「絶対に逃がすな! エレブー、【ほうでん】だ!」
林に幾筋もの雷光が迸り、森の闇を引き裂く。
襲い来る電流網を避け木々の隙間を滑るように逃げ惑う小さな体を、上空からズバットの群れが追いかける。幾人もの人間達が、彼らの操るポケモン達が、木々を揺らし枝を落としながら確実に距離を縮めて来る。
追跡者の牙をかわし、電流に急き立てられ、追手を振り切ろうと必死に飛ぶ方角は敵の思惑に誘導されたものだった。乱雑に生い茂る林を抜けたそこには、追跡者と同じ匂いを纏う人間達が待ち構えていた。
「S班とU班はそのまま退路を塞ぎなさい」
「はっ!」
あっという間に囲まれ、宙空で急停止した体は尻尾を翻して阻むものの無い上空へと逃れようと進路を変える。しかし、不可視の壁に遮られる。
「此処は既に私のブーバーが造る不可視の檻の中、無駄な足掻きは諦めなさい」
鋭い眼差しに冷酷な光を宿した男の傍らで、夜闇に炎を灯したブーバーが【サイコキネシス】を発動させている。
「ようやく追い詰めたぜ」
一瞬の躊躇の間に背後の林からズバットの群れが空を覆い、追跡者達が姿を現した。
エレブーを伴い追跡者達の指揮を執っていたその男が一歩前に身を乗り出し、その大きな体躯を揺らして獰猛に笑う。ぎらぎらと悪意を乗せて輝く眼が獲物を甚振る興奮に染まり、男の厳つい顔を凶悪に彩っていた。
否応なく高まる警戒が一瞬の空気の揺れを察知して【さきどり】をする。双方向から放たれた電流がぶつかり合い四方に飛び散った。
「ちっ、不意打ちは効かねえか。まあいい。エレブー、【10万ボルト】!」
男の声に応えてエレブーが腕を広げ、辺り一面に凄まじい電流が迸る。
暗闇に慣れた視界が白い光に塗り潰される。電流の威力は凄まじく、逃げ場の無い相手を仕留めるに充分なものであった。だが小さな体を中心に岩が波紋のように湧き立ち、眩いまでの電流は次々と打ち消される。
突如眼前に湧き上がった岩の塊に巻き込まれたエレブーが態勢を崩し、追撃とばかりに【はどうだん】が撃ち込まれ爆風が巻き起こる。
電光で眩んだ視界から一転、爆風に煽られ腕で目を庇う男達。その隙を突き、包囲を抜けるかと思われた体は、何処からか飛来した三本の鉄の輪に阻まれ、何が起きたかも分からぬままその身を囚われ地に落ちた。
「捕獲成功。囮役御苦労さまでした」
いつの間にそこに立っていたのか、男は鋭い目つきで地に落ち身動きを封じられた哀れな姿を見下ろしていた。
「計画通りってなあ。あのままバトルするのも面白そうだったが、ボスの命令が第一優先だ、仕方ねえ。おら、さっさと起きろエレブー」
大柄な男が不完全燃焼といった具合に頭を掻いて舌を鳴らす。技の直撃を受けた筈のエレブーも立ち上がった。無傷とはいかなかったようだが、まだ戦闘可能なエレブーの様子からかなり鍛えられている事が窺える。
「本部に捕獲検体を移送します。撤収準備に入りなさい」
「了解」
下っ端であろうロケット団員達がズバット達を回収し機材を片付けていく。四台の黒いバンに機材を運び込み、団員の殆ども乗り込んでいく。車外に残っているのは連絡に走る下っ端一名と、二人のリーダー格の男達だけだ。
「撤収準備完了しました」
「了解。検体の移送は本部のヘリが行います。ヘリの到着まで待機、離陸後は各自事前ルートで撤収を行いなさい」
「はっ!」
下っ端が敬礼をしてバンに戻って行く。
男は足元で苦悶する小さな体を掴み特殊ガラスのケースに収容する。
「これでロケット団の野望が又一歩実現に近付きます。ボスも御喜びになるでしょう」
「世界征服の礎だ。悪く思うなよ」
男達は達成感と愉悦に低く喉を鳴らし、ガラスケースに横たわる哀れなポケモン――ミュウを嘲笑った。
一方セキは、ロケット団の行動の一部始終を隠れて見ていた。
