交阯城郊外の原野。そこで喚声が上がっていた。
今日は凪、晶、陸の兵の調練の成果を一刀が見聞する日。
黒鬼隊を引き連れた一刀が三人それぞれの演習を見ながら、隣に居る風に話し掛ける。
「風、どう思う?」
「良くやっているんじゃないでしょうかー。凪ちゃんの演習は魏で見る機会がありましたから、今さら言う事もないですが、晶さんと陸さんは風が考えていた以上に良いと思いますよー」
「……そうだな」
風にはそう言うが、一刀は内心、物足りないと思っていた。
凪の指揮は三人の中では、一番、攻防のバランスが良い。兵もこのまま調練すれば精鋭にはなるだろう。
……だが、それはあくまで並みの精鋭。
一刀から見ればまだまだ甘い。凪には兵を死のすれすれまで鍛え上げる厳しさがなかった。兵に情を持って接しているからだ。
それは指揮官にとって利点でもあり、欠点でもあった。その事がわかっていても一刀は凪に言う事はしない。
一刀が黒鬼隊を鍛えた時の様な調練法にする様に凪に課せば、間違いなく凪の心が壊れる。
これが凪の限界なら、それは仕方のない事で、一刀としても凪を追い込む真似はしたくなかった。
晶に関して言えば、攻撃特化の指揮。春蘭と全く同じタイプ。このタイプは嵌まれば強いが、搦め手に弱い。
実際、晶は反董卓連合で搦め手で致命的なミスをしている。けれど一刀はこの点を注意する事はない。下手な事を言うと、晶の持ち味の突破力を無くしてしまう可能性がある。猪突猛進なら猪突猛進でいい。それを上手く使うのが一刀の役割なのだから。
兵の調練については凪より厳しくやっている。それでも一刀には不満はあるが……だが、晶は凪と違い、まだ己の限界に辿り着いていない。何かきっかけがあれば、指揮も調練もがらりと変わる様な気が一刀にはしていた。
陸については、一言で済む。
……手堅い。
とにかく手堅いのだ。良く言えばミスがない。悪く言えば怖さがない。晶とは正反対の守戦特化の指揮。若く男とは思えない可憐な顔をしているのに、経験を積んだ老武将の様な手堅さだった。
これはこれで持ち味でもある。ミスがないと言うのは指示を出す一刀としては計算に入れやすいのだ。何を任せても大成功はしないが大失敗もしない。成功する時はそこそこの成功で失敗する時は被害を抑えた失敗。
兵の調練も同じ様な手堅さで使いやすいと言えば使いやすいが、一刀は個人の武と同じ様にもう一皮剥けて欲しかった。
「……お兄さんは不満の様ですねー」
風は一刀の心中を察したのか、そう声を掛けて来る。
「不満と言う訳じゃない。物足りないだけさ」
「お兄さんは贅沢なのですよー。風から見れば、三人共、優秀な指揮官だと思いますよー」
そんな事はわかっていた。三人は間違いなく優秀、しかし現時点では優秀止まりなのだ。天才ではない。もし、今此処に……
「霞ちゃんが居ればですか?」
風が一刀の心の先を読む。
「あぁ、そうだな。霞が居ればなと思ったよ」
霞は天才だった。一刀が知っている中でもっとも高く買っている前線指揮官でもある。
攻防両方に優れ、機転が利き、なにより霞だけの武器である速さを持っている。そして兵に対しても厳しく当たる事を躊躇わない。一刀が今、一番欲しい指揮官だ。
「霞ちゃんはいずれ、お兄さんの下に来ます。お兄さんに惚れ抜いていますからねー。……ですが、そんな霞ちゃんでも今のお兄さんには勝てないでしょう。凪ちゃんとの模擬戦、あれは風にとって衝撃的でした。……お兄さん、兵の指揮なんてほとんどした事ないですよねー?」
「風、兵の指揮は経験も大事だが、一番大事なのは感性だ。俺はその気になれば数十万でも指揮する自信があるぞ」
一刀からすれば、兵の指揮と言うのは個人戦の延長だった。如何に相手の隙を突くか、それに尽きる。そういう意味で一刀の先読みと相性が良かった。
一刀は風に数十万を指揮出来ると言ったが、黒鬼隊二千しか指揮するつもりはない。
兵を指揮出来る事と兵を自分の手足の如く扱える事は違う。兵を手足の如く扱うには二千が限界だろうと一刀は思っていた。
