ふっと目が覚め、横にしていた身体の上半身だけを布団から起き上がらせる……そしてまず最初に感じたのが寒さだった。
このまま暖かい布団に潜って二度寝したい気持ちを抑え、布団から這い出る。
そして部屋の引き戸を開け、縁側に出る……そこには一面の雪景色が広がっていた。
(どうりで寒いわけか……)
昨日の夜から降り始めたのだろう、今もなお降り続けている雪は見事に辺りを雪で埋め尽くしていた。
これでは気温はかなり低いはずだ。
つまり、幻想郷はもうすっかり冬の季節に入ったようだ……
ガラリと玄関の戸を開けると、思っていた通り大量の雪が玄関先に積もっていた。
防寒着を着込んではいるが、それでも結構寒く感じるのを我慢しつつ、手に持った除雪道具を使って雪かきを始める。
玄関先が終わったら次は……屋根の上と庭園、それから畑の方もしなくては。
家事は午前中に終わらせといたから、だいぶ時間の余裕はあるが……できるなら夕飯の支度の時間までは済ませておきたい。
今日の夕飯はいつもよりほんのちょっと豪華にする予定だし。
無心で雪かきを続けていると、庭の方が騒がしくなっている事に気が付いた。
多分姫様やイナバ達が庭で雪を使って遊んでるのだろう。
雪遊びは童心に帰れるとよく言うし。
そんな事を思いつつ、玄関前の雪かきが半分ほど終わった頃に、突如後ろから声を掛けられた。
「よぉ鈴仙ちゃん、一人で雪かきなんて精が出るな」
声に反応して振り向いてみるとそこには……まぁ実は能力でこっちに来てることは察知できたが、そこには見知った顔の白髪の少女がいた。
彼女の名前は藤原妹紅、師匠や姫様と同じく蓬莱人で、姫様の昔からの知り合いらしい。
彼女もまたここ迷いの竹林に住んでおり、こうして度々姫様に会いに永遠亭にやって来ることがある。
(こんにちは、もこたん。姫様なら庭で遊んでますよ)
取り敢えず挨拶をする。
筆談だけど……
「ん、いや……今日は輝夜に用じゃなくてだな……まて、もこたんってなんだ、もしかして私の事かそれ?」
もこたんの問いかけに首を縦に振って答える。
「まてまて、いつの間にそんな変なあだ名付けられてるの私」
(え、だって姫様がこの前、妹紅さんのことはこれから、もこたんって呼んであげなさいって……)
「……そうか、けどいつも通り妹紅さんでいいからな? 代わりに輝夜のことを、ぐーやって呼んであげてくれ……きっと喜ぶぞ」
え、姫様のことをぐーや……?
そして妹紅さんはもこたん……
はっ、そうだったのか……どうやら二人はいつのまにかお互いをあだ名で呼び合えるほど仲良くなったらしい。
いやー良きかな良きかな、自分が初めて妹紅さんに会ったぐらいの時は、姫様と妹紅さん、お互い殺し合おうとする程仲が悪かったというのに……今日はお赤飯かな。
(あれ、ではぐーやに用がないとすると、本日はどのようなご用件で?)
「さ、早速呼んでるし……ぶふっ!」
なぜか吹き出す妹紅さん。
「ん、いや失礼……今日は鈴仙ちゃんに用が有って来たんだよ」
自分に?
