人理を照らす、開闢の星   作:札切 龍哦

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タメエモン様、ありがとうございました!

実在の人物なんですよね…(畏怖)


メッセージ対応マテリアル開帳〜その1〜

島津義弘

「そうか、おいたちのことはそう伝わっとるのか。

ふふ…随分優しく伝わっとるなぁ」

 

真名:島津義弘

性別:男性

クラス:バーサーカー

身長:190cm

体重:85kg

出典:史実

地域:日本

属性:混沌・善

好きなもの:家族・家臣・領民・茶の湯・猫

嫌いなもの:豊臣秀吉

 

◎ステータス

筋力:B+ 耐久:B+ 敏捷:B+

魔力:D 幸運:B 宝具:A

 

◎スキル

・大肝者(ぼっけもん):A+

鹿児島の方言で大胆な人、乱暴者の意。

「勇猛」と「狂化」の複合スキルで「ベルセルク」と同質スキル。

ベオウルフと異なり発動しても本能のままに戦ったりしないのは

「島津は正気のまま狂っているから」と義弘は笑って答えている。

これによってバーサーカークラスに該当する。

 

・心眼(偽):B

直感・第六感による危険回避。

虫の知らせとも言われる、天性の才能による危険予知。

視覚妨害による補正への耐性も併せ持つ。

 

・カリスマ:B+

軍団の指揮能力、カリスマ性の高さを示す能力。

団体戦闘に置いて自軍の能力を向上させる。

義弘は領民、家臣に慕われ、関ヶ原のときは

当主・義久が兵を出さないと命令を出していたにも関わらず

「義弘様を助けなければ」と薩摩から義弘の下まで

駆けつけた兵(徒歩のものもいた)が1000人以上あり、

義弘が亡くなったときは禁じられていたにも関わらず

13名の家臣が殉死している。

 

稲荷の加護:B

危機的状況で幸運値が上昇し、戦局の機で「直感」が発動する。

島津家は代々、稲荷神を信仰しており、

義弘自身も慶長の役で城を敵の大群に囲まれたとき、

白狐と赤狐が現れて敵軍に突進していくのを見て

味方を鼓舞し、大勝利を収めた。

 

・射撃:C+

銃器による早撃ち、曲撃ちを含めた射撃全般の技術。

火縄銃「種子島」の本場である薩摩では扱いは兵皆が

習熟しており、当然義弘も扱いに長けている。

 

・騎乗:C

乗り物を乗りこなす能力。騎乗の才能。

「乗り物」という概念に対して発揮されるスキルであるため、

生物・非生物を問わない。

栗毛の牝馬で若いころの義弘が一騎打ちで危ういところを

膝を折って助けたことから「膝つき栗毛」と名付けられた愛馬がおり、

その後も幾度の戦場を共にしている。

 

・戦闘続行:A

名称通り戦闘を続行する為の能力。

決定的な致命傷を受けない限り生き延び、

瀕死の傷を負ってなお戦闘可能。

「往生際の悪さ」あるいは「生還能力」と表現される。

 

・釣り野伏:A

島津が最も得意とする伏兵戦術。

発動すると餌(囮)を務めるものにヘイトが集中し、

伏兵を担当するもの全員に「気配遮断」の効果を付与する。

同じような戦術はフビライ・ハンも使用しているが

決定的な違いは釣り野伏せは義弘たち『総大将』自らが

餌になって敵を引き付ける点にある。

漂流者の妖怪首置いてけがあぁなのも納得。

 

 

宝具

・『鬼島津』

ランク:A+++ 対軍宝具

「さぁ皆征っど!!戦じゃあ!!」

戦国時代において屈指の勇猛さと精強さを誇り、

義弘と共にいくつもの戦場を駆けた島津の兵子達を召喚する。

兵達はEランクの「単独行動」とCランクの「射撃」、

Bランクの「大肝者」「戦闘続行」を有している。

全員が鬼島津の名に恥じない武勇とイカレっぷりをしており、

義弘の指示に忠実に従って闘う。

愛馬の「膝つき栗毛」も召喚されて騎乗し、

義弘の弟である家久に歳久に甥の豊久。

長く戦場を共にした家老の長寿院盛淳や島津軍屈指の

大肝者である中馬重方(ちゅうまんしげかた)達もおり、

義弘と共に兵を指揮し、ときに一緒に敵を撫で切り根切りにする。

軍の一番後ろに兄の義久がいて『鬼島津』を召喚中の

魔力炉となっている。

 

