか? 私とあなたは、偶々目的が同じで、偶々同じタイミングで出会っただけなんですから」

 

「くくく、確かにな」

 

 ふむ、当然の事だが二人とも目的があってやって来たと……しかも同じ目的らしい。

 二人して別々のタイミングで同じ事を聞かれたりしても面倒なので、こちらとしてはありがたいが。

 

「それで、もう一度同じ事を聞いた方が良いですか?」

 

「いや失礼しました、時間を取るつもりはないのです。ただ少し、聞きたい事が一つ…………いえ、二つほどありまして」

 

 二つ。

 その言葉に、何故か聖白蓮は少し戸惑った様子を見せた。

 

「ちょっと神子さん二つってどういう事ですか?」

 

「いやなに、今しがた聞きたい事が一つ増えただけだ」

 

 と、小声で話しているが、正直丸聞こえである。

 

「何でもいいですけど、早くしてくださいね。今どうやったら拗ねた機嫌を直せるか考えるのに忙しいので」

 

 やはり無難に物で釣るべきか。

 それとも風呂で背中でも流してやろうか。

 

「それでは先ずは確認を……あなたが我ら人間の祖、原点であり、原初の人間という話は本当ですか?」

 

「あぁ、本当ですとも」

 

 何かと思えばそんなことか。

 

「信じる信じないは勝手だけどね。それで、そのニンゲンとこうして言葉を交わしてみて感想はありますか?」

 

「……そうですね、正直女性なのは意外でした。しかもその……兎の格好をするのがご趣味だとは」

 

「なに、この耳と尻尾は後付けのアクセサリーですよ。それと私が俗に言う『女性』の形をしているのは実は当たり前の事なんですよ」

 

 私の言葉に、疑問符を浮かべる二人。

 

「知ってました? 人間って最初は女の形しかしてなかったんですよ? 何せ私が元ですから。今で言う『男性』の形をした人間は、言うなれば突然変異種ですね、というか笑えますね。何で性別なんて概念を作ってしまったのか……いや、生殖行為をより効率的に行うために進化したと思うんですが…………あぁ、失敬。話がこじれましたね」

 

「い、いえ……大変貴重なお話です」

 

 この事実を慧音さんに話したらどんな反応するだろうか。

 彼女は歴史が好きみたいなので、今度人間の色々な事実を伝えてみようかと思う。

 面白そうだし。

 

「ではそれを踏まえた上で改めまして申します。我らが祖よ」

 

「もう、勿体ぶらず早く言ってくださいよ。家具の裏側に溜まるホコリの綺麗な取り方から、この世の真理まで何でも答えますよ。もちろん、私が知っている事に限りますが」

 

 折角こんな場所までやって来たのだ。

 質問の一つや二つ真面目に答えるとも。

 そんな事を思いつつ、聖人の口が開くのを待つ。

 聖白蓮の方も、私と同じように待ちの姿勢を取っていた。

 さぁ、この聖人は一体何を知りたいのか。

 

「…………何故」

 

 そしてついに、その口が開かれた。

 

「何故、人間は『死ななくては』ならないのでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと不思議に思っていた。

 物心がついてすぐに疑問を感じ始めた。

 何故人間は死ぬのか……という一度は誰でも考えそうな、そんなありふれた疑問。

 大抵のものは少し考えるが、すぐに答えが出ないと分かると、そんな疑問は忘れてしまう。

 しかし私は忘れなかった。

 天才であったが故に、その疑問に対して答えを探し続けた。

 

 この大地は神々の時代から変わらず、海もまた生命を育み続けている。

 神秘的な不変だ。

 だというのに、何故人間は死ぬのか。

 不変ではなく、何故終わってしまうものなのか。

 何故そんな運命を受け入れなくてはならないのか。

 

 私は答えを求め続けた。

 そして行き着いた先が、不老不死の実現だった。

 仏教を利用し、道教による不老不死の実現を目指した。

 結果的に言えば、上手くは行かず、逆に己の寿命を縮めてしまったのが心残りだが、こうして私という存在はまだ残っている。

 ならば私のやる事は変わらない。

 

 ここ幻想郷での暮らしは悪くない。

 むしろ私が探し求めるモノ、その答えを知っているものがいるかもしれないという期待さえあった。

 だから今日はこの場所にやって来た。

 最近幻想郷に起きている異変の情報収集……という名目で、私はここに来た。

 ここ永遠亭と呼ばれる場所には、不老不死を実現させた月の民がいると聞いた。

 そして、原初の人間(アダム)なる者がいるとも……

 

