ひとしきり泣いて、ようやく落ち着いた一刀は、何か気不味い物を感じていた。
思えば、自分は今まで女性の前で泣いた事がない。一度、この世界から消える事になった時、成都の川のほとりでの華琳の別れの時も泣きはしなかった。
そんな自分が一人の女性にすがり付いて大泣きしたのだ。恥ずかしいなんて物じゃない。
そうやって意識し始めると落ち着いた心がまた騒がしくなってくる。
そんな自分の様子がおかしいのか、凪が微笑みを浮かべながら、一刀を見詰めていた。
「……あー、なんて言うか……なんか悪かったな凪」
「いえ、自分は隊長のあんな姿は初めて見ましたが、その…可愛いと思ってしまいました」
「……さっきの仕返しか?コノヤロー」
「そんなつもりはありません。本当にそう思っただけですから。……そう言えば、隊長は少し口調が荒っぽくなられましたね」
「悪い。気に触ったか?」
「そうではありません。只、自分が知っている隊長との違いに少し違和感を感じただけです」
「……凪もそうだと思うが、俺もこの四年の間に色々あったんだよ……」
一刀は向こうでの出来事を思い出すと表情が暗くなる。一刀自身、自分の表情の変化に気付いていたが、あの地獄を平静な気持ちで思い出す事は出来なかった。
「そうですか……」
凪も一刀の表情が変わったのに、気付いたのか、それ以上の事を言って来る事はなかった。
二人の間に、少し重い雰囲気が漂う。その空気を打ち消す様に一刀は明るい声で、
「まぁ、過去の話だ。今はこの世界に戻って来れたから何とも思ってはいない。こうやって凪とも会えたしな」
凪の頭を撫でながらそう告げる。凪も嬉しそうな様子でその手を受け入れていた。
暫くの間、凪の頭を撫でた後、一刀はボソッと呟く。
「さて、これからどうすっかな……?」
「魏に帰る事は無理になりましたから、とりあえず魏の領地を出なくてはいけませんね。……隊長、自分も隊長と……」
「当然、凪は俺に着いて来てくれるんだよな?」
凪の言葉に被せる様に…一刀自身、答えはわかっているのに、凪にそう尋ねる。
一刀のその言葉に凪はこれ以上にない程の笑顔を浮かべつつ頷く。……そして
「北郷一刀様。我が名は姓は楽、名は進、字は文謙、真名は凪、この身が朽ち果てるまで…いえ、魂魄だけになったとしても一刀様にお仕えする事を誓います。……もう二度と離れたりはしません」
「凪。お前の誓い。確か受け取った。……だからずっと俺の側にいろ」
「はい!」
……交わされた誓い。それは永遠の絆。顔を見合わせては笑う。二人にとってこれからが新たな始まりなのだ。
「じゃあ、そろそろ行くか」
「はい。……ところで隊長、これからどちらに向かうつもりですか?」
「まぁ、いくつか候補はあるが、とりあえず魏を出ないと行けないから先ずは南だな」
「南と言うと、荊州ですか?」
「荊州でもいいんだが、あそこは今は何か騒がしいんだよなぁ」
「蜀と呉の領有権の争いですね」
そうなのだ、洛陽に向かう途中に街の人間に聞いた所、荊州は蜀と呉がお互いに領有権を主張しているらしい。と言うよりその話自体は戦乱の時からあった話だった。
あの時の二国は魏の脅威に対抗する為に手を組んだのが、荊州の事は棚上げにされただけで解決した訳ではない。
魏によって大陸平定が成された後は二国は旧領を任されたのだが、荊州の領有権は宙ぶらりんになってしまったのだ。
華琳もこの問題を解決しようとはしたが、大陸平定が成された以上、戦で決着をつける訳にもいかず、かと言ってどちらかに肩入れも出来ない。
結局、解決出来ないままに、今も外交的なやり方で二国は火花を散らしている状態が続いている。
「そういう事。俺個人としては政治ごっこに首を突っ込みたくないから荊州はなしだ」
「確かに隊長の事が皆に知られれば、政治利用しようとする者が居るかも知れません。隊長は大陸平定の重要人物ですから」
「そういう理由で益州と揚州も除外だ」
「となると……」
「あぁ、交州に行こうと思ってる。あそこは三国の何処にも属してなく、独立した状態になってるからな」
