月の兎は何を見て跳ねる   作:よっしゅん

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第8話

 

 

 

 突然ではあるが、師匠こと八意永琳は本当に天才だと思う。

 

「それで次はそっちのすり潰した……そうそれよ、それを水に溶かしてみて」

 

 薬に関しての知識は勿論のこと、解剖学や生理学、その他理数系だけでなく、文学系にも精通していて幅広い分野の知識を備えている。

 適当な数字で問題を出してみれば、僅か数秒で暗算をし答えを的確に答えるし、謎かけ問題を出してみても、数分も経たない内に解いてしまう。

 将棋やオセロなど、頭を使うゲームで師匠に挑めば十回中十回とも惨敗するだろう。

 現に姫様なんか『永琳とゲームしてもつまらないわ、どうせ負ける道しかないもの』と捻くれてしまってるし。

 

「……これで完成よ。簡単な応急処置ならこれだけでも充分な効力があるからしっかり覚えておきなさい」

 

 そんな天才の中の天才である師匠に、自分は今薬作りを教わっている。

 最初はいつも一人で薬を作るのは大変なのではないかと思い、何か手伝いをしたいと思ったのがきっかけだったが、こうして実際に作ったりしてみるとなかなかやり甲斐があるものだ。

 

(……けど、良いんですか師匠? 私なんかにポンポンと教えちゃって)

 

「あら、なんでそう思うの?」

 

(いえ……だって私は……)

 

「もしかしてまだ『自分は余所者だから』なんて卑屈な考えしてるの? 前にも言ったでしょう、貴女はもう私達と同じだって」

 

 呆れた様子でそう切り返す師匠。

 

「貴女は気付いてないのかもしれないけど、私達は充分に貴女に感謝してるのよ……ウドンゲは『ここに居させてくれる恩返しがしたい』ってだけで家事やら雑用をしてくれてる、退屈嫌いの輝夜の遊び相手をしてくれる、不死の私や輝夜を気遣ってくれる……充分よ、本当に。だからそんな卑屈な考えはやめなさい」

 

 し、師匠……

 思わず涙がほろっと……まぁ、能力の弊害のせいで出ないけど。

 けどそう思ってくれるだけでも普通に嬉しい……これも能力の弊害がなければ『ありがとうございます師匠』とちゃんと声に出すのだが……そうだ。

 

「え、ちょっと……!?」

 

 椅子から立ち上がり、師匠に近づいて思いっきり前から抱きしめる。

 いわゆるハグというやつだ。

 言葉にできないのなら、行動で示せば良い。

 

「—————!!」

 

 しかし何故か師匠の反応が何もない……

 うーん、流石に女同士とはいえハグは少しやり過ぎだっただろうか。

 

 素直に謝ろうと、一度師匠から離れる……

 

(あれ……師匠顔が真っ赤ですよ!?)

 

 そして師匠の顔が視界に入るが、何故かその顔が頬どころか耳まで真っ赤に染まっていた。

 さらに目は集点があっておらず、唇も少しだけひくひくさせている。

 まずい、そんなに怒らせてしまったのかと思ったのだが、どうにも様子がおかしい。

 心拍数が上昇し、波長もだいぶ乱れているのだが、波長の乱れ方が怒りを感じている時のそれではないのだ。

 この乱れ方は……恥ずかしいだとか照れているとかに近いものだ。

 

(しまったなぁ……そういえば師匠って)

 

 師匠は、実は甘いものが大好き……という事実をみんなに隠そうとするぐらいの恥ずかしがり屋だ。

 そんな師匠なら、突然抱き着かれたら恥ずかしがるのも無理もないかもしれない。

 現に今も、『あ、待って心の準備が……』とかよくわからないこと呟いてるし。

 

「きゅう……」

 

(え、気絶した!?)

