人理を照らす、開闢の星・序章〜awakening,precious,star〜 作:札切 龍哦
残業でした!
執筆する暇がありません!日をまたいでしまいます!
マテリアルの力をお借りします!
大変申し訳ありません!!
残業なんてクソ喰らえ!!
よろしくお願いします!
それではどうぞ!
名前 大島光義
クラス アーチャー
性別 男性
ステータス
筋力 C 耐久 B 敏捷 A++ 魔力 E 幸運 A++ 宝具 C
クラススキル
対魔力 C
魔術に対する抵抗力。一定ランクまでの魔術は無効化し、それ以上のランクのものは効果を削減する。サーヴァント自身の意思で弱め、有益な魔術を受けることも可能。
Cランクでは、魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。大魔術・儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。
単独行動 A
弓兵のクラス特性。
マスターとの繋がりを解除しても長時間現界していられる能力。依り代や要石、魔力供給がない事による、現世に留まれない世界からの強制力を緩和させるスキル。
保有スキル
心眼(真) A
修行・鍛錬によって培った洞察力。
窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。
逆転の可能性が1%でもあるのなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。
不撓不屈 EX
超人的なタフネス及び精神性。発動時には、パラメーター内の耐久のランクを一時的にA++ランクにまで上昇させる。
天性の肉体 D
生まれながらに生物として完全な肉体を持つ。このスキルの所有者は、一時的に筋力のパラメーターをランクアップさせることが出来る。
さらに、鍛えなくても筋骨隆々の体躯を保つ上、どれだけカロリーを摂取しても体型が変わらない。
環境変化による肉体の影響を受けず、常に最高の状態が保たれる。
齢93歳という高齢にもかかわらず、関ヶ原の戦いに参戦可能な肉体を維持していた事からこのスキルを有する。
我が弓、防ぐに能わず EX
樹影に隠れた敵を射、樹を貫いて首を射抜き、別の敵兵がその凄さに感動し、その樹を矢を抜かず切り、首と共に大島光義の許に送ったとされる逸話がスキル化したもの。
大島光義の前には並大抵の遮蔽物は意味を成さず、遮蔽物越しに正確に敵を捕捉し、遮蔽物を貫いて敵の急所を射抜く事ができる。
自身にクイック性能、クリティカル威力大幅上昇、防御無視、無敵貫通を付与する。
宝具
法観寺十矢通し
ランク:C 種別:対人奥義
レンジ:3~50 最大捕捉:1人
由来:豊臣秀次の命令により、京都の法観寺の八坂の塔の天井の小窓に矢を10本中10本全てを射込んだ逸話。
豊臣秀次に仕えていた当時、天下人が変わった際、新たな天下人が誰であるかを内外に示すため、京都の法観寺に家紋を入れた旗を掲げる習わしがあった。
天正19年(1591年)に羽柴鶴松(秀吉の実子)が夭逝したことを受けて、羽柴秀次が秀吉の養嗣子となり、後継者に本格的に決定。
そこで法観寺に旗を掲げた羽柴秀次は豊臣秀吉の後継者である事を宣伝する為、境内にある有名な八坂の塔(五重塔)の5階の窓に矢を射込むことを大島光義に命じた。
当時の時点で84歳という高齢だった大島光義は10本中10本全てを射込み、これを成し遂げた。
この宝具の特徴として、純粋な技量による弓射も強力だが、逸話の効果が複合されているが為に矢が1本でも当たれば残り9本の矢が同じ箇所に必ず命中し、致命的なダメージを与える事ができる。
自身にクイック性能、NP獲得量上昇を付与し、敵単体に強化解除を付与し、クイック耐性を低下させる攻撃を行う。
白雲を穿つ
ランク:─ 種別:対人魔弓
大島光義の圧倒的な弓射の速度は自身を狙う鉄砲よりも先に矢を放ち、本来ならば速度と飛距離で劣る筈の矢を先に当てる事を可能とする。
その絶技故に弓矢における対人魔剣の領域、すなわち対人魔弓という種別となっている。
その神速の豪弓はランクAの敏捷を持つ剣や槍を得物とする者がその得物の間合いに存在しない状態では先手を取る事が困難な速度。
例え高ランクの縮地や令呪による転移やそれに近い技であっても、転移→大島光義を捕捉→得物を振るうという動作を行っている場合は敏捷ランクA未満だと迎撃が間に合う。
敏捷ランクA未満の者がこれを覆すには直感等で捕捉する過程を省略する必要がある。
一見すると和製斬り抉る戦神の剣に見えるが、相手よりも先に豪弓を当てているだけなので、豪弓を受けても一切怯まず攻撃を続行する相手の攻撃を無効化する事は出来ない。
自身に攻撃力上昇、ターゲット集中、反撃状態(敵の攻撃の対象となった時、敵の行動前に敵単体に強力なクイック攻撃)、クリティカル威力上昇、反撃した敵にクイック耐性低下を付与する状態を付与する。