それ以上になるとかえって動きが悪くなる。自分に着いて来れないからだ。その事を良くわかっているのは、一刀が知っている限りでは霞だけだった。
霞も兵力には頼らない。自分が手足の如く扱える兵だけを率いていた。それがあの速さを生んでいたのだ。
「……終わった様だな」
一刀が霞の事を考えている内に、三人の調練が終わっていて、兵を纏めていた。
「俺は先に戻る。風、三人に良くやったと伝えておいてくれ」
「わかったのですよー」
一刀自身が三人に伝えたかったが、やる事があった。
「黒鬼隊は風の護衛だ、わかったな?」
一刀の言葉に黒鬼隊の面々が頷く。
黒鬼隊に副官は居ない。代わりに一刀が見込んだ十人にそれぞれ二百ずつ、指揮権を与えていた。もし、戦場で一刀に何かあれば、その十人が撤退指揮をとる事になっている。
交阯城に向かって駆け始める。馬に乗るのも大分上手くなった。今の一刀は騎射も出来る様になっている。その腕前は一息に十矢を放つ事が出来る程だ。黒鬼隊は五矢はいけるだろう。
黒鬼隊を此処まで鍛え上げるのに、多くの兵を死なせた。それについては後悔はしていない。
調練で死ぬ兵は戦場で一番最初に死ぬ兵だと一刀は思っている。
その兵が戦場で一人で死ぬなら言う事はない。問題は力不足故に本来死ななくて良い兵を巻き添えにする可能性がある事だ。
そうなる位なら自分の手で殺してやる。それが一刀なりの情けだった。
配置変えは許さなかった。それを許してしまうと調練に緊張感が無くなる。何かあれば兵は配置変えを望む様になるだろう。
死と隣合わせの調練だからこそ、黒鬼隊は他に類を見ない程の精鋭になったのだ。
只、調練に着いて来れなかった兵を全て殺した訳ではない。他の皆は一刀が三千人殺したと思っているが、殺したのは精々数百といった所だろう。
では残りの兵が何処にいったのか?
一刀は周りに自分以外の人間が一人だけになった事を気配で確認して、
「那由多」
一人の女性の真名を呼ぶ。
「お呼びでしょうか?」
音もなく、一刀の前に黒髪の短髪の女性が現れる。
一刀直属特殊工作部隊屍鬼隊副隊長朱桓……それが彼女の肩書きと名である。
黒鬼隊を脱落した者達の中には、黒鬼隊に向いていないだけで、殺すには惜しい才を持つ者が大勢居た。
例えば、武器の扱いの才はないが、誰よりも長く駆けれる者、逆に武器を扱う才能はあるが、馬術の才がない者、人より視力がずば抜けて良い者、会話が上手い者など、そういう一芸に特化した者達を集め、一刀の元の世界で鍛え上げた工作員の技術を叩き込んだ部隊が、黒鬼になれず、屍になっているはずの鬼。屍鬼隊であった。
こういう部隊が如何に大事か、一刀は身を持って知っている。ある意味、戦闘を行う部隊より重要度が高い。故にこの部隊の事は仲間の誰にも言っていない。どこからこの部隊の情報が漏れるかわからないからだ。
黒鬼隊が表の切り札ならば、屍鬼隊は一刀にとって自分だけの自分だけが知る裏の切り札だった。
「変わった事はなかったか?」
「この交州を探っていた他国の間者がおりましたので、全て始末致しました」
「誰の手の者かわかるか?」
「はい、殺す前に拷問致しました所、蜀の諸葛亮、呉の周瑜、それと……」
「魏の郭嘉の手の者で御座いました」
「……そうか」
流石は稟だった。蜀と呉はともかく、この段階で魏から交州に間者が送られてくるとは一刀も思っていなかった。自分達の存在を知られる前に始末出来て良かったと一刀は思う。
一刀は風が巻き起こるのを待っていた。自分が交州を制圧した事で火は点けた。後は風が巻き起これば、火は炎となって大陸に広がる。
そうなれば、蜀と呉に付け入る隙が出てくるだろう。交州が……自分達が生き残るにはその隙を突くしかない。
「後、魏で反乱が起こった様に御座います」
「何!?詳しく話せ!」
一刀に魏の反乱の詳細を話す那由多。その話を聞き終えた一刀は何とも言えない顔で一言呟く。
「……下手を打ったな、華琳」
だが、一刀にとっては好機だった。自分が待っていた風が……いや、暴風が大陸で巻き起こっていた。