人理を照らす、開闢の星・序章〜awakening,precious,star〜   作:札切 龍哦

2899 / 3000
急用で全く執筆時間が取れなかったので、本編、感想、メッセージ返信は明日以降とさせてください!




マテリアル〜人力デスノート〜

名前 大鳥逸平

 

クラス ライダー

 

性別 男性 出身 日本

 

 

ステータス

 

筋力 C 耐久 B 敏捷 B 魔力 E 幸運 A 宝具 ?

 

 

クラススキル

 

 

対魔力  C

 

魔術に対する抵抗力。一定ランクまでの魔術は無効化し、それ以上のランクのものは効果を削減する。サーヴァント自身の意思で弱め、有益な魔術を受けることも可能。

Cランクでは、魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。大魔術・儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。

 

 

騎乗 C

 

乗り物を乗りこなす能力。騎乗の才能。乗り物という概念に対して発揮されるスキルであるため、生物・非生物を問わない。

Cランクでは正しい調教、調整がなされたものであれば万全に乗りこなせ、野獣ランクの獣は乗りこなすことが出来ない。

 

 

無頼漢 A

 

騎乗・単独行動の複合スキル。おまけとして宴会に強くなるなどの効果を持つ。

 

 

保有スキル

 

 

反骨の相 B

 

一つの場所に留まらず、また一つの主君を抱かぬ気性。自らは王の器ではなく、自らの王を見つける事ができない流浪の星。

 

 

仕切り直し C

 

戦闘から離脱、あるいは状況をリセットする能力。機を捉え、あるいは作り出す。

また、不利になった戦闘を初期状態(戦闘開始ターン)へと戻し、技の条件を初期値に戻す。同時にバッドステータスの幾つかを強制的に解除する。

 

 

無頼のカリスマ A

 

軍団の指揮能力、カリスマ性の高さを示す能力。団体戦闘において自軍の能力を向上させる。

ただし、大鳥逸平のカリスマはかなり特殊なものであり、混沌・悪属性に強く働く特性がある。

また、それ以外の属性だと効果が低下する。

自身にターゲット集中を付与し、味方全体に攻撃力上昇、混沌・悪属性の味方にはNPチャージを追加付与し、秩序・善属性の味方には弱体耐性低下を付与する。

 

 

不撓不屈 A

 

超人的なタフネス及び精神性。発動時には、パラメーター内の耐久のランクを一時的にA++ランクにまで上昇させる。

 

 

高速詠唱 D

 

魔術の詠唱を高速化するスキル。一人前の魔術師でも一分は必要とする大魔術の詠唱を半分の三十秒で成せる。

大鳥逸平は茶道や和歌などを好む者、数寄者と呼ばれる者よりさらに数寄に傾いた者すなわち、傾奇者であるが為に所持している。

 

 

芸術審美 C+

 

芸術品・美術品に対する理解、あるいは執着心。

芸能面の逸話を持つ宝具を目にした場合、確率で真名を看破できる。

傾奇者は奇抜な姿をしていたが、それも自身の考える美があってのもの、古代や現代、洋の東西問わずにあらゆるファッションにも理解を示す。

結果として敵サーヴァントの服装から出身地域、年代をおおよそ絞り込む事を可能とする。

その上で特徴的な物品を身に付けていた場合、サーヴァントの真名に瞬時に辿り着く。

 

 

宝具

 

 

偽筆百枚綴り

 

ランク:E~A++ 種別:対罪人宝具

レンジ:???? 最大捕捉:????

 

由来:捕らえられた大鳥逸平が百枚綴じの紙に仲間の名を書くと言いながら、仲間の名前を書かずに徳川大名の名を書き連ねた逸話。

 

この宝具は捕らえられた傾奇者の巨魁大鳥逸平が

仲間を最後まで決して裏切らなかった生き様を象徴するものであり、死因の再現の一面を持つ宝具である。

 

この紙に徳川幕府の大名の名前を書くと、死因の再現として幕府の役人が召喚され大鳥逸平の処刑が執り行われてしまう。

 

だが、徳川幕府の大名以外の名前を書いた場合は話が変わる。

 

名前を書かれた者の元へと刺股、突棒、袖搦の捕り物用の三道具を持った幕府の役人が召喚される。

 

