ネギ・スプリングフィールドが教育実習生として2年A組の担任となって二日目。さすがに昨日の今日で勝手を把握したというわけにもいかず、今日も今日とてネギは2年A組に大苦戦である。
それでもネギなりに先生らしく勤めようと頑張り、何故か神楽坂明日菜の服が吹き飛ぶなどというハプニング? は起きたものの、何とか無事に授業は終了した。
紬は授業合間ごとにクラスメイトと言葉を交わしては親睦を深めつつ、如何にして刹那に手合わせを申し込むか思索していた。見る限り、彼女はあまり2年A組の馬鹿騒ぎに便乗するタイプではない。勢いで挑んでも断られるオチが目に見えている。
「というわけで、どうすればいいと思う? 千雨ちゃん」
「どういうわけで私に相談するんだよっ!」
昨夜の段階で2年A組に編入するに相応しい変人ぶり披露してみせたルームメイトに、千雨は心の底からそう返す。紬はきょとんと小首を傾げた。
「だって千雨ちゃんルームメイトだし……ごめんなさい、冗談です。だから本気で嫌そうな顔をするのはやめて千雨ちゃん」
さしもの紬も二日で絶縁されては堪らないと頭を下げる。若干不機嫌そうに眉根を寄せながら、千雨は一応話を聞く態勢を取った。
「えぇとね、これは私の個人的な見解なんだけど、千雨ちゃんはこのクラスのことを誰よりもよく見ていると思うのですよ。少なくとも、新参者の私よりは遥かに詳しく」
「……なんでそう思うんだよ」
やや不服げに頬杖を突きながら千雨は続きを促す。
「だって千雨ちゃん散々愚痴っていたじゃない。私的に言わせてもらうと、愚痴は相手のことをよく知っているからこそ零れ出るものだと思ってるの。つまり、千雨ちゃんはこのクラスのことを誰よりも把握している、そう判断したまでです」
「…………」
千雨の反応は無言。しかし内心では紬の言葉に納得していた。
昨夜は紬が理解者に成り得るかもしれないと早合点して大変な目に遭った。最終的には落ち着き、謝り倒す紬に日頃の鬱憤をぶつけたりもしたのだが、どうやらそこから千雨が2年A組に精通していると判断されてしまったらしい。
非常に業腹ではあるものの、実際、新参者の紬と比べれば2年A組の面子については詳しいだろう。下手をすればクラス委員長であるあやかよりも把握しているまである。
異常だ何だと目を背けているつもりで、その実しっかり見ていた。いや、ただ非現実的なことからは目を逸らしていただけで、冷めた視点であってもクラスメイトのことはきちんと見ていたのだ。
だがそれを素直に認めるのは癪でいっそ突っ撥ねてやろうかと考えるも、真っ直ぐな紬の眼差しにやがて折れた。
「はぁ……桜咲は性格が真面目だから、気を衒わず正攻法できちんと手順を踏めば断らないと思う。あいつ、剣道部だろ? そっち方面から試合でも何でも申し込めばいいじゃねーか」
「なるほど。剣道、剣道かぁ。これでも道場主の娘ですから、一通りの礼儀作法は心得ているけど、剣道の試合で満足できるかどうか……いいえ、何事も段階が大事ですもの。ここは慎重に事を運ぶとしましょう!」
うむ、と満足げに頷いて紬が千雨に微笑みを向ける。
「ありがとう千雨ちゃん。おかげで助かりました」
「……貸し一だぞ」
せめてもの抵抗にそう言うと、紬は屈託無い笑顔で頷いた。
「ええ、分かりました。貴方が困っている時、私で力になれることがあれば必ずや応えましょう。というか、貸し借りなしにじゃんじゃん頼ってくれていいからね」
惚れっぽく頼られるのが好きという奇特な
「さて、問題はいつ切り出すか。剣道部自体との兼ね合いもあるでしょうし、今すぐにというのは迷惑になるかな。とりあえず刹那ちゃんに部活動見学をしたい旨を伝えて──」
