剣道部員たちによる嵐のような勧誘の声を丁重にお断りし、剣道場を後にした二人は商店街へと繰り出した。ちなみに刹那はもう少し紬を説得するという名目で抜け出してきた。
麻帆良の街並みは校舎に合わせてヨーロッパ風になっている。加えてやたらめったら広い。生徒ですら学園都市の全てを把握している者は少ないほどだ。
そんな商店街の一画にある喫茶店。オープンテラス席で紬と刹那は放課後ティーブレイクと洒落込んでいた。
「んー、あんまり紅茶とかは飲んだことなかったんだけど、案外悪くないかも。今度ネギ君に色々聞いてみようかしら」
白磁のティーカップを傾けて呑気にそんなことを呟く紬。最初はお茶屋さんがないかと商店街を練り歩いたが見つからず、仕方なく適当な喫茶店に目をつけたのだが存外悪くなかったらしい。
ほふぅと息を吐く紬の対面にいる刹那は片時たりとも視線を逸らさず、いつ何が起きても対応できるよう身構えている。注文した紅茶にも口を付けていない始末だ。
さすがに居心地の悪さを感じて紬は苦笑いする。
「あのね、刹那ちゃん。警戒されるようなことをした私が言うのも何ですが、そんなに肩肘張られちゃうと私も話し辛いのです。もう少し肩の力を抜いて、ね?」
「それは……いえ、すみません。失礼をしました」
ぺこりと頭を下げてから刹那もやっとティーカップに手を伸ばす。ふんわりと鼻腔を擽ぐる優しい紅茶の香りに強張っていた刹那の表情がやや和らいだ。
「おっ、やっと可愛らしい顔になった。ずっと顰め面していたんじゃ勿体無いものね」
「は、はぁ……」
したり顔で頷く紬に刹那は生返事を返す他ない。
「さて、落ち着いたところで本題に入りますか」
自然体のまま紬が話を切り出した。自然と刹那は背筋を伸ばして居住まいを正す。
「きっと刹那ちゃんは私が何者なのか気になって仕方がないはず。なのでここは一度、改めて自己紹介から始めようと思います」
そう言って紬は僅かに姿勢を正すと教室での自己紹介と同様、しかしそれ以上に真剣な表情で口を開く。
「二天一流の道場主であり十一代目新免武蔵守藤原玄信が娘、宮本紬。将来的には十二代目を継ぐため、修業のために麻帆良へ来た次第。とまあ仰々しく言ったけど、要は親父殿から十二代目を継ぐに相応しい剣者になってこいって武者修業に出された小娘です」
「新免武蔵守藤原玄信?」
「あ、分かり辛かった? みんなも知ってる宮本武蔵のことなんだけど、こんな長ったらしい名前知らないのも当然よね」
「いえ、一応存じてはいます。ただ、今の話だと宮本さんは宮本武蔵の子孫ということになるのですが……?」
刹那の疑問に紬は曖昧な顔色になる。
「多分ね。一応家系図にも宮本武蔵の名はあったから、そうみたい。ほんとかどうかは怪しいところですけど」
何せ紬はその身に宮本武蔵その人の霊基を極一部とはいえ宿している。血の繋がりだとか子孫なんてちゃちなものではない、極論を言えば紬本人が宮本武蔵であるといっても過言ではない。それが剪定事象で断ち消えた世界出身の女性であるとしてもだ。
「宮本さんが宮本武蔵の子孫……!? それはその、こんなところでお逢いできるなんて光栄の極みというか……!」
唐突に明かされた紬の肩書き。まさか目の前の少女が彼の有名な大剣豪宮本武蔵の子孫とは思わず、思い掛けない出逢いに刹那の中で様々な感情が溢れ出した。
「落ち着いて刹那ちゃん。別に私が宮本武蔵本人ってわけじゃあるまいし、そんな緊張する必要ないから」
実際は殆ど本人に近いのだが、それを明かせば間違いなく刹那はパンクするだろう。それほどまでに宮本武蔵のネームバリューは凄まじいのだ。日本人である刹那にとってはなおのこと。
紬の言葉で我に返った刹那は恥じ入るように顔を伏せ、平静を取り戻そうと紅茶を一口含む。優しい香りと味わいに慌てふためいた精神が落ち着きを取り戻す。
「すみません、お見苦しいところをお見せしました」
「なんのなんの。刹那ちゃんの可愛らしい一面が見れてむしろ僥倖よ」
「うっ……こほん。纏めると、宮本さんは彼の有名な宮本武蔵の子孫であると。であれば、戦い慣れしているのもあの強さにも納得がいきますね」
気恥ずかしさを誤魔化すように刹那はそう結論付ける。
だが紬はやや申し訳なさげにその言葉を否定した。
