私は帰ってきた!! というわけで少女週末旅行の二人が尊すぎて書きました。今回原作3巻の「びう」の話を読んでびびっと来たんで勢いそのままクオリティです。

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食べなくても、食べられる

 

 はて。どうしてこうなったのか。

 

 と、ユーことユーリは仰向けでそう思っていた。いつも楽観的で結構な危機的状況に陥っても落ち着いている(というか危険を認識していない)彼女だが、今は少しばかり緊張しているのがわかる。一体なぜユーリがそうなっているのかといえば、自分を仰向けにさせた旅の相棒、ちーちゃんことチトの様子が明らかにおかしいからだった。

 

「ユー……」

 

 ユーに問いかけるチトは、いつもとは違うトロンとした目を浮かべ、ぷにぷにのほっぺは赤く上気していた。いつも冷静そうな表情をしている彼女からは全く想像できない表情だった。

 

 チトはユーリの両手をぎゅっと掴み、足が動かせないように自分の足で挟みこむ形でユーリを固定していた。そして二人の顔はとても近く、互いの吐息が簡単に触れあってしまう程だった。

 

 だが、体格や力で言えばユーリの方が上回っているのだから、やろうと思えば簡単にチトを振りほどくことができただろう。しかし、彼女はそれをしようとはあまり思わなかった。

 

 なぜかはわからない。けど、そうしたらチトがとても悲しんでしまうような気がしたからだ。

 

 

 

 

 時は遡り、数時間ほど前である。二人は猛吹雪の中をケッテンクラートで走っていた。その激しさはチトの中では片手の指に入るほどの強さで、高温になっているはずのエンジンが冷え切ってしまうのではないかと思うほどだった。

 

「ううぅ、ちーちゃん、さぶい」

「我慢しろ。わたしだって寒いんだから」

 

 とは言うものの、実のところチトも早急にこの状況から脱したいと思っていた。猛吹雪に巻き込まれてかれこれ数時間、防寒性に優れたコートとはいえ限度はある。それに、どうしても晒さなければならない顔面には容赦ない雪が叩きつけられ、まつ毛がすでに凍り付いていた。

 

「あ! ちーちゃんあそこ!」

 

 ユーリが身を乗り出し、ある一点に指をさした。チトは何事かと思ったが、ケッテンクラートのヘッドライトを向けるとその先に大きな建物があるのが見えた。近づいてみると結構な大きさで、見たところ居住を想定した建造物のようだった。

 

「ここに入ろう。もう吹雪はこりごりだ」

「さんせーい。うおお、さぶさぶ」

 

 ケッテンクラートのギアを上げて少しスピードを上げる。それと同時に体に触れる風の厚さも増すのだが、それを差し引いても一刻も早くこの吹雪とおさらばしたかった。

 建物に近づくと、入り口らしきものが見えてきた。枠が残っているから恐らくガラス扉か何かだったのだろう。このまま乗り入れても問題なさそうだったから、ケッテンクラートごと二人は建物の中に逃げ込んだ。

 

「ああー、助かったー」

 

 ユーリがヘロヘロになった顔で言った。チトはエンジンを切り、吹雪から逃げ切れたことに安堵した。建物の中は広く、見たところロビーのようだった。

 ただ、いかんせん扉を失って風通しのいいロビーは睡眠をするには全くを持って不向きだろう。こんなところで眠ったら間違いなく少女二人の冷凍化石の出来上がりだ。

 

「ユー、今日はここで寝よう。荷物もって、寝床になりそうなところ探すよ」

「ほーい」

 

 ユーリがバーナーや食料、水が入った鞄をひょいと持ち上げると荷台から飛び降りる。チトはケッテンクラートのカギを抜いて、ランタンを点灯させる。周囲を照らしてみると、上の階層へ続く階段を見付ける。

 

「あっちにいくか」

 

 チトの言葉にユーリは二つ返事で従う。ランタンで照らしてみると、建物はかなり頑丈そうな造りで、他よりも形が整った部分が多く見受けられる。もしかしたら猛吹雪に強く設計された住居かもしれない。