 どちらのことも、話で聞いた程度だ。

 確証もなければ、信憑性もあまり無い。

 実際に会ったことも無かった。

 けれど、その答えはすぐに分かった。

 

 偶然にも聖白蓮と竹林前で出くわし、私の建前上の目的と同じという事が分かり、こうして共に永遠亭にやって来た。

 そして簡素な、何の変哲も無い玄関の戸を聖白蓮が叩いた。

 それに応じる為、我々を出迎えた『ソレ』は、直ぐに我々とは違う存在だと分かった。

 

『はいはい、どちら様? ……これはまた珍しいお客様だこと』

 

 ————その美しい真紅の瞳が、私を捉える。

 吸い込まれそうだった。

 

 そして気がつく。

 この方が、我ら人間の祖なのだと。

 

 確証なんていらない。

 他のものより人間を徹底的に観察してきた私だから気が付いたのだろう。

 人間というのは、その瞳に感情を宿している。

 そしてその在り方は、大体が同じだ。

 しかし彼女のその真紅の瞳は、普通の人間とは違いとても『純粋』だったのだ。

 しかも純粋でありながら、何処か『濁ってる』

 例えるなら、愛情と憎悪が入り混じっていているような、そんな感じの瞳。

 普通の人間には真似できない、そう思うくらい印象的な瞳だった。

 

 そして私は思った。

 この方なら、私の求める答えを知っているのではと。

 だから私は口に出した。

 何故人間は死なねばならないのかと……

 

「…………ふむ、人間が死ぬ理由? それは、何で寿命があるとかそんな話……で良いんですよね?」

 

「はい。我々人間は非力ながらも、確かな強さを持っています。だというのに、何故死の運命を覆す事が難しいのか……私はずっと疑問に思っていました」

 

 隣にいる聖白蓮が顔を俯かせるのが横目でわかった。

 彼女も彼女なりで、人間の死というものに何か感じるところがあるのだろう。

 

「……答えるのは簡単ですが、その……ショックを受けたりしても私は知りませんよ? 時に真実というものは、どんなモノよりも危険なものになりますから」

 

「覚悟の上です」

 

 不躾な質問かもしれないというのに、こちらの身を案じる彼女に私は決意を示した。

 これでもう、後戻りはできない。

 

「そうですか……ではまず、結論から言います」

 

 その言葉に、私は全神経を研ぎ澄ませる。

 一語一句逃さぬよう、耳を澄ませる。

 これまで十人の人間の話を、その内面を一度に『聞く』事ができたと言われた私が、今は一人の話を聞くためにこの耳を使う。

 

 まるで時の流れが遅くなったようだった。

 たった一秒が、何時間のように感じる。

 そしてついに、答えを知る時が来た。

 

「……『捨てたんですよ』、人間は」

 

「…………捨てた?」

 

 少し、その言葉の意味が分からなかった。

 しかし、すぐに予想はできた。

 できてしまった。

 

「えぇ、他でも無い人間達の手によって、人間はその不死性を『捨てた』。その結果人間は『死ぬ』ようになった……これが答えです」

 

「………………馬鹿な」

 

 信じられない、そんな想いが込み上げてくる。

 しかしすぐにそれを抑え込む。

 自分にとって都合の悪い事から逃げようとしては、何も得られない。

 

 そもそも彼女は捨てたと言った。

 つまり人間は本来、死の運命から逃れる術があった、もしくは死そのものが無かったという事になる。

 それを、人間は自分達で捨てたという。

 あり得ない。

 何故、人間は自ら死の運命を選んだのか。

 理解ができず、頭が混乱してくる。

 

「……もし、より詳しい真実を貴女が知りたいというのなら、私は答えましょう。しかしそれを知って、貴女がどうなるのか、どうするのか……私には関係のない事になります」

 

 ————これ以上、この先を知ったら。

 もしその結果、私が絶望をしてしまったら。

 それは自己責任だ……そう彼女は言っているのだろう。

 

「……構いません。元よりそのつもりです」

 

「……そう、じゃあ文字通り『身をもって』知ってもらいましょう。その方が分かりやすいだろうし……私の目を、見てください」

 

 そして、彼女の瞳が怪しく光る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これは?」

 

 豊聡耳神子が次の瞬間、視界に入れたのは美しい青空だった。

 今まで見てきた空の中で、確実に一番美しい青空……と即答してしまうくらいの、神秘的な美しさだった。

 