紬がぶつぶつと作戦を練っていると教室に飛び込んでくる小さな人影。我らが子供先生、ネギ・スプリングフィールドが何やら怪しい液体に満ちた小瓶を片手にアスナへと駆け寄っていく。
「ありゃ、ネギ君。どうしたのかしら?」
気になった紬は千雨に一言断り、ネギとアスナの方へ足を向ける。千雨は興味関心を持たないようにしているのか、それとも第六感的なもので何かを感じ取ったのか、そそくさと帰り支度をすると教室を出ていく。馬鹿騒ぎが嫌いな彼女らしい対応であり、今回においてはそれが最善の選択であった。
「ネギ君、アスナちゃん。二人とも何してるの?」
何の考えもなしに近づいた紬の目の前でネギがアスナの手によって小瓶の液体を飲まされた。目を白黒させてゴクゴクと嚥下させられ、ついには小瓶の中身は空っぽになる。
「ちょっ、ネギ君。だい……じょう……」
ケホケホっ噎せるネギを心配して歩み寄ろうとした紬の足が止まる。何やらアスナがネギに対して文句を言っているが、その声も徐々に遠くなっていく。
「…………」
ぽけーっと立ち尽くす紬。瞳は熱に浮かされたかのように潤み、只々目の前にいるとびっきりの美少年に固定されている。
胸が締め付けられるように苦しい。どうしてこんなにも目の前の少年が魅力的に感じるのか。いや、元々守備範囲ど真ん中の美少年ではあったのだが、それがどうしてか今日に限って常の万倍も魅力的に見えた。
「ネギ君〜♡」
「先生、どうぞコレを……」
「きゃー! 先生ー♡」
このかを筆頭に怒涛の勢いで迫る女生徒たち。予想外の展開にネギは抵抗する間も無く揉みくちゃにされてしまう。
「ネギ君……」
またもやとんでもない騒ぎになりつつある中、紬もまた蜜に誘われる蝶のように足を踏み出しかけて、ハッと我に返る。
「──っ、もう駄目、煩悩断つべし。ネギ君相手に何を考えているのよ、私は……ちょっと冷水でも浴びて頭冷やしてきましょう」
ピンク色の靄を追い払うように頭を振り、何とか平静に立ち戻る。その足で女子寮へと向かい始めた。
「それにしても、さっきのネギ君はやたらめったら凛々しくて可愛らしかったなぁ……朝とはまるで別人みたいだったけど、何があったのかしら?」
はてなと首を傾げつつ紬は下校するのだった。
一方のネギは飲まされた惚れ薬の効果が消えるまで、何故か影響を受けないアスナと校内で生徒たちと追いかけっこを繰り広げることになった。
▽
麻帆良女子中等部は全寮制であり、数百人近い生徒が同じ建物内で暮らしていることになる。当然、風呂場の類は相応の大きさになるわけで、一度に百人が入っても問題ないほどの規模を誇る。もはや大浴場ではなくスーパー銭湯だ。
「ふぅ〜いい湯だなぁ〜」
「年寄りくさいぞ」
「ひ、酷くない千雨ちゃん?」
洗い場で体を洗ってからゆったりと湯に浸かる。一日の疲れが洗い落とされていくような心地に、思わず洩れた感嘆の声を年寄りくさいと言われ、一応現役ピチピチの紬はショックを受けたように肩を落とす。
浴場内には紬と千雨の他に2年A組の面々が勢揃いしていた。偶然の産物らしいが、何にせよ集まれば喧しくなるのがこのクラスの特徴である。
紬と千雨から少し離れた場所ではネギと相部屋になる権利をかけて胸の大きさで競い合うなどという不毛な争いが繰り広げられている。それも後から浴槽に入ってきたクラス一、二のプロポーションを誇る龍宮真名や那波千鶴の参入で一時的に鎮静した。
「真名と楓も大概だけど、うちのクラスはほんとに中学生なのか疑わしい人だらけよねぇ……」
「お前が言うな、お前が」
他人事のように呟く紬であるが、彼女も中学生にしては色々と豊かに育っている。
大学生とまではいかないが、普通に高校生でも通用する背丈。鍛えているために体は引き締まっており、無駄な肉が一片たりともない。その癖、母性の象徴だけは千雨が恨めしい目つきを送るほどにたわわと実っていた。