 

「そういえばちーちゃん。なんかあったかくない?」

 

 と、ユーリが問いかける。チトは一瞬少し歩いたからだろ、と言おうとしたが、考えてみれば確かに猛吹雪に晒されているにしては寒くないし、雪があまり入り込んでいない。いや、正確に言えば入り込んでいないのではなく、溶けているかもしれない。

 

「もしかしたら、ボイラーとかが生きてるのかも」

「ということは、温かいお風呂!?」

「かもな」

 

 やったー、わーいわーいとユーリが後ろで跳ね回り、落下して低い位置にぶら下がる看板に激突し、悶絶。チトは無視してまず目に入ったドアを開けて中を覗き込んだ。

 

「……やっぱりここは居住施設みたいだな」

 

 中に入ってみると、少し細めの通路があり、その向こう側がはやや広めの部屋になっていた。しかもそこには大きなベッドが比較的良好な状態で置かれている。温度差による劣化が少ない証拠だ。つまり、室内の温度を保つ電気や機械が生きている可能性が高い。試しに、照明らしきものに触れてみると、驚いたことに弱々しくあったが枕元のランプが点灯した。

 

「電気も生きてるみたい。運がいい」

「おぉー。ということはー?」

 

 ユーリはきょろきょろして、入口のすぐ横にあった扉を開ける。そこには大きなバスタブが置かれており、すかさず蛇口をひねる。シャワーから水が流れ始めた。

 

「水も出るよ! おぉ、しかもあったかくなってきた!」

「よし、なら今晩は風呂だな」

「いやったー!」

 

 ユーリが早速荷物を放り出し、コートを脱ぎ捨てようとボタンに手をかける。まてまてそれ以前にやることがあるだろうとチトは制止する。

 

「待て、気持ちはわかるけどまずは探索が先。使えるもの探さないと」

「えー、お風呂の後でいいじゃん」

「お風呂入ってからまた汗かく気か。いいから行くよ」

 

 ユーリは渋々チトの言うことに従い、荷物を置いてライフルを背中に担ぐ。チトは役立つものが見つかったときに備え、持ち運びできる袋を取りだすと二人で部屋を出た。

 

 

 

 

 一先ず、二人は居住区であろう上層階にはいかず、ボイラーなどが集中しているであろう地下方面に向かった。運がよければ地下の食糧庫などにたどり着くかもしれないし、今後の旅に使えるものもあるかもしれないからだ。

 

 地下通路をしばらく進むと、ゴウンゴウンと少し不気味な音が響いている。今も動いているボイラー室の扉が目に入った。音はここから聞こえている。だがここはまたあとで来るとしよう。この建物の地下がどうなっているのか把握するのが優先だ。

 

「食べ物あるといいね」

「見た感じここは宿泊施設だったんだろうな。戦争が起きていた時は避難所にもなっていただろうから、運がよければ保存食とかがあると思う」

 

 と、二人の行く先に重そうな鉄の扉が立ちはだかった。埃まみれになった看板を見付け、手で払いのける。だがそこに書いてあったのはチトにも読めない文字だった。

 

「ま、入るしかないか。ユー、弾入れてるよな?」

「あいよっと」

 

 ユーリがボルトをコッキングし、チャンバーに初弾を装填する。争う敵も居なくなったこの世界だが、何が起きるかわからない以上、心を落ち着かせる意味合いでもライフルの、それも自分よりも上手く扱えるユーリの存在は大きかった。

 

 扉を開け、ユーリが銃を向けながら中に入る。まずは右、そして左に素早く銃口を向ける。大昔に設計された三八式歩兵銃とよばれる銃のレプリカだが、改良されて強化樹脂ストックで作られた銃は、木製ストックよりも軽量で取り回し抜群だった。

 チトもランタンで周囲を照らしながら一緒に入る。部屋の中はコンクリートの壁で覆われており、埃っぽかった。やはりここは何かの貯蔵室だったようだ。壊れた木箱などが散乱している。

 

「何か置いていたんだろうね」

 