 太陽が温かくその身を照らし、そよ風がその身を駆け抜ける。

 草木の香りが、嗅覚を刺激する。

 今自分は、大自然の中心にいた。

 

 美しい。

 何もかもが、美しい。

 草木も、それを彩る花々も、空も大地も空気も。

 全てが初めて見る光景で、これ以上にない美しさだった。

 

『綺麗でしょう? これがかつてのこの星の姿です。まだ人間が……私が生まれて間もない頃の景色です』

 

 彼女の声がした。

 しかし姿は見えない。

 

「これが……かつての景色」

 

 となると、これは彼女が私に対して見せている幻のようなものなのだろうか。

 それにしては、やけに現実味がある。

 この視界に広がる景色も、感触も全て現実のようだ。

 

『そしてあれが……人間です』

 

 その声と共に、景色が移り変わる。

 自らの視界の先に、それはあった。

 

 それは人間だった。

 姿形は今の人間と大差ない。

 違うところと言えば、生気……いや、感情が感じられないという所だろう。

 その顔には表情は無く、まるで機械のようだった。

 

「あれが人間……?」

 

『そう、人間です。アレこそがこの母なる大地が生み出した最高傑作……つまり私の模造品。私というオリジナルから分化し、この大地を、星を豊かに繁栄させる為に生み出された知的生物』

 

 そんな彼女の声は何処か悲しそうだった。

 

『気味が悪いですか? けれどあれが本来人間が在るべき姿……感情なんて余計なものを得てしまう前の姿です。素晴らしいでしょう?』

 

 何が素晴らしいのか、私には分からない。

 しかしそうだったのか。

 人間の唯一の特徴である感情……それが実は余計な機能だったとは。

 

『けれど、もっと早くに気がつくべきだった。人間がとんでもない欠陥品だということに…………気付いた時には、もう手遅れだった』

 

 そしてまた、場面が変わる。

 視界にまず入ったのは、地獄だった。

 

 繁栄し、その数を増やしていく人間。

 それと同時に起こる人間同士の醜く、残酷な争い。

 そんな必要なんてどこにも無いのに、人間達は互いを傷つけ合う、殺し合う。

 思わず涙を流しそうだった。

 人間が争う習性を持つのは知っているが、まさかこんな大昔から始まっていた事に驚きを隠せない。

 

『これが感情を手にした人間の末路、そしてその結果人間はあるものを捨てたんです……本来寿命、老いなんて概念はなく、人間は死ぬ事は無かった。けれど人間達は互いを殺し合う事で死を知った……それを恐れたのか、人間は自然に死ねるようにしたんです。当たり前ですよね、殺されるより、自分で死んだ方が楽なんですから』

 

 だから人間は自ら不死を捨てた。

 実に単純な理由だった。

 

『そして面白い事に、不死を捨てたにも関わらず、死ぬのを恐れた人間もいました。あれですかね、失って初めて気がつくみたいな……ちなみに今で言う月の民はそれを『穢れ』って呼んでましたよ。本当に傑作ですね、捨てたものをまた拾おうと、月にまで行っちゃうだなんて』

 

 くすくす、と笑い声が聞こえる。

 

『おっと、少し喋り過ぎました。そろそろ現実に戻るとしましょうか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が浮上すると、まず感じたのは息苦しさだった。

 どうやら呼吸をするのを忘れていたようだ。

 

「……大丈夫ですか? 神子さん」

 

「…………あぁ、大丈夫だとも」

 

 気が付けば現実。

 さっきまで見ていたであろう幻は、既にどこにも無かった。

 時間自体も、一分程度しか経っていないのだろう。

 しかし幻の時間は、何日も見ているような感覚だった。

 

「それで、貴女の答えは分かりましたか?」

 

「……正直、まだ混乱してますが……えぇ、納得はしました」

 

 あの光景が本物だとしたなら、答えは得られた。

 あとは、それを私がどう受け止めるのか、それだけの話だ。

 

「それは良かった。ではもう一つの質問は何ですか? お昼前には終わらせたいんですが……あ、どうせなら二人ともお昼ご一緒にどうですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何用かと思えば結局は都市伝説異変の事か。もしかして思っていたよりも今回の異変って大規模なのかね」

 