 

 どうやら恥ずかしさが臨界点を突破し、防衛本能が働いて意識をシャットダウンしてしまったようだ。

 どうしよう、まさか抱きついただけでこんな結果になるとは思ってもいなかった。

 珍しく動揺が続いてる自身にちょっと驚きつつも、とりあえず気絶した師匠をこのまま放置するわけにもいかないので、部屋に運ぶことにした。

 

(よっと、軽いなぁ師匠)

 

 永遠亭の住人の中では、一番背が高い師匠だが、想像していた重さほどではなかった。

 自分が妖怪故の筋力だからそう感じてるだけかもしれないが。

 

「あら、鈴仙と……永琳? なんで気絶してる上に鈴仙にお姫様抱っこされてるのかしら……?」

 

 師匠を抱き上げ部屋を出ると、姫様と出くわした。

 そして当然の如く、この状況について疑問の声を上げる姫様。

 今すぐ事情を説明したいのはやまやまなのだが……生憎と両手がふさがっているので、筆談も手話もできない。

 かといって師匠をこの冷たい床に降ろすのもどうかと思うので、ここは手話ならぬ『体話と足話』でなんとかするとしよう。

 

 まずは手始めに、後ろを向けてお尻を振る。

 

「? えっと……こう?」

 

 少し悩んだ様子を見せた姫様は、自分のお尻をわしっと掴んだ。

 すいません、そうじゃないです姫様。

 

「違うの? じゃあこっち?」

 

 次は自分の尻尾を掴んだ姫様。

 すいません、そうでもないです姫様。

 

「やだ、思ったよりモフモフしてるわね……」

 

 あの、そろそろやめてほしいんですけど。

 

「んー? これも違うの? ……あ、もしかしてこれかしら?」

 

 するとようやく意図が伝わったようで、自分のスカートのポケットから筆談用のメモ用紙と愛用のボールペンを取り出してくれた。

 

「……これを地面に置いてって?」

 

 良い具合に次の意図はあっさりと通じたみたいで、指示通り床にメモ用紙とボールペンを置いてくれる姫様。

 

 そして足の指を使って、まずはボールペンを掴む。

 そのまま足で床に置かれたメモ用紙に文字を書いていく。

 

「ず、随分と器用なのね貴女……うわ、足で書いたのに凄く綺麗な字体ね」

 

 書き終えたそれを、そう呟きながら拾い上げる姫様。

 そしてあー、と納得したような素振りをみせた。

 

「どうやら抱きつくのはまだ刺激が強すぎたみたいね……お互い自覚がないのがせめてもの救いなのかしら」

 

 と、姫様もよくわからないことを仰った。

 自覚がないとはどういう意味なのだろうか……?

 

「ん、別にそんな気にしなくていいわよ。ただの独り言よ独り言」

 

 はぁ……そうですか。

 ならば事情も説明し終えたことだし、師匠を部屋で休ませるとしよう。

 この際だ、干したての布団を使うとしよう。

 

 意外にも力持ちな姫様に、師匠を託してから布団を庭の干竿の所まで取りに行く。

 竹林の隙間から差し込む太陽光が一番よく当たる所に設置してあるため、既に充分なほど乾いている布団一式を師匠の部屋に敷く。

 その上にシーツを被せ、しわができないよう伸ばしていく。

 後は師匠のお気に入りの高さの枕を置いて、準備完了だ。

 ゆっくりと師匠を布団の上に仰向けで寝かせる。

 

 すると突然、後ろで傍観していた姫様が、何故か心なしか嬉しそうに……というか、何か企んでいそうにニヤニヤとしながら話しかけてきた。

 

「ねぇ鈴仙、貴女永琳を気絶させたことで申し訳ないって思ってるかしら?」

 

(え、そりゃもちろんですけど……)

 

「それなら、一つ私から提案があるのだけど」

 

(……提案ですか?)

 

 姫様は要するに、師匠に対してお詫びになるような提案をしてくれるようだ。

 自分の考えとしては、お詫びとして何か甘いものでも用意してあげようと思っていたのだが、自分より永い時を師匠と共に過ごした姫様の提案だ。

 きっとそちらの方がお詫びとしては相応しいだろう。

 

「ふふふ、やる事は簡単よ。まずはね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は大切なものを失った。

 選択を誤り、自身に素直になれなかった故の過ちだ。

 そしてその結果、私が得たものとは果たしてあっただろうか?

 彼女を失ってでも、月に行く意味が果たしてあっただろうか……?