 ユーリが銃口を下げ、周囲を見回しながら言う。中は結構な広さがあり、例えるなら小学校の体育館位の広さだ。

 

「ん?」

 

 ランタンを向けながら歩いていると、チトが何かを見付けた。無造作に置かれた木箱の大群だ。その中の一つから、中身が少し見えている。光に反射する容器。ガラス容器だった。

 

「あ。これ前に飲んだ「びう」と似てるね」

 

 ユーリがガラス容器の一本を持ちあげながら言う。チトもそれに同感で、自分も手近にあったものを一本持ち上げてみる。いくつか割れていたが、まだ未開封のものもいくつか存在していた。

 

「ちーちゃん、何か書いてるよ。読める?」

「えっと……なんだこれ、わ・い・ん? 1999……なんとかって書いてるけど」

「作られた日とかかな。どんな味だろう?」

「だとしたら1000年以上前だぞ。そんなもの飲んだら死ぬぞ」

「でもさ、この建物が使われていた時代だって数百年前じゃん? たぶん、その時代からここに置いてあったんじゃない?」

「うーん……」

 

 確かに、わざわざ古いものを地下の貯蔵庫に置いておくくらいだから、何かしらの用途、恐らく飲料なのだろうから飲むための物とは思う。が、いかんせん10世紀前の存在だ。そんなものが人間の腹に入るのかどうかと思うと不安にも思う。

 

 もちろん、二人はこの飲み物が暗所で保存し続けることで熟成し、上質な味わいを生む飲み物、「ワイン」と呼ばれるお酒ということは一切知らない。それもこのワインは、1000年前のものを再現し、超長期保存も可能なように改良されたレプリカであるということもだ。

 

 しかし、貴重な味のある飲料というものはとても興味を注がれる。二人が以前飲んだ、「びう」と書かれた飲み物は不思議な甘みと苦みを兼ねそろえ、まるで月の魔力を授かったかのような気分になった。その経験が二人の好奇心を刺激する。

 

「ねぇちーちゃん、一本位持っていっちゃダメかな?」

「……そうだな。調べてみる価値はあるだろうし、何本かもっていっていいぞ」

「わーい!」

「ただしお前が全部持てよ」

「うぇー」

 

 げんなりとするユーリだったが、美味しい物のためならなんのそのと、袋に瓶を入れて次なる食料を探しに歩き出した。

 

 

 

 

「ふぅー、結構使えそうなものがあってよかったね」

 

 部屋に戻り、荷物を置いた二人は早速湯船に湯を貼り、猛吹雪に晒されて冷え切った体を温めるべく入浴した。帰り際ボイラーをチェックしてみたところ、かなり頑丈に作られているようだった。そこには機材整備用のグリス、工具、ケッテンクラートに使えそうな一部パーツなどもそろっていたから、豊作だった。

 

「うん。食料も少しばかり見つかったし、ここは天国だろうな」

「ってことは私たちもう死んじゃってるの? あったかいし」

「物の例えだ。第一温かいのは風呂に入ってるからだ」

 

 ちゃぷん、と天井に溜まった水滴が湯船に落ちる。二人の少女が悠々入る大きな湯船は、足を思い切り伸ばすことが出来た。長身のユーリでも平気なくらいだ。ベッドも二人どころか三人、いや四人でも寝ることが出来そうな大きさだ。相当高価な部屋だったに違いない。

 

「はぁ……ここに住みたい」

「同感だけど、私たちはおじいさんに言われたことを守らないと」

「上、かぁ」

 

 チトとユーリはほぼ同時に上を見上げる。果たしてこの都市の上には何が待ち受けているのだろうか。どれだけ自分たちは登ればいいのか。その先に何があるのだろうか。

 

「……でも、時々自分たちが何をしているんだろうか、って思うかな」

 

 チトの言葉に、ユーリは無言の同意をする。そういえば何でだっけ。ユーリは思う。おじいさんの言ったことを守るため、ということなのだろうが、なぜそう言ったのかはわからない。何があるかもわからないのにそこに行け、といわれて実行するのもいかがなものかと思う。

 

