誰にも教えることが出来ない。
全てを行使できた。
そこまでしてやりたいことなどない。
全てを把握した。
実践する気概もない。
全てを実行できた。
結果は解りきっている。
全てが意のままだった。
自身の意などどうでも良かった。
全てが思いのままだった。
何かを思うのが億劫だった。
そんな果てに──
白金の魂が齎す、無垢金の星の輝きを見た。
「『全知の器、全能の魂』。肉体、精神、魂。錬金術に連なる理論で自らの不理解と超越性を彼、彼女は人間に説明したと記録に残っている。肉体を器に、全知は精神、魂にはそれを行使する機能を有していたのがこの聖杯の元となった人物、アカシックだとされる」
モリアーティは既に、これがどんなものかを大体は把握していた。何故ならばアカシックに任されていた自由時間に、アカシック自身が書き記していたからだ。アカシックは、自身の末路と誰かが再びここに至ることすら見抜いていた。紙の裏に適当に書かれていた文字は、この施設のどんな資料より簡潔で明瞭であったのだ。
【肉体、魂、精神が揃って全知全能だとするならば、今のこれは空虚な器に過ぎない。魂はアジーカちゃんの例のようにどこかへ消え、肉体に宿る精神は肉体の死と共に消失した。あるのは、全知全能を振るう鍵にして座…つまり、肉体を元にして造られたこの聖杯と言うことだね】
ニャルが言うには、ここに相応しき魂と精神が宿れば再び全知全能が起動するというのだ。その資格を有する者、それこそアカシックが『至尊の魂』と呼ぶ存在なのだろう。
「そして更に驚愕な推測が、この聖杯は宇宙の法則や剪定といった干渉を阻んでいるとされるものだ。つまるところ、この聖杯が存在する時空…つまり、藤丸立香のいるような汎人類史とはまた違う人類史を歩ませる力があるとスタッフ達は見据えたとされる記述がある」
「…つまり、『この聖杯を有している時空こそが、汎人類史である』という事ですか?」
【事象や因果だけを言うとそうなるな。そもそも汎人類史というのは向こう100年の繁栄が保証されたものをいう。完全にアカシックを使えるのなら、この聖杯から繁栄の障害の排除方法を引き出せばいい。行き止まりは行き止まりでなくなり、次なる繁栄は約束される訳だ】
資格あらば繁栄を約束する聖杯。資格なくば世界を終わらせる全能。改めてオルガマリーは、目の前に存在する人類史最大のブラックボックスに生唾を飲み込む。
「そう悪いことばかりではないヨ。全知全能とは汎人類史全ての事象を観測し把握している。それは当然、異聞帯の成り立ち、原因、分岐点といったものも然りだ」
「!それでは…!」
【そう、極論を言えばアカシックを手にした歴史こそが正しき歴史だ。これがもたらす因果と結果を正しく実現できれば、どのような行き止まりも打破できるだろう。要するに、この聖杯は異聞帯にとっての大いなる希望なんだね】
モリアーティ、ニャルが太鼓判を押す。この聖杯は、異聞帯と汎人類史が総力と全身全霊を掛けて奪い合うに相応しい存在だと。これを手にしたものこそが、宇宙の覇者であるのだと。
『…特異点攻略の間でも呼び出すのも当然ね。これほどのもの、知らなかったで済ませていたら大変だったわ』
アイリーンの言葉に頷き、オルガマリーはしばしアカシックの肉体を見やる。
「……」
彼、あるいは彼女は全てが見えていたのだろうか。遥か超越者の座にはじめから座らされ、触れ合うことも成長することもなく死して、全能という概念を有したのだろうか。
『でも、意外と言えば意外ね。ジェームズもニャルさんも、独り占めしたがるタイプかと思っていたけれど』
アイリーンの言葉に、二人は大げさに肩をすくめたり、やれやれと手を振る仕草を見せる。どちらも笑顔だが、冗談じゃないといった様子で、聖杯に未練を見せる様子は無い。
【最愛の家族と、それを取り巻く善き人々が生きていく光溢れる世界。私が今持つ宝に比べたらアカシックに張り付いた全能なんぞなんの価値も見いだせないね。要するに私は、全能より家族と過ごす明日のほうが大切なのさ】