 まるで暗闇の中にいる感覚がした。

 

 月に辿り着いても、しばらく私は何もする気が起きず無気力な日々を送っていた。

 彼女からは、過去を振り返らず、前を向いて進むようにと言われたが、それでもやはりすぐには立ち直れなかった。

 自身で思っていたよりも、彼女という存在は私の中でとても大きな存在となっていたようだ。

 まるで身体の一部をごっそり取り除かれたような感覚がした。

 

 そんな時、ある事を私は実行した。

 始まりは、月に移住をしたは良いものの、全ての都の住人を月に避難させることはできなかったため、圧倒的人数不足というか人手不足というか……ともかく、移住を成功させた直後の月では深刻な労働者不足に陥っていたという情報を知ったからだ。

 そのため、月に建設する予定の都……『月の都』の進行が全く進まないでいた。

 

 それを解決するために、月の基本労働力となる者を私は生み出した……彼女の遺品でもある髪の毛の一部を使って。

 その者達を私はこう名付けた……『玉兎』と。

 

 その結果は成功ともいえたし、失敗ともいえた。

 前者の理由としては、玉兎達は基本的に忠実なため、よく働いてくれたから。

 後者の理由は、彼女(妖怪)の一部を使ったにも関わらず、玉兎は地上にいた妖怪達に比べると遥かに劣る存在だということ。

 簡単にいってしまえば、玉兎は『妖怪モドキ』ということだ。

 けれどまぁ、大した力を持っていないため、反乱などの行動を起こされても充分に対処できるという点では、それも良いことになるのかもしれない。

 補足をするとしたら、一応玉兎達も彼女に似た能力を保持しているというところだろうか。

 しかし能力に関しても劣化しているためか、玉兎同士でテレパシーに似た通信を行ったりする程度しかできないが。

 

 さて、どうして私は玉兎を生み出したのだろうか。

 他にもやりようはいくらでもあったはずだが、何故私は彼女の遺品を使ってまで玉兎という選択肢にしたのだろう。

 ただ気まぐれに?

 彼女のことを忘れないように、何か形として残しておきたかったから?

 ……彼女ともう一度会いたかったから?

 理由は一つかもしれない、全部だったのかもしれない。

 

 結果として、この出来事を通して私は少しだけ前を向けた。

 彼女はもういない、その事実を受け入れつつあった。

 だから彼女の言った通り、これから幸せになっていけば良い。

 自身の信じた道を、迷わず進めば良い……今度こそ、大切なものを失わないように。

 私はそう決意した。

 それが彼女に対しての恩返しかつ、弔いになるからと考えたからだ。

 

 そして思っていたよりも速く、私には新しい『大切な者』ができた。

 名前は『蓬莱山輝夜』

 輝夜と知り合ったのは、彼女の家庭教師を頼まれたその日だった。

 一言で輝夜を説明するとしたら、極度の退屈嫌いと私は答えるだろう。

 とにかく彼女は暇を嫌い、毎日変わり映えのないこの月にいること自体すら嫌っていた。

 

 やがて輝夜は地上に興味を持つようになった。

 事あるごとに、私に地上について色々と質問をしてきた。

 質問に答えていくごとに、彼女はさらに地上に関心を持ち、私と輝夜の間柄というのも変化していった。

 要は家庭教師とその教え子という堅苦しく関係は捨て、気の合う者同士のような関係になっていったのだ。

 何故なら、私も地上について輝夜に話すのは楽しかったからだ。

 そして気付いた、やはり私は地上の方が……彼女と過ごした地上の方が好きなんだなと。

 

 やがて私達はある計画を立てた。

 共にこの月を捨て、地上にその身を下ろそうと……

 そして私は輝夜の持つ能力を使い、禁断の薬を完成させた……不死の薬を。

 これを服用すれば、不死という概念から、その身は穢れで染まる。

 穢れを恐れる月の民がそれを放っておくわけもなく、薬を服用した輝夜は計画通りに地上へと追放された。

 しかし誤算だったのが、薬を服用した輝夜だけが罪に問われ、薬を作った私は無罪放免になったという点だ。

 よほど私という存在を手放したくないらしい。

 

 仕方がないので、計画を少し変更した。

 幸い輝夜の地位的にずっと地上に追放しておくわけにはいかず、やがてはその罪が許され、月に帰還する手筈だった。

 もっとも、帰還してもその穢れを抑えるため永遠に幽閉されてしまうだろうが。

 だから迎えの日、私は迎えの使者達と同行して輝夜を迎えにいった。

 そして使者達を裏切り、その場で私は蓬莱の薬を飲み輝夜と共に逃げた。

 