この役人を退けると幕府に逆らう不届き者として認定される事で、混沌・悪属性を強制的に付与される。

 

そして、これ以降は幕府の役人が不届き者を成敗するべく昼夜問わず召喚され、斬り捨て御免と攻撃を仕掛けてくる様になる。

 

この役人は返り打ちにすればするほど強力な役人が召喚される特性があり、返り打ちにし続ければ最終的には強さに興味を持った幕府所属の剣豪等も参戦し、対人奥義や対人魔剣級の技を持った者達に命を狙われる事となり、例え十二の試練を持つヘラクレスであろうとただではすまない。

 

この効果は大鳥逸平及び偽筆百枚綴りを破棄もしくは破壊するまで効果が持続し続ける。

 

ちなみに、最初の三道具を持つ役人を退去しない様に無力化し、自身の潔白を証明した場合、逸話の再現により大鳥逸平が役人に襲撃され処刑される。

 

 

解説

 

 

大鳥逸平は、江戸時代前期の日本の傾奇者の頭領。姓は大鳥居あるいは大鳥井とも表記される。別名大鳥勘解由、大鳥逸平次勘解由とも。

 

傾奇者とは、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年 - 1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。

異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。

 

当時男性の着物は浅黄や紺など非常に地味な色合いが普通だった。しかし、傾奇者は色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をはぎ合わせ継ぎ当てするなど常識を無視して非常に派手な服装を好んだ。他にも天鵞絨(ビロード)の襟や立髪や大髭、大額、鬢きり、茶筅髪、大太刀(普通は太刀を手挟む)や長脇差、朱鞘、大鍔、大煙管などの異形・異様な風体が「かぶきたるさま」として流行した。

 

単なる目立ちたがりとは趣を異とし、仲間同士の結束の高さ、退廃的な社会風潮に対する反骨精神などの表れでもあった。

 

「派手な振る舞いをする男」「派手な出で立ちの男」と言う意味も暗に含む。

時代に拠っては婆娑羅(バサラ)、伊達男等とも呼ばれる。

 

傾奇者として生きる彼等は仲間同士の結束と信義を重んじ、命を惜しまない気概と生き方の美学を持ち合わせていたとされている。

 

乱暴・狼藉を働く無法者として嫌われつつ、一方ではその男伊達な生き方が共感と賞賛を得てもいた。武家奉公人だけでなく、町人や武士である旗本や御家人が傾奇者になることもあった。寛永期頃から江戸に現れる旗本奴、町奴といった無頼集団も傾奇者の一類型と見られる。

 

反面、「常識に囚われず自由に生きる」の意味を履き違えた傾奇者を気取っている人間達の中には、飲食代の踏み倒しやカツアゲ、婦女子への乱暴狼藉等も平然と行うだけでなく、それを自らの武勇伝として自慢する等、社会秩序を軽んじた振る舞いや問題行為に走る者が多かったのも事実である。

更には、辻斬り、辻相撲、辻踊り等、往来での無法・逸脱行為も好んで行う傍迷惑ぶりを見せ、博打だけでなく、修道や喫煙の風俗とも密接に関わり、遊郭等で用心棒も務めていたとされている。

その結果、将軍の代が文治政治を目指した徳川綱吉あたりの時期になってからは、幕府による傾奇者を称する人間達の取締りが厳しくなっていき、やがて廃れていく事になる。

「自由」である事は「身勝手」である事とは違うのを、傾奇者と称する者の多くは理解していなかった事が、最大の理由であると言えよう。

 

傾奇者になるのは、若党、中間、小者といった武家奉公人が多かった。彼らは武士身分ではなく、武家に雇われて、槍持ち、草履取りなどの雑用をこなす者たちで、その生活は貧しく不安定だった。彼らの多くは合戦の際には足軽や人足として働きつつ、機をみて略奪行為に励み、自由で暴力的な生活を謳歌していたが、戦乱の時代が終わるとともにその居場所を狭められていった。そうした時代の移り変わりがもたらす閉塞感が、彼らを反社会的で刹那的な生き方に駆り立てたという側面があった。

 

しかし現在も、その行動様式は侠客と呼ばれた無頼漢達に、その美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれ、今日までに至っている。

 

 

