改めて日曜日から、更新を再開させていただきます。本当にすみません。日曜日には必ず執筆を始めますので…!
・真名:大谷吉継
・クラス:
・立ち位置(案):味方
・性別:男
・イメージCV:松岡禎丞
・出典:史実
・地域:日本・越前国
・属性:中立・中庸・人
「大谷吉継、参上した。これより、あなた方の力となろう」
・ステータス
筋力:B-、耐久:C、敏捷:D+、魔力:A+、幸運:C、宝具:EX
好きなもの:友、民の笑顔
嫌いなもの:病
・クラススキル
陣地作成 B
キャスターのクラススキル。自らに有利な陣地を作り上げる。“工房”を形成することが可能。
軍師として、自軍に有利な陣地を構築することに長けている。
道具作成 D
キャスターのクラススキル。魔術的な道具を作成する技能。
吉継の道具作成スキルはそこまで高くないが、実はちょっとした呪具的なものなら作れたりする。使われたあなたは、3年以内に祟られてしまう…かもしれない。
・保有スキル
病弱 B
天性の打たれ弱さ、虚弱体質。吉継の場合、沖田総司などと同様、生前の病に加えて後世の民衆が抱いた心象を塗り込まれたことで、「無辜の怪物」に近い呪いを受けている。
保有者は、あらゆる行動時に急激なステータス低下のリスクを伴うようになる、デメリットスキル。発生確率はそれほど高くないが、戦闘時に発動した場合のリスクは計り知れない。
…ただし、吉継は病を押して関ヶ原の戦場に立ち、またその死因は病ではないことから、沖田のそれよりはランクが低い。
軍師の指揮 A+
軍師系サーヴァントに与えられるスキル。自己を含めた軍としての力を最大限に引き出す。
A+ランクであれば、死を覚悟し命尽きるまで戦うことを決意した死兵に等しい力を持つ。
吉継は、かの豊臣秀吉に「百万の兵を指揮させてみたい」と評させるほどの手腕を持っていた。
軍師の忠言 A
軍師系サーヴァントに与えられるスキル。状況を把握、分析することでより味方側に正しい助言を与えることができる。
ランクが上がれば上がるほどその助言の正しい確率は向上する。Aランクであれば天変地異レベルの不測の事態を除けば100%的中する。これに対抗するには、相手方にあらゆる分析を打破するレベルの幸運やスキルを持つことが求められる。
呪術 C+++++
古来からアジア、中東、南米などに伝わっている魔道。あるいは古典的呪術の類。
吉継の扱える呪術は一般的な呪術師並程度のものだが、本気で恨みを抱いた相手に対しては、恐ろしく強力な呪いをかけられる。例えば、3年以内に相手を確実に呪い殺す、とか。
騎乗 C
正しい調教、調整がなされたものであれば万全に乗りこなせ、野獣ランクの獣は乗りこなすことが出来ない。戦にて軍馬に乗るには必須のスキル。また、関ヶ原の戦いでの吉継は、病に侵され目を患っていたため、輿に乗って参陣したとの逸話も残る。
一刀流剣術 B-
伊藤一刀斎が開祖となった剣術流派。吉継は一刀斎と師弟関係で、彼から剣術を指南されていたこともありその技を扱えるが、「病弱」スキルが足を引っ張ってしまっている。身体が万全に近い状態であれば、その剣術の腕前も十分に振るえるのだが…。
カリスマ D
軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。カリスマは稀有な才能で、一軍のリーダーとしては破格の人望である。
・武器
敦賀正宗:吉継の刀。敦賀城主であったことからこの名が付いた。ちなみに、現代では現存していない。
槍:一般的な槍。吉継はこれで敵将を討ち取ったという武功が記録に残されている。
采配:指示を出す際に使う指揮具。厳密に言えば武器ではない。
軍馬、輿:病弱な吉継が移動用に用いる。病が進行して目を患っている状態では輿を使うが、そうでなければ軍馬を使って戦場を駆けまわれる。
・宝具
『
ランク:B++ 種別:対軍宝具 レンジ:1~200 最大捕捉:5700人
「我が将兵たちよ…今一度、この吉継に付き合ってくれ」
天下分け目の戦・関ヶ原の戦いにおいて、吉継もその兵も、その死力を尽くし最期まで奮戦したという逸話から転じた宝具。
息子の大谷吉治や、湯浅五助や平塚為広らを始めとした、自身の配下の将兵を召喚し、吉継が直々に指揮を執る。戦況が不利であっても彼らの闘志は尽きることなく、むしろ苛烈な戦況を覆さんと奮戦し、より能力が向上する。
『
ランク:EX 種別:対軍宝具 レンジ:不定 最大捕捉:1000000人
「我が用兵の粋…今こそ、見せる時!」
天下人・豊臣秀吉に、「100万の兵を指揮させてみたい」と言わしめた吉継の用兵の妙、それを十全に発揮する宝具。前述の『
また、指揮下にある味方の能力を飛躍的に向上させることもできる。
ちなみに、この宝具の応用で、自身以上に優秀な指揮をする者がいれば、その者の指示を代わりに全軍に通達することもできる。