 こうして私は地上に帰ってこれた。

 そして逃亡生活の末、私達は『幻想郷』に隠れ住むことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからどれ程の年月を重ねただろうか、今のところ月からの追手もなく、平穏に地上で過ごしていた私と輝夜のもとに、『彼女』はやってきた。

 

 ある日の満月の夜、因幡てゐの部下の兎が知らせに来た。

 

『見知らぬ兎がやって来た』

 

 見知らぬ兎と聞いて、最初はぱっとしなかった。

 しかし次第に嫌な予感がしてきたのだ。

 もしかして、見知らぬ兎とは月が寄越した玉兎なのでは……と。

 

 私が月を去ってから、玉兎達がどうなっているかは知らないが、おそらく昔と変わらず月の連中に仕えているのだろう。

 仮にその見知らぬ兎が玉兎だったら?

 そう考えると只事ではなくなる。

 念の為という言葉もあるし、輝夜に大人しくしてるよう言い包め、武装を固めて永遠亭を飛び出した。

 

 知らせにきた兎から予めおおよその場所を確認していたので、わりとあっさりと見つけることができた。

 竹やぶの影から様子を見ているため、相手の全貌はよく見えないが、チラリと見えた相手のその格好は間違いなく月のものだった。

 どうやら今はてゐと何かを話しているようだが、声はてゐからしか聞こえない。

 言葉を持ち得ない別の方法でコミュニケーションをとっているのだろうか……何はともあれ、一度明確に確かめる必要がある。

 細心の注意を払って、おそるおそるその身を乗り出し、相手の確認をした。

 そこには案の定てゐがいて、その近くには……

 

 ————『彼女』がいた。

 

 ドクン、と心臓が跳ねた。

 そして一度に収まらず、心臓は徐々にその鼓動を速めていく。

 加えて発汗し、喉が急激に乾いてくる。

 珍しく私は困惑していたのだろう。

 何故なら、その薄紫色の綺麗な長髪、顔立ち、大きな兎の耳……それは間違いなく、彼女の特徴そのものだったから。

 

「あ……」

 

 ほんの一瞬だけ、私は昔に戻った。

 昔のように、彼女の姿が目に入るなり、彼女の側に居たくて慌てて駆け寄ろうとした。

 そして彼女も私を見かけると決まってこう言うのだ。

 

『また来たのか、小娘』

 

「っ……!」

 

 ハッと意識がはっきりして、寸でのところで踏み止まれた。

 落ち着け、彼女はもういない。

 あれは違う、彼女な筈がない。

 落ち着け、落ち着け……

 

「ふぅ……」

 

 乱れた呼吸を深呼吸で整えてから、再び意識を集中させる。

 その上でもう一度様子を伺ってみる。

 するとよく観察をした結果、あの玉兎らしき兎は確かに彼女にそっくりだ。

 しかし彼女に比べると背丈などが違いすぎる。

 加えて身にまとっているその服装には、月の使者の印が刻まれているのが確認できた。

 間違いない、あれは彼女ではなく、彼女に似た玉兎だ。

 別におかしい話ではない、玉兎は彼女の一部から生み出したのだ。

 遺伝学的に言えば、彼女にそっくりな個体がいたとしても何らおかしくなどない。

 

 しかしどうしたものだろうか。

 玉兎とてゐの会話……てゐの声しか聞こえないが、それを聞いている限り、あの玉兎は何かを探していて、それをてゐはここには無いと答えたようだ。

 さらにてゐの様子からするに、この場を離れさせようとしている。

 となるとやはりあの玉兎は私達が狙いなのだろうか。

 仮にそうだとしたら、あのまま帰すわけにもいかなくなってくる。

 この辺り周辺にはあの玉兎の仲間らしき影はいないが、別の場所で待機をしているのかもしれない。

 それならいっそのこと、捕らえて利用した方が良いのではないか。

 最悪、仲間の場所ぐらいは吐かせる自信はある。

 

「待ちなさい」

 

 少し悩んだ末、実行することに決めた。

 玉兎の横にいるてゐが『何やってんだ』みたいな顔をしてるが、一応契約通りの仕事をしていたのにそれを踏みにじったのは悪いと思ってるので許してほしい。

 

 それからいくつかの質問を投げかけてみたが、どれも明確な答えは帰ってこなかった。

 様子を見るに、何かしらの理由で喋れないようだが、それにしても様子が変だった。

 目的を聞いても首を傾げ、私の名前を出しても首を傾げる。

 これが演技とかでなければ、この玉兎は一体何をしに……?

