「あー……」
幾多の民衆が自分に注目する中、一刀の頭の中で困惑が広がっていた。
……一体、何を語ればいいんだ?
なし崩し的に立ち上がる事になったが、一刀からすれば、この先をどうするかなんてプランは全くない。
と言うより、自分にすがり付こうとしている民衆に言いたいのは……
甘えんな!!
その一言しかないのだ。自分が動こうとしないで、誰かが何とかしてくれるのを待つなんて考えは、今の一刀が一番唾棄する考えだった。
民衆の気持ちもわかる事はわかる。かつての自分も民衆側の人間だっただろう。
自分だけではなく、元の世界で日本に住んでいた人間なら大多数はそうだと思う。
一刀はこの世界で華琳と出会い、自分から率先して動く事を覚えた。そして、元の世界の戦争で自分を限界まで鍛え上げた。
……己に宿る物が全て。
その思いを胸に一刀は自分の力だけを信じてあの戦争を戦い生き抜いた。もちろん、ラキや死んだ戦友にも信を置いてはいたが、誰も一刀に着いて来れない。極限状態で頼れるのは、やはり自分の力だけだった。
言ってみれば、北郷一刀という存在は個で既に完結している。仲間という存在はある意味では足手まといにしかならない。
極端な話、誰も必要とはしない自分。集団でしか生きる術を持たない民衆。根本的な所で生きてる世界が違い過ぎた。
そもそも自分は今、眼下に居る民衆の事を何とも思っていない。しいて言うなら、勝手に生きて、勝手に死んでくれ。その程度の存在だった。
そんな自分の語る言葉に何の説得力があると言うのか?
中々、話しを始めない一刀に民衆がざわつき出す。チラリと後ろを見ると、心配そうな仲間達の顔。
仲間達のその顔を見て、一刀の口元が微かに吊り上がる。
……おいおい、何だよ揃いも揃ってその顔は?まさか俺がこんな所でしくじるとでも思ってんのか?
確かに北郷一刀にはこの数多の民衆に語る言葉は持たない。
……そう、北郷一刀であるならば、
だが、今、此処に居るのは北郷一刀じゃない。
……これより始まる大舞台。民衆が望む役者は名君たる高長恭。
ならば演じて魅せるさ。誰もが望む強く気高く優しい、蘭陵王高長恭を…………だから
……お前達、そんな顔するな。
一刀の魂に炎が猛る。身体から覇気が
一度だけ目を瞑る。暗闇の中で数秒間、自分の今までを振り返った。……そして刮目。
一刀が再び目を開いた時、其処に居たのは民衆にとって、完全無欠の王、
……蘭陵王高長恭だった。
「これ程の数の人間が、私を頼って今、この場に集まってくれた事を私は心から嬉しく思っている」
一刀が語り始めたと同時に民衆のざわめきが収まる。
「皆、今の交州の状況に不安を感じている事だろう。この交州を良く治めておられた士燮殿が病に倒れ亡くなってから交州は悪化の一途を辿っている」
一刀の言葉に民衆がその通りと言わんばかりに頷く。
「亡き士燮殿の親族が士燮殿の名声を楯に好き勝手にやっている現状。それによって後を絶たない賊の横行。さらには蜀と呉の二国がこの交州を我が物にしようと狙っているとの情報もある」
「このままでは近い将来で士一族の圧政で今より酷くなり、少し先の未来では蜀呉の二国に飲み込まれる……どちらにせよ、交州の未来は明るくはない」
一刀の言葉で民衆が再び、ざわめき出す。
「皆、それぞれに思う事はあるだろうが、これが現実だ。……だからこそ私は皆に聞きたい」
『本当にその様な未来で良いのか!?』
民衆に問いかけた言葉。その言葉を一刀自身が誰よりも強く否定する。
「否!断じて否!皆もそれがわかっているからこそ、今、この場に私を頼って集まってくれたのだろう!?」
一刀の言葉が熱を放つ。その熱は民衆を包み込み始める。
「此処が皆のそして私の分水嶺なのだ!選択肢は二つ!人として生きるか!狗として生かされるか!」
「皆が狗として士一族にそして蜀呉の二国に搾取された後の残り物で生かされていくなら私の出る幕はない。今日にでも交州を去ろう!」
交州を去ると言い放った一刀の言葉に、民衆達の中で動揺が広がる。一刀はその動揺を打ち消すが如く、民衆にもう一つ選択肢を突きつけた。
「だが、もし、皆が人として、自らの力で生きる事を望むなら!私は皆の先頭に立ち、誰よりも勇敢に戦って見せよう!だから皆も私と共に戦ってくれ!……この交州の!…いや、皆が守りたい願う人達を守り抜く為に!」
