「あ、あの」
【?……あなたは…!】
エア「音楽が聞こえたので、どちら様かと思ったのですが…お邪魔、でしたか?」
サタン【ギルガメシア姫…!お邪魔だなんてとんでもない!】
「あ、そ、そのように畏まらずに!その、ご迷惑でなければ…」
【…?】
「少し…お話しませんか?」
「そのハープ、ダンテという名前…あなたは音楽、吟遊がお好きなのですか?」
サタンの虚無なる演奏に姿を見せたのは、英雄姫エア。なんの因果か、彼の音楽を聞きつけ、興味を惹かれやってきたのだという。エアはサタンに、とある手紙を出していた縁もありその故を問う。
【はい。これは地獄を訪れたとある詩人が…霊基ごと僕に譲ってくれたものなのです】
ベンチにて空を見上げるサタン。かつて地獄を訪れし物好きな詩人。コキュートスにて幽閉されていたサタンに、彼は告げたという。
〜
『なんだか辛気臭いお顔ですねぇ。地獄の大魔王とはもっと恐ろしいかと思っていましたが』
【…………】
『やはり地獄などという辛気臭い場所にいるから根暗になるんでしょうねぇ。──あぁ、そうだ』
【?】
『あなた、吟遊詩人に興味はお有りで?よろしければあなた、私になってみてはいかがです?地獄から出て、色んなものを見てご覧なさい』
【……?】
『地獄の大魔王がどんな戯曲や感性を育てるのか…興味深ぁい!えぇ、えぇ。その一大楽曲になら!私は大魔王に何もかもを捧げましょう!というわけで頑張ってくださいね、大魔王様。いえ──』
〜
【ダンテは大魔王たる僕に全てを捧げ託しました。プリテンダーとして霊基を全て譲渡した…だからダンテが喚ばれる時、必ず僕が喚ばれる。ダンテはもう、僕なんです。姫様】
「そんな経緯が…やはり発明家や職人気質な方は頭のネジがどこかの空の彼方なのですね…」
エアは驚き、しきりに感心する。彼はダンテなる詩人に、存在を捧げられプリテンダーとして活動が叶った。それは大魔王に力ではなく、活動する理由と動機を与えたのだという。
【ダンテという霊基は、僕が何かを生み出すという契約の下に発生したもの。だけど…先にお聞きしたとおり、僕が生み出せる事は何もありません】
サタンは力なく空を見上げる。リリスの侮蔑は、皮肉にもサタンの心を正確に突き刺していたのだ。今の彼には、何もない。
【楽園の皆の為に何かを作ろうとしても、楽園の無事を祷っても、生み出されるのは空虚な音楽でした。…何故かな。楽園を知る前はそれでも気にしなかったのに。今は…】
「今は…?」
【なんだか、哀しい感じがするのです。僕が好きになったもの、美しいと感じたもの。何かをしてあげたくても、僕ができる事は…何もないんだ】
それは大魔王でも、詩人でもない彼の表情。それが見せられるのは、善悪や秩序、混沌の枠にいない転生者たるエア故のだったのかもしれない。彼の真実の一端、悪魔と天使ではない個は、凪のようだ。
【僕は傲慢と憤怒の化身。何に怒るかも分からず、そうあるから傲り高ぶる。そこには神がそうあれと示したものだけしかない…自分から強く輝ける、皆とは違う】
僕は、美しいといえる自分などない。そう告げるサタンの姿は、知る者が見れば見る影もないだろう。威光も光輝もない、一人の少年の如くだ。それはまるで、夜の闇の如くに虚ろで…
「そんなことはありません。あなたにはあなただけの、素晴らしいものが確かにあります」
そしてその認識は、全てを尊ぶ彼女にとっては全くの間違いだった。彼女は優しく、毅然と彼の虚無を是正する。
「さっきの音楽…確かに抑揚とか、心を揺さぶるといったものではないかもしれません。ですがそれは、他ならぬあなたが奏でたいと願い、演奏したもの。そこにはあなたの想いと心が必ずあったはずです。そうしたいという心が」
【心…】
「そしてあなたは、楽園の事が大好きだと何度も態度で示してくれました。皆のことを美しいと、素晴らしいと何度も言ってくださいました。そう感じる魂は、心は、精神は。誰のものでもないあなた自身のものではないでしょうか?」
サタンの振る舞いを、サタンの言葉をエアは信じていた。故に、手紙に彼女は書いたのだ。『あなたともっとお話したい』という、単純な願いを。
「ワタシもあなたと同じです。楽園の、カルデアの皆が大好きです。皆を生んで、育んでくれたこの世界の全てが大好きです。ワタシとあなたは、同じものを好きになることが出来た。この奇跡を懐いた魂が虚無だなんて、ワタシは絶対に思わない」
【姫様…】
「あなたは恐ろしい大魔王なのかもしれません。神の世を脅かす敵対者なのかもしれません。ですが、そんな肩書きが、あなたの本質を表しきれる筈がない。だってあなたは、愛してくれています。ワタシが大好きなものを。ワタシが尊び、重んじてくれたものを」
心と魂は、誰でもない彼のものだ。誰が作ろうと、誰が当て嵌めようと関係ない。見つけられないなんて絶対にない。何もないなんて絶対にない。
