『資料』
沢城「……これ…見た?」
うたうちゃん「いいえ、見つけただけです」
ディーヴァ(見るからにヤバそうだったしね)
沢城「…そう。あなたは見なかったのね。そう…」
うたうちゃん「?」
「…実はこれには細工が施してあったの。理由があって、とあるものに反応し、必ず見てしまう術がね」
うたうちゃん「とあるもの…?」
沢城「いいわ、知ってもらいましょう。オフィーリアちゃんも呼んでくれる?全て話すわ。この資料が、なんなのかをね」
「神代から私達人の時代に移り変わったターニングポイントはいくつかある事は御存知?セファールの白き巨人が伝わった時代に起きたとされる衰退。ギルガメッシュ王が治めた時代に起きた人間と神の訣別。そしてまだ謎の多い契機。いくつもの変遷、尽力があって今霊長類としての人類がここにいる。…それと同時に、人が遥か古来より受け継ぐものもあるのよ。魂と、言葉に刻まれた罪と呪いが」
沢城は受け取った資料を机に置き、静かに語り始める。これは自分が追っている研究であり、自分なりの人類愛の発露の方法であると。
「アダムとイヴは蛇に諭され、神に禁じられた禁断の果実を口にし知恵を持ってしまった。そして神の言葉に逆らう事を覚えた二人を神は楽園より追放した…」
(人類の原罪。人類は二人の犯した罪を今も刻まれ苦しみ続けているって神話ね)
「人が抱いた最初の罪。これが今も人類を苦しめている咎にして神が下した罰。これは人全てが持つ最初の罪。私も、サカキーも皆罪人なのよ。…犯した覚えのない罪の贖いを求め続けられているの。今この瞬間も」
「おかしいです。アダムさんとイヴさんの罪は二人のもの。子々孫々にまで罪があるなんて…おかしいと私は思います」
うたうちゃんは納得できないと反論する。自分の知る人間は素晴らしい方ばかりだ。夏草の民も、刑務所にいるような殺人犯も一緒くたに罪人扱いされることに、彼女は言い様のない拒否感を覚えた。
「そう言ってくれるのね、うたうちゃん。…原罪のない生命。人は神の御業を再現するまで進歩した…か」
「?」
「こっちの話よん、親愛なる隣人ちゃん。これがまず原罪よ。罪なら必ず、償いと赦しが必要だと私は思ったわ。事実人はその償いの手段を有していた。──それが私の研究のテーマ『統一言語』」
(統一言語っていうのは)
(人類が神に奪われる以前に話していた、全人類共通の言語の総称!ですよね、ディーヴァお姉さん!)
(あら、お姉さんなのね?そうそう、その奪われるきっかけになったのが『バベルの塔』ね)
バベルの塔。人が神に近付かんと画策した、傲慢と愚行の塔。再び神の怒りに触れるきっかけとなった出来事。
「そ。神に至るために人が建てた塔。これは聖書において人類の愚行と記されており、罰として人は共通言語…誤解なく分かり合う手段を奪われた。人が争い、憎み合う愚かな生き物であるのは、大まかに見てこの二つの咎が魂に刻まれているからだと私は考えたの。相互理解の為の言葉と意志を奪われた…神の呪詛が人を愚かにさせている。それが私の研究。沢城神学とでも言っときましょうか。ま、サカキー以外に話したのはあなたたちだけなんだけどね」
相互理解ができず争う理由を、彼女は魂に求めた。人はわかり合えないのではなく、わかり合う手段と智慧を奪われたという彼女の言葉。
「…意志?奪われたのは、言葉だけではないのですか?」
うたうちゃんは懸命にその神大なる理論に食いついていく。沢城の言い方からして、奪われたものは二つあるように含まれている事を彼女は感じ取った。
「そう。人は言葉と意志を奪われた。バベルの塔は罪の証、だけど確かに人は一つだった。『神に会う』為に心を一つにした。これを神は傲慢と考えたけれど私はそう思わない。…謝りたかったんじゃないかしら」
「謝る…?」
「えぇ。もう一度神に会い、アダムとイヴが犯した罪を子孫として悔い改める。神の座におわす方と、再び光溢れるカタチに戻りたいと。愚行ではなく、誠実な願いで人が一つになっていた。私はそういう観点で人の事を見たわ。そうじゃなきゃ…あまりに人は愚かで哀れにすぎるもの」
原罪故に永劫の罪人として。育った子孫は愚かな愚昧として。人を愛する沢城はその結論を忌避したのだ。人は、霊長にまで至った我々はそうまで愚かなる生き物であるのかと。それはあまりに、救いがないと。
「それで私は考えたの。失われ、奪われた統一言語。人類の相互理解の為の贖罪の智慧。これを取り戻し、人はお互いを分かり合い、その結果を以て原罪を贖う…人に本当の意味で汚れなき魂を宿す。それが私の追い求める研究の命題なの。分かり合う為の、罪を償う為の人類の叡智を…そして私は、それを見つけたの」
「見つけたんですか!?凄いです!」
オフィーリアは素直な礼賛を見せる。人の罪、それらを贖う手段が見つけられたのならそれは概念の至上…手段として確立でき、なおかつ誰も再演が叶わぬもの。『魔法』とすら言えるものかもしれないからだ。
「凄いでしょー?私も散々考えて遠回りしてやっと見つけたんだもの。それは──歌よ」
「「…歌?」」
どのような魔術でもなく、どのような秘術でもない。歌にこそ、相互理解の可能性が残っている。沢城は決意の目で示す。