好奇心からロケット団の後を追い、町外れで彼らがミュウと戦闘を行い捕縛に至るまでの全てを、彼らの背後に隠れて覗き見していたのである。ミュウが現れた時は驚いたが、更にロケット団に捕獲されてしまい、セキは再び選択の岐路に立たされていた。
ミュウを助けるべきか否か。
助けたいとは思う。ロケット団に連れて行かれたミュウがどんな目に合うのかは知らないが碌な扱いは受けないだろう。いい歳したおっさんの廚二病な野望に利用されるのも可哀相だ。
だがセキには戦力が無い。ポケモンを持っていない身であのエレブーを倒すのは不可能に近い。本部のヘリとやらが来ればミュウは連れていかれてしまう、時間も無い。
(僕一人で不意を突けるかどうか……)
セキは木立に身を隠したまま、男達の様子を探る。大柄な男はエレブーをモンスターボールに戻し、ミュウのケースは鋭い目つきの男が所持している。どちらもそれ以上は動かず、大柄な男はいかにも退屈そうに、ミュウを捕えている男はさも平然とした風にPC画面を見つめながらヘリの到着を待っていた。
「さて、あとは無事に移送を完了すれば私達の任務も達成です」
「昇進も間違いねえな。しかし面倒臭い任務だったぜ。ミュウツーなんざ結局失敗作じゃねえか、どんだけ強くてもありゃ破壊工作にしか使えねえぜ。これでまたあんな失敗作拵えられたら堪ったもんじゃねえぞ」
「ミュウツーの不安定さは検体のサンプルが少なすぎたのも原因でしょう。こうして検体そのものを捕えてしまえば問題ありません」
「いっそ、こいつをコピーして大量生産した方が早い気がするがなあ?」
「最強の兵器、最強の組織、それがボスの御望みです。ミュウツーも戦闘能力だけなら成果を上げている、改良を施せば最強の兵器軍団も夢ではない。あとは研究畑の仕事ですね」
傍にミュウを捕えたままで交わされる男達の無遠慮な言葉。ポケモンを道具と見做す彼等の認識がまざまざと伝わり、どちらかと言えば情の薄いセキの胸にも不快な感情が押し寄せた。それでも、ふつふつと湧き上がる不愉快な心地を堪えて彼らの会話に黙って耳を傾ける。男達は聞き耳を立てるセキの存在に気付く様子もなく、呑気というには物騒な会話を続けている。
「ミュウの遺伝子があれば新たなポケモンを生み出すことも叶う。ミュウツーのような無意味な自我など求めぬ、ロケット団に忠実な最強の生物兵器を」
下唇に痛みが走ったが気にならない。拒否反応を示し始めた心を抑えるには唇を噛むしかなかった。
どこか陶酔とした男の言葉からセキが感じたのは、例えるなら白昼の公園で全裸の男を目撃した時のような、反射的な拒絶を伴う生理的忌避感。
大雑把に言ってしまえば、心底「関わりたくない」気持ちである。袖を捲ればセキの二の腕には鳥肌が立っていることだろう。
明らかに思考回路の危ない人間に誰が好き好んで近付きたいと思うか。そんな物好きがいるとすればきっとそいつは変態だ。つまりこんな男達を部下に集めているロケット団のボスは生粋の変態に違いない。変態が集めた変態で構成された変態の為の変態組織。これがロケット団…―!?
「なるほど、なんて恐ろしい連中だ。ゲームでも暴力団系組織にしてはやけに一般市民の認知度が高いから不思議に思っていたが、まさか変態だったとは……」
木陰に隠れてぶつぶつと独り言を呟くセキの姿も端から見れば充分危ない人間なのだが、親切にそれを教えてくれる第三者はこの場にいない。慣れない不快感と生理的嫌悪によって軸のずれた思考が加速した結果、セキの脳内でロケット団は変態の集まりに断定された。目前でミュウを捕えている男達も、最早セキの頭では、いたいけな小動物に悪戯しようとしている要隔離の末期ケモナーにしか見えない。
「待ってろよミュウ、必ずその変態の手から助けてやるからな。そして地元住民の頭痛の種である変態共はマサラタウンから追い出してやる!」
ミュウの純潔とマサラタウンの平和を守らなければ!