一体なんだろうと考えていると、妹紅さんが片手に持っているものにようやく気が付いた。
「ほら、これ鈴仙ちゃんのだろ?」
それは以前、永遠亭にリグルを連れてこようとした行き道に眠っている妹紅さんを見かけたので、風邪をひかないようにと毛布がわりにかけてあげた自分の上着だった。
そういえばすっかり忘れていた。
「なんか昼寝から目が覚めたらそれがあってさ、見覚えあったし多分そうなんじゃないかと思ったよ」
それでわざわざ届けに来てくれたというわけか。
「それで? わざと落っことしたってわけじゃないんだよな……え? 風邪をひいたらいけないから、毛布がわりにだって? ……なんていうか、本当にお人好しというかお節介焼きというか」
少し呆れたように言う妹紅さん。
まぁ元からそういう性格なので……
「まぁ私がとやかく言うのはおかしいか……一応礼は言っとくよ、ただ他人の心配してばっかだけじゃなく、自分の身も心配した方が良いと思うよ? 毎日毎日家事やら雑用やら一人でやってるんだろ? 大変じゃないか」
む、そんなことはないですよ妹紅さん、休憩だってちゃんとしてるし、家事とかだって嫌々やってるわけじゃないし。
それにイナバ達やぐーやのような、疲れた心を癒してくれるような存在もいてくれるし。
そして極め付けに、師匠という一見するとできる女性なのだが、実はちょっとうっかりしてたりする所もあったりして、それがまた可愛いらしいというかギャップ萌えというか。
「あ、あぁわかったわかった。わかったからそれ本人達の前では言うなよ、特に薬師の方」
……確かに師匠本人に言ったら、次の瞬間矢が顔面に飛んできそうだ。
気を付けておこう。
「んじゃ、私はここらでお暇させてもらうよ」
そう言って帰ろうとする妹紅さん……うーん、せっかく来たのだからもう少しゆっくりしていけばいいのに。
……そうだ。
「……ん? どうした?」
去ろうとする妹紅さんの服の袖を掴み、引き止める。
そして、すかさず筆談で言いたい事を伝える。
「……折角だから、ご飯でも食べていかないかだって? あー……その申し出は正直嬉しいが、時々だけど鈴仙ちゃんにはお裾分けを押し付けられ……貰ってるからそれで充分というか……」
少しだけ照れ臭そうに、頬を指でかきながら答える妹紅さん。
「それに飯時までまだだいぶ時間が……え、それまで輝夜と遊んでれば良いだって? いやあのな、私と輝夜はそういう間柄というわけじゃなくてだな……ああもう、わかったからその無表情で凝視するのやめてくれ、なんか怖いから」
……そんなに自分の表情って怖いのかな。
確かに常に無愛想みたいな表情だけど怖いだなんて大袈裟な……大袈裟だよね?
ま、まぁでもこれで妹紅さんの説得もできたみたいだし、良しとしよう。
さて、そうと決まれば尚更雪かきをはやく終わらせて、夕飯の支度をしなくては。
一人増えるだけでも、材料の分量とか工程も色々と変わってくるからだ。
「お、急に作業ペースが速くなったな……どれ、私も手伝ってやるよ」
え、それはありがたいですけど、一人分の除雪道具しかここにはないので妹紅さんはやらなくても……
「なに心配ないさ、要は積もった雪をどうにかすればいいんだろ?」
はぁ……まぁそうですけど。
「なら簡単さ、こうやって……ふんっ!」
次の瞬間、辺りが炎に包まれた。
あの日、私は生まれて初めて罪を犯した。
最初はただ、父に恥をかかせたあいつ……月に帰っていたかぐや姫を困らせようとしただけだった。
かぐや姫が帝と竹取の翁に贈ったと言われる、不老不死の薬……それを奪ってやれば、あいつも困るだろうと思って……
しかし当時の私はなんの力も持たない普通の人間の少女だった。
しかもろくに外で走ったことも数える程しかない筋金入りの箱入り娘。
そんな私が、不老不死の薬を持って山登りをしている大人達の跡をついていけるはずもなく、山を登り始めてすぐにバテてしまった。
しかしそんな私を救ったのが他でもない、不老不死の薬を運んでいた大人たちだった。
どうやら私の尾行は既にバレていたようだ……
