リッカ「凄いビッグネームから立候補が来た!いいの、モーセさん?」
「もちろんさ。旅や放浪において僕の右に出るものはいないからね。きっと勇気を分けられる筈だよ。ほら、此処にきちんと脚本があるんだ」
「え、いつの間に用意してたのそんなの」
オジマンディアス「余らがしたためたのだ。我等が演じる演目に平伏すが良い!!」
リッカ「え・・・ファラオも参加するの!?」
ネフェルタリ「ラーメス?平伏していたら劇が見えないわ」
「・・・面上げて見るがよい!」
「きっと大丈夫さ。さぁ楽しもうじゃないか。大抵の困難は殴ってなんとかなるということを皆に知ってもらおう──!」
いよいよ、我等が物語を紡ぎ、皆様に告げられる日も残り少なくなって参りました。出逢いは得難きもの、しかしまたそれは別れと共に再び旅立たねばならないもの。これは紛れもなく、不変の事実であるのです。
しかし、皆様はどうか哀しまれる事のなきよう。我等はいつでも神の愛に支えられ、そして導かれております。そう、かの預言者は神の言葉を受け、悩める者達を導き、我等の道を切り拓いてくださいました。その偉業と功績を称え、今日はその足跡をお届けしたいと思います。旧訳聖書に記された、古くも輝かしき奇跡を起こせし、かの預言者の名は──
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公演 モーセ~海が割れる日~
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モーセ、かの偉大なる預言者。彼はイスラエル人レビ族の父、アムラム、その叔母たるヨケベドの間に生まれ、兄と姉がおりました。モーセが生誕の産声を上げたその頃、当時のファラオはヘブライ人の増加を懸念しその命の下にヘブライ人の男児を殺すように伝えておりました。モーセも命令に漏れず抹殺対象であったので・・・彼はパピルスの篭に乗せられ、ナイル川へと流されました。その断腸の想いの放流に、幼児であるモーセは何を感じ、何を思ったのでしょう。
モーセ(演・モーセ)「世とはままならないものさ。可愛い子には旅をさせろともいう。振り返ってみれば、僕は流浪が宿命付けられていたのかもしれないね」
そんな彼を神は見捨てず、たまたま水浴びをしていたファラオの王女に彼は拾われ、水から引き上げられたので、マーシャーにちなみモーセと名付けられました。モーセは後に姉の機転により、実の母を乳母として王女に雇ってもらう事が出来たのです。
「今ある環境を嘆いてばかりではいけない。転ばないように下を見て歩いていては、広がる大空が見えないことと同じさ」
幼少に出会いしファラオの気風を持つラーメス、その妃ネフェルタリと友情を育みながら、モーセは健やかに成長してゆきます。その高潔なる使命は、その善き友好と交友があればこそ、と言えるのでしょう。
成長したモーセは強く賢く成長し、何不自由なく過ごしておりましたが、裕福な生活の傍ら、常に虐げられるヘブライ人の境遇に心を痛めていました。嘆く彼は、友たるラーメス・・・太陽たる威風を構えし即位を待つファラオ、ラムセス二世たる彼に胸の内を告げます
「同じ人だ。手も足も目も耳も同じな筈だ。しかし何故こうも違うのだろうか。彼等と私達の違いはなんだろう?」
ラムセス二世(演・オジマンディアス)「天地に上下があり、陽は登れば必ず沈む。闇の中に在るのが彼等なのだろう。我が友モーセよ、余は沈まぬ陽となるぞ。いつかヘブライも、エジプトも、分け隔てなく輝き照らす真なるファラオとなろう。余が、必ず!」
「その言葉と、その真っ直ぐな瞳を信じよう。私と君、ネフェルタリと君の想いは永遠だ。ずっと」
そう誓う二人でしたが、運命は彼等を引き裂きました。あるとき、彼は同胞であるヘブライ人がエジプト人に虐待されているのを見てたまらず助けましたが、図らずもエジプト人を殴り殺してしまいます。彼の手足には、比類なき奇跡が宿っておりました。これが発覚し、彼は時のファラオに命を狙われます。しかしモーセを信じる二人は彼の逃亡を手引きしました。それが、今生の別れになると知りながら。
「逃げよ、我が友。そなたの決断と行いを余は、余らはけして責めはすまい」
