「死ね輝夜ぁぁぁぁぁ!」
「くたばれ妹紅ぉぉぉぉぉ!」
そんな怒号が辺りに響く。
当然声の主は、姫様と妹紅さんだ。
お互い丸めた雪玉を投げ合いながら、罵倒も飛ばし合う。
しかしその罵声には、憎しみといった感情は感じられず、どこか楽しそうだ。
それにしても、昨日も何時間の間雪合戦していたというのに、よくもまぁ飽きもせずやりつづけられるものだ。
しかも今回もイナバ達が混ざり、さりげなくチーム戦になっている。
「おー、こんな寒い中よくあんなにはしゃげるもんさね……」
縁側に座りながら姫様達を眺めていると、てゐが腰をさすりながら隣に座った。
昨日てゐは、姫様に無理矢理雪合戦に参加させられた挙句、腰を痛めたようだ
しかしその仕草と口調はまるで年寄りのようだ……まぁ実際にてゐは師匠並のかなりの年寄り兎らしいが。
「ん? 腰を揉んでやろうかだって?」
あまりにも痛そうにしているので、腰を揉んであげようかとてゐに伝える。
「……じゃあいっちょ頼もうかね、ちょいと強めにお願いするよ」
そう言ってどっこいしょと自分の膝の上に腹這いになるてゐ。
何故膝の上に乗るのだろう、正直この体勢だとやりにくいのだが……まぁいいか。
「お、あー……効くねー」
適度な強さで、てゐの腰をマッサージしていく。
それにしても、てゐや師匠、実際どれくらい前から生きているのだろうか……師匠は不老不死だから見た目は大きく変わらないらしいが、てゐの場合は本人曰く長生きし過ぎたただの兎と言う。
しかしどうみてもてゐは、人里で遊んでいるような子供と見た目は大差ないようにみえるし、とても歳を重ねている風貌には見えない。
(はっ……! まさかこれが合法ロリとかいうやつ……?)
うろ覚えだが、前世の時にそんな言葉を聞いたことがあるようなないような気がする。
確か見た目は子供、中身は大人みたいな意味だったはずだ。
そう思うとなんだか納得できる気がした。
「はぁー、歳はとりたくないもんだねぇ……姉御もそう思わない?」
大きく息をついたてゐがそう言ってきた。
……しかしなんだろう、何か今の言葉に違和感を感じた。
いつもとは違う感じというか……
「あ……いや、鈴仙もそう思わない?」
すると、少し慌てた様子でそう言い直すてゐ……あぁなるほど、自分に対する呼び方がいつもと違ったのか。
しかし『姉御』か……誰かと間違えて呼んだのだろうか。
けれどあのてゐが姉御呼ばわりする人物なんて、自分が知る限りでは心当たりがないし……
まぁそこまで気にすることではないか。
きっと単なる言い間違いだろうし。
しかしこうして大人しくしているだけなら、とっても可愛げのあるのになぁ……何故かは知らないが、一日に一回は自分を罠にかけようとするのは、果たして彼女にとって日課にしなくてはならないことなのだろうか。
それとも他に何か理由が……
「あ、あーそこそこ……」
……あるわけないか、それも単なる彼女の悪戯心から来ている行為だろう。
そう思いながらてゐの腰を揉み続ける。
因幡てゐは、決して特別な妖怪というわけではない。
ただ健康に気を付け、面倒ごとにはあまり関わらないよう、自分を大切にして過ごし続けた結果、長生きできている妖怪にすぎない。
時たま自身の性格と趣味が裏目に出て、危険な目に合うことも少なくはなかったが、それも持ち前の口八丁と逃げ足の速さで回避し続けた。
そしてあの日も……自身の縄張りに部外者が住み着いた時にも、あたしは我が身と子分達の安全性を確立させるため、部外者を追い出そうとしたりせずに、逆に交渉を持ち掛けた。
変に揉め事を起こしても、益がないのは目に見えていたからだ。
そして交渉の結果、部外者達を匿い、この竹林に他の者を近づけさせない手伝いをする代わりに、部下達に教養を身につけさせてもらうという条件が成立した。
正直な話、長生きだけが取り柄のあたし一人では、部下達一匹一匹の面倒を見るのは結構大変だったので、むしろ願ったり叶ったりだった。
そんなこんなで、部外者……八意永琳と蓬莱山輝夜と言う名の月人を匿ってからそれなりの年月が過ぎた頃、ついにある出来事が訪れた……