「私は既に生涯の大願、ホームズへの完膚なき勝利を果たしている。アイリーン、オルガマリー。君達と共にネ。そしてリッカ君に正義の味も教えてもらった。勝利の美酒、正義の尊さ。これに勝る願いなどあるものか。つまり…今の私に願いなど無いのだヨ!ルーラー適性獲得できたかもしれない!」
【まぁそんな訳で、私達はそんなにこの存在に興味がない。だが、君はそうではないかもしれない。魂だけとなった君なら、ワンチャンこれを起動できるかもだぜ?】
ニャルのからかいめいた言葉を真に受ける程、オルガマリーは無知ではない。自分は自身を至尊の魂と思い上がってはいない。
「君はカルデア所長であり、サーヴァントではない人間だ。だからこそ君が決断したまえ。アカシックを…全知全能を如何にするのか。我々はスタッフとして、所長に報告したにすぎないのだから」
もし本当に起動を果たせれば、オルガマリーは比類なき全知全能、即ち神の座を手にするだろう。…ある意味で、ここも汎人類史における分岐点であった。
「………」
オルガマリーは目の前に記されたメッセージを見やる。至尊の魂、君を待つ。それは、アカシックという存在が見出した狂おしい程の希望だったのだろう。
「…全てを知り、全てを行える。世界に知らぬことや不可能は何一つなく、それ故に陥ったであろう既知の牢獄」
それは、かの存在が人である事を意味する。全知全能を有しても、神の座に至っても、人はあくまでも人であったのだ。ならば…
「──それを覆した存在に会わせてあげることが、カルデアス所長として、『スタッフ』たるこの方にしてあげられる事でしょう」
「…あぁ、成程」
オルガマリーはアカシックを、聖杯としてもましてや道具としても見ていなかった。かの存在を魂を有する『人』、即ち『カルデアスタッフ』と定義しその願いを尊重する決断を下した。
「ニャルさん、教授。私も同じよ。ギルやアイリーン、リッカにマシュ。ロマニ、副所長やシオン達と歩む今を捨てた『もしも』、例えそれが神の座であろうとも。私がそれを選択するのはありえない。何故なら…」
そう、何故ならば。
「皆がいて、今の私がいる。今更一人ぼっちの神様になんか真っ平御免よ。リッカ風に言うなら『クソ喰らえ』ってやつね」
以前の彼女ならば、自らを侮り見下した世界に復讐する事を考えたかもしれない。神に至り、全てを思うままにしたかもしれない。
だが──少なくとも、今ここにいる彼女は『今』を愛しているのだ。困難だらけでも、安らぐ暇がないほど忙しくとも。当たり前の日々こそ、全知全能よりもずっとずっと素晴らしいと信じられている。
「──────」
真に賢きものが、真なる全てを手にする。全知全能を前にして、なお自らの責任や人生から逃げない選択をしたオルガマリーの人間力は、正しい意味で最高レベルに至ったとモリアーティは確信する。
「すぐにギルに連絡します。この存在が今、この世に在るべきなのだとしたらそれはかの姫の傍ら、王の宝物庫に他ならないわ」
もう未練はない。そう告げるように全知全能に背を向けギルに連絡を取り、報告書を書き始めるオルガマリー。
【…素敵で、立派な娘さんですね。モリアーティ教授】
「そりゃあそうだとも。彼女達がいれば、シャーロック・ホームズにすら勝てるほどの逸材なのだから。君の娘と同じくらいに素晴らしいとも」
『君の娘より』と言わないところが、モリアーティとニャルが仲良くできているリスペクト同士なのであることは言うまでもない。
…奇しくもこの選択により、この時空の『終末の獣』は姿を消すこととなる。この決断は、未知なる歴史へと漕ぎ出すさらなる一歩となった。
『…オルガマリー』
「どうかした?」
『ふくよかになったわね、心が』
「…ダイエットは身体に悪いので、このまま脂肪はつけたままにしておきます」
こうして、突如見つかった『全知』は、ギルの宝物庫へと納められる事となる。
「それより皆今頑張っているのだから、速やかに現場に復帰するわ!報告書、二人とも手伝ってください!」
所長の、人類史を左右した英断と共に。
─────アカシック……
…そして、その英断はもたらす。
──長い間、本当にお疲れ様でした…。
汎人類史に、真なる開闢の目覚めを。
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