そして私をこのまま一人で帰すのは危ないということで、山の上まで一緒に連れて行ってもらうことになったのだ。
これはチャンスだと思った。
隙を見て薬を奪えるかもしれない。
しかし現実はそう甘くなく、具体的な方法も思い浮かばないまま、遂に山の頂上までたどり着いてしまった。
……正直言って、その時点で薬を奪うのは殆ど諦めていた。
大体奪ったところでなんだというのだ、どうせ薬は帝や竹取の翁に使われず焼かれるのだ。
それなら私が奪っても焼かれても結局は同じ事ではないか。
私は山の火口に放り込まれようとしている薬の入った容器を見ながら、そう思った。
けれど薬は焼かれることはなかった。
何故なら、山の女神が突如現れ、薬を火口に放り込もうとした大人達を殺したからだ。
「禁忌の薬でこの山を穢すことは許さぬ」
たったそれだけの理由で、数人の命が女神によって消された。
生き残ったのは、後ろにいた私ともう一人の大人しかいなかった……
そして女神は、残った私たちに別の場所で薬を処理するよう命令し、そのまま姿を消した……
ひとまずこの場を離れよう、そう言って薬を背負い歩き始める大人の後ろを私は呆然としながらついていった。
初めて人が死ぬところを間近で見てしまったのと、疲労が溜まっていたのもあり、私は軽くショック状態になっていた。
そんな状態でまともに歩くことなんてできず、気が付けば私の片足は崖の縁を踏み抜いていた。
悲鳴をあげる暇もなく、私の体は崖の下に落ちる寸前だった。
このまま落ちて死ぬのだろうかと、思っていたよりも無関心に思っていると、次の瞬間私の体は宙に浮いた。
落下しているのではない、むしろ上に上昇しているような感覚だった。
そして次にきたのは、背中の痛みだった……地面に衝突したからだろう。
一体何が起きたのか確かめるべく、痛みで反射的に閉じていた目を開くと、そこには崖の下に落ちていく大人の姿があった。
そして私は察した、彼が崖下に落ちようとする私を空中で掴み、引っ張り上げたのだ。
しかし代償として、今度は彼が崖下に落ちようとしているのだ。
まるで時がゆっくりになったかのように、彼の体がどんどん下へと落ちていく……そんな彼の体を掴もうと私は自分の手を伸ばすが、少女の手では届くはずもなく、その手は何も掴む事もなく閉じてしまった。
しばらく彼が落ちていった崖下の暗闇を、呆然と見つめているとそれに気が付いた。
足元に不老不死の薬が入った容器が転がっていたのだ。
おそらく、私を助ける前に彼が慌てて放り投げたのだろう。
……不老不死、つまりは死なないということ。
これを使えば、崖下に落ちた彼を助けられるのではないだろうか。
そう思った瞬間、私の手は勝手に動いていた。
容器には二つの丸薬のようなものが入っていた。
これが不老不死の薬……
私は二つの内一つを掴み、無造作にそれを口に放り込んで飲み込んだ。
一瞬だけ、何か違和感を感じたが、それ以外は特に変わりはない様子だ。
そして残ったもう一つの薬を両手でしっかりと握り、崖の縁へと立つ……
……もし仮に、この薬が偽物で、不老不死になんてなっていないのなら、私の人生はここで終わりを迎える。
けれどそれも良いだろう……正直言って、大好きだった父が事故で死んでしまった日から私の人生はとうに終わっているようなものだから。
そして私は崖下へと身を投げ出した。
ふっと眼が覚める。
一瞬ここがどこで何が起きたのか分からなかったが、すぐに思い出せた。
私は崖から飛び降りて、そして激しい痛みが生じて……
ハッと気が付いて自身の身体を触る、しかしどこも怪我をしたような様子はない。
けれど、私が倒れていた場所には大きな血溜まりができている……そして意識を失う前に感じたあの激痛が夢でなければ。
「し、死んでない……本当に死んでないんだ私」
不老不死なんて空想に過ぎないと思っていた。
しかし現に本当のことを私は体験した。
……今は感想を言っている場合ではない。
早い所彼を見つけなければ、と脚を動かそうとした時、何かが足先にぶつかった。
暗くてよく見えなかったが、よく目を凝らしてみると、そこには無残な姿となった彼がいた。