あの日は満月がとても美しく感じられた日だった。
部下の兎のうちの一匹が、『見慣れない兎がいる』と報告してきたのだ。
また人間に捨てられでもした、かわいそうな兎でも迷い込んだのだろうと思いながら、その見慣れない兎とやらのところに、部下に案内をさせた。
しかしその考えは、間違いだったとすぐに気付かされた。
案内された先には、変わった服装をしている妖怪兎が一人佇んでいた。
薄紫色の長い髪、兎特有の赤い瞳や大きな兎耳……確かにこの辺では見かけない妖怪兎だ。
されども、てゐはあの妖怪兎を『知っている』気がした……いや、気がするのではなく、確信に近い感じだ。
『良い? みんなを連れて出来るだけ遠くへ逃げるんだぞ』
『そんな悲しい顔しないでくれ……頼む、お前にしかできないんだ』
そして突如脳内にフラッシュバックがはしる。
「あね……ご……?」
間違いなく今の光景は、はるか過去の記憶……まだ人型にすらなれなかった頃の自身の記憶だ。
そして過去の光景に映っていた、当時皆んなから『姉御』と呼ばれ慕われたある妖怪が、自身に最後に投げかけた言葉を思い出した。
姉御のことは昨日のことのように思い出せる。
薄紫色の長い髪に、真紅の瞳、圧倒的な強さを持ち、カリスマ性に溢れ部下達からの信頼がとても強かった妖怪……それが姉御だった。
そう、『だった』のだ……
姉御はもうとっくに死んでいる、死んでいるはずだ。
では何故あそこに姉御がいる?
「りーだー?」
思考の渦に呑まれかけたところで、部下の声によって現実に意識が戻った。
落ち着け、姉御はもういないんだ。
他人の空似というやつだ。
それに姉御に比べると、あの姉御モドキは背丈とか色々小さいし、単に容姿が似通っているだけだろう。
そう、ただの偶然……姉御もあいつも同じ『兎の妖怪』というのも偶然なはずだ……
とにかく、あれが何者であれ行動を起こさねば。
取り敢えず以前、藤原妹紅という人間が来た時のように、一度永琳達にもこのことを伝えておくべきだろう。
部下の兎に、永遠亭に行ってこのことを知らせるようにと伝えこの場を離れさせる。
不明ではあるが、あれが必ずしも友好的とは限らない。
なのでまずは自分が囮として、相手の動向を探るべきだ。
もちろん我が身も大切だが、危険な役目を部下にやらせるほど腐ってはいないし、いざとなったら自慢の脚で逃げるだけだ……最近歳のせいか、運動すると腰が痛くなるが、まぁそれで命が助かるのなら安いというもの。
「ちょいとそこな兎さんや、こんな夜更けにこんな場所で何をしてるんだい?」
このまま隠れて様子を伺うのも手段の一つではあるが、手っ取り早く相手を知るには直接言葉を交わした方が良いという長年の経験から、声を掛けてみることにした。
すると、背後から声を掛けられたにもかかわらず、その兎は特に驚いた様子も見せずにゆっくりと振り向いた……まるで最初からこちらに気付いていたかのような感じだ。
(……勘弁してほしいなぁ)
近くに来てようやくそいつの顔がよく見えるようになったが、これまた姉御とよく似た顔立ちをしている。
姉御よりは幼い感じはするものの、顔のパーツが似すぎてる。
多分この兎がもう少し成長したら、まんま姉御と瓜二つになりそうなくらい。
強いて違うところを挙げるなら、表情だろうか。
姉御は喜怒哀楽が割と激しいほうで、表情豊かな妖怪だったが、この姉御モドキは全くの無表情だ。
ついでに目がまるで死人のように無機質だ。
「…………」
それにしてもさっきから喋る様子がないのは何故だろう。
表情も最初の無表情から全く変わらず、その無機質な赤い瞳だけが自身を真っ直ぐに捉えている……
「あー……もしもし?」
「…………」
うーん、無視してるわけではないよなぁ。
しかし一向に口を動かす気配がない……
どうしたもんかと思っていると、ようやくそいつは動きを見せた。
何やら紙切れと、インクが先についた棒状の物体を使い、紙切れに何かを書き込んでいく。
そしてその紙切れを眼前に待ってきて見せてきた。
「……成る程ねぇ」
そこには『初めまして』とだけ書かれていた。
