精彩を欠いていた。
自分らしくもない失敗をここ暫く、数多く積み重ねている。明らかに執務に集中出来ていなかった。
理由はわかっている。彼が…一刀が帰ってきたからだ。その事を聞いて以来、常に一刀の事を考えていた。
……逢いたい、逢いたい、逢いたい。
一刀に対する想いは募る一方。それと同時に自分は一刀と逢う事は許されないと華琳は考えていた。
……どんな顔で逢えばいいのだ!?
自分はもう、一刀と違う男と夫婦になった。その自分がそんな考える事自体がおかしい。
それでも……許されないとわかっていても……華琳は一刀に逢いたかった。
一刀の帰還がもう少し早いか、自分の決断がもう少し遅ければ……
華琳は最近、ずっとその事ばかりを考えている。いくら考えても意味はない。もう終わってしまっている事なのだ。それでも考えずにはいられない。
自分は即断即決の人間だ。そして自分の判断が間違えていた事なんて今までなかった。…そう、今までは……
華琳は自分の判断に自信が持てなくなっていた。勿論、民や兵達の前では普段通りの自分で居るつもりだ。
しかし、付き合いの長い重臣達には確実に気付かれている。華琳の積み重なる失敗の後始末をしているのが彼女達なのだから。
それに一刀に逢いたいのは自分だけではない。彼女達もそうだ。特に三羽烏の二人はすぐにでも飛び出して行きたそうな顔をしている。
だが華琳としては二人の出奔を認める訳にはいかない。凪と風が魏から出て行ってから明らかに人材が足りていないのだ。
二人もそれがわかっているから、今も魏に留まってくれていた。
「……無様なものね」
華琳は鏡に映る自分を見て呟く。鏡に映る自分が本当に天下を平定した魏の覇王なのだろうか?
これでは一人の男に恋い焦がれている普通の女と変わりないではないか……
華琳の私室、そこにはいつしか、男の香りが漂うようになっていた。自分の夫の香り。そしてそれは自分の愛する男とは違う香り。
華琳は八雲……自分の夫を嫌っている訳ではない。むしろ頼りがいのある男だと思っている。夫婦としての情もある。
……それでも男としては好いていなかった。
八雲を愛さなければならない。理性ではわかっている。だが感情が邪魔をする。
「……ままならないわね」
だから言って、このまま悩み続けている訳にもいかないのが王たる自分の現状。
華琳は気を取り直して玉座の間に向かう。自分が決断を下さなければならない案件が山積みだった。
華琳が玉座の間に到着すると、普段の様子と違い、張りつめた緊張感が漂っていた。臣下達が慌ただしく走り回っている。
「華琳様!!」
自分の姿を認めた春蘭と秋蘭がそう言って駆け寄って来た。顔には焦りが浮かんでいる。
「秋蘭、この有り様は何事よ?」
「……華琳様……八雲が…裏切りました」
秋蘭の言葉に華琳の時は止まる。秋蘭の言っている事が理解出来なかった。
「……何を馬鹿な事を…」
「……」
華琳を見る春蘭と秋蘭の表情はどこまでも真剣だった。付き合いの長い華琳にはそれがはっきりわかる。
「……本当なの?」
「はい、八雲は華北四州を纏め、晋という国を建国したようです」
「……晋」
思わず呟く華琳。考えが纏まらない。脳裏にあるのは、一体何故?その疑問だけだった。
理由がわからない。八雲は王たる自分の夫で魏では二番目の権力者。いずれ自分と八雲に子供が出来れば、その子供が魏を継ぐ事になるのは決まっている。そんな磐石の地位に居る八雲が裏切る理由なんてないのだ。
一瞬、蜀と呉、どちらかの離間の計かも知れないと考えたが、今の二国がそれをするとは思えないし、それ以上に八雲はそんな計に嵌まる様な甘い男ではなかった。
「とにかく、軍を召集しなさい。それが終わり次第、許昌に向かうわよ」
華琳はすぐさま決断を下す。八雲も真意がどうであれ、事が大きくなってしまった以上、見逃す訳にはいかない。
「「はっ!」」