それだけで私は理解した、もう彼は動かないと……
けれど私は諦められなかった、倒れた私を助け、食糧を分けてくれたり、疲れて歩けなくなった私をおぶってくれたりした親切な彼の死が。
どこか父に似た雰囲気の彼の死が……
だから私は握りしめていた不老不死の薬を彼の遺体の口に押し込んだ。
願わくば彼が生き返ってくれることを祈って……
しかしいくら待てど、彼は動かない。
日が昇るまでその場で待ち続けたが、それでも動かない。
……わかっていた、既に死者となったものが不死になんてなる筈がないと。
私はその辺に落ちていた石を彼の遺体の上に積み上げ、お墓を作った。
そして私は涙を浮かべながらその場を立ち去った。
これが私が犯した罪……私のせいで彼を死なせてしまったという罪だ。
それからは地獄のような日々だった。
私は心の何処かでは、辞めようと思えばいつでも辞められるものだと思っていた。
しかしそれは大きな間違いだった。
不老不死とは、死なないのではなく、
例え妖怪に襲われ殺されようとも生き返り、飢餓状態になると地獄の苦しみを味わってから死に、そしてまた生き返る。
なにより、不老不死となって成長が止まってしまった私は既に人間ではなく、ただの人外になってしまった。
そんな私が人と共に過ごせるわけもなく、常に私は孤独だった。
あの日から数百年間の間、私は死ぬことすら出来ずに、各地を彷徨い続けた。
その間に妖怪退治をする程の力も身に付けた。
妖怪退治を生業とし、あちこちを旅した。
何度も死のうとしてみた。
その内妖怪退治にもやり甲斐を持てなくなり、無気力な日々を過ごしたこともあった。
もう死のうとすることも諦めた。
そして最終的に私は幻想郷に辿り着いた。
そこで思いもよらぬ人物と出会った。
あの月に帰ったと思ったかぐや姫……輝夜が実はあれからずっと逃亡生活をしていたことを知った。
取り敢えず全力で顔面を殴った。
そして輝夜も私と同じように永遠を彷徨う運命にあることを知った。
気が付けば、私と輝夜は暇さえあれば殺し合いをするようになった。
別にお互いが憎くてやっているわけではない……まぁ最初の方こそ私は輝夜が憎かったのは確かだが、正直昔の恨みは最初出会った時に思いっきり殴ったことでスッキリした。
では何故お互い死にもしないのに殺し合いをするのか……多分だが、輝夜も私と同じ理由だと思う。
それは『生きている』という実感を得るため。
実際に命のやり取りという行為をすることで、私達はちゃんとこの世にいるんだなと確認するためだ。
蓬莱人は生きてもいないし死んでもいない……そんな曖昧な境界にいるのだ。
けれど、私も輝夜もかつては普通の人……輝夜の場合は普通の人と言っていいか微妙だが、ともかく人間だったのだ。
自身が人間であったという認識を忘れないために、私達は生きているんだなと確認するのだ。
もし忘れてしまったら……それこそ、ただの動く肉塊と何の変わりもなくなってしまう。
それだけは絶対にごめんだ。
とまぁ、自己満足と暇つぶしをかねた、そんな理由で度々永遠亭を訪れては、輝夜と殺し合いをするという生活を続けてどれくらいたっただろうか。
ある日のこと、その生活に変化がおとずれた。
最初は見慣れない妖怪兎がいるなと思っただけだった。
そいつは永遠亭の玄関前を箒で掃き掃除をしていた。
「? あんな兎ここにいたっけか……」
確かに迷いの竹林には多くの兎が生息している。
普通の兎から妖怪兎、しまいには竹林のあちこちに落とし穴だとかトラップを無造作に仕掛けるはた迷惑な兎詐欺まで幅広く。
そしてあの箒を持った人型の兎は間違いなく妖怪兎だろう。
しかし長いこと竹林に住んでいる妹紅でも、あの妖怪兎に見覚えがなかった。
「……まぁいいか」
おそらく最近妖怪化した兎とかだろう。
そして永遠亭の玄関前を掃除しているということは、永遠亭で飼っている兎というわけだ。
「ちょいとそこの、悪いが輝夜のやつ呼んできてくれないか?」
妖怪化しているなら、少なくとも知性はあるはず。
折角なので輝夜を呼んできてもらおうと近づいて声を掛けた。