どうやらこの兎のコミュニケーションは、主に筆談で成り立つらしい。
そして今のやりとりではっきりした。
こいつは姉御じゃないということと、少なくとも今は友好的ということが。
「そうさね、『初めまして』だね。あたしゃ因幡てゐって言うんだ、あんたは?」
そう聞くと、そいつはまた紙切れに何かを書き込んでいく。
「……ふーん、『レイセン』ねぇ」
正直変な名前だと思った。
「どっから来たんだい?」
さっきは目的を先に聞いてしまったが、今回はまず当たり障りのない質問からしてみる。
するとレイセンは、人差し指を使って上空を指す。
それにつられて上を見上げてみると、竹やぶの隙間から覗き込んでいる夜空しか見えない。
「んー、空からやってきたってこと?」
竹林に入った方法ではなく、何処からやって来たのかを知りたかったのだが……いや、待てよ。
「……もしかして、月を指してる?」
よーくレイセンの指の先を追っかけてみると、どうやら満月を指差しているようだ。
口に出して聞いてみると、レイセンはその通りだと言わんばかりに頷いた。
なるほどなるほど、月からやってきたのか。
そういえば前に永琳から『月にも兎がいる』と聞いたし、こいつもその月の兎なのだろう。
「……ちなみにここには何をしに?」
『八意永琳っていう人を探してます、何か知りませんか?』
これまたあたしの質問に素直に答える月からお越しになった兎さん。
そして目的は八意永琳を探してると……
(あちゃー、どうやら遂に来ちまったようだねぇ)
言い忘れていたが、てゐが匿ってる八意永琳と蓬莱山輝夜は、月の民で、訳あって現在月の者達から逃亡中の身らしい。
そして目の前のこの兎は月から来て、八意永琳を探しているときた。
これはもう間違いなく、この兎は追手だろう。
……どうするべきか。
他の者を近づけさせないという契約を結んでいる以上、このまま知らん顔しているわけにもいかない。
かといって戦い沙汰になっても、こっちが勝てる自信はないし、ここはひとつ……
「んにゃ、悪いけど力にはなれないね。少なくともあたしゃそんな名前聞いたことすらないし、この辺はあたしやあんさんみたいな兎しかいないよ」
これぞ必殺、『とぼける』だ。
成功する確率は低いが、今の状況からするとこの手がベストだ。
するとどうだろうか、レイセンは『そうですか、ありがとうございます』とだけ筆談で伝えてきたではないか。
(あ、あれ? 信じちゃうんだ……)
おそらく簡単には信じてもらえないだろうと思い、何通りかの方法を考えていたのだが……
なんだか拍子抜けではあるが、楽に終わるのならそれで良いではないか。
このままこいつを竹林の外まで案内でもしてやれば、一先ずは事は収まる。
「まぁでもここで会ったのも何かの縁さ、力になれなかった代わりに、竹林の外まで案内してあげるよ。ここに来る間もだいぶ迷ったんだろう?」
レイセンは少し考え込む素振りを見せると、首を縦に振った。
承諾したという意味だろう。
「んじゃ決まりだね……あ、もし他にもお仲間がいるなら、先に探さないとだねぇ、何せここはとっても迷いやすいから」
さり気なく他に仲間がいるかを確認する。
そしてレイセンは『一人です』と答えた。
それが本当かどうかはわからないが、まぁ他にもいるならとっくに他のイナバ達が発見して報告しにくるだろうし、それがないという事はそういう事なのだろう。
「それじゃあ早速」
行こうか、と言おうとした。
しかし言い終える前に、てゐとレイセンの間の地面に刺さった矢によって遮られた。
……この矢はまさか。
「待ちなさい」
凛とした声が響く。
声のした方をみると、そこには案の定の人物が弓に矢をつがえながら立っていた。
(……ちょっとちょっと、せっかく丸く収まる感じだったのに)
そこにいたのは、てゐの契約相手でもあり、匿ってやっている月の民の一人、八意永琳だった。
せっかく嘘をついてまで守ってやろうとしたのに、どうしてわざわざ自分からやってくるのだろうか。
どうせこの賢者様は何か考えがあって出てきたのだろうが、どうも天才という奴の頭の中は理解ができない。