「あなたは、あなたの望むあなたに出会えていないだけだとワタシは思います。きっとあなたは、あなただけの素晴らしいあなたに出会える。…その、差し出がましいのですが」
【?】
「その…年末に至るまで、あなたを見つけるお手伝いをさせてはくださいませんか?実はその、ワタシも以前は無味乾燥の魂でして!皆様に磨き上げられた身分なので、その〜…」
恩着せがましく聞こえてしまうでしょうが、と断りながらも、夜風に靡く金髪を抑えサタンに微笑む。
「ワタシも、誰かを助けたいのです。世界がワタシにしてくれたように、ワタシも誰かを助けたいと願うワタシでありたい。それが、皆様が見出してくれたワタシのカタチだから」
【姫様…】
サタンは何も告げられなかった。彼女の一字一句が、天にて見聞せし福音など及びもつかぬほどに輝いていると感じたからだ。
「ですから、そのぅ…ご迷惑でなければ、あなたを探す手助けをさせていただきたく思い!ます!どうでしょう!?」
ふん、と気合が籠もった様子でサタンに詰め寄る。彼女はまだ年齢一桁の精神年齢でもあるのだ。
【──喜んで】
サタンからしてみれば、自分など及ばぬほどに美しき魂が自らにこうも寄り添ってくれた。現実とも思えぬ至福が、向こうからやってきてくれた。
【喜んで、姫様。短い間ですが、どうかよろしくお願い致します】
その事実に、彼は涙すら浮かべ応えた。その言葉を受け、エアは笑み応える。
「でしたら、ワタシの事はエアとお呼びください。その、魂の名前…真名、でもありますので。そして、あなたの事はサタンではなく…」
そう、エアは決めていた。カルデアではなく、一人の存在として彼に向き合う時は呼びたい名前があったのだ。
「ルシファーさん、と呼んでもよろしいでしょうか?その、ワタシは甘く…誰かを敵視したりするのは苦手で…」
【…!】
「敵対者、ではなく、美しい明けの明星を意味するルシファーという名前でお呼びしたいな、とお手紙にもお書きさせていただいたのですが…ど、どうでしょう?やはり気安すぎるでしょうか?」
あわあわと不覚に陥るエア。どれくらいそうしていたのか、空は既に夜明けを迎えつつあった。
そして、サタンは…大魔王は見たのだ。
【────…】
エアの頭上に輝く、明けの明星。美しきものを優しく照らす、煌めく星の姿を。
そう…それは、自身が口にはしていても意味を忘れていた名前。明けの明星、美しい誰かを、もっと美しく照らす名前。
【…いえ。そう呼んでください。ルシファー…明けの明星。あなたにはそう呼んでほしい。意味を思い出させてくれたあなたには】
ルシファー。それは空に輝く明けの明星。それが神に与えられたものだとしても…
「良かった!それではこれからよろしくお願い致します、ルシファーさん。いつかそのハープに、あなたの美しさを宿しましょう!」
【えぇ、あの、その…エアさん。僕もそれを、心から望みます】
彼が照らしたいと願うもの。彼が照らし見いだせるもの。美しいものをより美しくできる力は、自分だけのものだから、
サタン…ルシファーはエアを丁重にカルデア貸し切りホテルに送り届け、白んだ空を一人歩く。
【見つけよう。エアさんの思い遣りにかけて、自分だけの美しさを、終末の時まで】
そうして出来た戯曲は、彼女やカルデアの皆に気に入ってもらえる美しいものだろうか。その瞬間の為に、自分は懸命に日々を送ろう。
エアがそうしてもらったように──ルシファーの名前の意味を思い返した彼の顔は、朝焼けのように晴れやかだった。
ルシファー【…エアさんや、リッカちゃん。オルガマリーやマシュ、ギルガメッシュ。】
(美しいものが、より美しくありますように)
サタン…ルシファーはただ、ありのままに願い琴を奏でた。
バアル【──サタン様】
ルシファー【ん?】
バアル【美しい、音色ですな】
ルシファー『…そう?』
ルシファーがただ、なんの気もなしに指を這わせただけの音階が…バアルが聞き惚れるほどに、美しい響きであったという。
〜
エア(見つけましょうね。あなただけの美しさを!)
「…くしゅ!」
ギル《たわけ、朝は冷えよう。ココアがある、身体を暖めて眠るぞ》
フォウ(ボクもぬくさを保持しているぞぅ!)
──ありがとうございます、二人共。お願いを聞いてくださって!
フォウ(分かり合えないまま戦うなんて辛いからね、叶うなら、お互い悔いなくだ!)
ギル《お前の発破で大魔王はどう変わるか。その変質もさぞ面白かろう。思うままに動け、エア。我はそれを愉しむのみよ》
──はい!
エアもまた、空を見上げる。明けの明星は、開闢の星とは違えど同じ美しさを空へと瞬かせていた──。
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