そいつは私の声に反応して、顔をあげる……
「っ……」
そして思わずぎょっとした。
何せ、そいつの顔が驚くほど無表情で不気味なものだったからだ。
口角は限界まで吊り下がり、その赤い瞳は虚空でも見ているのではないかと思うほど感情というものがこもっていない。
どちらかというと、魂のこもっていない人形といった方が納得がいく。
「…………」
おまけに喋ろうとする気配が全くない。
あまりの不気味さに、思わず身構えていると、ようやくそいつは動きを見せた。
何やら懐から小さい紙と……棒状の物体を取り出し、棒状の物体の先を紙に押し当て、手を動かす。
そして紙切れを私の眼前に持ってくる。
そこには、『どちら様でしょうか』とだけ書かれていた。
……成る程、どうやら何らかの理由で喋れないらしい。
しかし筆談ができるのなら、会話自体はできるみたいだ。
「あー……私はその、藤原妹紅って言って、輝夜と友……ねぇな。えっと、なんていうかな……腐れ縁?」
自己紹介なんて久しぶりにするものだから、ついどもってしまう。
「……あー、とにかく輝夜の知り合いだよ。あいつに用があるんだが……」
そこまで言うと、妖怪兎は何かを考え込む素振りをし、やがて何かを思い出したかのように再び紙に何かを書き込む。
『あなたが藤原妹紅さんでしたか、話は聞いてますよ』
どうやら話は通じたらしい。
それにしてもこいつは他の妖怪兎に比べて礼儀正しいというか……何処か人間臭さを感じるのはなぜだろうか。
「話は聞いてる……ね」
一体誰からと疑問に思ったが、なんとなく予想はできた。
そして妖怪兎は続けてサラサラと紙に文字を書いていく……その様子だと、筆談には手慣れている様子だった。
『私ほどじゃないけど、そこそこの実力を持っている、もんぺの妖怪だと言ってました。幻想郷には色んな妖怪がいるとは思ってましたが、まさかもんぺの妖怪なんてのもいるとは思いませんでしたよ』
文章を読み終えると、私は思わず固まった。
「……待て、色々と言いたい事はあるが、取り敢えず一言言わせてくれ」
私の言葉に妖怪兎は首を傾ける。
「もんぺの妖怪なんていないし、私は妖怪じゃないからな」
なんだもんぺの妖怪って、何がどうなったら衣服が妖怪になるんだよ。
というかなんだその視線は、確かに今日ももんぺを履いてはいるけど、もんぺを履いているからってもんぺの妖怪と決め付けるのはおかしいだろ。
「と、とにかく輝夜をはやく呼んできてくれないか……色々とあいつとは話さなきゃならないからな」
そう言うと妖怪兎は頷いて屋敷の奥へと消えていった。
時間にして数分ほど、見慣れた着物姿の輝夜とさっきの妖怪兎がやってきた。
「あら、最近来ないから何処かでくたばったのかと思ったわよ、もんぺの妖怪さん……ぷふっ!」
やっぱりこいつか、もんぺの妖怪ってこの兎に吹き込んだのは……!
「はんっ、生憎と私はお前みたいに年がら年中引きこもってられない性格なんでね。今日はちょいと幻想郷を一周してきた帰りに、いつも家ん中にいて運動不足なお姫様を外に引きずりだそうと思って来ただけだよ」
「へー、あなたにそんな優しさがあるだなんて知らなかったわ……なら私の運動不足解消を手伝ってくれるのよね? ちょうど良い運動方法があるんだけどやってみないかしら」
「ほー、どんなだ?」
「的当てよ、私が弾を撃って、
「はっ! なら当ててみな! ただ、気が付いたらそっちが的になってるかもしれないから、せいぜい気をつけるんだな!」
今日はすこぶる調子が良く、割とあっさり輝夜を圧倒できた。
……というより、輝夜の方がなんだかいつもより動きにキレがない気もしたが。
「へっ、どうやら今日も私の勝ちのようだな。どうした輝夜、しばらくみない間に少し腑抜けたか?」
「……バカ言わないでよ、この前は私の勝ちだったじゃない……まぁ確かに最近腑抜けてたかもね」
やけに素直で、珍しく負けを認める輝夜に、私は一瞬戸惑った。
「……なぁ、本当にどうしたんだお前。らしくないじゃないか」
「うるさいわね……はやくトドメ刺しなさいよ」
