人理を照らす、開闢の星   作:札切 龍哦

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いつも思い出すのは、幸せそうな家族の後ろ姿。


お父さんとお母さんに愛され、幸せに笑う子供。


私には無かったもの。


どうして私には与えられなかったんだろう?

どうして私には、当たり前が許されなかったのだろう?


私はそんなにも悪い子でしたか?

私はそんなにも、いけないことをしましたか?


沈みゆく夕陽と、彼等の後ろ姿をいつまでも見つめていて。


あぁ、今ならとても素直な気持ちが言えるでしょう。

母に失望され、父に疎まれる。

こんな事を言っても、どうせ怒られもしないだろうから。


私は…

産まれてきたくなんて、これっぽっちもありませんでした。


失意の龍

【さてさて、噂の人類最悪のマスター…巷では龍と呼ばれているようじゃが。その名を冠する者の抱く失意とはどのようなものか、どういったものか。しかと拝見させてもらうとするかの】

 

失意の庭、ロストウィル。他者の悪意ではなく、自身が心に懐く失意を引き出し心を引き裂くもの。地獄における固有結界をダウンスケーリングしたものであり、一切の希望を断ち切らせるための処置空間。そこに足を踏み入れたリッカの煩悶を味わわんと、舌舐めずりを隠さぬヴリトラ。

 

【万全な環境にて、何をもって失意とするか。満たされている中、なおも埋まらぬ失望とは何か。興味が尽きぬ命題よ。まぁ、人の身を極めた身空ゆえに予測はできぬが…】

 

それはきっと美味である。それはとても甘美である。人が苦悩し、思い悩む姿は胸を打つ。きっとそれは素晴らしい失意であろう。邪龍は確信を持っていたのだ。

 

【き、ひ、ひ。安心せい。言い触らしたりはしないでな。…に、しても…】

 

期待に胸をときめかせていたヴリトラであったが、彼女の望む展開と光景がいつまでたっても広がらないことに違和感を覚える。この礼装は悪辣であり、中に閉ざされた者の姿を第三者が見ることができるのだ。

 

無論それはヴリトラの失意も引き出すものであったが、彼女にとって自身の失意など取るに足らぬくだらぬものだ。竜が己の成すことに悔いや迷いを持つものか。精々、期待していた人間が折れたがっかりを見返した程度である。

 

人がそんな程度で終わるはずが無いのだ。人は迷い、悩み、後悔し、嘆く生き物だ。身の丈に合わぬ死線に晒されながらも一般的な感性を振り撒く輩が異常であるように、失意や現実の齟齬に悩まされぬ人間などいない。

 

【ンン…?サタンの奴め、手間を違えたか?いや、そんな筈はあるまい】

 

サタンを疑ったが、それは即座に撤回する。あの唾棄すべき傲慢の徒が、自身のやりたいことを手落とすはずもない。奴が直々に、心に触れてみろと渡したものだ。不備などあるはずがないのだ。

 

【藤丸リッカ、一体何処に…?】

 

ヴリトラが怪訝に辺りを見渡す。よもやどこぞに迷い落ちたのではないか、と。それはどこまでも、高みにある視座からの俯瞰であった。

 

────その視座、その高みにいられたのは、この時を以て最期となった。

 

 

【──おう。こっちだぜ、クソトカゲちゃんよ】

 

【ッ…!?】

 

それは、漆黒の空間に響き渡った。いや、それは空間そのものが言葉を発し、鳴動したと言っていい驚異的にして絶対的な暗黒の玉音であった。ヴリトラですら、総身が粟立つ程の声が空間より投げかけられる。

 

【サタンだかなんだか知らねぇが、上から目線で私らを随分虚仮にしてくれるじゃねぇか。自分達だけ楽しいのは良くねぇよなぁ?良くねぇ良くねぇ】

 

【貴様、何者じゃ…ぐっ!?】

 

瞬間、ヴリトラの精神体を暗黒空間そのものが鷲掴みとする。空間そのものが意志を持って握り潰さんとするかのような絶大極まる重圧は、ヴリトラすらも逃れ得ぬ程に絶対的だ。

 

【楽しい事は皆で共有しようじゃねぇか、なぁ?そうすりゃ2倍楽しいぜぇ?足を引っ張り合うアクシデント含め予想外のエブリデイパーティーだ。高みの見物なんてよせよ、なぁオイ?】

【貴様、は…!?】

 

その空間、声の主をヴリトラは見やった。その眼が捉えたものは、その目が見出したものは、彼女に息を呑ませ、戦慄させるには充分すぎるものである。

 

【何って、私だよ。可愛い可愛い藤丸リッカだよ。お前に試練を持ちかけた女子力maxの女の子だよ】

 

その声音は確かにリッカでありながら、恐ろしく楽しげで重厚な、魂魄を揺るがす圧を放っている。金色の眼が煌めき、黒き身体に緋のラインと臨界を超えた蒼き炎が充溢する3対の翼。腕の部分に龍頭の意匠を示すガントレットをつけし、ヴリトラを一握りにするほど巨大なる身体。

 

【まぁ、別名はアンリ・マユとかアジ・ダハーカとかあるんだが…そっちの名前は内緒なんだ。テメェみたいにリッカのメンタルを責めてくるようなヤツをこうして始末する為の秘密ってわけよ?分かるかい?】

 

そう──アジ・ダハーカ・アンリ・マユ。リッカの魂に宿りしゾロアスターの龍であり、リッカの魂の最奥に座する半身。その悪神龍が失意の庭にて目覚め、侵入を果たしたヴリトラを一つまみで捕縛したのだ。彼女の魂は、最早唯人などではないのだから。

 