「まぁ、ちーちゃんと一緒なら大丈夫かな」

「その自信はどこから来るんだか」

「あれかなー、一人だと心細いけど、二人ならたぶん何があっても大丈夫って気がする」

「……そっか」

 

 ざばぁ、とチトは立ちあがり、部屋に置いてあったタオルで体を拭く。ユーリもそれに続いて髪の毛を程よくふき取るとそのままチトを追い越して浴室から出る。チトは「おい、体もしっかり拭け」と怒るが、構わずユーリはベッドに飛び込んだ。

 

「んぁー、ふかふかだー」

「ったく……ほら、せめてもう少し軽く拭け」

 

 ばさり、とユーリの体にバスタオルが放り投げられる。渋々、といった様子でユーリは体の水滴をふき取ると、寝間着代わりの白シャツに袖を通し、レーションの入ったバッグと地下で見つけた飲み物を取り出した。

 

「んじゃちーちゃん、早速ごはんだ!」

「ほんと、それしか頭にないなお前は」

「人間生きるには食べることと寝ることが必要だからね」

「ユーに関してはその二つの配分が多すぎなんだ」

 

 と、いうが、チトのお腹からぎゅるるる、と空腹を訴える音が鳴り響いた。ユーリがにんまりと笑みを浮かべ、チトは顔を赤くしながらそっぽを向く。

 

「体は正直だね」

「……うっさい」

 

 ユーリはレーションの袋を開け、続いてガラス容器の飲み物を取り出す。意気揚々としながらガラスのコップを用意し、栓がどうなっているかを確認する。

 

「んー、「びう」よりはやわらかいね」

「少し抜きづらいな……っと、よし抜けた」

 

 栓を抜くと、何か不思議な香りが漂い始めた。二人が以前飲んだ「びう」とは違う香りにすこしわくわくしてしまう。何かこう、独特な匂いだった。間近で嗅いで見ると少しきつく感じたが、嫌いではない。早速コップに入れてみよう。瓶を傾け、飲み物を注ぐ。そしてその色を見て二人は驚いた。

 

「……なんかさ。すごい色だね」

「……うん」

 

 注がれたのは、おどろおどろしい色をしたものだった。赤いような、しかしどす黒くてほとんど血液のような色味である。これはもしかして人間の血液で作った飲み物ではないだろうかとも思ってしまった。

 

「でもさー、血の匂いはしないよね」

「そうだな……少なくとも、人間の血液じゃないと思うけど」

 

 チトはもう一度ガラス瓶を見てみる。中身が一体何なのかをもう一度知りたいからだ。少しくるくると回転させて、消えかかった文字の中に「ぶどう」という文字が見えた。

 

「ぶどう……くだもの、ってやつだ」

「なーにそれ?」

「食べ物だ。植物の木になっている食べられる実だ」

「それが入ってるの?」

「恐らく」

 

 一先ずコップに入ったワインを見て、二人はどうしようかと思う。視覚的印象はなかなかえぐいものだったが、興味だってある。レーションは口に入れるとすぐ乾くから飲み物がほしくなる。

 

「……よし!」

 

 ユーリがコップに手を伸ばし、ぐいと一杯飲む。チトはそれをごくりと唾をのんで見守る。

 

「……ぷはぁ」

「どう?」

「うーん、なんというか、今まで経験したことがない味。でも面白いかも」

「……どれ」

 

 チトもまずちびちびと口に入れ、味を確かめる。口の中に今まで経験したことないような味が広がり、不思議な気分になる。だが、確かに嫌いじゃないし、腐っているような雰囲気もない。いや、これはなかなか癖になる味だぞ。

 

「……美味いか、と聞かれると返答しづらいけど……癖になる」

「だね。レーションも食べよっと」

 

 あむ、とユーリがチーズ味のレーションを食べる。チョイスが幸運で、これがまたワインとよく合う味だった。

 

「んお! レーションと食べるとおいしい!」

「私も私も!」

 

 チトはユーリが全部食べるのではと一瞬恐れて、どたどたしながら一本かじり、ワインを飲む。なんておいしいんだ。なるほど、この飲み物はきっとレーションと合わせて飲むために作られたんだ。