……その言葉には魂がこもっていた。一刀からすれば仮初めの魂。されど民衆からすれば誠の魂。
一刀が演じると決めた強く気高く優しい完全無欠の王。
……高長恭はこの大舞台で躍動していた。
民衆は躍動する完全無欠にして仮初めの王から目を離せない。一刀から発する言葉、熱、覇気、そして威風堂々たる立ち振舞い。全てが民衆の身体を、魂を熱くさせる。
そんな中、民の一人が呟く。
「……あの方は俺の王だ」
本来なら、誰にも聞こえない様な、か細い声。だが、その声はその場に居る民衆全員の心に染み渡り、
……火付けとなった。
「「「うおおおおお!!!」」」
「俺は高長恭様の下で戦うぞ!!」
「てめえ!抜け駆けすんじゃねーぞ!俺も行くぞ!」
「高長恭様!!」
「私も連れて行って下さい!!」
「高長恭様万歳!!」
民衆に広がる熱狂。自分の事でこの状況になっているのに一刀は何処か俯瞰的にその光景を眺めていた。
自分の言葉でこの者達を戦場に送る事になった。その事実に対して思う所はない。
自分の言葉があったとは言え、決断したのはこの者達だ。その事で負うリスクはこの者達自らが背負わなければいけない。唯一、自分に出来る事は言った言葉を嘘にしない事。それだけだった。
自分は舞台に立った。多くの人間を犠牲にする終わる事のない舞台。
終わりがあるとすれば、自分が死して灰になるその時だけ。
……後悔はない。もう始めてしまった事だ。
一刀が振り返ると平伏する凪達の姿。
凪達のその姿に一刀は言及する事なく、
「出陣は十日後だ。凪と晶と陸は希望する者を兵として迎えて、その者達の訓練。風と叡理はこの城に残っている物資や兵糧の取り纏めとその他の雑用。人が必要ならお前達の判断で召し抱えていい」
それだけを言い残して城に戻って行った。
一刀が去った後、風が口を開く。
「……凪ちゃん、風はお兄さんを見誤っていました。昔のお兄さんと違う事はわかっていましたが、まさかあれほどとは……」
「風様、それは自分もです。民達に語っていた時の隊長の覇気は間違いなく……五年前の華琳様を越えていました」
「そですねー。風が思わず平伏する程の覇気でしたからねー。それだけではなく、民を惹き付ける演説に立ち振舞い、……風は起こしてはいけない人を起こしてしまったのかも知れません」
五年前と余りに違う一刀を改めて見て、凪と風は思う所があるのか戸惑いを隠せない表情になる。そんな二人に喝を入れる様に話に割り込んだのは晶。
「お前達は難しく考え過ぎだ。私は昔の一刀様を知らんが、それでも命を懸けるに値するお方というのは、今日のお姿を見て改めて確信した。……お前達はそうではないのか?」
晶の単純にして真っ直ぐな言葉は二人の表情を晴れさせる。
「風とした事がお兄さんの変わってしまった所ばかりを見て動揺してしまいました」
「はい、自分から見ても確かに変わった所はありますが、根本的な所では昔の優しい隊長のままです」
「ちょっと三人で盛上がらないで下さいよ!僕も兄さんの為に戦うと決めているんですから!」
「……私も力及ばずながら一刀様の為に尽力するつもりです」
陸と叡理が必死に自分の存在を主張する。
「おぉ!お二人の影が薄いので、風の頭からお二人の存在が抜け落ちていましたー」
風は二人に対してからかいの言葉で返す。
「「なっ!」」
「二人共、本気にしないで下さい。風様は二人をからかっているだけですから」
「そうだな、風の言葉を一々、本気にしていたら切りがないぞ。私はもう慣れた。そんな事より一刀様の命を果たすべきだと思うが……」
「確かにそうですね。風様も二人をからかうのはそれくらいにして、隊長の命に取り掛かりましょう」
「はいはーい、それでは叡理ちゃん、とりあえず先に兵糧を確認しに行きますよー」
「晶、陸、自分達も行きましょう。十日という短い期間ですが、出来る限りの精鋭を隊長にお渡ししなければ……」
凪達はそれぞれ自分達のやるべき事をなす為に各自の持ち場に向かう。
そして十日後、高長恭が歴史の表舞台に姿を現す。それは戦いの始まり。
後に程仲徳によって記された高長恭の戦いの記録。その書の名は……
『鬼龍伝』と言った。