第42話
「じゃあ、最後に確認するわよ? 家に帰ったら?」
「うーんと……手を洗う!」
「手を洗った後は?」
「うがいする!」
「……その後は?」
「えーと……お父さんとお母さんに『ただいま』って言う!」
「そうよ。しっかりと覚えてたいい子には飴玉をあげなきゃね」
白い包み紙に包まれた飴玉を受け取った子どもは、それを宝物のように手に握りしめた。
とはいえ、あと数分もしたら誘惑に負けて飴玉は口の中へと消える運命なのだろうが。
「『八意先生』、本当にありがとうございました……」
「どういたしまして。一応熱は下がったけど、また発熱し出したらまた連れてきて。子どもの風邪はぶり返しやすいから」
最後にもう一度、お辞儀をした親は、自らの子どもの手を引き家へと帰っていった。
それを見送った私、八意永琳は固まってきた筋肉と関節をほぐすためその場で首や肩を回した。
「やぁ先生。いつも助かってるよ」
すると人里の守護者である、慧音が何処からともなく現れた。
「先生が人里に診療しに来てから、病気で苦しむ人間はかなり減った。正直、もっと早くにこうして欲しかったくらいだな。薬屋が売る薬だけじゃあどうしても対応できないこともあったが、その心配をする必要もなくなった。重ねて言うが、本当に助かってるよ」
「……まぁ、別に屋敷に引きこもる必要性もなくなったし、暇つぶしにはもってこいなのよねこの仕事」
もはや月の民が私や輝夜を狙う理由はなくなった。
正確にはなくなったというか……トップが変わったというべきか。
『八意様。月は我々月の使者が乗っと……もとい、新たなまとめ役となりましたので、八意様は何も気にせず好きに生きてください。それと、一月に何回か地上に皆で遊びに行くので、よろしくお願いします』
『桃沢山持っていきますね! え、穢れ? 我々が新しく制定した法には『穢れとかどうでもいい』ってあるので、問題なしです』
……どうやら私の弟子達はいつのまにか逞しく育ち過ぎたようだ。
それはそれで嬉しい誤算と言うべきなのかもしれないが。
「どうした、複雑そうな顔してるが?」
「何でもないわ。それより何か用かしら?」
「いや、単に通り掛かりに声を掛けただけだ。上手く人里に馴染めているようで安心したよ」
「あら、私がコミュニケーション力がない人間だと? これでも心理学も基本は抑えてるから、人当たりの良い性格を演じる事くらいわけないわ」
それに、人里で診療所を開いてから既に数年の時が経過している。
それなりに顔は知られるし、信用されるようにもなるのは当たり前だ。
「そうか、初めて対面した時は……何というか、毛を逆立てて警戒している猫のようなイメージだったもんでな」
「今はどうなのかしら?」
「大人の女性って感じだな。ここ数年の先生の顔つきは立派な女って感じさせているよ」
それはつまり、それまでは子どもっぽいと思っていたということか。
まぁ事実に近いので反論も何もできないのだが。
「あ、そういえば、今夜博麗神社で宴会があるらしいんだが、先生もどうだ? 私は妹紅の奴と一緒に行くつもりだったし、そちらも輝夜姫を連れてきて」
「宴会? 何でまた……あぁいつものやつね」
「あぁ、いつものだ」
何か異変が起こり、それを解決しては宴会が始まる。
最初は儀式のような意味合いだったのだろうが、最近は単に習慣のように感じる。
「……まぁ、夕飯の支度をする手間が省けるし、たまには良いかしらね」
「そうだな、息抜きも重要だぞ先生。それに先生が『薬屋』の奴も連れてきてくれれば、調理組もだいぶ楽に…………あっ、いやすまない。つい無い物ねだりをしてしまった」
「……気にしないで、事実だもの」
そう、無い物ねだりだ。
『居ない存在』を連れて来ることは不可能なことだ。
「それで私は言ってやったのよ! 『私と結婚したきゃ蓬莱の玉の枝ぐらい持ってこい』ってね。そしたら全員本気にしてもう本当に傑作!」
「はっはっはっ! その中に私の父親も居たこと忘れてないかお前?」
「やっべ、もこたんの地雷踏み抜いた?」
「……んなわけないだろばぁーか! 今更過去の事なんて気にするかよ! でもとりあえず一発殴るな」
「いや! もこたんに乱暴される! 鈴奈庵で見かけた薄い本みたいに! 薄い本みたいにへぶっ!」
幻想郷に存在する博麗神社。
皆が酒に酔い、笑い、楽しんでいる。
「おい霊夢、その酒くれよ」
「いやよ、あっちにいる咲夜から貰いなさい」
「ワインは性に合わん。私は日本酒一択だぜ」
勿論、私もそれなりに楽しい。
こうして騒いでいる連中を見ながら、酒を静かに飲むのも悪くない。
しかし、どうしても今私の心にはどこか穴ができている。
チラリと隣を見るが、誰もいない。
