──青い空で、鳥が鳴いている。
天気は気持ちいいほどの快晴、日本晴れ。修了式にはうってつけの日和である。修了式が終わればお待ちかねの春休みということもあって生徒たちは浮かれ気味だ。
式の進行はこれといって特筆することはなく、一般的な学校とそう大差ない。色々とぶっ飛んでいる麻帆良とだけあって紬も多少警戒していたのだが、その点に関して言えば拍子抜けだった。
……約一名、修了式に際して発表されたことに異議申し立てをしたそうではあるが。
「違うだろっ! おかしいだろっ!? 十歳のガキが正式に教師になるとか、いや教育実習生の時点でありえないけど!?」
「落ち着いて千雨ちゃん。傷は浅いわ」
「お前が言うな、お前が!?」
くわっ! と今にも噛み付いてきそうな剣幕の千雨。修了式で発表されたネギ・スプリングフィールドの中等部教諭認定が未だに信じられないらしい。仮病を装って一足先に寮へ戻った千雨はこの世の理不尽を叫ぶ。
ちなみに紬は千雨の体調を気遣って一緒に帰宅したという体だ。実際は千雨の愚痴に付き合うためなのだが。
「だいたいおかしいだろ。期末の時は一日授業サボったくせに……まあ、バカレンジャーの成績は上げたみたいだけどよ。それ以前に労働基準法はどこいった!? クラスの連中も何で突っ込まないっ!?」
「そうなのよねぇ。そのあたりは私も今一つ分からないのよ。思い当たる節はあるけれど、それにしたって規模が尋常じゃないですし……」
難しい顔で紬は唸る。魔法やら何やらを知っていても所詮は知っているだけ。詳しいところはさっぱりな紬に麻帆良を覆う大規模な認識阻害の結界に辿り着けというほうが難しいだろう。
「くそっ、非常識側の宮本でも分からないのかよ」
「千雨ちゃん、その言い回しはちょっと失礼じゃない?」
これでも紬は一般的な常識をきちんと弁えている。その上で
「ああああ! この理不尽を社会に訴えてやるっ!!」
不服そうな紬の言葉にも取り合わず、千雨は溜め込んだストレスを発散するようにパソコンに向かう。
紬がルームメイトとしてやって来た頃は隅に隠していた各種コンピュータたちも今では元の定位置にある。紬が普通でないと知って自分の趣味を隠すのも馬鹿らしくなったのだ。何より紬が秘密を守ると誓ったことも大きい。
まあ紬からすれば合法的に千雨の可愛らしいコスプレ姿を思う存分拝めるので役得以外の何物でもないのだが。
もはや紬がいても構わず隠さず自分の趣味に打ち込み始める千雨。千雨が化粧道具やら何やらを駆使している一方、紬はクローゼットから勝手に衣装を選び始めている。千雨が紬に趣味を隠さなくなった理由の一つは紬が積極的に介入してくるのも大きな理由だ。
「ふふっ、見てろよ。ネットでの私は誰もが羨むアイドルなんだからな……」
「うんうん。でも中学生で腕利きのハッカーなのは普通を逸脱していると思うのは私だけかしら……」
パソコンに夢中になっている千雨に紬の呟きは届かなかった。
化粧を終えデジカメやらの撮影機器を設置し、コスプレ衣装に着替えたら準備完了。手際よく撮影を済ませ、データをネットにアップロードしていく。
ナンバーワンネットアイドルちうこと千雨の人気は凄まじい。多少毒が強い内容のブログもまたそこがいいとされている。千雨が愚痴ればすぐに返信がくる程度には。
「こうして見るぶんには、ネットの反応も普通なのよね」
「当たり前だろ。これでネットまでおかしくなったら私はどうすればいいんだよ」
ネットの反応に満足げに頷く千雨であったが、不意にキーボードを打つ手が止まった。くるりと首を巡らし後ろからパソコンの画面を覗き込んでいた紬と目を合わせる。
「で、お前はパーティーに行かなくていいかよ」
唐突に千雨の口から出た言葉に紬は目を丸くする。
「クラスの連中が言ってた、学年一位になったお祝いパーティーだったか。皆から誘われてたろ?」
