私。それは一個人を表す言葉で有り、自分のことなのだ。
「つまり、わたしじゃないましろはましろじゃない……?」
15時のおやつタイム中に見ていたワイドショーの言葉にましろが戦慄した。はやては慣れたもので、ひょいとクッキーを摘まんだ。今日も平和やー。中年肥りした眼鏡をかけたおじさんを画面越しに眺め、はやては呟く。
5月も後半に差し掛かった頃。はやてとましろは八神家のリビングでくつろいでいた。もはや日課となったうさんぽ、もとい、おさんぽはすでに行っており、買い物も済んでいる。特に通院の予定はなく、図書館はましろがあまり行きたがらない。することがないのだ。だから、くつろぐ。要は暇人だった。
「で、でもでも、ましろはわたしじゃないからましろじゃなくて、でもましろはましろだからわたしでもあって、でもわたしじゃないからましろじゃなくて、でもでもましろはましろだからましろなの! ……あれ?」
「うん、今日もましろは絶好調や」
あれあれ言っているましろを眺めながらはやては頷く。何度でも言う。慣れたものである。
「おねーちゃんはおねーちゃん?」
「んー、そうやね。おねーちゃんはおねーちゃんや」
どう答えるべきか。僅かに頭を回したはやてだったが、とりあえず肯定することにしたようだ。この返答をましろが望んでいるかどうかなんてわからないが、自分が彼女にとって姉という存在であることは否定できないし、何よりしたくない。
「じゃあ、ましろもましろ!」
フンっと鼻息を荒くしましろが言い切った。ああ、なんと微笑ましいのだろうか。はやては自然と綻ぶ頬を隠そうとしない。彼女が自分のことを「ましろ」だと、「妹」だと言い切ってくれたのだ。これはもう、アレだ。ご褒美だ。
「ましろは今日の晩ご飯、何食べたいん?」
とは言っても、大したことはできなそうだから、せめてましろが好きなものを作ってあげよう、というはやてからのほんのささやかなご褒美だ。場合によってはまた買い出しに行かなくてはならないかもしれないが、そんなことははやてにとって些細なことだった。恐らく、なんだかんだでましろも喜んで付随してくるだろうし、というのがはやての読みだ。
「おねーちゃん、きょうのばんごはんはおかなさんっていってた」
頭に疑問符を浮かべながらましろが確認するかのように返事をした。そういえばそんなことを言ったな、とはやては午前中に行った買い物の時の会話を思い出す。特売日だったらしく、普段よりも比較的安く購入することのできた魚は今も冷蔵庫のチルド室で静かに眠っているのだ。煮付けにでもしようかと思案したのはついさっきの出来事のような気もする。しかし。
「お魚さんは明日にしよか」
何も今日中に食さなくてはいけないわけではないのだ。ましてや、店員にここで調理していくかい? と問われた訳でもあるまいし。今日はこのまま大人しく冷蔵庫にお泊りしてもらったところで、不都合はないはずだ――本当に? 大丈夫だ。問題ない。はやては確認のために一通りのやり取りを脳内で終える。少し満足。さらに言うと、はやての頭の中にはすでに別のメニューが浮かんでおり、今更魚を調理する気にはなれそうにもなかった。
「……ほんと?」
僅かに期待の色に染まった瞳をはやてにむけて、ましろが問う。はやてはにこりと笑い頷いた。ふぉぉぉ、とましろの口からよくわからない擬音が発せられ、その幼い瞳は輝きを増す。なんだかとても嬉しそうだ。かと思えば、つぎの瞬間にはえーっと、えーっと、と彼女なりに一生懸命思案し始めている。あれでもない、これでもないと何やらブツブツと言い出したましろを見てはやては苦笑を浮かべた。忙しい子だな、と。
それから時計の長針が4つ程数字を通り過ぎた頃、ましろが不意に声高らかに宣言した。
「きまったー!」
待ってました、とばかりにすぐ隣に待機していたはやてが財布を掴む。なんとなくましろがこれから言うであろうメニューが想像できるはやては、すでに冷蔵庫の中身のチェックを済ませており、足りない材料の把握、いつでも出れるようにと外出の準備、ついでに言えば先ほどのおやつの後片付けも終わらせている。さすが私、などと自分の手際の良さに痺れてみたり憧れてみたりしようかなんてことは微塵も思わずに、はやてはましろに続きを促した。
「しちゅー!」
よし。はやては頷いた。見事予想が的中したようだった。味といい、入っている具といい、色合いといい、ましろのお気に入りの料理としては群を抜いていることをはやては知っていたのだ。おまけにここ最近徐々に気温が夏に近付きつつあるため、敬遠しがちだったのも自覚している。予想は容易い。
余談だが、ましろは何故か色素の薄いもの、特に白系統のものを好む。衣服にしろ、食物にしろ、だ。はやてと出会った当初からそうなのだが、理由はわからない。本人も特にこだわっている様子はなく、無意識にそうなっているらしかった。同族意識。いや、この場合は同色意識とでも言うべきか。なんてはやてが考えたのは彼女だけの秘密だったりする。
「にんじんは?」
いっぱーい! と、思わず花丸をあげたくなるような元気いっぱいのお返事を頂戴したはやてはニコニコしながらましろを買い物へと連れ出した。いざ、進めやスーパー。目指すは、にんじん。キャベツはどうした! なんて声は聞こえなかった。