……ヒートアップしていくセキの思考は止まらない。アクセルベタ踏みで冷静さを見失ったセキは妙なテンションに突入し、結果的に普段の小心も一緒に見失っていた。
「畜生っ、あの餓鬼どこ行きやがった!」
大柄な男が巨躯に怒気を漲らせて辺りを睨回す。男達の周囲には感電し焼け焦げたスピアー達の無惨な死体が幾体も転がり、事態の要因となった謎の子供は影も形も見当たらない。
「邪魔だ!」
当たり散らすように男の足に蹴り上げられたスピアーの残骸が潰れた音を立てて飛んだ。
――――それは突然起こった。
突如、悲鳴と共に子供が林から飛び出したて来たかと思うと、子供を追うようにスピアーの大群が林から飛んで来た。
明らかに怒った様子のスピアー達から一心不乱にひたすら逃げる子供は、あろうことか自分達に向かって一直線に走って来て、「すみません!あと頼みます!」と叫びながらスピードを落とすことなく体当たりをかまして走り去って行った。
余りにも突然の出来事に、フェードアウトして消えた子供の行方を呆然と見つめていると、いきり立つスピアーの大群が何故か男達に殺到し、その場は大混乱に陥った――――
先刻の混乱直後から野生のスピアー達と激しい戦闘が起こり、男はエレブーを繰り出して襲い来るスピアーの攻勢を叩き伏せた。スピアーの大多数は力尽きる前に恐れをなして逃げ帰って行ったが、真っ先に攻撃を仕掛けた群れの先頭部は男達に駆逐され屍を晒している。
「まったく、余計な邪魔が入ってしまいました。U班S班は先行して町を封鎖しなさい、鼠一匹逃がしてはなりません」
「了解!」
通信が切れると同時に、ロケット団員達を乗せた黒いバンが一斉に発進して行く。
「本部より連絡です。移送ヘリにミュウツーを搭乗、標的が抵抗した場合の使用を許可。速やかに検体を奪回せよ」
通信画面から振り返った男の言葉に、大柄な男が顎を撫でて口笛を吹く。
「使用許可が下りるとは、餓鬼一人に随分な大盤振る舞いじゃねえか」
「……場所の問題です。他の町なら、子供が警察に駆け込んだところで幾らでも握り潰せますが、この町では例え子供一人でも厄介なことになりかねません。あの子供が大人に助けを求める前に見つけ出して始末しなければ」
男の鋭い眼が更に険しさを増して吊り上がる。殺気立つ相方をニヤニヤと笑いながら眺めて大柄な男が相槌を打つ。
「ポケモン研究の世界的権威を出されちゃあ、警察も本腰入れにかかるよなぁ」
大柄な男の口調は意図して皮肉気な響きをしていた。すぐさま剃刀の様な眼差しにじろりと睨まれ降参とばかりに両手を上げて詫びるが、男の顔は嗤っている。
「状況は悪い方向に転がっていますが、事態はまだ深刻ではない。早急に解決して挽回しましょう」
「餓鬼の相手は俺にやらせろ。大人相手に舐めた真似してくれやがったお礼はきっちり返してやらなきゃなあ」
大柄な男がその厳つい顔を歪ませて凄む。猛り拳を打つ男に対し、隣の男は冷たいまでの無感情な視線で行く先を示すPC画面を見せた。画面に映る赤い点滅を確認しながら大柄な男は迷いなく足を進めていく。
「始末をつけるならやり方は問いません」
僅かな間を置いて背中にかけられた返答は、素っ気なく平淡な抑揚とは裏腹に、内に溢れる獰猛な感情が隠すことなく籠められていた。
暗がりの中、目を凝らしては途方に暮れて溜め息を吐く。これで何回目だろうか。
「一匹見たら三十匹てか。ずらりと並びやがって、ロケット団は一体何人いるんだよ」
ひとまず家に帰って身の安全を確保しようと考えていたセキの心算は、道の至る所で目を光らせて立っているロケット団員達の所為で、未だ茂みに身を隠したまま動けずにいた。