 

 その味に二人はしばし無言になってしまい、飲む、食べるを繰り返す。とはいっても、レーションを一気に食べるのは気が引けるため、二袋ほど食べたところでやめて置き、残りのワインを消費することに専念する。

 

「んっ、んっ……ぷはぁ。おーいし」

 

 ユーリが至福そうな顔で言う。チトもぐいぐいと飲みながら頷いた。途中でレーションの節約したため、空腹を埋めるべく飲んで飲んで飲みまくり、既に持ちこんだワイン四本のうち、三本が空になっていた。

 

「うん」

「ワインっていいねー……「びう」はしゅわしゅわしているのが面白かったし」

「うん」

「体がポカポカする~。あと何回くらいこんな思いできるんだろうね」

「…………あと、何回か……」

 

 と、つぶやいたチトに、ユーリは少し違和感を覚えて顔を覗き込む。髪の毛で隠れてチトの表情は少しばかり読み取れなかったが、体が熱いのか頬が赤く染まっている。どこか具合でも悪くなったのだろうか。

 

「ん? ちーちゃん大丈夫? なんかさっきから元気ない気がするけど」

 

 もしかして熱でも出したのだろうか。そう思った瞬間、チトの顔がぬるりと持ち上がり、ユーリを見つめた。どうしたの? そう聞こうとした瞬間、ユーリの世界はひっくり返った。

 

「あでっ!」

 

 一体何が起きた? そう思ったとき目の前には天井が広がっていて、次にチトの顔が目の前に広がった。少しだけ虚ろな目で、ユーリのことをじっと見降ろしている。気づけばチトは手首をがっしりと握り、固定している。そこでようやく、自分はチトに押し倒されたのだと気づいた。

 

「ち、ちーちゃん?」

「そうだよね……あと何回、私たちはこうしていられるか……わかんないんだよ」

 

 一体どうしたのだろう。ユーリはチトが一体どうしてこんなことを話し始めているのかが全く理解できない。だがこのチトの表情、確かに以前「びう」を飲んだときと同じだ。

 

「ずっと、ずっと、毎日毎日上を目指して走り続けて。言葉だけで聞いたらすごくつまらなくて、いつか心が壊れてしまうんじゃないと思うけど。でも、ユーと一緒だと毎日楽しいんだよ」

 

 チトの手がユーリの手を握る。いつも知っているチトの手だ。しかし、その手は驚くほど熱い。

 

「でも、それが明日も必ず続くってわけじゃないんだよ。わかる?」

「…………」

 

 ユーリは答えない。ユーリにはチトの言っていることがいまいちピンと来なかった。だが、一つわかったことがある。

 

「私たちは何度も危ない目に遭ってきた。それこそ死んじゃいそうになることも。だから、もしどっちかが死んで、独りぼっちになったら……ユーリが死んじゃったらと思うと……怖いんだ」

 

 そう。チトは怯えていたのだ。

 

「ちーちゃん……」

「ユー……」

 

 ユーに問いかけるチトは、いつもとは違うトロンとした目を浮かべ、ぷにぷにのほっぺは赤く上気していた。いつも冷静そうな表情をしている彼女からは全く想像できない表情だった。

 

 チトはユーリの両手首をぎゅっと掴み、足が動かせないように自分の足で挟みこむ形でユーリを固定していた。そして二人の顔はとても近く、互いの吐息が簡単に触れあってしまう程だった。

 

 だが、体格や力で言えばユーリの方が上回っているのだから、やろうと思えば簡単にチトを振りほどくことができただろう。しかし、彼女はそれをしようとはあまり思わなかった。

 

 そうだ。チトは、表にさえ出さないけど怖いのだ。突然一人になるのが、突然自分を、ユーリを失うことが怖くてたまらないのだ。世界にたった二人だけ、生まれた時からずっと二人で一緒。お互いのことなんてよく知っている。友達とかそんなのではない、そう例えるなら体の一部のような物。あって当たり前の存在なのだ。

 

 それを突然失ったらどうなるか。そうだ、怖いに決まっている。今自分が食べ物を食べるときに使っている右手が、右腕がなくなったら? 怖くてたまらないだろう。では、チトを失ったら?