「それを言うなら千雨ちゃんこそ。ネギ君に誘われていたじゃない」
修了式で天気も快晴、先日の期末試験で学年一位を飾ったことを祝い2年A組はお祝いパーティーなるものを企画開催している。場所は寮の近くの丘の上。既に集まり始めているのか室内にいても遠くから喧騒が聞こえてくる。
「私は別にいーんだよ。あいつらのノリに付き合うのも疲れるし、そんな仲がいいわけでもねーからな」
「そんなことないと思うけどな〜。偶には羽目を外して燥ぐのも悪くないと思うもの、違う?」
やんわりと紬は誘いをかける。千雨はちらりと窓の外を一瞥するが、やはり参加する気はないらしい。興味なさげに視線をパソコンに戻すと紬を追い出すように掌をひらひらさせた。
「いいからあっち行け。お前が居ると気が散るし、何より身の危険を感じる」
「えぇ〜? ……まあ、そうね。お祭りごとは好きですし、顔くらいは出そうかな。千雨ちゃんの邪魔をするのも悪いですし」
そう言って紬は千雨に生温かい眼差しを送りつつ部屋を出ていく。
残った千雨はそのまま趣味に没頭。衣装を変えては撮影し、色々と加工を加えてブログにアップロード。ネットの反応にニヤニヤと笑みを浮かべる。側から見たら怪しい人間にしか見えない。
誰の邪魔もなく至福のひと時に浸っていた千雨であるが、そこへ冷や水を浴びせかけられる。部屋の中にいつの間にか千雨以外の人間が侵入していたのだ。
「うわ〜長谷川さん綺麗ですね」
「ギャ──!? い、いつの間に!?」
「あ、すみません。ノックしたんですが返事がなくて、ドアが開いていたので」
本当にいつから居たのか、部屋の中にはネギが居た。しかもバッチリ千雨のコスプレを見てしまっている。まるでいつかの紬にバレた時の焼き増しの如く。いや、あの時は写真であったが。
紬の時と同様最悪の事態である。既に堅実な現実感覚は木っ端微塵に砕け散っているため麻帆良やクラスの異常には多少なり目を瞑ってきたが、だからといって変人の仲間入りをしたいわけではない。千雨は何が何でも自身の裏の顔を隠蔽しなければならなかった。
斜め四十五度の角度で殴れば記憶を飛ばせるかなどと千雨が物騒なことを考えていると、廊下の方から慌ただしい足音が聞こえてくる。その足音の主は止まることなく部屋の中に入ってきた。
「千雨ちゃん、こっちにネギ君が来てるって皆が……ああ、遅かったか」
室内にいる千雨とネギを見てあちゃあとばかりに頭を抱える紬。クラスメイトたちからネギが千雨を誘いに行ったと聞き慌てて戻ってきたのだが、どうやら手遅れだったらしい。
「ああ、終わった……私の学園生活が……」
がっくりと項垂れる千雨。さすがに紬の目の前でネギを襲うわけにもいかない。つまり隠蔽工作は不可能、今日から変人たちの仲間入りということだ。
落ち込む千雨とそれを励ます紬。二人が何故そんなことになっているのかネギは首を傾げつつ、思ったことをそのまま口にする。
「でも長谷川さん、とっても綺麗ですね。いつもは眼鏡をしているから分かりづらいですけど、素顔もほんとに綺麗」
「えっ──」
ありのままの感想を告げられて千雨が反射的に顔を上げる。そして自分がいつもの眼鏡をかけていないことに気づいてあたふたし、机の上に置きっ放しになっていた眼鏡に手を伸ばす。
しかしその手が眼鏡を掴むことはなく、直前にネギの手が掻っ攫ってしまう。
「なっ!? 返してください、私の眼鏡!」
「どうしてですか? 折角綺麗な顔なのに隠すなんて勿体無い」
「うぁ……そ、それは……」
顔を真っ赤にして千雨は言葉に詰まる。子供だからかどストレートな言葉の数々に千雨は柄にもなくタジタジだ。
隣で慰めていた紬が「おや?」と首を傾げた。これはもしやいい感じなのではと空気を読み、紬は傍観者に徹する。さすがに千雨が本気で嫌がりだしたら止めに入るつもりではあるが。