 あの二人の目的……一人は実際の目的は違うようだったが、ともかく同じ目的だったのは間違いでは無かった。

 いつまでも続く都市伝説異変、その原因が月の民にあるのではないかと考え、話を聞きに来たらしい。

 確かに都市伝説の異変には月の民も絡んでいた。

 しかし此処にいる二人は月の民とはもう関係のない者だ。

 見当違いにも程がある。

 とはいえ手掛かりが少ないこの状況なら、どんな些細な事でも気になってしまうのは仕方のないことなのだが。

 

 なので話す事は無いと、お帰りになってもらおうとしたのだが、何故かあの後スペルカード戦をする事になった。

 こちらが勝てば話をしてもらい、負ければ大人しく引き下がると……

 仮にこちらが負けたとしても、本当に永琳や姫様が話せる事は何もないのだが……そう言っても大人しく引き下がるわけがないので、仕方なく応じた。

 

「しかも二人とも都市伝説持ちとか……あぁ、慣れない事はするもんじゃないね」

 

 都市伝説を用いた弾幕は少々厄介だ。

 普通の弾幕とは違い、性質が違い過ぎるためか対処し辛いのだ。

 とはいえここで負ける方が面倒なので、わりと真剣に弾幕ごっこを行い、その甲斐あってか何とか二人相手に勝利を収めた。

 

「というわけでさ、背中でも流してよ」

 

「ど、どういうわけなのよ!?」

 

 そんな悲鳴にも似た声が、辺りに響く。

 声の主は永琳こと小娘……間違えた逆だ、小娘こと永琳。

 夕食の後、無理矢理服を脱がせ無理矢理風呂に連れてきたまでは良かったが、羞恥のせいかタオルを持って必死にその身体を隠している。

 今更何を恥ずかしがるのか、理解できない。

 

「だから今言ったろ、私はお前と姫様を守る為必死に戦った。そして勝利した……当然、その見返りがあってもおかしくないだろ?」

 

「だからそれが何で背中を流す事に繋がるのよ!?」

 

「察しが悪いな。私は人類最古の年寄りだぞ? 具体的に言うと、もっと労われ」

 

「だからどうして一緒にお風呂入らなきゃいけないのよぉ……」

 

 羞恥心が限界を超えたせいか、声をすぼめて顔を真っ赤にしてへなへなと座り込む。

 ……そんなに恥ずかしいものなのだろうか?

 

「なに座り込んでるのよ永琳、チャンスよチャンス! 今なら不意に鈴仙のどこを触っても事故で済むわ!」

 

「やらないなら代わりにあたしがやるよ。姉御、お背中流しますぜ!」

 

 そして永琳を煽る姫様と悪戯兎。

 ちなみに永遠亭の風呂場は露天風呂形式だったりするので、わりと大人数で同時に入れたりする。

 

「だ、だめぇ!」

 

「あべしっ!?」

 

 さらに石鹸片手に駆け寄ってくるてゐを、器用に、反射的に裏拳で静止させる永琳。

 そして綺麗に吹っ飛び、大きな水飛沫を上げながら親指を立てて沈んでいくてゐ。

 なんと哀れなことか……

 

「せ、背中くらい自分で洗わせなさい! 子どもじゃあるまいし……」

 

 そう言って、顔をうつむかせてブツブツと言い出す。

 

「……もう誰でも良いからさ、早く洗ってよ」

 

 このままでは風邪を引く。

 仕方なしと、自分で洗う事にして石鹸をその手に……

 

「なら儂がやってやろう。ほれ、石鹸をよこせ長耳」

 

「ん、そう? じゃあ頼むよ」

 

 その手にした石鹸を背後へ放り投げる。

 

「……は、は? な、なんでここにいるのよあなた!」

 

 再起動したであろう永琳の怒号がまた響く。

 多分今私の背後にいる天魔の事を指しているのだろう。

 

「いやなに、戸を叩いても誰も返事しないし、留守かと思えば全員で風呂に入ってるときた。これは儂も入らなければと思っただけじゃが?」

 

「その理屈はおかしいわよ! 普通にそのまま帰りなさいよ!」

 

 と、永琳の訴えを完全無視して私の背中を洗い始める。

 下手でもなければ上手でもない、そんな不器用さが感じられた。

 

「あー、永琳がのんびりしてるから鈴仙取られちゃったわよ?」

 

「やーいお師匠様の意気地なしー」

 

「う、うるさいわね!」

 

 あっちはあっちで楽しそうだ。

 この分なら永琳の拗ねも風呂上がりには収まるだろう。

 

「それで、こんな時間に何か用か?」

 

「うむ、ちっとばかしお前さんに聞きたい事があっての」

 

「……聞きたい事ね」

 