 

 考えたこともなかった。考えても想像ができなかった。自分は、チトほど利口ではないから。でも、利口なチトはその恐ろしさに気付いたのだ。楽観的な自分とは違って、彼女はいろいろなものに対して敏感なのだ。だからユーリよりも不安定な場所がたくさんあってもおかしくない。

 

 だからこんな風に怯えているのだ。怖くてたまらないから、ユーリに助けを求めているのだ。きっと、普段ふざけ合ってる時も彼女は時折不安を胸に抱いていたに違いない。それが積もりに積もって、そしてこのワインを飲んだことでチトの抱えていた恐怖が一気に溢れたのだ。

 

ならすることは一つ。チトが怯えているのなら、彼女を助けなければならない。

 

 それが、ユーリがいつしか心に決めて義務だから。チトに襲い掛かる脅威はすべて排除する。何が何でもチトを守り抜く。今彼女が恐怖に襲われている。もし、恐怖とやらに実体があれば、ユーリは容赦なくライフルの弾丸を全弾叩きこんだに違いない。

 

だから、今この瞬間、彼女から離れることなんて絶対しないと決めた。

 

 刹那、ユーリは体を起こし、チトの手を不本意ながら一度離す。そしてチトが不安に駆られる前に手を後ろに回し、思い切りチトを抱きしめた。

 

「大丈夫だよ」

 

 ぽんぽん、とチトの頭に優しく手を置く。チトの体はまるで驚いた小動物のように固まったが、次第に体の力が抜けていくのがよく分かった。

 

「私はちーちゃんから絶対離れないよ」

「うそだ……ユーはいつも自分勝手で、わがままで、食べることしか考えてない……」

 

 そういいながらも、チトはぎゅ、とユーリのシャツを掴む。ユーリはすりすりとチトに頬ずりして、よしよしと頭を撫でてやる。

 

「でも一番はちーちゃんだよ」

「うそだ。お前はお腹がすいていたら私より食べ物を選ぶに決まってる」

「ちーちゃんが嫌なら、食べ物なんていらないよ」

「うそだ、うそだ」

 

 ぎゅうぅ、とシャツを握る力が強くなる。ありゃー、どうしたんだろ。これは困ったな。ユーリはやたらと冷静になれた。何かとても小さな物を受け止めている感覚。尊くて、壊れてしまいそうな物を守りたくなる感覚。それが母性に近いものであることは、少女は知らない。

 

「嘘じゃないよ。もしお腹がすいていて、ちーちゃんと食べ物どっちを選ぶかっていわれたら……私はちーちゃんを選ぶよ。それでもって、ちーちゃんの方を「食べる」よ」

 

 シャツを握る手が少し弱くなった。安心したのだろうか? いや、今の言い方だと引いてしまっただろうか。チトの表情はユーリの胸に埋まっていてわからない。ちょっと怖くなって、フォローを入れる。

 

「あーでも……ちーちゃん食べちゃったら、私が寂しくなっちゃうね」

 

 あはは、と笑って見せるが、チトは黙ったままだ。やばい、なんか地雷踏んだ? ユーリの顔から笑顔が消えて、チトの名を呼ぶ。

 

「ちーちゃん、あの……」

「……れるよ」

「え?」

「食べれるよ……私も、ユーリも、お互いのこと」

 

 食べれる? お互いを? どういうことだ? そう思っていると、チトがゆっくり顔を上げた。それに合わせてチトの手がそっとユーリの頬に触れる。

 

「で、でも食べちゃったらちーちゃんがいなくなっちゃう……」

「ううん。食べなくても、食べられるんだよ」

 

 その直後、チトの唇がユーリの唇を塞いだ。その勢いはまるで我先に自分を食べようとする勢いで、ユーリは驚く。

 しかし、実際にチトはユーリを食べるわけでもなく、ただ唇を押し付けてはむはむとなぶる。その唇がとても熱くて、時折鼻に届くチトの匂いが混ざって頭がとろけていく。

 チトの唾液が、少しずつユーリの口の中に運ばれる。ああ、そうか。これがちーちゃんの味なんだ。ユーリは唐突に理解した。食べなくても、食べられる。

 