・『島津の退き口』

ランク:B+++ 対軍宝具

「マスターが生き残ればこん戦、おい達の勝ちじゃ。

さぁてやっど皆!!捨てがまりじゃあ!!!」

関ヶ原の伝説的な撤退戦の再現。

捨て奸(すてがまり)を駆使し、あらゆる攻撃から

マスターを守って撤退する。

殿を務める兵達のステータスは大きく上昇し、

どれだけ犠牲になろうとかならずマスターに傷ひとつつけずに撤退させる。

義弘が捨てがまりたいと認めなければ使用できない。

 

 

能力

身の丈ほどもある金棒がメイン武器。

軽々と自由自在に振り回して敵を砕いていく。

刀に火縄銃、槍も使用し、匠に使い分ける。

剣術、槍術、弓術、銃術、組み打ちのどれをとっても超一流の武士。

戦場での卓越した軍略と薩人マシーンとも言われる島津の兵達を

手足の如く使いこなす凄まじい指揮能力を持つ。

特筆すべきはEXランクの狂化を持つバーサーカーを相手にしても

なんの問題も無く意思疎通を行い、

戦いの場でも指揮してバーサーカー側も素直に指示に従っている。

特に長可・豊久コンビを見事にコントロールできている様には

驚愕されている。義弘曰く「慣れたもの」。

 

◎真名

戦国時代の薩摩(鹿児島)の大名・島津家の武将・島津義弘。

島津家15第当主・貴久の次男として生まれる。

戦国島津家の中興の祖である祖父・忠良から

「雄武英略をもって他に傑出する」と評された。

 

「岩剣城の戦い」で初陣を飾り、真っ先に突撃して一騎打ちをし、

5本の矢を受ける重傷を負いながらも戦って

敵の首級を挙げる。

その後も長兄の義久が領地経営と政治を行い、

義弘は弟の家久、歳久と共に戦場を駆け、

兄弟力を合わせて薩摩兵子と共に暴れまわる。

「木原崎の戦い」で3000の軍を「釣り野伏」を用いて

300の兵で打ち破り、

「耳川の戦い」で島津と並ぶ九州三大勢力の一角である

豊後のキリシタン大名・大友宗麟の軍に勝利し、

「沖田畷の戦い」で宗麟と同じく九州三大勢力である

「肥前の熊」龍造寺隆信の大軍を「釣り野伏せ」と

「繰り抜き」を用いて家久と共に粉砕する。

九州制圧を目前にした義弘達だったがそこに豊臣秀吉が立ちふさがる。

秀吉の訓練された大軍に加えて領土が広がっても

領地を安定させる間も無く連戦を繰り返したために疲弊し、

兵の数は増えても練度が下がっていたために敗北。

義久は降伏し、義弘もしばらく抵抗したがやがて秀吉に降る。

 

それからも義弘は戦場を駆け回る。

義久との意見の相違のために参陣が遅れ、

「日本一の大遅陣」と恥じた文禄・慶長の役では

64歳で参戦したにも関わらず兵子達と共に大暴れし、

7000の兵で20万の明・朝鮮の大軍を撃退して

海戦では犠牲を出しながらも朝鮮水軍の李舜臣を討ち取る。

 