 

 すると突然懐から便箋のようなものを取り出し、それを私の前まで持ってきた。

 私が警告をすると、手前の地面に上にそれを置き、どうぞと仕草をした。

 読めということだろう。

 充分に警戒をし、ゆっくりと便箋を拾い上げ中身を確認してみる。

 中身は手紙だった……それも思いもよらぬ人物からの。

 

 内容を一通り確認し終えた後、少しだけ警戒を緩める。

 噛み砕いて内容を纏めると、この玉兎は私の思っているような輩ではないと書かれていた。

 手紙の主は信用できない奴ではあったが、同時にそんな奴が私にこんな出鱈目を言う理由が果たしてあるだろうか。

 だからひとまずは、仕切り直しと、この手紙の真意を確かめる必要もあるため、場所を変えるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竹林の中に点在する小さな川。

 その近くに例の玉兎も連れてやってきた。

 ここなら荒事になったとしても、被害は少なくて済むからだ

 

「それで、説明してもらえるかしら……妖怪の賢者さん?」

 

「あらあら、説明も何もその手紙に書いた通りでしてよ……月の賢者さん?」

 

 私がそう言うと、突然空間から裂け目が広がり、その裂け目から金髪の妖怪が胡散臭い笑みを浮かべながらぬっと出てきた。

 この妖怪は『八雲紫』という名で、ここ幻想郷の管理者でもある。

 

「私が聞きたいのは経緯よ、何故この玉兎を私の元に送ったのかしら?」

 

「あらやだ、どうしてそんな不機嫌そうなのかしら? 私はただ行く宛のない可哀想な兎さんを引き取ってくれそうな場所を紹介しただけですのに」

 

 くすくす、と笑みをこぼす妖怪の賢者。

 

「安心なさい、その兎さんは本当に害のない無垢な存在よ……いえ、むしろ貴女にとって益になるのかもしれない」

 

 八雲紫は只々笑う。

 

「それじゃあね兎さん、幻想郷はあなたを受け入れるわ」

 

 そして手のひらをヒラヒラさせながら、再び空間の裂け目の中へと戻っていった。

 ……結局詳しい事情は全く聞けなかった。

 となるとやはり、無表情でわざわざ手を振り返しているこの玉兎に聞くしかないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 事情を聞き終えると、どうやらこの玉兎は自らの意思で地上にやってきたようだ。

 訳ありで、月に居づらくなったので地上に降りてきたと……そして地上にたどり着いた矢先に八雲紫と出会い、どこか行く宛はないかと訊ねたら私の所を紹介された……大雑把に言えばそんな理由だったようだ。

 その理由としては、一応筋が通っているものだったし、例え何かあっても玉兎一匹程度ならどうとでもできる。

 なので結局この玉兎は私が引き取ることにした。

 

 彼女と似ている玉兎……少し複雑な気持ちだった。

 けれども、その複雑な気持ちは、彼女を引き取った次の日にはもう無くなっていた。

 

「え、台所はどこかですって?」

 

 永遠亭の空き部屋を与え、その日の夜が明けた次の日の朝。

 彼女……レイセンは私にそう訊ねてきた。

 理由を聞けば、引き取ってくれたお礼にご飯作りますとレイセンは答えた。

 思わず呆けてしまった。

 まさかお礼としてご飯を作るだなんて言い出すとは夢にも思えなかったからだ。

 

「そ、そう……けど遠慮しとくわ、食事なんて必要ないもの」

 

 私は不老不死だ、食事の必要性はない。

 確かに腹は減るし、何も食わずにいたら餓死するが、復活すれば活動するにあたって支障がない状態になる。

 そのため私も輝夜も餓死に対してはもう慣れてしまい、食事なんてもう長い事とっていない。

 なので台所という設備は一応あるが、食材なんてものは存在しないため食事を作ること自体不可能だ。

 ありのままレイセンにそう伝えると、何故か彼女は怒り出した。

 一瞬の出来事ではあったが、確かに彼女は怒った。

 そしてそのまま外へ向かって走り去ってしまった。

 