春蘭と秋蘭が持ち場へ向かう。此処に居ない他の者達もそれぞれのやるべき事をやっているのだろう。
しかし、一体何故?その疑問がいつまで経っても華琳の頭から離れる事はなかった。
一月後、洛陽には華琳の号令を待つ兵が集結していた。
その数、二十万。
五年前なら百万は動かせたが、今の魏にはこれが限界だった。
戦乱の終結と共に軍縮を行い、八雲に華北四州を奪われた事が響いている。
国境の兵も召集すれば後、十万は増えるが、国防を考えると動かす訳にはいかなかった。
二十万では少ないと華琳は思っていた。華北四州の豊かさを考えれば八雲は三十万以上の兵を動員してくる可能性がある。
かつて袁紹……麗羽と戦った時はもっと劣勢だったが負ける気はしなかった。
だが今回は舞台は同じだが、役者が違い過ぎる。八雲は華琳が才覚を認め夫にした男。その能力は華琳に劣る物ではない。
それでもやるしかなかった。出来る限り早く事を収めないと蜀と呉が何かを企むかも知れない。
華琳は桃香と蓮華を信用していた。だが、その家臣までは信用していない。二国で今回の事を好機と考える人間は間違いなく居るだろう。
華琳の夫の八雲が乱を起こした。言ってみれば華琳の失態なのだ。それは三国同盟の盟主としては致命的な失態だった。
華琳は玉座で襲い来る頭痛と戦っていた。慣れた痛みであるはずなのに、今日はやけに鬱陶しい。
「華琳様、全軍出撃の準備が整いました」
稟の報告に華琳は頷く事で返す。
「全軍……」
「申し上げます!」
華琳の号令を遮り、玉座の間に飛び込んで来たのは、一人の文官。
「晋から使者が参りました!」
「なんだとっ!」
文官の言葉に春蘭が気色ばむ。
「落ち着きなさい春蘭。……晋から誰が来たのかしら?恐らく郭淮辺りと思うけど」
「……それが」
「久しぶりですね。華琳」
玉座の間に颯爽と現れたのは、色白の美青年。
「……八雲」
自分の夫であり、今回の事の元凶。司馬懿仲達、その人だった。
「少しやつれたのではありませんか?」
「……誰のせいだと思ってるのよ」
「私のせいですね」
悪びれる事なく、八雲は言い放つ。
「八雲ぉぉ!貴様ぁぁ!!」
「お止めなさい春蘭!……八雲、良い度胸ね。まさか反乱を起こした貴方が一人で洛陽に乗り込んでくるなんて」
華琳が絶を構える。それを見ても八雲は動じた様子はなく、穏やかな笑みを浮かべていた。
「華琳、貴女と戦う前に話しておきたい事があったもので。……それに貴女も知りたいでしょう?どうして私が貴女に反逆したかを……」
八雲の言葉に華琳は絶を収める。
「……聞かせなさい」
「その前に、これを一緒に飲みませんか?冀州の美酒で今年は特に美味しく出来たんですよ」
そう言って八雲は小さな酒の容器を取り出す。そして毒味をする様に八雲は一杯飲んで見せる。
「……頂くわ」
華琳の言葉を聞いた八雲は杯に酒を注ぎ入れ、暗殺を警戒する秋蘭に杯を渡す。
秋蘭から杯を受け取った華琳はそれを一息で飲み干す。
……しかし、それは酒ではなく、只の水だった。
「……八雲、貴方ふざけてるの?」
「ふざけてはいません。只の水も美酒と思って飲めば美酒になるとは思いませんか?」
「そんな事、思える筈が……」
「いや、貴女は思える筈です。簡単な話ではないですか、私を北郷一刀と思う様な物ですよ」
八雲の言葉が華琳の心に突き刺さる。痛烈な皮肉だった。
「……そう、それが理由なのね」
「華琳、貴女はどれだけ尽くしても、幾度、肌を重ねても私を見てくれようとはしなかった。私がどれ程の苦痛を抱えていたか、貴女にわかりますか?」
「……八雲、貴方、私を恨んでいるの?」
華琳の言葉に八雲の表情が一変する。
「そんな事ある筈ない!!私は!昔も!今も!そしてこれからも!華琳、貴女を愛しています!!」
「では、何故!?」
「……北郷一刀、帰って来ている様ですね」
華琳の身体が硬直する。血まで凍ってしまった様な感覚に襲われた。