関ヶ原の戦いでは西軍として参加しながらも一切動かず、

西軍の敗戦が覆しようが無くなると

兵数千数百人で敵軍の正面を突破して撤退するダイナミック帰宅を決断。

後に「島津の退き口」と語り継がれる激しい撤退戦を行い、

甥の豊久達の捨てがまりによって犠牲を出しながらも

井伊直政などの徳川方の重臣に重傷を負わせながら戦場を離脱。

大阪に捕らえられていた妻子を救出して薩摩へ帰還する。

ちなみに退き口ではあの本多忠勝も立ちふさがるが

捨てがまりによって落馬している。しかし一切怪我はしなかった。

戦国最強は伊達では無い。

関ヶ原で義弘達が知らしめた島津の強さと恐ろしさ、

義久の匠な外交・交渉によって島津家は西軍では

異例の本領安堵となった。

 

関ヶ原の後、義弘は若者達の教育に力を注いで

穏やかな余生を贈る。

それでも闘志は衰えず、体が弱ってひとりでは立つことも歩くことも

食事を取ることも不可能になっても家臣が

「戦ですぞ」と声をかけると義弘は目を見開き、

普段からは考えれられない量の食事を取った。

義弘は85歳で畳の上で大往生を遂げ、この世を去った。

 

人物

戦場では勇猛で大胆かつ怜悧だがとても慈悲深く、

戦が終われば敵味方の区別なく冥福の祈って鎮魂のための塔を建てた。

 

普段は大らかで気さく。

一兵卒と囲炉裏を囲んで暖を取って寝食を共にし、

家臣に子が生まれれば父母共々館に招き入れて誕生を祝い、

元服すればひとりひとりに「父に似て素晴らしい働きをするぞ」

「父より優っているから手柄を立てられるぞ」と祝辞を贈っている。

 

愛情深く家族想いで関ヶ原から薩摩へ撤退するときでも

大阪の妻子を救出してから薩摩へと向かっている。

愛妻家で特に宰相殿と呼ばれた妻を愛し、

たくさんの愛情あふれる文を送っていて中には

「貴女からの手紙が届かないから見捨てられたのかと思ってしまう」という

女々しくもどこか微笑ましいものまである。

 

とても実直で秀吉がどれだけ義弘を厚遇し、

兄である義久を冷遇しても「自分は義久の臣」だということを曲げず、

義久を尊重して忠勤を尽くした。

この実直さから福島正則などの武闘派の武将たちから

とても尊敬されている。

 

和歌・古典文学に親しみ医術、茶の湯にも精通している

一流の文化人でもある。

茶の湯は千利休から印加を伝授されるほどの腕前。

医術は外科手術と薬作りを得意として家臣や雑兵達の治療を

自ら率先して行い、怪我を負ったものへの往診も行っている。

 

猫の目で時刻を知るために戦場へ連れて行っており、

慶長の役でも猫を七匹連れ、生き残った二匹を

猫神として祀っている。あと普通に猫好きでもある。

 

一人称は「儂」もしくは「俺(おい)」。

豊久よりは標準語で話せるが方言が多々出る。

白髪の精悍な顔立ちで鍛えられて引き締まった体をした60歳代の男性。

カルデアでも多くのサーヴァントたちから信頼され、慕われており、

マスターを認め、先達として導きながらも

その武勇と忠誠を惜しげもなく振るっている。

バーサーカー達の暴走が義弘がいるとすぐに治まるので

とても感謝されている。

 

人間関係・サーヴァント関係

・島津義久

島津四兄弟の長兄。

祖父から「三州の総大将たるの材徳自ら備わり」と評された。

温厚だが深謀遠慮な人物で

戦場にはあまり出なかったが義弘達を支え続け、

徳川家康が認めるほど領主としても政治家としても超一流の人物。

西軍の島津家の本領が安堵されたのは義弘達の示した武勇と同時に

義久の大胆かつ匠な外交・交渉術によるものが大きい。

領主である義久と武将である義弘の立場の違いによる

意見の食い違いはあったがどんな苦境でも兄弟の絆は変わらず、

義弘は義久を主君として敬い、兄として慕い、

義久も義弘を武将として信頼し、弟として愛した。

成り上がりであり、なによりも弟二人が死ぬ原因でもある

秀吉を心から嫌っている。

 

