人理を照らす、開闢の星・序章〜awakening,precious,star〜   作:札切 龍哦

2745 / 3000
今日から4日間深夜勤務+残業なので、2日マテリアル2日本編更新で行こうと考えています!


24日からは休みなので、そこからやっていきます!それでは、よろしくお願いいたします!


それではまずは2セットマテリアルとなります!本当に助かります!


マテリアル〜くっ殺系武者〜

名前 板額御前

 

性別 女性

 

身長 6尺2寸(約188cm)

 

 

ステータス

 

筋力 B 耐久 B  敏捷 C 魔力 D 幸運 C 宝具 B

 

 

クラススキル

 

 

対魔力  C

 

魔術に対する抵抗力。一定ランクまでの魔術は無効化し、それ以上のランクのものは効果を削減する。サーヴァント自身の意思で弱め、有益な魔術を受けることも可能。

Cランクでは、魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。大魔術・儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。

 

 

単独行動 A

 

弓兵のクラス特性。

マスターとの繋がりを解除しても長時間現界していられる能力。依り代や要石、魔力供給がない事による、現世に留まれない世界からの強制力を緩和させるスキル。

 

 

陣地作成 B

 

自らに有利な陣地を作成可能。

後述する宝具の影響により獲得している。

 

 

保有スキル

 

 

勇猛 B

 

威圧、混乱、幻惑といった精神干渉を無効化する。また、格闘ダメージを向上させる。

 

 

宗和の心得 B

 

同じ相手に同じ技を何度使用しても命中精度が下がらない特殊な技能。攻撃を見切られなくなる。

 

 

心眼(偽) A

 

直感・第六感による危険回避。虫の知らせとも言われる、天性の才能による危険予知。視覚妨害による補正への耐性も併せ持つ。

 

 

殿の矜持 C

 

防衛戦、撤退戦など不利な状況であればあるほどに力を発揮する。

 

 

死の櫓 EX

 

板額御前が護りに着いていた矢倉から放たれた矢は鎌倉幕府の兵を確実に葬った。

その状況から鎌倉幕府〝軍〟は思わず足を止めてしまったほど。

 

後述する宝具の限定展開であり、厳密にはスキルではない。

 

敵全体に即死耐性低下、恐怖、混乱を付与し、自身に即死成功率上昇、NPチャージを付与する。

 

 

宝具

 

 

鳥坂城

 

ランク:B 種別:対軍城塞

レンジ:─ 最大捕捉:1000人

 

由来:新潟県沼垂郡中条町鳥坂山(現在の新潟県胎内市奥山荘城館)にあった山城・鳥坂城(とっさかじょう)。

 

別名として白鳥城、奥山荘城、中条城とも呼ばれていた。

 

鎌倉時代初期の建仁元年(1201年)に起きた「建仁の乱」にて城長茂(資茂とも)の鎌倉幕府打倒計画に呼応した城資盛(資永の子)の城郭。

 

城郭と言っても、この時代の城郭とは「かいだてを掻き、さかもぎを引いて」というバリケードと矢を射かけるための櫓が主であり、常設の城ではない。

 

1000人ほどが城に詰めてはいたが、相手は強大な鎌倉幕府軍、本来ならそこまで持ち堪えられそうに思えない城だった。

 

しかし、この城も城資盛の叔母・坂額御前が護るとなると話は変わる。

 

一際優れた強弓の持ち主であった板額御前が男装して櫓に登り、矢を射かけると、その圧倒的な命中精度と威力に鎌倉幕府軍の兵が次々に倒れ、遂には鎌倉幕府軍が一時進軍を停止したほどである。

 

この鳥坂城は攻略されるのだが、これは鎌倉幕府軍の策によって板額御前を戦闘不能にする事に成功した事が原因である。

 

この山城・鳥坂城を召喚し、味方を防御する。

見た目はバリケードと櫓のみというシンプルなものだが、板額御前の逸話の効果により、板額御前が倒されるか両脚を負傷するまでは、この城を突破・破壊する事はできない。

 

自身にターゲット集中を付与し、味方全体に防御力上昇、被ダメージカットを付与する。

 

 

中たるの者死なずと云うこと莫し

 

ランク:─ 種別:対人魔弓

 

