今回は、会話文の前後に空白をいれて見やすくするようにしてみました。前回までのほうがいい場合はいつでもいいので教えてください。
絵本に描かれた悪いおじいさんのような顔をした老人の手を借りて、馬車を降りた。
しばらくぶりの地面の感覚は、いつもより硬く感じた。しかし僕の村と比べてみても土壌にさして差はなかった。精神的な要因がいくばくか影響して過敏になっているのかもしれない。
「ここを通ると、大陸一と称された商業地につながっています。種々の店舗がありますので、ゆっくりと堪能していってください」
僕は老人の真意を掴めずにいた。
新しい彼は、やはりコンスタントで上品な物腰のままなのだが、階層的に人間が変化しているような印象を纏わせていた。
「あの、僕は『招待された』という立場でいいんですよね?」
「ええ。まったくその通りですよ」と老人は目で肯いて言った。
「すると、その…あなたの言っている内容と、食い違いがどうしてもあるように思えるのですが」
「ええ。その通りですね」
僕はその答えに少なからず動揺ないしは困惑するしかなかった。老人が僕と会話をする意思がないというのは客観的に明らかであったし、そもそも会話の進行に肯定的でないようにみえた。
「視野を広く、ですよ」と老人は僕の心中を見透かしたように言った。
そして、今まで馬車の出口から動かなった老人は、アプトノスのほうに足を運びだした。座席に引っ掛けていた手綱を取って、アプトノスの前方に歩いていく。
「では、私は彼を業者の元へ返してきますよ」と絵本のおじいさんは意味ありげに言った。
「ぎょ、業者ですか?」
「はい、そうです。ですから、ゆっくりと堪能してください」、老人は自身の含み笑いと呆気れた僕を残して街に消えていった。
その言葉と今までの言動で、ようやく一貫性を生み出すことができたのだ。訳の分からない暗号文を解くための規則性をみつけたときのように、不要な情報が黒く塗りつぶされ、答えが浮き彫りになったのだ。
老人は相手の思考力や想像力を試すとき(その二つに限らないのかもしれない)に、別の顔を合理性に従って引き出し、娯楽のレベルに落として楽しむのだろう。遠回しに手助けしようとする態度は少年のようだった。自らが隠した宝の在り処を暗号などを介し諷示して、楽しむように。
「顔に答えが出ていたようなもんだったのか。まさにただの悪戯だな」と僕は言って大きく息をはいた。ようやく絵本を閉じることができた。
不揃いに組まれた石畳道を歩いていくと、入り口からでも微かに聴こえていた音が次第に大きくなってきていた。
商業地の入り口に着いたときには、喊声に引けを取らないほどの人声でとても賑わっていた。老人が紹介してくれたとおり、「大陸一」に相応しい豪然さがあった。
石道が分断するように、左右に木製の建築物が立ち並んでいた。陽光に反射した、いぶし銀の屋根とアンティーク風の木材、またアニミズムの自然観に根ざした世界と人口密度の高さが、風土を色濃く現すコントラストをつくっていた。
「体力の大半が気力に吸われてんのかな、あのじいちゃん」と僕は誰に言うともなく言った。
「いやいや、体力もまだまだ若い子には負けていませんよ」
僕がぼやいた途端に、正面にいきなり老人が現れた。人形劇の人形のように、視界の下方からゆっくりと重力に逆らうように上がってきた。
「うおっ!?」
驚いた反動で飛び出しそうになった心臓と、それに合わせて身体が大きく揺れた。
「ははは、驚かせて申し訳ありません。若気の至りってやつですよ」と老人は言って含み笑いをみせた。
内容とは違って老人は、まったく反省の色を見せていなかった。胸と鎖骨の間あたりに圧迫感を残しながら、極力表にそれを出さないようにして話を続けた。
「帰ってくるのが早くないですか?」
「馬車等は、あそこで借りていたのです」、老人は入り口のすぐ右手(僕から見て)にある橙の暖簾が垂れた建物を見ながら言った。
「それなら当然ですね・・・。で、これからどこに行けば?」
「その件についてですが、そろそろウェーナー様の立場に相応しいところへ案内しましょう」
そういえば老人に初めて名前を呼ばれた気がした。最初の自己紹介以来自分の名前を聞いていなかったせいか、自覚するのに瞬目ほどかかった。そんな僕も老人を名前で呼んだことがなかった。
お互いの固有名詞は知っていたが、それを扱うことはなかった。独特な距離感から生じるものが理由ではない。僕が現状を適当に把握できていなかったことと、それを察していた老人がおそらく合わせていただけなのだろう。だからたぶん、今になってその関係性を崩してきたのだと思う。双方にとってそれはベストなタイミングだった。
「この商業地のどこかに目的地があるんですか?」と僕は問いかけた。
「いいえ、ここより先にある狩人区というところに案内します」
「狩人区、ということはハンターが利用する場所のことですか?」
「ええそうです」と隣の老人は微笑みながら言った。
いや、彼は微笑んではいない。彼は核心に近づけば近づくだけ、それを拒んでいるようにみえた。今日、老人と初めて会ったとすれば気づかないであろう小さな隔たりは、日を重ねる毎に大きくなっている。観念性という華奢な柱に凭れ合う仲睦まじい夫婦のように、脆弱と痴呆だけが僕らを繋ぎとめている。
つまりそこで僕たちの会話は途絶えてしまった。先の仮面を付けた老人と同じく、彼は会話が進むことに首肯しかねていた。もとより疑問を抱くべきだったのだ。仔細が記述されていない招待状(と名付けた紙切れ)について、僕はあまりにも白痴的に対応し、彼を(というよりドンドルマという存在を)信じすぎていたのかもしれない。
「心配いりません。あなたのそれは、杞憂ですよ」、老人はイデアを説くように言った。
彼の面持ちに追従笑いのような希薄なものは存在していなかったし、その言葉にはなぜか納得してしまった。
いつの間にか全方面から聞こえていた声は、後ろに置き去りになっていた。時間を少し飛ばしたように、また思考の過程を飛ばしたように…。
「ここを右に曲がると、居住区といってドンドルマに住んでいる一般人たちの住宅地があります」
そこには街に溶け込まれまいとする、か細さが残る隘路があった。
「ここを真っすぐ行けば、私たちの目的地である狩人区があります」と老人は言った。
そのまま大道へと案内され、隘路は僕の中に溶け込むように消えていった。
商業地を抜けてから、視界を収める景色の面積に変化はなかった。左右に首を動かそうという気にも、老人の所作に意識を配って、真意性を暴こうという気にもならなかった。先の細道が僕の中に溶け込んでしまったせいか、哀愁の念が思案を阻害していた。
「ここからが、狩人区です」、老人は意味もなく、境界線を引くように指を動かした。
変わらず聳える岩山に、まるで覆いかぶさるように草葺きの門が立ち、木橋が架かっていた。
僕は、橋に足を踏みいれた。
次の投稿は少しだけ遅れるかもしれません。
1~3話の誤字脱字修正をしました。