叫び惑う人々の流れに逆らう様に、彼女の元へひた駆ける一刀。
胸の中に色々な感情が渦巻く。だが、何より一番最初に頭を過ったのは
……何故、こんな所に居るんだ!?風!
風が此処に居る理由はわからない。それでも此処で死なせる訳にはいかない!
そんな一刀の焦燥感を嘲笑うかの如く、逃げ惑う民が邪魔でしょうがない。いっその事、全て切り捨てて駆け抜けてやろうかという考えすら浮かぶ。
だが、それだけはする訳にはいかなかった。今さら、善人を気取るつもりはないが、それをすれば、只でさえ、自分の生き方が人の生き方であるか怪しいのに、本当に取り返しのつかない事になる。この民達は生き延びる為に逃げているだけで自分に敵対している訳ではないのだ。
一刀は畜生道に堕ちるつもりはない。自分が歩くのは獣の道だとしても、そこは譲れない一線だった。
……間に合うか!?
一刀が風の方を見ると、風は逃げていない。自分が逃げるのを後回しにして民の避難を優先している。
「お前はそんなキャラじゃないだろ!」
思わず溢れる悪態。民を逃がしたい気持ちはわかるが、風にとって無関係な人間のはず、そんな人間の為に自分が逃げる時を無くすのは、今の一刀からすれば馬鹿げていた。
ようやく、民の囲みを突破した一刀が見たのは、数十人の賊に囲まれている風の姿。
一瞬、背中に嫌な汗が流れるが、まだ死んではいない。一人の青年が槍を振るい、必死に風を守っていた。
青年の腕は立つ。間違いなく武将クラスの腕前。恐らく、その青年一人なら難なく突破出来るだろう。だが、風を守りながら戦うなら限界は見えていた。
そんな事を考えていたのが、悪かったのだろうか、その青年が賊の攻撃で左肩に手傷を受ける。
「羅憲さん!!」
叫ぶ風の声。もはや、考えている時間はなかった。
一刀は右手で投げナイフ十本を立て続けに投擲。それと同時に左手のワイヤーを展開。
ワイヤーに気を流し込み。自分の身体強化を脚に重点的に行う。
……瞬刻
それは一刀の高速移動術の名。
瞬刻からのワイヤーと刀での惨殺術は今の一刀の切り札中の切り札。身体に負担が掛かる為、そう乱発は出来ないが、それを差し引いても凶悪な性能を誇っていた。
気を込めた脚を踏み込み、一刀は加速する。瞬刻、その名の通り瞬きの刻、人の限界を越えた疾さ。
その一秒にも満たない時の後……
全てを切り裂いた一刀が風の眼前に立っていた。
かつて賊であったモノ。その中に立ち尽くす一刀は思わずため息を吐く。
「はぁ……」
……身体能力だけに限れば、完璧に人間を辞めたな。
わかっていた事実を再び確認した一刀。五年前とは逆の意味で自分が住む世界ではないのではないかと考えてしまう。
五年前は平和ボケした自分には過酷な世界だと思っていた。周りに居る武将が自分の元の世界でも見る事が出来ない様な超人ばかりだからだ。
しかし、今は違う。今の自分にはこの世界は温すぎる。武将がいくら強いと言っても、使う武器は精々、剣か槍、弓と言った所。銃弾や迫撃砲が飛び交う訳じゃない。
今の自分の気持ちは油断や慢心なのか?一刀にはそれすらわからない。
いくら考えても答えは出なかった。それでもわかった事はある。それは今の力がなければ風は助けられなかった事。
その事だけでもあの元の世界の四年と気の力に感謝すべきだと思う。
「……あっ」
突然、目の前に現れた黒き鬼に風は困惑と驚愕が入り交じった表情を浮かべる。その顔に恐怖の感情がないのは、まだ現実を認識出来ていないだろう。
「久しぶりだな、風」
一刀は風をからかうつもりで仮面を付けたまま、風の真名を呼ぶ。
「!!……風の真名を……訂正して下さい!!」
「訂正する必要はないな」
「おいおい、仮面を被った兄ちゃん。それがどんだけ無礼なのかわかってないとは言わせねえよ」
「宝慧も久しぶりと言っておこうか。……風、俺の声を忘れたのか?」
一刀はそう言いながら被っている仮面を外す。
「……お…兄…さん」
「……まさか、風に忘れられるなんて……俺は風の姿が見えた途端、一目散に駆け付けたと言うのに……」
一刀はそんな事を言いながら、若干、気落ちした態度を見せる。
「……お兄さんは何年か会わない内に、随分とお腹が黒くなりましたねー」
風の辛辣な言葉に
「俺自身、その自覚はあるが、それでも風ほどじゃない」
と一刀はやり返す。
「風ほど、心が綺麗な少女はこの大陸には何処を探しても居ないですよ~」
「……まぁ、そういう事にしといてやろう」
一刀は風の言葉に苦笑しながら頷く様に答えた。
「……それにしても」
風は自分の周りを囲んでいる多数のかつて人であった肉塊を見つめながら
「お兄さんはこの五年で随分と変わってしまった様ですね……」
そう言葉を発する。
「あぁ、否定はしない」
「……お兄さん、華琳様の事ですが……」
風が華琳の事を話そうとするが、
「もう終わった事だ。終わらせたのは華琳だがな」
その言葉を叩き切るかの如く、一刀は断言する。
「お兄さん……」
「あぁ、勘違いするなよ。俺は別に華琳を恨んではいない。あいつの選択は王として何も間違ってはいない。帰って来るかもどうかもわからない男を待ち続けるなんてあいつの立場が許してはくれないだろう。だが、」
一刀の顔に険しさが帯びる。
「そんな正論で納得出来る程、この世界に戻る為に足掻きに足掻いた俺の四年は安くない」
そう、一刀は華琳の選択を理解はしていたが納得はしていなかった。
「では、お兄さんは華琳様の事をどう思っているのですか?」
「昔、愛した女だ。俺の知らない所で勝手に幸せになればいいさ。俺は何とも思わん。只、俺から華琳にしてやる事はもう何一つない。そして、もし、俺の敵として俺の前に立つなら……」
『俺は華琳を斬る』
事も無げに一刀は言い放つ。心の奥底では今も華琳に対する想いはある。
それでも敵となるなら容赦はしない。今の自分には華琳よりも大事なモノがあるのだから……
それを護る為なら誰であろうと斬る。獣の様に身内を護り、獣の様に敵を殺して最後には死ぬ。今の自分にはこんな生き方しか出来ない。
かつての自分なら大事なモノは全て護ろうとしただろう。そして、多くを取りこぼす。
今の自分は大事なモノに明確な優先順位をつける。そして、順位の低いモノから切り捨てる。
一刀は今の自分の考えが間違っているとは思わない。願えば…頑張れば…そんな事で自分の希望が叶うなら、いくらでも願ってやるし、頑張ってもやる。
だが、現実はいくら願っても、頑張ってもあの国では叶う事はなく、共に死線を潜った仲間はラキを除いて皆、死んだ。
それを経験した一刀は大事なモノに対する以外の甘さを消した。人は冷酷と言うかも知れない。人は残虐と言うかも知れない。
……人は鬼と言うかも知れない。
例え、そう言われても一刀は気にもしない。本当に大事なモノを護る為ならいくらでも汚名であろうが、侮辱であろうが、受け入れよう。
……今の自分は覚悟が出来ている。それは昔、愛した女でも必要なら斬る覚悟だった。
宝慧の慧は本来、左にごんべんが付きます。