「んっ、はっあ」

 

 二人の唇が離れると、混ざりあった唾液がつー、とベッドに落ちる。少しばかり息苦しくて、二人とも少しい気が荒かった。ユーリは自分の唇に触れる。ああ、まだ残っている。チトの感触。熱い熱いあの感覚、味。もっと欲しい。チトが愛おしくてたまらない。もっと、もっと。

 

「ちーちゃん……」

「なーに?」

 

 うっとりとした笑みを、チトは浮かべた。ユーリは我慢できなかった。勢いそのままチトをベッドに押し倒し、今度はユーリから唇を塞ぐ。逃がさないように、逃げないように、あの味をもう一度知りたいからチトの手を握って離さないようにする。チトもそれに応えて握り返す。

 

「ん、ぁあっ」

 

 唇が離れる。チトの吐息が漏れる。彼女の口の周りはほんの少し湿っている。そう、もっと欲しい。まだ足りない。ユーリはたまらずチトの髪の毛に触れすんすんと匂いを嗅ぐ。チトもまた、ユーリの垂れさがる長い髪の毛に触れて自分の顔に近づける。

 

「ちーちゃんの匂いだ……」

「こっちはユーの匂いがする……」

「ちーちゃん……もっと食べていい?」

「……私も、ユーのこと食べるから」

「そうしたら、ちーちゃん怖くない?」

「うん。怖くない」

 

 今度は二人同時に唇が触れ合った。啄むように何度も何度も唇が触れ合い、一度唇を離してもユーリはチトの首筋を甘噛みし、チトはユーリの耳たぶを唇で挟む。お互い息が荒くなる。でも、それが二人の感情を昂らせる。でも、それでも足りない。まだ足りない。もっと、もっと、もっともっともっともっと!!

 

 このまま、二人でお互いを食べあって、そしてそのまま一緒に消えてなくなれば何も怖くないのではと思ってしまう。でも、そうなっては欲しくない。お互いの尊さを理解したから。お互いの「味」を知ってしまったから。

 

 もう、止まらないのだ。

 

 チトがユーリの口の中に舌を押し込む。それはユーリの口の中で動いて、彼女の味を存分に味わおうとしている。ユーリも負けじと、チトの口の中に自分の舌を押し込む。お互いの舌がお互いの口の中で唾液と一緒に混ざりあっていく。まるで、二人が一つの存在になっていくような気がしてたまらなく気持ちよかった。

 

「っ、っん……ユーリ……」

 

 チトの切なそうな顔が、ユーリの人見の奥をじっと見つめる。どこまでもどこまでも黒いチトの瞳に、ユーリは吸い込まれそうになる。気づけばその瞳の奥をもっと見たくなってチトの唇にまた吸い付いていた。チトは抵抗しない。ユーリの頭を抑えて、まるで離れて欲しくなさそうに力を込める。

 

「っはぁ……なーに、ちーちゃん?」

 

 また長い長い口づけを終えてユーリは問いかける。彼女が不安にならないように、そっと頬に手を置く。

 

「…………居なくならないで」

 

 チトが不安げな顔をしながら頬に添えられたユーリの手に触れる。  そんな今にも壊れそうな彼女が尊すぎて、ユーリは指を絡める。

 

「……大丈夫だよ。私はずっとちーちゃんと一緒だよ」

「……うん」

 

 ユーリがぎゅっとチトを抱き寄せる。自分よりも小さくて、華奢な体の彼女は本当に簡単に壊れてしまいそうだった。いつも一緒にいるのに、全く気がつかなかった。

 

(そっか……ちーちゃんって、こんなに小さかったんだ)

 

 チトの気持ちを知ってユーリはようやく彼女の尊さを知った。いつも傍にいて当たり前、今日も明日も明後日もそう思っていた。だが、チトはユーリが思っている以上に脆く、不安定だったのだ。