【っ…ゲーティア、とやらが作り出した悪神か…よもやあの娘、このような劇物を魂に飼っていたとはな…】

 

不可解にして不可能であった。鱗一枚を心に浸せば、即座に魂が腐り落ちるような悪性情報の塊。末期の悪性腫瘍が如き存在を有して正気を保つ。竜の炉心を持つ王でもなき現代の人間がそれを為すなど、あまりにも荒唐無稽に過ぎるのだから。

 

【あり得ないなんてこたぁありえねぇんだよ、ボケ。私はアイツでアイツは私。そんだけだろうが】

 

楽園未履修かテメェは。試練を眺めようと油断しきっていたヴリトラに形勢逆転するセットアップは許されなかった。ミシミシと、握った拳が閉じられ分体が潰れていく。

 

【がっ…く…!リッカめ、あやつこれを狙って…!】

 

【なわけねぇよ。今アイツは失意と向き合ってる。ただ…もうそりゃあ、昔の名残や思い出みたいなもんだ。すぐに終わるようなものでしかねぇ。それを邪魔されないように、私が起きてこうしてテメェみてぇな出歯トカゲを捕まえてる訳だ】

 

その存在強度は圧倒的だ。ヴリトラはわざわざアンリマユの領域に繋がってしまった。リッカの魔力炉心を担うアジ・ダハーカのねぐらに部屋着一つで足を踏み入れたようなものだ。既にアンリマユの存在強度に耐えきれず、失意の庭が軋み始めている。

 

【こっちが起きたのは久しぶりだぜ。ありがとよ?起こしてくれて。んでもって、望み通りに失意を見せてやるぜ】

【何…!?】

 

【ま──失意に沈むのはテメェだがな…!】

 

アンリマユは展開する。ヴリトラの望んでいた形の試練。リッカの見るべきであった失意。アンリマユが見繕った、リッカが感じたことのある埃の被った情動達。

 

戦いが終わった後、お払い箱となる自分。かつての学友が結婚し、子を産み、育てていく中で、カルデアを抜けば何もない自分。平和に居場所がないことに失意を懐く自分。

 

だが──そんなものはとっくに受け止めていた。リッカが触れ合いの中で受け止め、乗り越え、不要となった為にアンリマユが管理していた古き失意。ヴリトラが見たかったものであるリッカの試練にして情動を…

 

【貴、様……!貴様…!!】

 

焼き払った。ヴリトラの期待していた御馳走、楽しみ、失意の庭の全て。それらを蒼き炎で跡形もなく消し飛ばした。それはあくまで失意の庭が引き出したイメージでありビジョンであるが、その威力に堪えきれず、礼装がもたらした空間が砕け始めていく。

 

【いつまでも上から見下ろせるだなんぞ思い上がるんじゃねぇや、タコ。私から言わせりゃ生きてることが、明日を迎える事がとんでもねぇ試練なんだ。今更テメェらの暇潰しに付き合う暇はねぇんだよ、ボケ】

 

これをリッカが直視していたならどのような煩悶が生まれていたか。自身の失意がどれほどの者か。余すことなく味わえた筈だったのに。心に潜んでいた最悪の邪龍に、全てを覆された事実。全てを反故にされた、やり場のない失意。

 

【許さぬ…貴様を断じて許さぬぞ、アンリマユ…!!】

 

それが何より、神に連なる者に阻まれた。笑顔は消え失せ、怒りに滾るヴリトラを涼しげに見返し、アンリマユは嗤う。

 

【こっちのセリフだアホ。テメェらみたいなぽっと出に値踏みされるほど──私らはチンケじゃねぇんでな…!!】

 

失意を踏み潰し、屈辱に怒りを燃やすヴリトラの企みを反故にし、嘲笑いながらアンリマユはヴリトラの精神体をその吐息にて消し飛ばす。

 

【あばよ!コイツぁ私らからの、宣戦布告だぜ──!!】

 

最早リッカは一人ではない。彼女の心には、彼女たらしめる龍がいる。

 

龍を人と侮った。ただそれだけの事で、ヴリトラの楽しみは全てねじ伏せ踏み躙られたのだ──

 

 

 

 

 




リッカ「………………」

リッカには、失意の心当たりがあった。それを今、静かに見つめている。

「お父さん、お母さん!大好き!」

夕陽の土手、手を繋いで帰っていく仲良しな家族。自分には永遠に与えられない、家族とその愛情。日が沈んでも、夜になっても、自分を両親が迎えにくる事はない。

「…なんで、私はこうなんだろう」

あの時、思った言葉を、失意を言葉にする。現実では絶対に口にしなかった、リッカのたった一つの願い。

「産まれて、来なければ良かったなぁ」

母にも、父にも、誰にも必要とされていない。それが、リッカの持っていた根本的な失意。人生への失意、命への失意。

あんな風に、普通に生きてみたかった。

だが──

『リッカ』

振り返る。そこには、かつての小さき自分…否。

希望の龍『帰ろう。皆が、まってるよ』

自分に出来た、大切な者達が象ってくれた…希望の象徴。希望の龍たる彼女が告げる。帰るべき場所がある。待っている人がいる。

『おうちへ、かえろう』

この世界に、ちゃんと。居場所があると。その龍は告げるのだ。

「──うん」

今度こそ、リッカは歩き出す。誰かの家族の背中を見る必要はない。

日が沈んだなら、家に帰る。そんな当たり前が、今のリッカには出来るのだから。

「行こう、アジーカ!」
『ん』

希望の龍の背に乗って、リッカは崩れ行く失意の庭より飛び立って行く。

日は沈み、光は見えなくなったとしても。

──彼女達の道を示す星は、空一面に瞬いている。

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