「華琳、北郷一刀が貴女の前に現れたらどうするつもりですか?」
「……それは」
「きっと私は捨てられるんでしょうね……」
そんな事はない!華琳はそう言おうとしたが、言葉が出て来ない。
「……やはりそうですか」
八雲の悲しげな顔。それを見ても華琳は八雲の言葉を否定する言葉を発する事が出来なかった。
「……わかってはいましたが、実際に現実を突き付けられると心が傷付きます。そして私の行動が間違いではない事がわかりました」
八雲の目に決意の炎が灯る。
「私は五年前の貴女の流儀、力を持って大陸を平定し、貴女の全てを手に入れて見せます!それが私の貴女に対する愛です!!」
堂々たる宣言。華琳の目の前に立つ男の風格は自分と同じく……まさしく王だった。
「……そう、八雲、それが貴方の決めた道なのね」
「はい。ですが、私としては華琳、貴女と戦うのは邪魔になる者達を叩いてからにしたいのですよ。そこで私から提案です。この大陸にある国が魏と晋になるまで不戦協定を結びませんか?私はまず呉を潰そうと考えているので。貴女はその間に蜀を潰すなり好きにすれば宜しいかと」
「八雲、私がそんな案に乗ると思っているの?それに貴方の領地は魏にしか接していないじゃない」
「あぁ、領地の事はご心配なく、……もうそろそろだと思いますから」
八雲がそう言うと同時に一人の兵が玉座の間に飛び込んで来る。
「申し上げます!!徐州が晋将社預により陥落致しました!!」
その報告は玉座の間を騒然とさせるには充分な物だった。そんな中、一人涼しい顔の八雲。
「私の言った通り、心配はいらなかったでしょう?」
「……確かにその様ね」
「華琳、私の言った不戦協定を受けてもらえますか?」
「ことわ……」
「華琳、身体に不調はありませんか?」
八雲に言われて、華琳は自分の手に痺れがある事に気付いた。
華琳の様子に魏の重臣達が色めく。
「あんた!華琳様に毒を盛ったの!?」
「桂花!……八雲、さっきの水ね」
「はい、解毒薬は此処にあります」
八雲はそう言って、華琳に小瓶を見せる。
「貴様!それを寄越せ!」
「私の提案を受け入れてもらえるならお渡ししましょう。断るなら此処で割らせて頂きます」
「待ちなさい秋蘭!……八雲、貴方も飲んだ筈よね?」
「はい、私も飲みましたが」
「私が貴方の提案を断れば、私も貴方も死ぬ事になる。それはいいの?」
「華琳、貴女は何を言っているんです?貴女と共に死ねるならそれは私にとって本望ですよ」
狂気を感じさせる八雲の言葉、その言葉に何の偽りもない事が華琳にははっきりとわかった。
「……わかったわ。貴方の提案を受け入れる」
「華琳、真名に誓えますか?」
「えぇ、この曹孟徳、真名に誓って貴方との約定は守るわ」
華琳の誓いに八雲は笑みを浮かべる。そして
「それでは、これはもう必要ありませんね」
そう言って、小瓶を床に叩き付けた。
「「「なっ!!」」」
「安心して下さい。華琳に盛った毒は手足が痺れる程度の毒で死ぬ様な物ではありません。痺れも数刻で治ります」
……やられた。華琳の心中にその思いが過る。八雲の命懸けの駆け引きに自分は飲まれてしまった。だがもう遅い。自分は真名に誓ってしまったのだ。それを翻すのは、今までの自分を否定する事。そんな事出来る訳がなかった。
「私の用事は終わりましたので、これにて失礼させてもらいます」
そう言って八雲は来た時と同じ様に、颯爽と玉座の間を去ろうとする。
そして、玉座の間を出る直前に華琳に振り向き、
「あぁ、そうそう、一つ言い忘れていました。……北郷一刀は私が殺します。今、何処に居るかはわかりませんが必ず見つけ出して殺します」
笑みを浮かべ、怨念と殺意が入り交じった言葉を言い残し、八雲は去っていった。
予告なしでチラシの裏に移したので、その事に気付かない読者様がいるようなので、一旦通常投稿に戻します。また、ちょっとしたらチラシの裏に移そうと思います。