大鳥逸平について

 

1588年(天正16年)に生まれる。出生地は武蔵国大鳥の生まれ、とされる。

 

はじめ本多信勝に仕えた徒歩であったが逐電。大久保長安配下の大久保信濃に仕え、士分となる。武士の素質があったとされ、弓に鉄砲や槍など、武芸を学び、馬に乗ることも許された。徳川家康による天下普請での江戸城普請の際に人足元締を務める。この頃は京を中心に活動していたとされるが、ある時本多が大鳥を返還するように要求したため、大鳥は本多家に帰参することとなったが、大鳥は武装した手下4~5人を連れ、さらに犬を連れ騎馬でやってきたため、本多家は召し使うことを諦め、衣服などを取らせて大鳥を大久保家に返した。

 

まもなく大久保家を去り、江戸に行き浪人の身となる。慶長年間、1610年前後には、中間・小者といった下級の武家奉公人を集めて徒党を組み、異装・異風、男伊達を気取って無頼な行動をとり、武家に対抗した。「廿五まで生き過ぎたりや一兵衛」と銘に刻んだ厳物造太刀を担ぎ、300人もの傾奇者を束ねた。大風嵐之助、天狗魔右衛門、風吹藪右衛門、大橋摺右衛門といった子分がいた。

 

1612年(慶長17年)春、武蔵国多摩郡高幡村(高幡)の高幡不動尊での相撲興行に現れた際に捕縛され、江戸幕府に突き出された。

大鳥の潜伏先を掴んだ大久保長安家中の町奉行・内藤平左衛門や横山宿の名主川島作衛門らは、高幡不動の春の縁日に合わせて相撲の興行を開き、相撲自慢の大鳥が現れるのを待ち、案の定大鳥がやってきたために内藤がこれと格闘の末に、多人数により召し捕らえた。

またこの時、無双の大鳥を捕えきれずにいたが、高幡不動の僧侶の協力により不動金縛りの法を使ったために大鳥は急に身動きができなくなり、それによって捕縛された。

 

青山成国の屋敷で取り調べが行われたが、大鳥は仲間内のことをひとつも白状せず、取り調べ側を困らせた。本多正信・土屋重成・北町奉行米津田政らが取り調べにあたったが、拷問を受けても大鳥が口を割らないため米津が小便でもかけろ、と言ったところ大鳥は、「自分は武士身分であるのに拷問による取り調べを受けるのはそもそもおかしい、奉行の米津は侍の法を知らない。このような取り調べをするならこう言おう。米津の子息の勘十郎は自分の仲間であるので、勘十郎にも小便をかけて詰問しろ」と答え、その後は一切口を閉ざした。

 

大鳥はあらゆる拷問に口を緘して答えなかったが、海老責めと呼ばれる拷問を受けるとついに屈し、「同類の名を申し立てるが、長いので百枚綴じの紙を用意せよ」と云い、全国の大名の名を次々に並べ立てたため、奉行は激怒し、大鳥を処刑することにした。

 

同年8月(慶長17年7月)、品川・鈴ヶ森刑場で磔刑に処されて死去した。享年25歳。

同時期に同様に捕らえられ、斬首された傾奇者は300人に上ったという。

さらに一味に加わっていた旗本の子弟も多数処分された。井上正就の兄なども含まれ、慶長16年、大鳥逸平の件に関して、町奉行・柄木田勘兵衛(米津田政)の子の柄木田勘十郎(米津勘十郎)が津軽藩にお預け処分となっている。その後勘十郎は、元和3年(1617年)に許されている。

大鳥は町奴の先駆であり、かつ旗本奴の行動様式を決定づける存在だったとされている。

 

召喚された時は当時の傾奇者としての服装で召喚されるが、すぐさま現代のファッションを学び、いわゆるヤンキーの様な姿へと変わる。

 

自身を上から抑えようとする者との相性は極めて悪く聖杯戦争で一般的な魔術師に召喚された場合、確実に反抗する。

その反面、自身を使い魔ではなく個人として扱い、友誼を結んだマスターは決して裏切らず、命を懸けて守ろうとしてくれる。

 

余談だが、犬好きの為、犬の話をすると好感度が早く上昇したりする。




ヘビーアームズさん、ありがとうございました!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。