戦ってる最中でも感じたが、どうにも今日の輝夜は様子がおかしかった。
いつもならこう……全てに退屈しているといった、そんな張り詰めた表情をしていたと思うのだが、今日の輝夜にそういった様子はなかったというか……
「そうか……ならそれが今日の遺言ってことで良いんだな」
どちらかが一回死ぬまでこの戦いは終わらない。
私は拳に炎を纏い、それを輝夜の脳天めがけて振り下ろす。
不老不死とはいえ、痛みは感じる。
だからせめて痛みを感じないように、一発で楽にしてやるという私なりの配慮だ。
しかしその拳は途中で止められた。
「なっ……!」
何かが私の腕を掴んで、凄い力で止めているのだ。
一体誰がと、首を真横に動かして確認する。
そこには意外にも、あの妖怪兎がいた。
……気配が全く感じられなかったのは、輝夜との戦いに夢中になっていたからか、それとも……
「……何のつもりだ?」
「…………」
問いかけてみるもの、やはり喋らない。
かわりにその不気味な赤い瞳で私をじっと見つめている。
「れ、鈴仙……? あなたいつから……」
輝夜が少し震えた声でそう言う。
どうやらこいつの名前は鈴仙というらしい。
仕方なく、拳に込めていた力を抜くと、ようやく鈴仙という名の兎の掴んでいた手が離れた。
そしてすかさず、紙と棒状のものを取り出し、再び筆談を始めた。
「『それ以上やったら姫様が死にます』……って、なんだ? お前永遠亭で飼われてる兎なのに知らないのか? こいつは不老不死だから殺してもまた生き返るから平気だぞ」
私の言葉に兎はただ『知っています』とだけ答えた。
「ならなんで止めたんだよ、言っとくけど私もこいつと同じ不老不死だし、この殺し合いだって毎回のようにやってることだからな」
私がそう言うと、初めてその兎の表情が変わった所を見た気がした。
……と言っても一瞬だったし、微かに表情筋がぴくっとしたぐらいだが。
そして、てくてくと輝夜の方に歩いていく……
「あ、いやその……べ、別に隠してたわけじゃないのよ? ただ言うのを忘れてただけっていうか……それに単にお互い憎しみを持って殺しあってるわけじゃないのよ? なんていうかこう、蓬莱人同士の遊びというか戯れというか……あの、私が悪かったからその顔やめてくれない? 正直怖いわ……」
兎が近づくと、輝夜は慌てて言い訳のような言葉を並べる。
どうやらこの鈴仙とかいう兎は、私と輝夜の関係については全く知らなかったようだ。
「え? 明日のおやつ抜き……? ま、待って鈴仙! 不可抗力だから、今回の件は不可抗力だから許して!」
というかなんだこの輝夜は、私の知ってる輝夜とはだいぶ違うというかもはや別人というか。
私が幻想郷一周してる間に何があったのか気になるところだが……
「なぁ、鈴仙だったかな……あんた永遠亭で飼われてる兎じゃないのか?」
どうにもこの兎と輝夜のやり取りを見ていると、兎の方が主導権を握っているのではないかと思えてしまう。
そんな私の疑問に兎は『どちらかといえば居候です』とだけ答えた。
……ますますこの兎がわからなくなってきた。
どうしたもんかと悩んでいると、兎が近寄ってきて再び文字の書かれた紙を見せてきた。
それには『百歩譲って、お二人が戦うこと自体は良しとします。けれど殺すのは無しにしてください』といったような内容が書かれていた。
何故かと尋ねると、兎はこう答えた。
『不死とはいえ、命を粗末に扱う様なことはいけないと思うし、させたくないから』……と。
「……とんだ綺麗事だな、お前にはわからないだろうが、不老不死になると自分の命なんてものどうでもよく感じるんだよ……だから」
次の言葉は出なかった。
何故なら目の前の兎から殺気に似た何かをぶつけられたからだ。
なんとなくだが、この兎は今『怒っている』んだなと感じ取れた……
しかしすぐにそれは収まり、さっきまでギラギラと発光していた兎の赤い瞳は最初の無気力なものへと戻っていた。
「……あぁそうかい、あんたの言いたい事はよく分かったよ。けれど私は黙って従う性格じゃないし、さっきあんたに止められたせいで不完全燃焼なんだ。どうだ、私と勝負して私を負かせたら言う事きいてやるよ」