ネフェルタリ(演・ネフェルタリ)「あぁ、モーセ・・・どうかずっと、とこしえにこの大空の下であなたが無事でありますように・・・」
モーセ「ありがとう・・・さようなら、我が友達よ。どうか、君達は変わらずにあれ──」
涙を流し友との別れを惜しみながら、彼は育ちの故郷から逃げ仰せました。ミディアンの地・・・アラビア半島にて結婚し、羊飼いとして暮らしていましたが、とある日。燃える柴の中から彼は神に語りかけられます。
神(声 マルドゥーク(ボイスロイド調教
エレちゃんシドゥリP))『導くのです。イスラエルの民達を約束の地へ。わたしは、ある者。あらんとしてある者です』
それが神の命であり、同時に彼が成すべき事であると確信したモーセはその言葉を信じ、迷えるイスラエル人を導く事を決心致しました。そして彼はイスラエル人から『主はあなたに現れなかった』・・・つまり、預言者であることを疑われた場合に備え、三つのしるしを与えられたとされます。「杖が蛇になる」「手が病で雪のように白くなる」「ナイルの水が血に変わる」という恐ろしいもの。彼はどうかこれらを振るわぬ様にと祈りながら、エジプトへと戻ります。しかし、その帰還には細やかな喜びがありました。ラーメス、そしてネフェルタリとの再会です。
「彼は必ずファラオに即位しているだろう。彼は聡明で寛容、誰もが平伏す太陽がごとき男だ。必ずや、ヘブライ人とエジプト人にとっての善き決断を下してくれる筈だ。ネフェルタリは元気であろうか」
彼は再会を心待ちにし、エジプトへと帰参致しました。そして彼の予想通り、ラーメスはラムセス二世、ファラオとして君臨しておりました。・・・深く深く、心を閉ざして。
「余に羊飼いの友などおらぬ。別れはとうに済ませた、貴様は何だ?ファラオたる余に頭を垂れぬ貴様は」
「何故だ、ラーメス・・・!ネフェルタリは元気なのか?あの日語り合った日々はもう遠くの過去になってしまったのか!?」
「──一度の不敬は赦そう。しかし二度は無いぞ、羊飼い」
深く彼は哀しみ、後に晩年に彼は神に尋ねました。聡明で、輝かしき太陽のような彼がどうしてあんな事になってしまったのか、と。神は言いました。彼はイスラエルの民の決意と覚悟を試す為に苛烈なるファラオとなったと。・・・しかし、彼は理解していたのです。神の奇跡に触れた自分と、あのときに出逢った彼は同じであったと。つまり──神はモーセの決意と覚悟を試す為、ラーメスの心を閉ざしたのです。モーセが使命を忘れ、揺らがぬようにとラーメスの心を封じたのです
「神よ、私はあなたを信じ、愛している。──だが、ただ一つのあなたの行いを、私はどうしても受け止められなかった」
後にモーセはこう語りました。何故、あのあとネフェルタリには一度も会えなかったのか・・・その思いを馳せながらモーセとラーメスの確執は、聖書に伝わる『十の災い』の場面へと移ります──
ロマン(この脚本攻め攻めじゃない!?当時のファラオがオジマンディアスだったというのはあくまで一説だし、モーセとオジマンディアスが親友だったという記述も伝わってないものだ!ここまで来たら聖書をもとにしたモーセ君のユアストーリーだよね!?)
モーセ「なるたけロマンチックで悲劇的にした方が劇映えするというものだよロマン。なぁに心配ない、事実は小説より奇なりと言うだろう?ラーメスが上機嫌な今がチャンスだ、ここだけのモーセ式海割りを見せちゃおう!」
オジマンディアス「懐かしいものよな。あの日の別離をこうして遊興とする・・・世の理のなんと数奇な事か。見ているがいい御機嫌の!銀幕王の座は余が貰う!」
ネフェルタリ「グループLINEにアップしましょう。『ネフェル劇団デビュー!シャナ見てるー?』」
『う、うん。君達がいいなら・・・いいんだけどね・・・』
「困難を知りながら旅をしたい。そんな少女の願いを聞いたなら一肌脱がない訳にはいかないじゃないか、ねぇ?」
アビゲイル「モーセ様・・・」
モーセ「よし、このままガンガン独自解釈を入れていこう!心配要らない、僕がオリジナルだし聖書もギルガメシュ叙事詩のパクリだしね!」
『ぶっちゃけすぎじゃないこの預言者!?』
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