「それは少し違うかなぁ。ちょっと事情があってね。命懸けの戦いに巻き込まれることがしょっちゅうあって、必死になって生き抜いていたらいつの間にかこうなっていた感じ」
「それは……」
臆面もなく笑みさえ零しながら言ってのけた紬に刹那は言葉を失う。態度や空気は軽い事この上ないが、面と向かい合っている刹那には今の言葉が嘘偽りでないことが理解できた。
刹那とて幾つもの修羅場を潜り抜けてきた自負がある。京都神鳴流剣士として斬ってきた妖物魔物の数は知れず、護衛するとある方を狙う刺客を撃退してきた回数も一度や二度ではない。まだまだ未熟ではあるものの、その実力は既に達人の域に片足を突っ込んでいる。
そんな刹那をも上回る腕前の紬は、いったいどれほどの死線を潜り抜けてきたのか。刹那には想像も及ばない。
若干の畏怖が混じった視線に紬は困ったように頬を掻いた。
「その、差し支えなければ事情を伺っても?」
「んー、別にいいんだけど。その前に、刹那ちゃんって魔法とか知ってる人だったりする?」
何の脈絡もなく投げ込まれた爆弾に刹那の顔色が僅かに変わる。紬にはその微かな変化だけで十分だった。
「やっぱりね。じゃあ教えても問題ないか」
背凭れに体を預けて紬は努めて軽い調子で明かす。
「私ね、ちょっと変わった体質持ちなの。神隠しって分かる? 人が突然いなくなったりするアレ。私ってばその神隠しに遭いやすい体質みたいで、しょっちゅう見たこともない場所に飛ばされるのよ。転校してくるのが一週間遅れたのもそれが原因」
「神隠し……」
刹那も言葉の意味は知っている。ただ裏の世界を知る刹那からすれば神隠しは人為的な誘拐、または魔法や陰陽術絡みの事件という認識が強い。体質的に神隠しに遭うというのはどうにもしっくりこなかった。
「まあそれであっちゃこっちゃ飛ばされてね。最初の頃は隣山とか隣町だったのが、そのうち見たこともない樹海とか国外にまで規模が広がって。酷い時は紛争地のど真ん中に投げ出されたり、妖物魔物が跋扈する世界に飛ばされたこともありました」
「そ、それは何と言えばいいか……」
そんな体験を繰り返していれば強くなるのも必然。否、強くならなければ生きていられなかった。弱いままであったのなら今この場で呑気にお茶を飲むこともできなかったはずだ。
改めて目の前の少女の凄まじさを刹那は実感した。
「とまあ、そんな訳でね。その折に魔法とかの存在も知ったわけ。どう? 信じてもらえましたか?」
自分語りを終えた紬は刹那に目を向ける。刹那は難しい顔で考え込み、今の話の真偽というより宮本紬という少女について吟味していた。
恐らく明かされた事情は嘘ではない。偽りにしてはあまりにも言葉に実感が籠り過ぎていた。何より、言葉を交わしていくうちに紬が虚言を弄するような心の持ち主ではないと確信したからだ。
人柄も悪くない。明朗快活であっけらかんとした性格は好感が持てる。刹那個人としては信じてもいいと思えた。
だがどうしても気掛かりなことがある。
一つは未知数の実力。もう一つはあの時の剣気。
大浴場で紬が僅かに見せたあの剣気。背筋に氷柱を突っ込まれたかのような恐ろしい剣気の中に、刹那は狂気とは違う執念のようなものを感じ取った。紬と同じく剣士である刹那だからこそ読み取れたものである。
あれが何なのか。刹那は尋ねようかとも思ったが踏み止まった。明確な根拠はないが、それは触れてはならないものだと本能が警鐘を鳴らしている。刹那は己の本能が発する警戒信号に従ったのだ。
「宮本さんの話に嘘偽りはないと私は思います。神隠しの原理など気になることはありますが、私個人としては宮本さんは信の置ける相手かと」
「それは重畳。じゃあ、次は刹那ちゃんの番かな」
ころりと態度を変え刹那の目を見据える紬。今度は此方の手番とばかりに問う。
「ズバリ、刹那ちゃんは何者なのかしら? 手合わせして六割方は読めたけれど、一応本人の口からも確認しておきたいわ」
前置きもなく単刀直入に切り込む。紬が己の正体を明かした以上、次は刹那の番となるのは何らおかしくない。刹那としても紬の正体が知れた以上、ある程度までは自身の正体を明かすつもりではある。
だが果たして何処まで話していいものか。
悩んだ末に刹那は少し切り込み方を変えた。
「参考までに宮本さんの予想を尋ねてもよろしいでしょうか?」
