成都の城壁、残暑が厳しい昼間と違い、涼しい風が吹く夜、星はメンマをつまみに一人盃を傾ける。
見上げれば、薄く輝く満月。月を見ながら一人で飲む酒が星は好きだった。
酒を飲みながら思い出すのは変わり者の友の事。
それほど長い時間を一緒に居た訳ではない。自分とは歩む道も違う。お互い敵として戦う事もあった。
……それでも友は友だった。
その友が自分の国、魏から姿を消した。彼女……風が何故、魏から去ったのか気になった星は魏に居るもう一人の友、稟に文を送った。
そして、返ってきた文の内容を見て、星は思わず笑ってしまう。
まさかあの変わり者が男の為に国を捨てるとは想像もしていなかったのだ。
星はそれを可笑しいと思うと同時に何とも言えない気持ちに襲われた。心に感じる引っ掛かり。始めはそれが何なのかわからなかった。
けれど時が経つにつれ、その引っ掛かりは鮮明な物になっていく。
……あぁ、私は風が羨ましいのだな。
頭の固い愛紗辺りなら激怒しそうな国を捨てる理由だが、星からすればそれが眩しく思える。
別に惚れた男が居るから羨ましい訳ではない。何か一つの事に全てを懸けれる風が羨ましいのだ。
自分の現状に不満があるという事じゃない。昼は華蝶仮面として活躍し、夜はメンマをつまみに酒を飲む。仲間に恵まれ、民も平和を謳歌している。
これ以上を望む事はない。この平和の為に自分は槍を振るってきた。満足、そう満足なはずなのに、
……何故か、心が渇いていた。
満たされないのだ。何をしていても、かつての戦乱の時の充実感が感じられない。……その理由はわかっていた。自分は武人で武人は乱世でこそ輝く。
民にとって平和な世界は自分にとって退屈な世界。心に鬱屈した物が溜まっていく。時折、叫び出したくなる衝動に襲われる事もあった。
司馬懿の反乱と高長恭の交州奪取を聞いたのはそんな時だった。
それは三国同盟の崩壊、再び来る戦乱の世。その情報を聞いた時に星の心にあったのは嬉しさ。
始めはその気持ちを否定しようとした。だけど考えれば考えるほど自分の中で否定出来る材料がなくなっていく。
最後に残ったのは、趙子龍としての闘争本能だけ。どこまでいっても自分が武人である事を再認識するだけだった。
そういう気持ちになったのは、自分だけではない。再び戦乱が始まる事に悲しそうな顔をする主君である桃香の手前、表には出せないが桔梗や翠も何処か張り切っている。決して認めはしないだろうが、愛紗でさえ鍛練に対する気持ちの入り具合が違っている。
武人とはそんな物だろう。戦いを求めるのが、自分だけではないのがわかった星は何処か安堵していた。
星は酒を口に運ぶ。その時、自分を呼ぶ声が聞こえて来た。
「星、やはり此処に居たのか!」
その声は自分にとって一番の戦友の声。
「愛紗よ、私に何か用かな?」
「何か用かな?ではない!荊州に出陣するのは明日だろう!?先鋒軍の大将のお前がこんな時間まで酒など!」
「そう怒鳴るな、お主もどうだ?」
星は愛紗をなだめながら盃を差し出すが、どうやらその行為がお気に召さなかったらしい。
「星~!!」
「愛紗よ、そう怒ってばかりいるとしわが増えるぞ」
「し、しわって、私はまだその様な年ではない!」
「かと言って若い訳でもあるまい。もう少しで二十も半ばに差し掛かるのだから」
「……その言葉、紫苑には絶対に言うな」
「言わぬよ、私もまだ命は惜しい。それに紫苑は良いのだ。夫に先立たれたとはいえ、一度は結婚している。それに比べ、我らはどうだ?男の影もないまますっかり行き遅れと言われる年になっている」
「……それは」
「お主と同じ様に、私もまだ若いつもりだが、鈴々や朱里、雛里を見ていると年月という物を思い知らされるよ。鈴々の裸体を見たか?胸など我らより大きくなっているぞ。朱里や雛里は昔と変わらぬが……」
「お前はどうして下世話な話に持っていきたがる!?それに鈴々は確かに身体は成長したかも知れないが、内側は全くもって成長していない。この前も兵の訓練をさぼって木の上でよだれを垂らして寝ていたのだぞ!」
その時の事を思い出したのか、頭に手を当てながら顔をしかめる。
星はそんな愛紗の様子を見て、笑ってしまった。
「星、何を笑っている!?」
「いや、鈴々の事を成長していないと言うが、愛紗、お主も鈴々の事で頭を悩ませるその様子は昔と変わっておらぬよ」
「なっ!…………はぁ~、もう良い。それで何かあったのか?」
「……何かとは?」
「今日のお前はいつもと違う様に見える。荊州攻めだけが理由ではあるまい?」
この融通の効かぬ戦友は自分の事を良く見ている。星にとってそれは嬉しい事だった。
「……風の事を考えていた」
「曹操の軍師の?確か、魏を去ったと聞いているが……」
「あぁ、そうだ。風が魏から去った理由は知っているか?」
「いや、それは知らない」
「惚れた男を追って行ったらしい」
「……男の為に国を捨てたのか」
愛紗はそう言いながら、厳しい表情になる。それは星にとって予想通りの態度だった。
「愛紗よ、お前の言いたい事はわかる。わかるが、風にとってその男は国より大事な物なのだろう」
「しかし……」
「人はそれぞれ違う価値観を持っている。お主が桃香様や鈴々、この蜀の国を大事に想っているだろうが、他国の人間からすれば、桃香様や鈴々、蜀の国は大事な物ではない。そしてその事をとやかく言う権利はお主にはないのだよ」
「……」
星の言葉の意味がわかったのか、愛紗は風の行動についてそれ以上は言わなかった。
「国を捨て、主君を捨て、仲間を捨て、友を捨てるほどの恋がどんな物なのだろうと考えていた。生憎、私は男に惚れた事がないのでわからんが、全て捨て、全て懸けれるほどの想いを羨ましいと思ったのだ」
「……それで男や結婚の話をしたのだな」
「あぁ、私も女に生まれたのだ。恋の一つもしないまま年を重ねるのはどうかと思ってな」
星としては惚れた男が居る風が羨ましい訳ではないが、それとは別で恋という物に興味はあった。
「だが、それも再び起こった戦乱を鎮めてからだ。その時は愛紗、お主も一緒に良い男を探そうではないか?こんな良い身体を生かさないままなのは惜しいぞ」
そう言いながら、星は愛紗の背後に回り込み、その豊かな胸を揉みしだく。
「あっ、んっ、星!止めないか!」
星は自分に向かって飛んでくる愛紗の拳をひらりとかわして距離を取る。
「おぉ~怖い怖い。これ以上すると恋をする前に愛紗に殺されてしまうな」
「馬鹿者!とっとと寝てしまえ!」
「ふむ、ではそうさせてもらおう」
星は酒とメンマの壺を持って、自分の部屋に向かって歩き出す。
「星!」
背中越しに聞こえる愛紗の声。
「無茶はするなよ」
その言葉に星は愛紗の方に振り返り、
「私を誰だと思っている。常山の昇り竜趙子龍だぞ。必ず勝って帰って来るさ」
振り返った星の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。