 

(ごめんね、ちーちゃん。私バカだから……気づかなくて、ごめんね)

 

 ユーリは後悔というものを知った。もっと早く気づいて彼女の力になれば良かったのに。そのチャンスはいくらでもあったのに。チトがこうして言ってくれるまで、気づかなかったのだ。

 気づいてあげられなかった分、力いっぱいチトを抱きしめる。彼女が安心するように、彼女が安らぎを得られるように。

 

 そして、尊いチトの味をしっかり噛みしめるように、ユーリは再び唇を重ねる。チトは拒まない。むしろもっと欲しいと言わんばかりにまた舌を絡める。

 

 お互いの尊さ、そしてお互いの「味」を知ってしまった今。チトとユーリは、お互いを貪ることが辞められそうになかった。

 

 

 

 

「頭が……割れる……」

 

 翌日。目を覚ましたチトが発した第一声がこれだった。一体なんでこんなに頭が痛いのかまったく理解できなかった。確か、ユーリとワインを飲んで、少ししてからの記憶が全くない。思いだそうにも、なぜかユーリの顔しか浮かばなくて混乱しかできなかった。

 

「……って、何で私裸なんだ……」

 

 布団に包まっていて気づかなかったが、体には何もまとっていなかった。そして見てみると、体のあちこちに小さなアザのようなものができていた。怪我でもしたのか? そう思って触ってみるが、痛くも痒くもない。何が起きたのかまったく理解できない。

 

「んぅ……おはよう、ちーちゃん」

「ユーリ、昨日何が起きたんだ? 全く記憶がないんだが」

「……ああ、やっぱり覚えてないんだ」

「何が? 私何かしたのか?」

 

 と、ユーリを見てみるとやはり彼女も全裸で、体中にチトと似たようなアザらしきものができでいた。

 

「なんだこれ……お前にもあるじゃないか。何かあったのか?」

「あー……えっと」

 

 ユーリは昨晩何が起きたのか言うか言わざるべきか迷った。覚えていない、ということはある意味好都合かもしれない。しかし、ありのままを話したら、きっとチトは頭が吹っ飛んでしまうだろう。

 

「……な、なにもなかったよ」

 

 精一杯、平静を装って否定した。しかしユーリは壊滅的なまでに嘘が下手だった。チトはすぐに嘘を見抜いた。

 

「……お前、何か知ってるだろ」

「シラナイ」

「声上ずってるぞ」

「むぐ……」

 

 万事休す。ユーリは戦術的撤退をすべく、布団の中で丸まった。チトは逃がすまいとぽかぽかユーリを叩く。

 

「おい、ユーリ! 何か知ってるなら教えろ、言え!」

「アーアー、キコエナーイ、ドラゲナーイ」

「意味のわからないこと言ってないで、おい答えろ! 病気とかだったらまずいんだぞ」

「病気じゃないのは確かだから大丈夫です」

「~~~~!! ああ、もう! いい加減にっ――」

 

 チトが力いっぱい拳を叩き落とそうとした瞬間、まるで大きな口を開けるかのように布団が広がり、中からユーリが飛び出してチトをがっしり抱きかかえると、そのままベッドに押し倒して今度は二人丸ごと布団に包まる。

 チトは何が起きたのかわからなくて目を回し、抗議の声を上げようとした。が、その隙にユーリがチトの唇を塞ぎこんで黙らせた。

 

「……ぷはぁ。ちーちゃん、やっぱりおいしい」

「……な、え、あ……な、なに、を?」

 

 チトはユーリの行動が理解できなかった。何でこんなことをした、いま私は何をされた? そして、さっきの唇の感触、頭では覚えていないのに体では覚えている。なんで、なんでなんでなんで? 私は一体何をしたんだ?

 

 混乱で頭がオーバーヒートしそうなチト。寝る前のあの時とは違う不安が彼女を襲う。ユーリは、そっと混乱するチトの手を優しく握った。

 

「大丈夫だよ、ちーちゃん。私がずっと傍にいるからね」

 

 

 

 

 

 了

 


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