一方、レイセンの方も本当に理解ができない。
武器を向けられているにも関わらず、あいも変わらずその無表情を崩さず、ただただ永琳の方をジッと見ている。
「……あなた玉兎ね? どうやってここを突き止めたのかは知らないけど、一匹で来るなんていい度胸ね」
敵意を剥き出しにしされているのに、あいも変わらずレイセンは無表情。
それどころか『何を言ってるんだ』みたいな感じでキョトンとしている……ような気がした。
「あー……あの人があんたの探してた八意永琳だよ」
もうこうなってしまったら隠し事も何もない。
素直に打ち明けると、レイセンは一瞬だけ表情筋をピクリとさせた。
「……やはり私を探していたようね、指名手配されている私を捕まえて手柄を立てたいのかしら。それとも単に上からの命令?」
目的を聞き出そうとする永琳に対して、レイセンは首を傾げるだけだ。
まるで言っている意味がわからないといった様子だ。
「さっきからその反応は何かしら、惚けているの?」
永琳の問いにレイセンは首を横に振る。
惚けてなどいないと表してるのだろう。
「……あなたは私を、八意XXを捕らえに来たのではないの?」
流石に様子が変だと気づいた永琳が、確認の言葉を出す。
ちなみに『永琳』というのは本当の名前ではないらしく、本来の名前の部分が聞き取れなかったのは、月の者でしか発音できないからだそうだ。
そしてようやくレイセンが動きを見せた。
なんと永琳のもとに近付こうと歩み始めたではないか。
「つっ……そこで止まりなさい」
永琳が再度威嚇をすると、ピタリと止まるレイセン。
そして懐から封筒のような物体を取り出し、それを地面にそっと置いた。
続けざまに、『どうぞ受け取ってください』といったような感じの仕草をする。
どうやら手紙か何かを渡そうとしているらしい。
「…………」
「…………」
お互い見つめ合う事実に数十秒、最後に折れたのは永琳の方だった。
警戒を続けながらも、封筒を拾い上げ中身を確認する永琳。
「……良いわ、ひとまず落ち着ける場所で話し合いをしましょう」
何やら納得した様子を見せる永琳だが……
(なんかあたしだけ、くたびれ儲けしたような……)
てゐは心で愚痴った。
結果として、レイセンも匿う事にしたらしい。
別にそれについては、特に言うことはないのだが……
(……なんでもうあんなに打ち解けてるんだかねぇ)
気が付けば、レイセンは永琳だけでなく、輝夜とも親しげになっていた。
そしてそれだけでなく、レイセンは永遠亭の家事全般をこなし、永琳と輝夜に規則正しい生活を送るように促したりと、まるで二人の母親のように振舞っている。
もうすっかり永遠亭のパワーバランスは、レイセンに頂点を乗っ取られたようだ。
……なんだが変な気分だ。
あのレイセン……今は何故か、鈴仙・優曇華院・因幡とかいうメチャクチャな名前になっているが、彼女の在り方を見ていると、どうしても姉御と重なって見えてしまう。
姉御もよく他人の心配や、世話を焼くようなお人好しの性格だったからだ。
鈴仙を見ていると、姉御の事を思い出してしまい、なんだかモヤモヤする。
そんなモヤモヤを発散するため、あたしは気が付けば毎日のように鈴仙に対して何か悪戯を仕掛けるようになっていた。
まぁ今の所成功したことはないが……それでもなんだかこの生活は楽しい。
まだ姉御が生きていた頃の、あの日に戻れたような感覚がするからだろう。
「ん、もういいよ鈴仙。あんがとさん」
多分このままマッサージを受けてたら、昼寝を通り越して冬眠でもしてしまいそうだ。
よっこいしょと鈴仙の膝上から身体を起こす。
「ん? どこに行くのかって? 単なる散歩だよ散歩」
そう散歩だ。
雪が積もっている竹林の中を歩くというのも、良い運動になって健康に良いし、なにより今日の分の悪戯を考えるにはちゃうど良い。
さてさて……今日はどんな悪戯をしてやろうか。
前回ちょっと長かったので、今回は少し短めです。
ちなみに『姉御』については、次回の話でも少し触れます。
追記
誤字報告ありがとうございます。