「いいけど。そうねぇ……私の見立てでは、刹那ちゃんは妖物魔物の退治を目的とした流派の剣士だけど剣者ではない。誰かの護衛の任を受けた用心棒ってところかしら?」
どう? とばかりに答えた紬に刹那は唖然と口を開いたまま硬直した。
何処まで明かすかなんて話ではない、話す前から既に殆ど知られてしまっていた。いくら宮本武蔵の子孫とはいえ、短い時間の手合わせだけでここまで見透かされるのは些か理不尽ではなかろうか。
「その、殆ど宮本さんの言葉通りです。流派の名は明かせませんが、私は妖怪退治を主目的とする流派の剣士です。まだ未熟な身ですが。そしてとあるお人の護衛の任を仰せつかっています」
「なるほどなるほど……」
自身の読みが当たって紬は満足げに頷く。一方の刹那はどうしてここまで読み取られてしまったのかが気にかかっていた。
「つかぬ事をお訊きしますが、宮本さんはどうやってここまで正確に私の素性を予想できたのですか?」
「あぁ、それね。端的に言えば刹那ちゃんの太刀筋とか間合いの取り方、あとは立ち回りを見て推測したのよ」
人差し指を立てて紬は一つ一つ解説していく。
「流派を当てたのは間合いの取り方。人を相手にするには広いし、大振りの太刀筋が多い。かと言って雑とかそういうわけではないんだけどね。あとは立ち回り方がね、剣者にしては思い切りがないというか、常に後方を気にしているような戦い方だった。そこから、常日頃から誰かを守ることを意識しているんだろうなと予想しました。あ、得物を当てたのは手首の動きと握りの癖です」
簡単なことのように言ってのける紬であるが、事は言葉ほど簡単なものではない。手合わせとはいえ激しい攻防の最中にそれだけの情報を読み取り、流派諸々を推測するなんてことは普通は無理だ。それこそ余程の実力差がない限り。
それはつまり、紬と刹那の間には隔絶した実力差があるというわけで。
「本当に強いんですね、宮本さん。私もそれなりに修羅場を経験してきたつもりでしたが、ちょっと自信がなくなりそうです……」
「そんな肩を落とすほどでもないと思うよ? 刹那ちゃんも十分強いですし。ただ、私とは強さの方向性が違うだけ。剣の道に生きる私と違って刹那ちゃんは誰かを守る者だもの。戦い方に差が出るのは当然。実際問題、私と刹那ちゃんが本気で剣を交えたら決着が付かないんじゃないかなぁ」
「どういうことでしょう?」
今ひとつ紬の言葉に得心がいかず刹那は首を傾げる。一方的に情報を読まれてしまうほどの実力差がありながら、決着が付かないとはいったいどういうことなのか。
「うーん、要は剣士としての在り方の違い。剣者である私は勝ち負けに拘るけれど、刹那ちゃんは勝敗ではなく守り抜くことを優先する。ほら、見事に噛み合わないでしょ? だから決着は付かない。仮にやり合ったとしても私は刹那ちゃんを倒す自信はないけどね。誰かを守る人の強さはとんでもないから」
そう言う紬の声音にはほんの僅かに羨望にも似た色が混じっていた。
それは自分にはできないだろう在り方の刹那に対する微かな憧れ。正義を語ることはできない、修羅の道に踏み込んだ剣者のほんの僅かな心残りであった。
▽
「今日は付き合ってくれてありがとね、刹那ちゃん。おかげで私は大満足です」
「いえ、私こそ。宮本さんがどんな方なのか知れてよかったです」
喫茶店を後にした紬と刹那は日が暮れてきたのもあり女子寮へと帰ってきていた。
今日一日で刹那の紬に対する警戒は薄れた。少なくとも敵ではないことを知れただけでも刹那にとって今日一日は非常に有意義なものになったと言えよう。
寮前で別れようとする二人。しかしそこで紬が思い出したとばかりに手を鳴らした。
「あ、そうそう刹那ちゃん。教室での自己紹介でも言ったけど、私のことは苗字じゃなくて名前で呼んでくれると嬉しいかな。苦手というわけじゃないのですが、どうにも苗字呼びはしっくりこなくてね。それに他人行儀な感じがして嫌じゃない?」
「そうでしょうか? では、これからは紬さんと呼ばせていただきます」
「うん、それでお願いします。改めてよろしくね、刹那ちゃん」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。紬さん」
最後に笑顔を交わし、紬と刹那の長い一日が終わりを迎えた。