正確には、蜀と呉が狙ってはいるのだが、荊州の事もあるからお互いに牽制している状態で迂闊には手を出せない様だ。
「交州ですか。自分も行った事はないです」
「僻地に行く事になるが、着いて来てくれるか?」
「隊長と一緒ならば、何処へでも」
「そっか、ありがとな、凪。……じゃあとりあえずは一番近くの街に行くとするか。今から向かえば、何とか日が落ちる前にはたどり着けるかも知れない」
「はい!」
「街に着いたらまず鍛治屋に寄らせてくれ。顔を隠す仮面を作ってもらうから。それと名前も変える事にする。北郷一刀という人間は自分で言うのもなんだが有名過ぎる」
「確かにそれはそうですね。……新しい名前は決めておられるのですか?」
「あぁ、決めている」
顔を隠す仮面を使う事を考えた時に浮かんできたその名前。自分は彼ほど美形だとは言えないが名前を借りる事にする。……この世界ではまだ生まれていない男の名前。
「姓は高、名は長恭、字は鬼龍、真名は一刀だ」
一刀が名乗った名前は蘭陵王と謳われた男の名だった。
正確に言えば、長恭は字なのだが、名として使わせてもらう。字は元の世界での敵味方から呼ばれた自分の異名を繋げた。
「……高長恭様ですね。……隊長、この名前は何か意味が?」
「天の世界に伝わっている英傑の名前だ。この世界なら恐らく後、三百年くらい経てば生まれてくる人物さ」
「そうですか。この鬼龍と言う字は?」
「それについては今日、街に着いたら宿で説明する。俺がこの世界に戻ってくるまでの四年間をどう生きたのかを俺がこの世界で誰よりも信頼する凪には知っておいてもらいたい」
「……はい!」
「それじゃあ、凪には俺の真名、一刀を預ける」
「謹んでお受け致します」
「なんか、姓と名と字、そして真名があると、この世界の住人になった気がするな」
「では、この世界で住人になった隊長の真名を預かったのは自分が最初と言う事ですね」
「俺はそのつもりで凪に真名を預けたぞ」
「……自分はその事を誇りに思います」
「正直言って、今日、洛陽から出て凪に会うまでの間、僅かな時間だが、俺は生きる意味を失っていた。それを取り戻させてくれた凪には本当に感謝しているんだ」
「……隊長」
「だから、これからも宜しくな」
「はい!!」
「じゃあそろそろ街に向かうぞ」
暫く歩いた後、ふと、一刀が空を見る。太陽は西に徐々に落ち始めている。こんなに長話するとは一刀も思ってなかった。
「……しくじったな」
「隊長、どうかされましたか?」
「いや、俺は洛陽まで馬車で来たんだが、洛陽の入り口で預けたまま忘れて来てしまった」
あの時、一刀は呆然とした気持ちで洛陽を出てしまい、馬車の事が頭から抜け落ちてしまっていたのだ。
幸い、荷物や路銀はリュックの中に入れて自分で持っていたから旅には困らないが……
洛陽まで戻って、馬車を取ってくる事も考えたが、一刀は洛陽に戻りたくなかった。恐らく凪もそうだろう。
「しょうがない。凪、少し走るぞ。急がないと日が落ちる」
「わかりました」
凪の返事と共に二人は駆ける。およそ、八刻(二時間)程駆けて二人は何とか日が落ちる前に街にたどり着いた。
その夜、街に着いた一刀は、まずは鍛治屋に行き、自分が考えた意匠、顔の上半分を隠す黒い鬼の仮面を鍛治屋に伝え仮面を注文する。鬼の意匠にしたのは、今の自分にはそれが相応しいと思ったからだ。
その後に宿を取り、駆けて汗だくになった身体を宿の井戸を借りて洗い流し、自室で休息を取っていた。その時、扉の外から凪の声が聞こえてくる。
「……隊長、よろしいですか?」
「あぁ、入っていいぞ」
「失礼します」
「とりあえず其処に座って」
寝台に腰掛けていた一刀は自分の隣に座る様に勧める。そして凪が座った同時に一刀は話し始める。
一刀の口から語られる四年間の正確には三年半の地獄。凪はその話を只、静かに聞いていた。……そして一刀の長い話が終わる。
「今までの話がこの世界に戻ってくるまでの俺に味わった地獄だ。……信じるか?」