遠目にロケット団員達の位置を確認しては眉を顰める。黒い衣服が夜に紛れて非常に判り辛い。わらわらと増える人員も相まってゴキブリを連想させる。
「流石は変態集団。気持ち悪いうえにしつこい」
だが此処で見つかるわけにはいかない。セキの腕の中にはミュウが入った特殊ケースが納まっている。
つい先程、セキは男達から見事ミュウを強奪することに成功した。
変態共の虚を突くべくセキが用いたのは、ポケモン世界で最もポピュラーかつシンプルな方法である。それはアクシデンの王道。別名サトシの十八番。
前世知識を引っ張り出したセキは、アニメでサトシがオニスズメやスピアーを怒らせては何度も追いかけられていた姿を思い出し、その時の映像を参考に、まず林の中で野生ポケモンの巣を探し出した。そうして見つけたスピアーの巣に小石をぶつけてスピアー達を挑発し、一色即発の状態で木に引っ付いていたコクーンを掻っ攫う。
あとは怒ったスピアー達がコクーンを助けようと追いかけてくるのを必死で逃げてロケット団に向かって突撃。擦れ違う際にわざとぶつかり、スリ顔負けの手際でミュウのケースとコクーンをすり替えて、怒れるスピアーを男達に押し付けたという訳だ。
なんとも卑怯で陳腐この上ない作戦だが、結果としてちゃんと上手くいったのだから良しとしよう。
スピアー達に恨まれていそうな気もするが、ミュウを逃がしたら明日木の実でも持って謝りに行けばいい。誠心誠意謝ればきっと許してくれる……と、いいなあ。
怒り狂うスピアー達の怒涛の攻撃を思い返して一抹の不安を抱きつつ、セキは腕の中に目を落とす。ガラス越しにミュウは目を白黒させていた。セキの視線に気付いたのか、青い大きな瞳が不思議そうに見上げてくるので、安心させるべく精一杯友好的な笑顔で声をかける。
「安全な場所に着くまでもうちょっと我慢しててくれ。すぐにそこから出してやるからさ」
「ミュ―」
身動きの出来ないケースの中は窮屈そうだが、敵意が無いことを理解してくれたのか大人しく身を任せるミュウにほっと息を吐いて抱え直した。
ロケット団達はミュウを諦めるつもりは毛頭ないらしく、蟻ん子一匹通さんとばかりに厳戒体制を敷いている。無駄口を叩く輩もおらず、放っておけば朝までだって立っていそうなほどだ。その勤勉さをもっと別な事に発揮すればけっこうな出世も出来るのでは……と思ってしまうのは就職にこだわるセキだからなのだろうか。
「この分だと研究所の方も連中が見張っていそうだな」
どのみち住宅地から更に南下しなければ辿り着けないオ―キド研究所までは遠すぎる。最善の一手を封じられたセキは、住宅地へ向かうのを諦め、優先順位を切り替える。安全を確保出来ない以上、ミュウを人の手の及ばぬ場所に逃がすしかない。
手元の特殊ケースをざっと調べた時に鍵らしき仕組みは見当たらなかった。恐らくは電磁ロックか通信パスワードを打ち込まなければ開かないタイプの檻なのだろう。
ポケモン一匹捕まえるのに手の込んだ事だと思うが、現状、特殊ガラスをセキが自力で抉じ開けるのは無理がある。内側に居るミュウも同様だ。しかしセキには特殊ケースを破る手段に心当たりがあった。冬の季節、夜の帳が降りた暗闇の中という悪条件で、それを見つけられるかどうかは運次第。
一縷の望みを賭けて、セキは普段ならば絶対に足を踏み入れないマサラタウン北西に広がる原生林――カントー地方指定立ち入り禁止区域――へと走った。
次回はいよいよセキのライバルとなるキャラが登場します。
え?リョク?あいつはただのシスコンだよ。
すっぽり抜けてる文章があったので9/24に改訂しました。