 そしてしばらくしてレイセンが帰ってきた……両手に料理が乗ったお皿を持ち、何故かその後ろで同じように両手にいくつかのお皿を持った、八雲紫の式神達を連れてきて。

 

「正直驚いたわ……どうやって突き止めたのか、いきなり私の住処に押しかけきて、『食材と台所を貸してください』って言うんだもの」

 

 気が付けば私の隣に八雲紫がいた。

 何故か裂け目から出ているその上半身は寝間着の八雲紫が。

 

「ふふ、よっぽどあなたに朝ごはんを食べさせたかったのね。それじゃあ藍、橙、お邪魔虫達は引き上げるわよ」

 

 そして八雲一家は裂け目へと消えていった……

 未だに状況が上手く理解できずにいる内に、いつのまにか私は箸を片手に食卓に座らされていた。

 さらにレイセンから『はやく食べろ』と言わんばかりの無言の圧力。

 ……これはもう大人しく食べるしかない。

 手前にあった料理に箸を伸ばし、それを口に運ぶ。

 ……美味しかった。

 

 久しぶりに食べ物を摂取するというのに、不思議と私の口と胃袋はすんなりと通した。

 気が付けば箸を動かす手が止まらずにいると、そこに輝夜がやってきた。

 

「あれー、何かいい匂いが……え、うそ朝ごはん? 永琳私を差し置いて朝ごはん食べてるの!?」

 

「か、輝夜……これはその」

 

「ん? 誰この兎? こんなイナバいたかしら?」

 

『どうも初めまして、レイセンと申します』

 

「そうなの、ねぇレイセン、これ貴女が作ったの? 私も食べて良い?」

 

 気が付けば、三人で食卓を囲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レイセンが来てからは、輝夜の笑顔が増えた。

 積極的に家事をしてくれるレイセン。

 私や輝夜を大事に思ってくれるレイセン。

 ……大好きだった彼女を想起させるレイセン。

 

 気が付けばレイセンは私にとって大事な存在になりつつあった。

 そしていつしか、レイセンのことをよく知りたいと思い始めた……レイセンときちんと言葉でお喋りしてみたいと思った……そう、あの時のように……彼女の時のように。

 

 今は家主と居候、師匠と弟子のような関係だが、いずれはそれを越えた先の関係になりたい……そう思った。

 他でもないレイセンと。

 願わくば、彼女と同じ『大切な友人』に……

 

 そのためにはレイセンを手放すわけにはいかない。

 だから私はレイセンに新しい名前を与えた……穢れ溢れる地上にしかその花を咲かすことはない、『優曇華院』を。

 名前という楔を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 重く感じる瞼を開けると、見知った自室の天井が目に入った。

 どうやら私は自室で寝ていたようだが、その前後の記憶が曖昧だ。

 確かウドンゲと一緒に薬作りをしてて……それからどうしたのだろう。

 

 とりあえず起き上がろうと、手を動かそうとしたその時、私の左手に何か柔らかい感触の物体が触れた。

 

「? 何かしらこれ」

 

 枕にしてはデカすぎるし……一体なんだろうと思いながら、その正体を確かめるべく、顔を左に向け、布団をめくった。

 

「…………」

 

 そこにはウドンゲがいた。

 その赤い瞳で私をじっと見つめていた。

 お互いの鼻息が顔にあたる。

 お互いの唇が触れそうになる。

 

「……!?」

 

 そして思い出した、私はウドンゲに抱きつかれてそれから……

 

 全身から火が出そうな勢いだった。

 何故かウドンゲを意識すればするほど、その身の体温が上昇していく。

 そして目の前が真っ暗になっていく……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんてこった、師匠がまた気絶した!

 

 この人でなし!

 

(ひ、姫様ー! 姫様の言う通り添い寝してあげてたら、師匠がまた気絶したんですけど!?)

 

「あちゃー、添い寝もアウトなのね」

 

 

 

 




◯を自覚してない永琳マジえーりん


追記
最後のウドンゲの()の部分を、一部」にしてしまいました。
誤字です、申し訳ありません。
誤字報告ありがとうございます。

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