「あはは、それほどでもあるかな。でもまあ、まだ常識的な範囲内でしょ?」
「どうだか」
不貞腐れたように口元まで沈んでいく千雨。そんな可愛らしい仕草に紬が軽く身悶えているのだが、幸せなことに当人は気づかなかった。
そうこうしているうちに胸の大きさ勝負が大袈裟になっていき、いよいよ収拾がつかなくなっていく。その段階で馬鹿騒ぎに乗るつもりのない面子はさり気なく距離を取り始める。その中には、桜咲刹那の姿もある。
「よし、じゃあちょっと行ってくるね」
「…………」
千雨の呆れ混じりの視線を背中に受けつつ紬は真っ直ぐ刹那のもとへ向かう。彼方も、視線と近づいてくる気配に気づいて顔を上げた。
紬は要らぬ警戒を持たれないように気を払い、努めて笑顔を繕って口を開く。
「こんばんは、刹那ちゃん。ちょっと時間を頂いてもいいかしら?」
唐突な申し出に刹那は戸惑いを見せるも、僅かな逡巡の後に頷いた。
「はい、構いませんが」
「ありがと。隣、座っても?」
「ええ、どうぞ」
刹那の了承を得て人一人分の間隔を空けて並ぶ。浴槽の壁に背中を預ける形で座って、紬は早速とばかりに本題を切り出す。
「実は刹那ちゃんにお願いがありまして」
「お願い、ですか……?」
疑問符を浮かべて刹那が首を傾げる。いったい何をお願いされるのか、全くもって見当がつかない。
微かに身構える刹那に紬はお願いの内容を明かす。
「剣道部の見学をしたいんだけど、案内とかをお願いされてくれないかな?」
「は? 剣道部の見学ですか?」
身構えていた割に何てことのない内容に刹那は肩透かしを喰らう。もっとこう、果し合いやら決闘の申し込みでもされるのではないかと予想していたのだ。
「別に構いませんが、何故わざわざ私に? 直接部室か武道場を訪ねてくだされば見学くらいいつでもできますよ?」
「そりゃあ顔見知りに案内してもらった方が気が楽ですから。それに──見学だけじゃ物足りなくなった時に、相手がいないと困るでしょ?」
「────ッ!?」
一瞬、ほんの僅かに紬の身から洩れ出た剣気に身体が反応しかける。だが手元に愛用する得物がないこと、何より紬が剣気を引っ込めたことでこの場は穏便に収まった。約三名ほど、敏感に紬の剣気に反応した者がいたがそちらは割愛しよう。
「ごめんなさい、決して邪な思いがあるわけではないの。あくまで剣道のルールに則った上での手合わせをしたい。駄目かな?」
先の剣気がまるで嘘のように刹那の顔色を窺う紬。臨戦態勢に入りかけていた刹那はその態度にとりあえず肩の力を抜き、どうしたものかと思案する。
本音を言えば断りたいところである。諸事情があってとある人物を遠ざけている刹那は、あまりクラスの輪に馴染もうとしていない。一歩引いた立ち位置を保っていた。
しかし同時にとある人物の護衛役である刹那は、護衛をする方の身に近づく不穏分子の排除をしなければならない。そう、例えば──実力不明の転校生である紬だ。
必ずしも紬が敵と成り得るとは限らない。だが確かめる必要があった。果たして彼女は自身が敬愛する方に仇なす存在なのか否か。
この申し出は紬が敵なのか違うのか見極めるのにまたとない機会だ。ならば刹那の出す答えは決まっていて。
「分かりました。私の方から見学と体験については話を通しておきます。早くて明後日になるでしょうが、手配が整ったらまたお知らせします」
「ありがと、刹那ちゃん。楽しみにしてます!」
声音を弾ませて紬はその場を離れていく。その足取りは玩具を買い与えられた子供のうように軽やかであった。
戻った先で千雨にサムズアップをして見せる紬。そんな少女の姿を刹那はやや警戒を滲ませた表情で見つめていた。