由来:『吾妻鏡』で「女性の身たりと雖も、百発百中の芸殆ど父兄に越ゆるなり。人挙て奇特を謂う。この合戦の日殊に兵略を施す。童形の如く上髪せしめ腹巻を着し矢倉の上に居て、襲い到るの輩を射る。中たるの者死なずと云うこと莫し」と語られる板額御前の弓の技。

 

一言で言えば超高威力の狙撃、あるいは超精密砲撃というべき力と技の融合。

 

板額御前が放つ矢は高い命中精度を持ちながら、当たった者を確実に仕留めてしまう威力を持つ。

 

連射速度もあり、この弓の前に鎌倉幕府軍は多くの兵を討ち取られてしまい、一時進軍が止まるほどだったという。

 

その絶技故に弓矢における対人魔剣の領域、すなわち対人魔弓という種別となっている。

 

自身に防御無視、無敵貫通を付与し、敵単体に即死を付与する人属性特攻攻撃を行う。

 

 

解説

 

日本史における数少ない女武将の一人で、古くから巴御前とともに女傑の代名詞として「巴板額」(ともえ はんがく)と知られてきた板額御前。

 

板額御前は、当時、越後一帯に勢力を張っていた平家の流れを組む城一族の城資国(じょうのすけくに)の娘であった。

 

名前の由来は、この城資国が妻として迎えたのが、奥州藤原氏の基を築き、平泉の中尊寺を建立した藤原清衡(ふじわらのきよひら)の孫娘で、板額御前は、その2人の娘として、飯角(いいずみ)と呼ばれる地区で生まれたと言われ、この「飯角」が「はんがく」とも読めたことから、板額御前と呼ばれる様になったと言われている。

 

板額御前が幼少期の頃、平家の栄華が陰りを見せ始め、源頼朝や木曽義仲等が、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)の平家追討の令旨を受け、挙兵。

 

板額御前には兄が2人おり、このときの城氏の当主は、長兄・資永(すけなが)だった。

 

平清盛から支援を頼まれた城資永は、木曽義仲の地元・信濃への出兵を決めるが、出陣直後に急死。

 

跡を継いだ弟の長茂(ながもち)が4万の大軍を率いて信濃の横田河原で義仲と対戦するも、三方から攻めてきたわずか数千の義仲軍の奇襲戦法に敗れてしまい、以降、城氏の勢力は急速に衰退する事となった。

 

そして、壇ノ浦の戦いで敗れた平家は滅亡。平家の流れを組む城氏は、鎌倉幕府が成立後は一族の存亡をかけた時代を送ることになった。

 

城長茂は、鎌倉に囚われの身となり、板額御前は、亡くなった長兄・城資永の子・資盛(すけもり)の後見人として鳥坂城を切り盛りし、武術・学術に優れた女武将に成長していった。

 

そして、鎌倉幽閉後、一時は源頼朝の家臣となっていた城長茂は京都での鎌倉幕府打倒計画を起こし、それに呼応し城資盛も挙兵した(建仁の乱)。

 

しかし、城長茂は鎌倉幕府打倒の為の行動を起こすも失敗、源頼朝の追手により斬首されてしまう。

 

この事により、板額御前は、城資盛と共に鳥坂城に立て籠り、鎌倉幕府軍と板額御前率いる城軍による合戦が始まった。

 

一際優れた強弓の持ち主であった板額御前は鳥坂城攻略の最大の障害として鎌倉幕府軍に立ち塞がり、その弓のあまりの命中率と、当たると確実に死ぬほどの強い威力に、鎌倉幕府軍は足が止まったとされている。

 

そして、板額御前をはじめとする城軍の必死の反撃で、幕府軍を率いる武将も負傷し、多くの兵士が死傷するという大打撃を与える。

 

しかし、次第に追い詰められた城軍は、敗色が濃厚となり、板額御前は城資盛を逃がした。

 

その後、鎌倉幕府軍は板額御前の後方の高みに回るという策を講じ、鎧からはずれた腿を弓矢で狙い、放った矢が両脚に当たり倒れた板額御前が捕虜となり、それと共に城軍は崩壊した。

 

