思わぬ出会い、一刀は顔に動揺が出してしまいそうになるが、一瞬で心を立て直し、表情に余裕を浮かべ、村長に返答する。
「いや、俺としては大した事をしたとは思っていないのだが、せっかくの歓迎、心良く受けさせてもらおう」
「賊を二十人を瞬時に討ち取る事が大した事ではないか、腕に自信があるようじゃのう」
村長と共に出て来た女性がそう言って興味深そうに一刀を眺めていた。
「け、慧殿!」
「村長、そちらの女性は?」
「この村では慧と呼ばれておる」
一刀の問いに答えたのは、村長ではなく、その女性自身だった。
「お前が彼らの言っていた慧か、自分の記憶がないらしいな?」
「……儂の記憶の事を初対面で言って来るとは随分と遠慮のない小僧じゃ」
「気に触ったなら謝ろう。だが初対面の男をいきなり小僧呼ばわりするお前もお前だと思うが?」
「小さい事を言うでないわ、そんな事ではおなごにもてんぞ」
「生憎と俺を慕う女は多くてね。これ以上増えても困るくらいに」
余裕の表情で軽口を叩く一刀を見て、慧の顔に笑みが浮かぶ。
「小僧、お主の名は?」
「高長恭」
一刀が名乗ると同時に村の人間の表情が凍り付いた。
「こ、交州の州牧様!」
「賊殺しの鬼!」
「お、おい馬鹿止めろ!聞こえるぞ」
もう聞こえているんだがな。そう思いながら村人達のざわめきを気にもしない様子で一刀は受け流す。
名を名乗るかは少し迷ったが、隠す事に意味はない。どうせ、この村も自分の領地になるのだから、いや、もうなっている可能性もあった。
それに一刀にとって州牧なんて地位はどうでも良い物でそれをひけらかして偉ぶるつもりもさらさらない。
「こ、これは州牧様とは知らずにこの様な村にお越し頂いて大変失礼致しました!」
村長が跪いて一刀に頭を下げる。
「村長、その様な事はしなくて良い。俺は州牧としてではなく、一人の人間としてこの村を訪れている。気軽に高長恭と呼んでくれ」
「そ、そんな事は……」
「ではそうさせてもらおうかの。高長恭」
村人達の中で唯一、動揺の色を見せなかった慧が村長の言葉を遮り、一刀を呼び捨てにした。一刀はそんな慧に視線をやる。
「なんじゃ、気に入らなかったか?やはり州牧様と呼んで欲しいのか?」
「いや、お前は良い女だなと思っただけだ」
「なっ!なんじゃと!?」
「自分が真っ先に俺を呼び捨てする事で村人達を安心させ、尚且つ、俺が怒ったとしてもその矛先を自分にだけ向けさせる。そういう配慮が出来る女だから良い女だと言ったんだ」
一刀の言葉が図星だったのか、慧の顔はみるみる内に赤く染まる。
「小賢しい小憎じゃ!村長、儂はもう行くぞ。その小僧の為の宴の準備があるからのう」
子供が拗ねた様な態度で足早に去る慧の背を一刀は苦笑しながら見送る。そんな一刀に頭を下げる村長。
「村の者が失礼な真似を、大変申し訳ありません」
「気にするな。俺は失礼だとは思っていない。むしろああいう裏のない態度は好ましい物だ」
「それでしたら良いのですが……あぁ、このまま立ち話もなんですので、宴の準備が終わるまで我が家でおくつろぎ下さい」
「では、そうさせてもらおう」
村長に家に案内されながら、一刀が考えるのは先ほどの慧と名乗る女性、黄蓋の事。
彼女が記憶を失った要因として一刀が占める割合が大きい。いや、ほぼ全てと言っていい。
自分が赤壁の歴史を変えてしまった事で彼女の今がある。そんな彼女の記憶の事を彼女自身に話すべきか……
別に恨まれる事が嫌な訳ではない。一刀としてはあの時の行動を後悔してもいない。そうしなければ魏の兵が大勢死に、華琳の覇道も潰えていた。
魏の人間であったあの時の自分の行動は何も間違えてはいない。だが、その理屈が孫呉の宿将であった黄蓋に通じるかは、また別の話。