 今日はどうした事だろうか。

 訊ね人がやたら多い。

 

「いいぞ、言ってみな。背中を流してくれたお礼だ、可能な限り答えるとしよう」

 

「そうか? では単刀直入に言うが……お前か? 『犯人』は?」

 

 瞬間、背中からヒシヒシと伝わるナニか。

 この感覚は知っている。

 獲物を仕留めようと躍起になる、狩人のような圧だ。

 しかも器用な事に、向こうで騒いでる連中には悟られず、私にだけそれを向けている。

 

「……はて、犯人とは?」

 

「うむ、最近儂の山で盗みを働く輩が居てな……妙な事に尻尾を掴むことすらできん。この儂すらも欺ける盗人となれば、自ずと犯人は絞られる」

 

 ……ちょっと待て。

 まさかそんな単純な事でこいつは私のことを……

 

「ぶっちゃけ、お前さん(長耳)くらいしか思い当たらん。つまり、お前が盗人だな? そうだろ?」

 

「おい、誤解にも程があるぞ。お前の憶測は推理ですらないし、第一動機がないだろ私には」

 

 何が悲しくてこの私が盗みを働かなくてはいけないのか。

 こちとら収入ゼロの悲しいまでの状況だった永遠亭の経済状況を、コツコツと薬を売ったり畑を一から耕して作ったりして、せめて三食の飯くらいは食べさせてあげたいと頑張った功労者だ。

 今更盗みで稼ぐ必要性も、やる動機もない。

 

「なんじゃ、器用なお前の事だから盗みくらい簡単にできるかと思っていたのじゃが……違ったか?」

 

「え、やろうと思えばできるぞ? 何なら予告状でも出した上で、一分一秒遅れずに予告通りに指定した物を盗んでやるよ」

 

 方法はいくらでもある。

 姿を消すのも変装するのもやろうと思えば容易にできる。

 何なら直接手を下さずに盗むことも可能だ。

 

「…………自白か?」

 

「…………違うわ」

 

 しまった、余計な事を口に出してしまった。

 

「まぁそうじゃな。儂にはお前さんの考えを読むことも、ありばいとやらを崩すこともできん」

 

「だろ? 残念だが他を当たれ」

 

「しかしな長耳……儂、最近ストレスが溜まっていてな。山は荒らされるわ、盗みが勃発するわ……こんなにもコケにされたのはお前以外で初めてだ」

 

「え、私そんなにお前の事コケにしてた?」

 

 参った、全く覚えがない。

 

「正直に言おう、これから儂はお前さんを盗人討伐という名目で『殺しにかかる』。というかずるい、鬼神の奴とも前に遊んだんだから、儂とも遊べ長耳」

 

「お前それ単なる八つ当たりだし、後半の方が本音……ッ!」

 

 間なんてない。

 容赦なく、殺意のこもった拳が頬を掠める。

 そして拳圧で風呂場を囲う壁に立派な大穴ができた。

 

「おいやめろバカ、風呂場が壊れる」

 

「なら上でやろう。広くて邪魔が入らない空の下で」

 

 風が巻き起こる。

 高く、さらに高く風は舞い上がる。

 風は私と天魔を巻き込んで空へと上がっていく。

 

「え、ちょ、どこ行くのよあなた達!? というか服を……!?」

 

 そんな永琳の声が下から聞こえてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁもうしつこいな。鬼神の奴みたいに一度腹わたぶちまけないと止まらないのか?」

 

「ふふん、お前さんと別れてから遊んでたわけじゃない。儂なりに色々と鍛えたからな。それと鬼神の奴みたいにバカ正直に突っ込むと思ったら大間違いじゃ……まぁあれだ、やれるものならやってみるがいい!」

 

 確かに、昔と比べてその強さは段違いだ。

 特に自前の烏羽を活かしたその速さ。

 こいつがその気になれば、こんなちっぽけな星なんて数分で一周できるだろう。

 

「ふんっ」

 

「あいたっ!」

 

 それが何かイラッときたので、その隙だらけの額にデコピンをした。

 

「ぐぐぐ……まさか儂のスピードについてくるとは。流石というか、もはや不気味としか言えんわ。ぶっちゃけ昔から気になっていたんじゃが、なんでお前さんそんなに強いんじゃ?」

 

「強い……っていうのとは少し違うな。お前が私に感じているソレは、そういう話じゃないんだ」

 

 私の言葉に疑問符を浮かべる天魔。

 もう少し説明してやった方が良いか。

 