だってそこには本来居て欲しい人物がいるべき筈だから。
「あたた……妹紅の奴わりとマジで殴ったわね。あら永琳、そんな顔してどうしたの?」
「……輝夜」
その言葉を言われたのは今日二度目だ。
もしかして意外と顔に出てしまうタイプなのだろうか私は。
「辛気臭い顔してたら折角のお酒が台無しよ? ……あぁでも、確かにそうよね」
輝夜は何かを悟ったように語る。
「私も永琳と同じよ……もしここに『鈴仙』がいたらって」
「……そうね」
そう、彼女が今ここにいればもっと楽しめた筈だ。
しかし現実は違う。
今この場に彼女はいない。
その事実がどうしても私の心の隙間を埋めてくれないのだ。
「鈴仙も意外と薄情よね。永琳置いていっちゃうなんて」
「……仕方のないことよ」
嗚呼、仕方のないことだ。
だって彼女は…………
「お、本当に宴会してるよ。いやータイミングバッチリじゃないか私たち。あ、ただいま永琳。一週間ぶりだが元気にしてたか?」
「長旅の終わりを締めくくるには持ってこいじゃの。どうじゃ長耳に鬼神、飲み比べといこうじゃないか」
「うふふ、負けませんよぉ。というか外の世界のお酒も中々でしたが、やっぱりこっちのお酒の方が性に合いますね」
彼女は、天魔と鬼神と共に一週間の外の世界旅行をしていたのだから。
「……お帰りなさい。外の世界は楽しめたかしら?」
「そこそこだな。それに旅行という名目で行ったが、それなりに面倒ごとが……まぁそれはいいか。次はお前も一緒に連れて行こうか?」
「そうね、楽しみにしてるわ」
きっかり一週間後に帰ってきた彼女は、少しだけ疲れているように見えた。
「いや永遠亭に直接帰ったら誰もいないから、どうしたと思ったら神社にいるときた。こりゃ宴会でもしてるなと睨んできたら大正解、疲れた身体には酒が一番だ」
そう言って彼女は近くに置いてあった酒瓶を手に取り、そのまま口へと運んだ。
「それじゃあ疲れているところ悪いけど、土産話の一つや二つ話してくれないかしら?」
「えー……後で良いか?」
「私、寂しかったのよね。あなたがいない日々っていうのが」
「……分かったよ。話せば良いんだろ?」
そして彼女は静かに語り出す。
そして私は彼女の肩に寄り掛かり、静かにそれを聞く。
あの日、忘れられないあの異変からもう数年が経った。
そして今も彼女は私の隣にこうしている。
それだけで、あの異変のエンディングがどんなものだったのか語るまでもないだろう。
「……あぁ、本当に人間っていうのは不思議だよ」
ふと、話の途中で彼女は突拍子のない言葉を吐いた。
「私が月に転生する前に、気まぐれである一人の人間を楽園から見ていた。何の変哲も無い、ただの外の世界の学生だ。結局そいつは事故で死んだが、そいつが最後に呟いた言葉は何だったと思う?」
「……なんて言ったの?」
「私はてっきり、事故を起こした原因や運命に恨み言の一つや二つ言うのかと思ってた。けどその人間は、最後に『ごめん』って言ったんだ……自分が死に瀕しているにも関わらず、そいつは『怨む』のではなく『悔やんだ』。先に逝ってしまう己を恥じ、世に残してしまう家族や友人に詫びを入れたんだ」
彼女は一息入れ、言葉を紡いだ。
「それが妙に印象深かった。転生した後も微かに記憶に残るくらいにな。お陰でその時はその記憶が自分の前世だとか馬鹿な勘違いしてたが……まぁともかく、その時から人間の感情っていうのは本当に不思議だって私は感じたんだ」
「……そうね、それが分かればあなたもあそこまで悩んだりしなかったでしょうね。でもきっと、答えなんてないのよ。人間っていうのはいつだって愚かで、健気で、何をするか神にすら分からない不思議な生き物。それを理解しようとする意味も必要性もないのよ」
そう、元より人間に正解も答えもない。
無い方が良いのだ。
「……あぁ、全くもってその通りだな」
「えぇ、大事なのはこうやって触れ合うことよ。それだけで人間は満足できるんだもの」
少なくとも私はそれだけで充分だ。
あぁ、だからこの世界が完全に滅び去るその時まで、私は彼女といたい。
それが、私の唯一の答えだ。
これにて『月の兎は何を見て跳ねる』もとい、『東方失楽園』は完結となります。
一年以上もお付き合いして頂きありがとうございました。
そしてお気に入り登録や評価、誤字脱字報告や感想をしてくれた読者の方達にもう一度お礼を言います。ありがとうございました。
ちょっと物足りないと感じる方や、結局意味が分からないと感じる方もいらっしゃるとは思いますが、今の作者にはこれが限界です。申し訳ありません。
番外編とかやるかはまだ決めてませんが、もしこの作品でまたお会いする事があれば、その時も是非よろしくお願い致します。
それでは、またどこかで……