「い、いいですから返してください! だいたい、何の用があって来たんですか!?」
「あ、そうでした」
千雨に言われて思い出したのか、改めて咳払いをするとネギは満面の笑顔を浮かべた。
「みんな下の芝生でパーティーをやっていますよ。長谷川さんも行きましょうよ」
「な、何言ってんだ。私はそういう馬鹿騒ぎは苦手で……」
「ええ? でも──」
ガラッとネギが部屋の窓を開ける。その先に広がるのは抜けるような青空。思わず見上げたくなる日本晴れがそこにはあった。
「──今日はこんなにいい天気なんですよ。部屋の中にいるだけなんて勿体無いです」
「────」
どこまでも続く青い空。見上げるだけで心まで軽くなりそうで、人一人の悩みなんて小さなものだと思ってしまえそうな景色に、千雨は目を奪われる。
そんな千雨の肩に手を載せて紬が笑いかける。
「ネギ君の言う通り。偶には眼鏡を外して外の景色を見るのも悪くないと思うわ。自分の目で見ればまた違うものが見えてくるかもしれないしね」
そう言いつつ千雨の手にさり気なく、ネギから掠め取った眼鏡を握らせる。とはいえ今日のところはその眼鏡をかけるタイミングはもうないかもしれない。
「はぁ、分かりました。参加すればいいんでしょ。ったく……」
嫌々という風に参加を受け入れる千雨。しかしその表情は言葉ほど嫌がっているようには見えない。
「ほんとですか? じゃあ早速行きましょう!」
「は? いやちょっと待ったこの格好は──」
「──はいはいネギ君、お待ちなさい。逸る気持ちは分かりますけど、少しは千雨ちゃんのこと考えてね?」
バニーガール姿のまま連れ出されそうになった千雨をすかさず紬が押さえる。ネギはどうして止められたのか分からないといった顔だ。
そんなネギに紬は悪戯っぽく微笑みかけた。
「千雨ちゃんは着替えてから参加するから、ネギ君は先に戻ってて。それとも、千雨ちゃんの着替え姿を見たいと?」
「へっ!? ち、違います! 失礼しました〜!?」
パタパタと慌てて部屋を飛び出していくネギ。まさに台風一過である。
疲れたとばかりに溜め息を吐いて、千雨はどことなく面白そうな目をした紬に気づく。
「いいえ。ただ私が誘った時は素っ気ない態度だったのに、ネギ君相手だと随分とあっさり頷いたな〜、なんてね」
「ばっ、別にそんなんじゃねーからな!?」
食いかからん勢いで否定するが、顔を真っ赤にしていては説得力などない。紬は分かる分かるとお姉さん風を吹かせて頷くばかりだ。
「ま、此処で論じても時間の無駄だし、早く着替えて行きましょうよ。ネギ君の言う通り、本当に気持ちがいいくらいにいい天気なんだから」
「……分かったよ」
未だ納得していない顔ではあるものの、これ以上もたついていればネギが戻ってきそうでもあり、千雨は手際よく制服に着替えた。
化粧も落とし服装を整え、最後に眼鏡をかけようとして硬直する。数回ほど眼鏡と窓の外を見比べ、やがて小さく吐息を洩らすと眼鏡を机の上に置いた。
「いいの?」
「別に、目が悪いわけじゃないし、ただのブルーライトカットだからな」
「ふーん……え、この時代にブルーライトカットの眼鏡なんてあったかしら?」
怪訝な表情で紬は小首を傾げる。幸いというか紬の呟きは千雨に届いておらず、焦ったそうに部屋を出て行こうとしている。
「さっさと行くぞ宮本。またあのガキが来ても面倒だからな」
「こらこら千雨ちゃん、ガキとか言ったらダメよ。ネギ君気にしてるんだから」
「ふんっ、ガキはガキだ。実際子供だし……っつか、やっぱおかしいだろ子供が教師とか」
「そこに戻っちゃうのね……」
話が丸っと最初に戻ったことに紬は苦笑いを浮かべ、千雨は再燃した理不尽への愚痴を紬にぶつける。そんな風にじゃれ合いながら二人はパーティー会場である丘の上へと向かった。