「私はそういう風に『創られた』だけだよ。この世に生きるあらゆる生物を『裁定』し、『調定』する。そしてどんな生物であろうとその命を終わらせ、新しい『器』を用意する機能……それが私というニンゲンとしての役目なだけ」

 

「う……む? つまりどういう事じゃ?」

 

「……いや、忘れてくれ。お前に話した私がバカだった。それよりもう気は済んだか? こんなに騒いでると怖い怖い巫女さんがそろそろ来そうだから、ここいらでお開きに」

 

 しようか。

 そう言いかけた途端、霊力がこもった札が私と天魔の間を通り抜けていった。

 

「させるわけないわよ。今何時だと思ってるの? 人の神社()の真上で何騒いでるのよ。しかも全裸で……永く生きてると頭が変になっちゃうのかしら」

 

「誤解だ霊夢ちゃん、別に好きで服を着てないわけじゃない」

 

 大体こいつを相手にするなら、どうせ服なんて風の鎌鼬とかでボロボロになる。

 なら最初から何も着てない方が良い。

 

「心配するな博麗の巫女よ、少しばかり戯れてただけじゃ」

 

「あんな派手な音立てといて少しなんて言い訳……ふぁぁぁ、こんな眠くて仕方ない時にあんたらは……」

 

「? 何かやけに眠そうだけど、大丈夫か? 体調でも崩した?」

 

「うっさいわね、子ども扱いするんじゃないわよ。単に中々寝付けないだけ……あぁ、また身体が重く……」

 

 変だ。

 明らかに霊夢ちゃんの様子が変だった。

 まるで魂が抜けていくような、糸が切れそうな人形のように、身体の力が抜けていくような様子だ。

 加えて霊夢ちゃんの波長が乱れて……いや違う?

 これは乱れるというより、全く別のモノに『変化』しようとしてる。

 

「おい、霊夢ちゃん? 本当に大丈夫……」

 

 そう声をかけようとした瞬間、霊夢ちゃんの波長が消えた。

 そして、別の波長が現れたではないか。

 

「…………ん? ここはどこだ? 確か私は家で瞑想を……」

 

 霊夢ちゃんがさっきまでいた場所には、何故か藤原妹紅がいた。

 

「これは……」

 

「んー? お主いつの間にそこに居た? というか博麗の巫女はどこに行った?」

 

「………………は? なに、何か全裸の変態が二人いると思ったら、最近口が悪くなった鈴仙ちゃんとお山の大将さんじゃん。え、マジで何してるの?」

 

 事情を聞こうにもあちらの方も混乱しているご様子。

 当然と言えばそうだろう。

 彼女の言っていたことが本当なら、家で瞑想をしてたのにいつのまにか外にいて、目の前には知人が二人、しかも何も着てない産まれたままの姿でいるのだから。

 

 とりあえずそろそろ何か着よう。

 幸いにも博麗神社にはいつしかの異変の影響で温泉ができた。

 そこからタオルの一つや二つ拝借してこよう。

 流石に霊夢ちゃんの服を勝手に借りるわけにはいかないし。

 

「すまんなもこたん、こんな見苦しい格好で。ほら、お前もタオルくらい身体に巻いとけ」

 

 そう言って、タオルを天魔に投げつけた。

 

「え、あ、うん。というかもこたんは……いや、今はそれは良い。この状況を説明してくれないか?」

 

「説明って言ってもな……むしろ説明して欲しいのは私らの方なんだけど。まぁ一応言うけど、私は入浴中にこいつに襲われて応戦してただけだ」

 

「うむ、儂と長耳が楽しく遊んでいるとな、そこで博麗の巫女が介入してきたと思ったら、いつのまにか消えてお前さんが現れたんじゃ」

 

「? 巫女が居たのか? けど何処に行ったんだ? というか私はいつの間に神社に……?」

 

 うーん、ダメだ。

 どうやら誰もこの状況を理解できていないようだ。

 

「……あれ、何か急に意識が」

 

 どうしたもんかと悩んでいると、妹紅の様子が変わった。

 ちょうどさっきの霊夢ちゃんのような様子だった。

 

「…………うーん、何か意識が飛んでたわ。あれ、あんたらまだ居たの? というかそのタオルうちのじゃない、ちゃんと洗って返しなさいよね」

 

 そして、藤原妹紅は消え、博麗霊夢が現れた。

 

 

 

 




神子っさんのキャラを掴むのが一番苦労したかもしれない今日この頃

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