解説
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑に仕えた弓取りにして美濃国関藩初代藩主である大名、大島光義。
またの名を大嶋 雲八(おおしま うんぱち)
美濃国関大島(現在の大垣市)、または山県郡の出身。
父・光宗(光時)が山県合戦で多くの家臣と共に戦死し、幼少にして孤児となったが、縁者の大杉弾正に育てられる。
全てを失った大島光義に残されたのは弓のみで、来るべき時に備えてひたすら弓の鍛錬を続け、そして13歳の時に美濃国人との戦闘で敵兵を討ち取る。
他にも鉄砲より早く矢を射たことや樹木の蔭に隠れた敵兵を樹木ごと射抜いて討ち取ったり等の活躍をしており、国人たちを退けた後は斎藤家の家臣長井道利に仕え、長井道利のもとで関・加治田合戦や織田信長による美濃攻略を経験する。
やがて、斎藤家が美濃攻略によって勢いを落とし長井家が没落すると、大島光義は織田信長に召し抱えられる事となる。
織田信長に仕えてからは弓大将に命じられ、100貫の土地を得る出世を果たす。
この時大島光義は既に60歳を迎える年齢、第一線から退いても可笑しくない年齢なのにも関わらず、大島光義は姉川の戦い、坂本合戦で戦功を挙げ、特に坂本合戦では織田信長から「白雲をうがつような働き」と賞され、命により通称を雲八と改めた。
以後、江北、越前、長篠の戦いで戦功を挙げ、安土城矢窓切事の奉行も務めた。
本能寺の変の際は安土城に在城していたが、変報で安土の町が荒れると、妻子を連れて帰郷しようとし、国境を閉鎖した一揆勢と戦いながら、美濃へ帰還を果たした。
その後、斎藤利堯に味方した。
清洲会議で斎藤利堯が織田信孝の与力になると、大島光義は丹羽長秀に属して賤ヶ岳の戦いに参陣して戦功により8,000石に加増された。
その同年11月に羽柴秀吉に召し出されて弓大将になって6,000石を領知したという。
後に近江の知行地の代替として、摂津国豊島郡に3,535石を知行されている。
その後、豊臣秀次付きとなり、秀次の命で京都法観寺八坂の塔の窓に矢を10本射込んで見せた。
その後も小田原征伐に参加、秀吉本陣で300騎を率いたり、 朝鮮出兵でも弓手200人を率いて肥前名護屋城に在陣したりと戦い続け、美濃国席田郡、尾張国愛知郡・中島郡、摂津国豊島郡・武庫郡内の1万1,200石に加増される。
嫡男・光成とともに老齢93で会津征伐に従軍し、石田三成挙兵を知るが、上方に妻子を取られた諸士の帰国を許すという徳川家康に対して率先して恩義に報うべく東軍に与すると言って、関ヶ原の戦いに参戦。
この時、次男光政や三男光俊は西軍に与したが、大島勢は東軍で武功を挙げたことから、光政や光俊の罪は許され、却って戦後に家康から真壺・大鷲を与えられた。
また、美濃国の加治田村、絹丸村、川辺村、武儀郡、大迫間村等、摂津国の伏見内の地も加わり、1万8,000石に加増された。
ちなみにこの時幕閣の本多正純から豊後国臼杵城主に推挙されたが、辞退している。
その後97歳の長寿をもって死去した。
生涯53度の合戦に臨み、41通の感状を得たと伝わる。
死後、家督は自身と共に東軍に与した光成が継いだが、所領を4人の息子たちに分知、それぞれ1万石以下の旗本となり、ここに関藩は廃藩となっている。
見た目は白髪に白い髭を貯えた筋骨隆々な体格をした老人。
弓矢の扱いについては遠距離狙撃も得意だが、それよりも矢を放つ速さ、連射速度に秀でる。
斎藤家旧臣の武藤平弥兵衛から弓を馬鹿にされたことがきっかけで槍術を修めており、この事により、槍と弓を比較できたことで弓は大人数で戦う時に適していると分かり、これ以後は主に弓を使用するようになった。
普段の戦闘では槍を主に使用し、遠距離戦や多数を相手に戦う時、勝負を決め様とした時等に弓矢を用いる。
槍の腕前も高く、ランサーのクー・フーリン相手でも防戦可能、宝具を使用する事なく決定打を与える事は困難を極める。
ちなみに、突き穿つ死翔の槍を使用する為にクー・フーリンがバックステップしてしまうとその一瞬で矢を放つので、着地の瞬間には文字通りの意味で目と鼻の先に矢が存在する状態となってしまう。
通常、矢避けの加護があるクー・フーリンには遠距離攻撃は通用しないが、遮蔽物が多い地形での戦闘の場合、射手を視認しなければ矢避けの加護が効果が発揮されない為、遮蔽物を貫通する機関砲並の矢の雨を動き回って自力で回避する必要に迫られたりする。
宝具法観寺十矢通しを使用していると一本でも矢が当たれば宝具効果により蜂の巣確定である。
楽園カルデアでは現代人としてはあまりに弓の素養が高い藤丸龍華とエミヤに弓を教えようと考えている。
大島光義から2人に対しては生まれる時代が違えば弟子として育て上げ、必ずや日ノ本に名を轟かせる弓取りにしてみせたと評価している。
ヘビーアームズさん、ありがとうございました!
明日以降はブルアカコラボ振り返りの予定です!