麗らかな春の日差しに包まれ安穏と身を包む幸福なひと時。
人生最良の瞬間はしかし、突然の大声に割り込まれ形を失った。
「もうお昼よ! いい加減起きなさい!」
階下から再び声が響く。手を伸ばし目も開けずに目覚まし時計を探るが当たらない。
「………」
時刻の確認を諦め酷く気だるい動作で布団から這いずり出る。
もっと眠りの余韻を楽しんでいたかったが、これ以上長寝をすれば母親が布団を剥ぎ取りに来るだろう。まだ眠気の残る瞼を擦りながらゆっくりと身を起こした。
床に視線を落とせば昨夜眠る前にセットしておいた目覚まし時計が転がっている。
「……懐かしい夢を見た気がする」
ぼさぼさの黒髪を掻きながら先ほどまで浸っていた夢を思い返す。
あれはたしかクリスマスプレゼントに貰ったゲームソフトだ。
周りの子達がみんなやっていたのが羨ましくて、親にねだって買ってもらった物だった。
滅多にない子供のおねだりに両親が張りきったのか、ソフトだけでなくゲーム機本体とテレビ接続可能な別売りハードまでおまけしての大盤振る舞い。念願のゲームと友達も持っていないようなハード機器はとても魅力的で、喜びのあまり小学生なのに徹夜でプレイを続けて怒られたのも良い思い出である。
ついでに言うとそのゲームは自分がオタクと呼ばれる人種へと成長を遂げるきっかけでもあった。
「まあ、現在の話しじゃないんだけどな」
今の自分はオタク気質ではあるものの漫画もゲームもほとんど所有していない。どこにでもいる至って普通な九歳児。正確に言えば九歳と二ヶ月の男児。
夢の中でプレゼントを貰って大はしゃぎしていた子供よりも幼い身の上である。
「おはよう、お母さん」
「あらやっと起きたの。おはよう、セキ」
階段を下りていくと、リビング入口に飾られた金魚鉢に餌をあげていた母親が振り返る。母の手元で挨拶とばかりに角の生えた金魚が水から跳ねた。
そう、普通じゃないのは自分の話しではなく、自分が今居るこの世界。
―― 『ポケットモンスター』 ―― 嘗ての自分が夢中でプレイしていたゲーム、その世界だった。
「セキ、リョクくんから電話きてたわよ。午後から遊ぶ約束してるんでしょう? 早くご飯食べて準備しなさい」
「一時前に行けばいい約束だから大丈夫」
ポッポの鳩時計は十二時半を鳴いていない。食卓にはまだ温かいトーストと目玉焼きが並んでいる。セキが冷蔵庫からサラダを取り出し椅子に着くと母親のフライパンから芳ばしい匂いと共にベーコンが追加された。
「何言ってるの、遅刻・寝坊の常習犯のくせに。今日だってリョクくんから『セキ起きてますか?』なんて聞かれてお母さん恥ずかしかったわ」
「……リョクめ、余計なことを」
「ちゃんとお礼言いなさいよ。わざわざモーニングコールしてくれるなんて優しい友達じゃないの」
「彼女かあいつは」
外面だけはいい幼馴染に渋面が浮かぶ。田舎町マサラタウンは子供の数が少なく、必然的につるんで遊ぶ同年代は皆幼馴染となる。家族同士の距離も近く子供の評判は御近所さんの話題になりやすい。ちなみにセキの幼馴染はたったの三人だ。
「セキ?」
「はいハーイ」
「ハイは一回」
「はい」
きちんと手を合わせて遅い朝食をいただく。この世界の住人となって知ったことだがポケモン以外にもちゃんと動物は存在しているので目玉焼きがポッポの卵だったりベーコンがブーピッグの肉だったりというグロ表現はない。ただし、野生動物は既に絶滅しているため全て養殖もしくは人工授精飼育。
ポケモンでもカモネギなどは美味しいらしいが、乱獲禁止法やトレーナー育成制度のお蔭で食肉としてのポケモンの流通はほとんど無いと聞く。
そりゃ自分のパートナーがレストランメニューに載ってたら誰だって嫌だよな。
食器を片付け歯を磨いて寝癖を整え準備万端。今日はオ―キド研究所でポケモン達の世話を手伝う予定だ。一週間前に博士から裏庭に入る許可を貰ったと幼馴染の一人であるシゲルが自慢していたのを思い出す。正直に言うと面倒臭い。
「動物好きじゃないんだけどなあ」
「セキ、外で遊ぶならこれ被って行きなさい。この前タマムシに出掛けた時に見つけたのよ」
母親が差し出した赤い帽子に目を落とす。……すごく、見覚えがあります。全体は見事な赤色。額にあたる前面と鍔は綺麗に白い。
ゲーム版の主人公が被ってた帽子にそっくりなのは気のせいだと思いたい。まさかそんなフラグとかじゃないよなきっと。
「格好良い帽子でしょう? お母さんの一番大好きな色だったから思わず買っちゃった」
母の一番大好きな色は赤。セキという名前も赤の訓読みから付けたのだと教えられました。しかし偶然の一致だと信じたい。
マサラタウンで母子家庭でオ―キド博士の孫が幼馴染で赤い帽子とか、初代及びFRのゲーム主人公を彷彿とさせる要素満載だけど全部偶然の一致だ。
僕はマサラタウンに住むしがないモブ。極々普通の一般人。何故ならば僕の幼馴染最後の一人こそがアニメ版主人公のサトシくんだから。
受け取った赤い帽子を自室の机に置き、忘れたふりをしてセキは家を出た。