・概要
戦国時代~安土桃山時代の武将・大名。豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城城主。
その生まれには諸説あるが、近年では、六角氏の旧臣・大谷吉房の子として生まれた、と言われる。母は、秀吉の正妻・高台院(ねね)の取次役・東殿である。
秀吉がまだ織田家臣であり、長浜城主であった頃に、秀吉に小姓として仕える。その後、上月城救援や三木城攻め、備中高松城攻めに従軍した。
本能寺の変で信長が横死した後、賤ヶ岳の戦いでは、その時の長浜城主であり柴田勝家の養子・柴田勝豊を調略し、内応させた。その後、紀州征伐に従軍した際には、最後まで抵抗した杉本荒法師を槍で討ち取った。
秀吉が関白になったのち、吉継は従五位下刑部少輔に叙任される。このことから「大谷刑部」と呼ばれるようになった。九州征伐や堺の統治においては、兵站奉行や堺奉行に任じられた石田三成の配下として、功績を立てた。文禄・慶長の役では、船奉行・軍監としてその手腕を発揮したほか、諸将の指導や現地報告、明からの和平使者との面会への立ち合いなどを行った。
…そして、慶長5年、徳川家康が、会津の上杉景勝に謀反の嫌疑があると主張し、上方の兵を率いて上杉討伐軍を起こす。吉継は家康とも懇意であり、この討伐軍に加わるべく兵を率いて領国を発ち、その道中、三成の居城・佐和山城に立ち寄った。この時吉継は、三成と家康を仲直りさせるべく、三成の嫡男・石田重家を自分の軍に従軍させようとしたが、そこで三成に、対家康の挙兵を持ちかけられた。吉継は再三にわたり、無謀であり、三成に勝機はないと反対・説得したが、三成の決意は固く、敗戦覚悟で、その熱意に応えるべく、息子達と共に協力し、西軍に加わった。
西軍首脳の1人となった吉継は、敦賀城に戻ると、東軍の前田利長を牽制すべく、丹羽長重を始めとした越前国・加賀国の大名を調略し味方に引き込んだほか、偽情報で利長を動揺させ、彼と戦った。
その後、脇坂安治・朽木元綱・小川祐忠・戸田勝成・赤座直保らの諸将を率いて、美濃国での「関ヶ原の戦い」に参陣。病の影響もあって後方で軍を指揮しつつ、東軍の藤堂高虎や京極高知を相手に奮戦した。
正午、松尾山に布陣していた小早川秀秋の軍15000が東軍に寝返り大谷隊を攻撃してきたが、吉継は予めこれを予期しており、これを直属の兵や諸将と協力し2、3度と押し返す。しかし、追撃せんとした吉継であったが、秀秋の内応に対応させるつもりでいた脇坂・朽木・小川・赤座の4隊4200人が東軍に寝返り、突如として反転し大谷隊を攻撃。これによって、東軍と小早川・脇坂らの包囲を受ける形となり壊滅、吉継自身も自害することとなった。吉継の敗北は西軍崩壊の端緒となったとされる。
自害した吉継の首は、側近である湯浅五助の手により関ヶ原に埋められ、東軍に発見されることはなかったとされるが、その五助は東軍の藤堂高刑に捕らわれ、吉継の首を埋めた場所を話したうえで「供養してほしい」と頼みながら討たれた。これに感銘を受けた高刑とその主君・藤堂高虎は、その願いに応え、吉継の首を家康に届けることなく、吉継の墓を作ったという。
・人物
病に侵されながらも、義に厚く、配下や領民に慈悲深く、思慮深い。また、頭脳明晰かつ有能でもあり、家中の統制もよく行き届き、配下や領民からも深く慕われていた。世のため人のため友のため、その力を尽くす義の人。
友情にも厚い人物で、三成に敗戦覚悟で協力したことからもそれがうかがえる。ただし、友だからこそ、言うべきことは遠慮なく言うタイプの人間でもあり、三成に「お前では家康に勝てない」「お前では人望がなく人が集まらないから、毛利輝元や宇喜多秀家を総大将に立てろ」などというなど、諌言も素直に行う。また、生来の価値観であったのか現世に来て変わったのか、友が間違った道に進んでしまったならば、それでもなお支えるのではなく、その友の道を、張り倒してでも正そうとする気概もある。生前は戦国の世であったればこそ、負けると分かっていながら三成の熱意に力を貸したが…。
・関連人物
石田三成:親友。少なくとも、吉継はそう考えていた。とある茶席で、吉継が飲んだ後の、諸将が避けていた茶を三成が気にせず飲み干したというエピソードもある。彼の美点も欠点も知りながら、それでも友誼を深め、生前はよく彼を支えた。
「三成…あいつは、間違いなく俺の友だった。一方的な友誼であったならば悲しい事だが、それでも、あいつと共に駆け抜けたことに悔いはない」
豊臣秀吉:主君。よき主君と思い仕えていたが、老年期の耄碌ぶりには呆れ果てていた。
「秀吉様は…まあ、よき主君ではあった。少なくとも途中まではな。とはいえ、豊臣の崩壊の原因が誰にあったかと言われると……いや、皆まで言うまい。きっと、マスターには分かっているはずだ。三成には、このことは言わないでくれよ」