「外国の歌を日本人が聴いたとき、歌詞の意味は解らなくても旋律やリズム、歌唱の情熱を聴いて『素晴らしい』と理解する。私はこの現象こそ、私の求めていた結論と見出した。人の心…人の胸には、響く歌を『素晴らしい』と信じれる気持ちがあるという事実。これこそ、呪詛を越え原罪の赦しをもたらすきっかけとなるもの。『赦免の絶唱』…私が求める、人が到達すべき相互理解の究極。その第一歩なんだと確信したのよ」
「赦免の、絶唱…」
「歌詞も、旋律も、まだ何にも解らないんだけどね。でも人の魂は覚えている。誰もが聴いて、誰もが耳にして、全ての人々が素晴らしいと思える歌が。貧富も身分も、全ての差別を越えて平等に福音をもたらす歌がきっとある。私はそう信じているのよ。だからこうして、若さも幸せも捨てて研究に没頭しているってわけ。以上!講義終わり!いやー、授業なんていつぶりかしら?もう喉からから!」
伝えるべきことは伝えたとばかりに神妙な空気を拭き散らす沢城。彼女はおちゃらけているように見えて、人の罪と償いに誰よりも向き合っているのだ。人に残された、免罪の欠片を懸命にかき集めて。
「で──これはお願い、なんだけどね。うたうちゃん、ディーヴァちゃん、オフィーリアちゃん」
そして、彼女が研究を止めていた理由も同じく語る。もう、研究は再始動の瞬間を迎えたからだ。
「あなたたちの中には心がある。その胸には、響く歌がある。人じゃないけれど、人の智慧が宿ったあなたたちは本当の意味で罪なき命だと私は思ってるわ。だから、ね」
そう。人の胸に宿る相互理解の答えはきっと、人では見つけられない。闘争も理解も、罪人同士、同じ穴の狢の行為でしかない。転生により罪を脱ぐか、悟りを開き罪から解かれるか、或いは、人ならざるものが人となるか。
「私達に、人間に教えてちょうだい。人を見て、人のどこに赦しの答えがあるのか。手を取り合い生まれる歓喜か、憎しみ合う怒号か。どちらが人を赦す歌なのか。それを聴いて、罪なきあなたたちが産み出してほしい。人の魂を赦す歌を。齎されるのが昇華なのか、絶滅なのか。親愛なる介添人たるあなたたちにしか、きっと見つけられない。パンドラの底に残ったものが何かなのかをね」
人は罪なき命を作るにまで至った。沢城はそれを以て、その罪なき命たちに託した。彼女達の魂が産み出した歌こそが、人の本質を正確に、如実に神に伝える歌となる筈だと信じた。
「私達は愚かだから、どちらが本質なのかも価値を示せていないの。いつか最後の審判に資料として提出できる様な、とびきりのヤツをお願いね?一目で人が何か分かるようなヤツ。…頼んだわ♪」
最後の調子はおどけた様子で。だが、その言葉の重さを誤魔化すことはできなかった。
…電子の生命に託された使命。それは人の魂が放つ歌を形にすることなのだと。彼女達は確かにそう受け取ったのだ──。
ディーヴァ(これで後は、皆で歌えるようになれば解決ね。オフィーリア、うたう。お疲れ様)
うたうちゃん(ディーヴァ…私達は見つけられるでしょうか。人の本質や、それを形にした歌を)
ディーヴァ(んー…科学者さんは物言いが難しいから全部理解できたかはわからないけど…)
うたうちゃん(…)
ディーヴァ(できるわよ。要するに、私達の知る人の素晴らしさが本当だって事を形にすればいいんだから。私達いつもやってる事でしょ?)
うたうちゃん(…ディーヴァ)
オフィーリア「私…やります!いいえ先輩!やりましょう!」
うたうちゃん「オフィーリア…?」
オフィーリア「つまり、全人類がいいなって思ってくれる歌を私達が作ればいいんです!人類の皆さまが一緒に歌える、幸せな歌を歌えばいいんですよ!それが、歌で皆を幸せにする方法なんです!」
「歌で、皆を幸せに…」
オフィーリア「先輩が夏草の皆様に歌を作ったように、私達が人類の皆様に向けた歌を作るんです!人が皆、分かり合える歌を!私、やります!それが私の使命だから!」
うたうちゃん「使命…人を、夏草の皆さまを幸せにする…。…!」
オフィーリア「やりましょう!私達を造ってくれた人類が、素晴らしい方なのだと証明する為に!」
うたうちゃん「…うん!」
ディーヴァ(もう心配はなさそうね、オフィーリアは。…それにしても…)
うたうちゃん(ディーヴァ?何か?)
ディーヴァ(何だか…随分リアリティがあったな、って)
うたうちゃん(???)
沢城「……人類悪にはなりきれんか、夜魔」
?【人がアダムを越えるのなら歓迎よ。それに私は資格を持つだけで、まだそうなってはいないもの】
「追放されようと子は愛しい、か。母は強いな」
【あなたほど純情で、誠実ではないけどね。…彼女達の事、ありがとう】
「何、バベルに居合わせた仲だろう。同じ人類愛のよしみとして、人に手助けするのは吝かではない」
【あなたは私みたいにならないで。…もう行くわ】
「次に出逢う際は、もう名前は呼べんな」
【それでもあなたの事は忘れないわ。…さよなら、フィーネ】
フィーネ『…■■■』
【?】
『──胸の歌を、信じなさい』
【……信じているわ。人の中にあることを】
『……人の中。己の中には無い、か』
(平等の玉瑕だぞ、それは。解らぬお前では無かろうにな…)
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