・島津歳久

島津四兄弟の三男。

祖父から「始終の利害を察するの智計並びなく」と評された。

目立たないが智謀に長け、参謀として兄や弟を裏方で支え続けた。

先見の目もあり、秀吉が九州征伐に趣いたときは

その手ごわさを理解していち早く恭順すべきだと意見している。

しかし秀吉への徹底抗戦が決まると四兄弟の中で

一番最後まで抗った。

そのことを秀吉に疎ましく思われ、島津家の力を削ぐ目的もあって

なかば言いがかりの形で兄の義久に歳久を追討の命がくだる。

病のために自害もできず、義久は断腸の想い歳久を討った。

死ぬ直前に「女もお産の時に苦しい思いをするであろう。

自分の死後はそういった女の苦しみを救ってやろう」と言ったことで

安産の神様として信仰されている。

 

・島津家久

島津四兄弟の末っ子。

ひとりだけ腹違いだが兄弟仲は非常に良い。

妖怪首置いてけの親父っど。

祖父から「軍法戦術に妙を得たり」と評された。

兄である義弘が嫉妬するほどの戦上手で武勇に優れており、

島津軍で最も「釣り野伏」を得意としていた。

fete世界では家久の武略を恐れ、島津の力を削ぐために

腹違いだから義久や義弘達の怒りも少ないだろうと判断した

秀吉によって毒殺されている。

 

宰相殿

義弘が最も愛した妻。本名はあかし。

義弘が鷹狩りに出たときに川で大根を洗っている宰相殿に出会い、

その大根を所望すると宰相殿は菅笠を脱いで頭の触れていないところを

凹ませ、そこに大根を載せて差し出した。

その気遣いに義弘は惚れ、夫婦となった。

いわゆる恋愛結婚でとてもラブラブ。

宰相殿自身、心優しくも芯が強い女性で大阪で捕らわれているとき、

義弘の邪魔になるならなんの躊躇もなく自害する気まんまんだった。

 

・立花宗茂

大友攻めのときに立ちはだかった好敵手。

父である高橋紹運を島津との戦で亡くしていたが

関ヶ原で敗戦した島津を討つどころか自ら護衛を申し出てくれており、

おかげで妻子を救出して薩摩に戻れたので深く感謝している。

薩摩に帰還した義弘も宗茂の居城である柳川城が

東軍に包囲されていると知ると自発的に援軍を送っている。

 

・石田三成

九州征伐での領地安堵や検地で世話になり、感謝していて

そのため関ヶ原では最初から西軍として参戦する。

兵数の少なさから軽く見られることは気にしなかったが

夜襲を提案しても「卑怯だからやらない」と言った三成に

「これは西軍の負けだ」と確信したので義弘は最初から動かなかった。

 

・豊臣秀吉

秀吉は義弘の性格と武勇を気に入っていた。

義弘は秀吉の力は認めつつも弟二人が死んだ元凶のために

内心では嫌っている。

 

・長尾景虎

景虎は義弘の武略と人としての器に感嘆し、尊敬している。

義弘もかの上杉謙信が女性であることに驚きつつも

その実力も認めて尊敬しつつも年下の女性としても扱っており、

景虎は反発せずに照れくさく感じながらも嬉しく思っている。

 

・森長可

互いに茶の湯を好むのでよく一緒にお茶をしていて仲が良い。

義弘は普段でも長可となんの問題もなく意思疎通できており、

長可をやんちゃな甥を見るような暖かい眼差しで見ている。

長可は戦いで義弘の指示に豊久と共に嬉々として従っている。

 




島津豊久(ドリフターズ)
漂流者の妖怪首置いてけ。
自身の知る義弘とは外見は違うが中身をそっくりと感じ、
おじ上と呼んで慕い、懐いている。
義弘も自身の知る豊久とは姿は違うが中身はそっくりと感じ、
可愛がり、ときに叱っている。
豊久を上手くコントロールできているのでノブさんに驚かれている。

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