湯浅五助:自身の側近。自害した後、自分の首を守り抜いてくれた人物。特に信を置く家臣。
「五助は俺の自慢の家臣だ。サーヴァントとなってまで俺に従ってくれることは、とてもありがたい」
平塚為広:関ヶ原で自身の軍に属し、死の前には辞世の句を交わし合った武将。佐和山城にて共に三成に諌言した仲でもある。協力してくれたことに感謝している。
「平塚殿も、関ヶ原で共に戦った同志だ。あの時別れた武士と、また共に戦えるとはな…」
大谷吉治:息子。関ヶ原でも共に戦ったが、吉継の死後は大坂に落ち延びた。後に大坂の陣に豊臣方で参戦し、討死した。親子間の関係は良好。
「吉治…俺の死後も、豊臣に尽くしてくれたのだな。此度は最後まで父も一緒だ。お前の力、貸してくれるか?」
島左近:自身と同じく、三成を支えた人物。こちらは三成の直接の家臣。共に三成を支えつつ、その労苦を労っていた。
「左近…あいつは、『三成に過ぎたるもの』の名に相応しいほど、三成をよく支えてくれた。味方であれば頼もしいのだが…」
小早川秀秋:関ヶ原で戦った裏切り者。自害の際、彼に呪いをかけた。…が、流石にちょっとやりすぎたかな、と思ったりしている。本人曰く、天下分け目の戦のノリでテンションがバグって、らしくもない事をやらかしちゃったのだとか。
「小早川秀秋…お前も知っているか?そう、関ヶ原で裏切った彼だ。…とはいえ、後から知ったことだが、あちらにも事情はあったし、豊臣や三成への悪感情は強かったはずだ。あんな呪いをかけたのは、流石にやりすぎだっただろうか…?」
脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保:関ヶ原で、秀秋の抑えに置いておいたはずが裏切った者達。どうせ呪いをかけるならこっちにしとくべきだったかな、なんて思っている。
「脇坂、朽木、小川、赤座……呪いをかけるなら彼らにすべきだっただろうか…」
藤堂高虎、藤堂高刑:自身を埋葬してくれた敵将。その事を召喚されてから知り、感謝の念を抱く。
「藤堂、か…。彼らには感謝している。敵方であった俺を、弔ってくれたことを」
竹中半兵衛、黒田官兵衛:秀吉に仕えた軍師の先達。彼らの力量を吉継はよく知っている。
「半兵衛殿、官兵衛殿…後世に『両兵衛』と呼ばれた方々だな。ああ、あなた方が味方ならば心強い。その策、頼みとさせて頂きましょう」
鳥居元忠:伏見城の戦いにて西軍の動きを大いに阻害した猛将。敵ながらその在り方を大いに称賛している。
「鳥居元忠…ああ、知っているとも。伏見城の守将だった男だ。なに、恨み辛みはないさ。主に忠誠を誓い命を賭したその在り方、見事の一言に尽きる。…ああいう男を惹きつけていたことも、家康公の優れていた点のひとつだろうな」
諸葛孔明〔エルメロイⅡ世〕、司馬懿〔ライネス〕:中国・三国時代の名軍師…が、現代の魔術師に憑依した姿。軍師としても魔術師としても、頼りがいのある人物と認識している。
「かの名軍師と共に戦えるとは…。それも、依代は共に、本職の魔術師だというではないか。軍師としても、魔術師としても先達といえよう。頼りにさせていただきたい」
陳宮:中国・三国時代の名軍師。ただ、その策の奇抜さ(?)にはちょっと引いている。
「陳宮殿…彼も優れた軍師だと聞いている。…が、『突っ込んで自爆』って、それは策なのか…?」
(ネタバレ注意!)
・立ち位置(案)・真:味方。『ぐだぐだ新邪馬台国』にて、石田三成の暗躍を知って、それを止めるべく楽園カルデアに協力。生前の友だからこそ知る三成の手をあらゆる方法で潰しにかかる、いわば三成メタサーヴァント。
・関連人物
石田三成:新邪馬台国治部少輔となり、豊臣の復活に動かんとする三成を、吉継は止める立場で現れる。後世に生きる、無辜の人々の為に。
「三成。確かに、豊臣は滅びた。だが、その豊臣の栄枯盛衰も、確かに未来に繋がっているのだ。…だからこそ、俺はお前を止める。お前の独りよがりで、未来の民に危害を及ぼさせはしない」
クコチヒコ:狗奴国の「獣の剣」。三成の友になってくれたことに感謝している。
「クコチヒコ…といったか。三成には手を焼くだろう?だが、よろしく頼む。あいつは、しっかり周りを固めてやらないとだからな。…あいつの友になってくれたこと、感謝する」
山南敬助、明里:三成が人質を取って従わせていた人物と、その人質。三成が迷惑をかけて申し訳ない。
「山南殿、明里殿…あなた方には、我が友が大変ご迷惑をおかけした。代わってお詫びしよう。誠に申し訳ない」
アナザーガタックさん、ありがとうございました!
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