「信じます。隊長が自分に嘘をつくはずがありませんから。……それにしても天の世界での戦はそんなに酷い物なのですか?」
「あぁ、こう言っては凪に、いや、大陸に住んでいる者達に失礼かも知れないが、四年前のこの大陸の戦乱でさえ、今の俺から見れば大した物ではない。それほど悲惨な物だった」
「……それは、今の隊長の武をもってしてもですか?」
「……気付いていたのか?」
「はい、普段は抑えておられる様ですが、先ほどの話をしている最中、無意識に凄まじい気を発しておられました」
「そうなのか?」
「はい、自分は気に対して耐性がありますので、耐えれましたが、普通の民が隊長の気を受ければ、間違いなく気を失います。恐らく隊長の武は自分はおろか、春蘭様や霞様を超えておられるのでは?」
「……凪の言う通り、今の俺の強さは春蘭や霞以上だろう。それでも、俺の世界の戦では全く役に立たない事もないが、絶対的な物でもない」
「何故ですか?」
「俺の世界では、武器の技術が発展していてな。小さな子供が指一本で春蘭や霞でも簡単に殺せる武器があるんだ。そしてそれは俺も例外ではない」
そう言って、一刀は上半身の服を脱ぐ。そして服の下から現れた一刀の傷だらけの身体を見た凪は絶句する。
一刀は自分の身体に刻み込まれた銃創を指差し
「これが、今言った武器で受けた傷だ。この傷を受けた時は何日も生死の境を
説明するが、凪は呆然としている。
「……悪い。女の子に見せる身体ではなかったな」
一刀はそう言って急いで服を着ようとする。
「自分は大丈夫です!……その傷は隊長が勇敢に戦った証です!……かつて隊長も自分の傷だらけの身体を見て同じ様な事を言って下さいました。あの時の言葉は今も自分の自信と誇りになっています」
凪は手を伸ばして、一刀の身体の傷を優しく撫でる。そして、何を思ったのか、傷痕に口付け、舌を這わせる。
「っぁ!凪!?」
「自分は隊長の全てを受け入れます。だから一人で傷付かないで下さい。……一刀様」
凪の瞳に映るのは深い慈愛。……仕草は四年経って少女から大人になり艶の入り交じった女の色香……
凪のその姿に一刀の理性は……一瞬で焼き切れた。
翌日、一刀が目を覚ますと、凪は既に起きていて、微笑みながら一刀の顔を眺めていた。
「凪、おはよう」
「隊長、おはようございます」
朝の挨拶が終わった後、機嫌が良さそうだった凪はジトッとした目付きで一刀を見詰める。
「な、凪、どうしたんだ?」
「……隊長、やりすぎです」
「な、何が?」
「昨夜の事です。……まさか五回も気を失う事になるとは思いませんでした。もう少し自重して下さい」
「……すまない」
「い、いえ、隊長を責めている訳ではないのです。……求められるのは自分としても光栄で……」
「……ごめんな。無理をさせてしまったみたいだな」
一刀は顔を赤らめてゴニョゴニョ言っている凪の頭を撫でて謝る。
「あ、謝らないで下さい。昨夜の自分の乱れぶりが恥ずかしかっただけで……隊長が望まれるのでしたら何度でも……」
「凪、ありがとう」
「わかりました!わかりましたから!…………こういう所は以前と変わってない」
最後の方は小声で聞き取れなかったが、凪の機嫌が直って一刀は安心する。
「隊長、御召し物を着替えるのをお手伝い致します。……その前に身体をお拭きします。汗をかかれている様なので」
「わかった。頼む」
「はい!」
一刀は凪に身体を預ける。そして心の底から幸せそうに自分の世話をする凪を見て、一刀は思う。
……これは……責任取らなアカンなぁ……
いや、元より、一刀は凪と離れるつもりはない。でも今の凪の姿を見ていると、そんな縁もゆかりもない関西弁が頭に浮かんだのもまた事実
そうして、二人は一刀の仮面が出来るまでの三日間、その街で休息を取り、南へ旅立つのだった。
作者の心中(あれ?凪ってサブヒロインの予定だった…よな……?)
凪「やったぜ!(ガッツポ)」
大体、こんな感じ
ちなみに一刀の仮面はうたわれるもののハクオロの仮面の黒いバージョンと思って下さい。