今日の私は絶好調だ。
さらに何百年も妖怪と戦ってきたその経験もある。
万が一にも、力に目覚めたばかりの妖怪兎なんかに負けるはずがない。
……そう思っていた時期が私にもあった。
気が付けば地面に大の字の状態で倒れていた……私が。
「はぁ……はぁ……くそっ、なんで攻撃が」
倒れている原因は明白だった。
極度の疲労によるものだ。
実は言うと、蓬莱人にも弱点がある……それは体力の限界だ。
どんなに怪我をしても一瞬で治り、たとえ塵になっても生き返る蓬莱人だが、唯一戻せないものがある……それが疲労だ。
流石に輝夜との戦いの疲れも癒せてないまま連戦した上、何時間もぶっ続けで戦い続けていれば私といえ限界がくる。
そして何故か、いくら攻撃しても、ただの一撃もこの兎には通用しなかった……正確に言えば、攻撃しても簡単に避けられるか、幻術か何かの類で幻を見せられ躱されると言った具合だ。
「あっ」
そして汗ひとつ、呼吸すらも乱していない涼しい顔した兎が、倒れている私の眼前の前に立った……なんだ、やけに変わった下着着けてるなこいつ。
視界に兎のスカートの中が入ってしまったため、場違いにもそんな感想を述べてしまった。
というか布面積少な過ぎないかそれ。
「いでっ!?」
そしてパチーンと乾いた音が竹林に響いた。
同時に額にかすかな痛みが走る。
所謂、デコピンというものをされたのだ。
「勝者ー、れーいせーん!」
観戦していた輝夜が、兎の手を取り上にあげながらそう叫んだ。
くそっ、なんか腹立つそのドヤ顔。
「ぷーくすくす、妹紅ったらあんなに意気込んでたのにあっさり負けちゃったわね。どう? うちの鈴仙は強いでしょ?」
「なんでお前が得意気なんだよ……つか、お前は良いのかよ?」
「何が?」
「いや、私が負けたら……ってやつ」
悔しいが、負けは負けだ。
相手が妖怪とはいえ、一度取り付けてしまった契約を勝手に破棄するのは、自分勝手というもの。
「別に私は構わないわよ? 正直あんたと殺し合いしてたのって、退屈凌ぎを目的としてやってただけだし」
「……なんだよ、じゃあ今は退屈してないっていうのか?」
「えぇ、この鈴仙が来てから私は退屈なんてしてないわ」
私の問いに、輝夜ははっきりと答えた。
……成る程、どうやら輝夜の様子が変だったのは、この兎の所為だったらしい。
それからというもの、鈴仙という兎は私に変化をもたらし続けた。
私と輝夜の殺し合いをやめさせ、平和的な勝負で優劣を決めるよう促したり。
時折お裾分けといって飯を食べさせてくれたり、体調を気遣ったりと、まるで友人……あえて誇張して表すと、家族のように接してくるようになった。
正直言って、悪い気はしなかった。
むしろそれが私の人間としての心を繋ぎとめてくれるような感覚すらもした。
だから私は、鈴仙のことはちょっと変わってる妖怪だなと思っている。
妖怪の癖にまるで人のように振る舞い、人の心で在ろうとする……変わった妖怪だと。
……よし、完成だ。
何が完成したのかというと、今日の夕飯がだ。
(やっぱり寒い日には鍋だよね)
完成した寄せ鍋料理を食卓に運び、食器等のセッティングをしていく。
今日は妹紅さんもいるので、五人分用意しておかなければ。
セッティングを終え、次にする事は皆を呼んでくる事だ。
まずは食卓から一番近い、姫様の部屋に脚を運ぶ。
「あっ、輝夜お前ずるいぞ! それ私が取ろうとしてたアイテムだぞ!」
「知らないの妹紅? こういうのは早い者勝ちなのよ」
姫様の部屋の戸を開けると、そこには自分が月から持ち込んでいたテレビゲーム機で仲良く遊ぶ姫様と妹紅さんの姿があった。
ちょっと前まで雪合戦を何時間もしていたというのに、まだまだこの二人は元気なようだ。
一緒に混ざっていたイナバ達はともかく、てゐなんか腰を痛めたというのに。
(姫様、妹紅さん、夕飯できましたよ)
結局、ゲームに熱中している二人を止めるのに五分ほど時間を要してしまった……
今回の話をざっくりまとめるとこう。
もんぺの妖怪「バシュッゴォォォォォ!」
↓
カッ!
↓
◇モコタン敗北!