鳥坂城の合戦で板額御前の名は一躍天下に響き渡り、2代将軍・源頼家は、その女武者の姿を一目見たいと彼女を生け捕りにした状態で、鎌倉に護送するように命じた。

 

鎌倉に到着した板額御前が源頼家の要望により大倉御所に引き出されると、無双の勇女を見ようと御家人達が郡参し、人だかりとなる。

傷が癒えておらず、気遣いながらの参上であったが、坂額御前の態度は堂々としてへつらう様子がなく、『吾妻鏡』は勇敢な男子と相対して恥ずかしくない様子であると褒め称えている。

その際の全く臆した様子が無い事に鎌倉幕府の宿将達を驚愕せしめたと言われている。

 

この時、板額御前の凛々しい姿に一目惚れし、その後の堂々たる振る舞いに更に心奪われた一人の男がいた。

甲斐源氏の一族で山梨県中央市浅利を本拠とした浅利義遠である。

 

浅利義遠は源頼家に坂額御前を妻として迎え入れたいと申し出る。

 

これには死罪か流刑か、そのどちらかしかないと覚悟を決めていた板額御前も驚愕した。

何故なら板額御前は身長6尺2寸(約188cm)もあり、その身長から並大抵の男が気後れした為に武将としてはともかく、女性としての自信はあまりなかったからである。

 

源頼家は「坂額は朝敵であり、それを望むのは思惑があるのではないか」と問うと、浅利義遠は「全く特別な思惑はありません、ただ同心の契りを交わしてたくましい男子をもうけ、朝廷を守り武家をお助けするためです」と答えた。

源頼家は「この者の顔立ちはよいが、心の猛々しさを思えば誰が愛らしく思うだろうか。義遠の望みは他の人間が好む者ではなかろう」としきりにからかい、浅利義遠の望みを許したという。

 

その後、浅利義遠は坂額御前を伴って甲斐国に下向した。

 

この道中で浅利義遠はこれでもかと坂額御前に愛を囁き、女性としての自信がない坂額御前に坂額御前自身の魅力を存分に語った。

そして、甲斐国に帰還した時には坂額御前は完全に絆されてしまっていた。

 

その後は、浅利義遠の妻として甲斐国で生涯を過ごした。

 

 

坂額御前の望みは現代の平和な時代で浅利義遠とごくごく普通に夫婦として過ごしたいというもの。

出逢いの経緯もあり、現代の男女のでぇと等に憧れがあるらしい。

 

容姿は記録上「但し顔色に於いては、ほとほと陵園の妾に配すべし」「件の女の面貌宜しきに似たりと雖も心の武きを思えば」、すなわち美人と表現されているが、『大日本史』など後世に描かれた書物では不美人扱いしているものもある。これは、美貌と武勇豪腕(弓)とのアンバランスを表現したものである。

 

しかし、後に浄瑠璃・歌舞伎上の人物となった際、醜女の蔑称ともなった。

これは原文で「容姿は美人ゆえに後宮で妬まれ、陵園(皇帝の陵墓)に送られて一生を過ごした女性に匹敵する」と述べている個所を、江戸時代に出版された伏見版や寛永版の付訓で、『但し顔色に於いては殆ど陵園の妾より醜かる可しと』と読み下したことで、「陵園の妾より醜い」という誤った解釈が広まったからである。

 

この誤解を坂額御前は解く気があまり無い。

これは自身の事は浅利義遠が知っているならそれだけでいいと考えている為である。

 

ちなみに、サーヴァントとして現界した彼女の容姿は黒髪で6尺2寸(約188cm)の美女、戦装束だと男装をし、普段から特製の腹巻きをしている。

特製の腹巻きをしていない状態だといろいろと解放されている。

 

戦装束等から先に知っているとどうやってそれを隠した!?と驚愕される。

 

本来の体格はバーゲストと互角、楽園カルデアにいるとある邪龍は歓喜の叫びを上げる事であろう。

 

余談だがこの特製腹巻きは弓を用いる為のものでもあるが、同時に自身の体格では着物が似合わないからと特別に作らせたものであり、普段から着用している為、浅利義遠も真に夫婦になるまではこの事を知らなかった。

 

また、やたらと頑丈な造りをしており、胸部装甲(物理)としても機能している。




続きます!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。