流れに任せるしかない。一刀はそう割り切った。考えても簡単に答えの出る事ではないからだ。
村長の家に着いた一刀は通された書斎で適当な書を眺めながら、自分が呼ばれるのを待っていた。
そして三冊目の書を読み終わったと同時に村長が自分を呼びに来る。
「高長恭様、宴の準備が整いました」
「あぁ、ちょっと待ってくれ。すぐに行く」
一刀は読み終わった書を棚に戻し、書斎の扉を開ける。
そこに居た村長に一言、声掛けて向かったのは村の広場。
「……ここまで大袈裟にやる事はなかったんだぞ」
広場全体が幕で覆われ、大きな幕舎になっている様子を見て、一刀はポツリと村長に溢す。
「高長恭様が何と言われようとも、隣の州とは言え、州牧様をお迎えする宴です。あまり粗末には出来ません」
「……そうか」
一刀はそれ以上何も言えなかった。望んでいなかったとしても自分の為にやっている事とわかっているからだ。
一刀は酒は一人か少人数で静かに飲むのが好きなのだが、村は完全にお祭り騒ぎになっていた。盛り上がっている村の様子を見て一刀は思う。
……やっぱ、地位が高いのってクソだな。
そんな事を考えながら、挨拶に来る村人に対してビジネススマイルで応対する。近々、自分の領民になる者達だ。あまり邪険にも出来ない。……ラキがいなければ賊から見捨てるつもりだったのは心の棚に閉まっておく。
寄って来る村人を適当に相手にしながら、到着したのは広場の中央、十数人は入れるであろう大きな天幕が張られている。中に入ると十名程の男女。一刀が助けた四人と慧もそこに居た。
「高長恭様、こちらへどうぞ」
案内されたのは一番上座の席、一刀がその席に座ると、盃に村長自ら、酒を注ぐ。
「では始めさせて頂きます。この度は村の者を命をお救い頂きまして真に深くお礼を申し上げます。そして州牧である高長恭様をこうしてお迎え出来ました事をこの村の誉れとさせて頂きます。……乾杯!」
「「「乾杯」」」
その言葉が合図となり、宴が始まった。
皆が思い思いに酒を飲み、料理を堪能していた。
一刀も自身の目の前に置かれた料理を口に運ぶ。
「……美味いな」
思わず呟く。一刀が食べた料理は決して良い物を使っている訳じゃない。いや、一般の民からすれば良い物だと思うが、少なくとも魏で食べた華琳の料理の様な高級感はまるでない。
ただ、手が込んでいた。しいて言うなれば流琉の料理に似ている。一刀からすれば好みの料理だった。
「お気に召されましたか?」
「あぁ、実に美味い。久しぶりにこんなに美味い物を食べた」
一刀は元の世界の経験から食べられる物なら何でも食べる。今だって基本的には兵と同じ物を食べている。たまの贅沢で食べる凪の料理は美味い。だが、この料理は明らかに凪の料理よりワンランク上の料理だった。華琳、流琉と同レベルだ。
「その料理は慧殿が作ったのですよ」
「……そうか、慧、お前が作った料理は実に美味い。お前は良い嫁になるだろうな」
「おや、ではお主が儂をもらってくれるかのう?」
慧が悪戯気な表情を浮かべて、一刀に迫りその豊満な身体を押し付ける。
「心にもない事を抜かすな。このたわけめ」
「……全く、可愛げない小僧じゃ。こんな美女に迫られているのじゃから動揺くらいせんか」
「お前は小僧と言うが、女の色香に惑う程若くはない。だがそうだな、こんな美味い物を食わせてもらったのだから、一つくらい、お前の頼みを聞いてやってもいいぞ」
一刀の言葉に慧の目に猛々しい光が灯る。
「では、手合わせを願おう。漆黒の鬼面龍と謳われるお主と一度戦ってみたい」
慧のその一言で天幕内に緊張が走った。しかし、周りの緊張を知らんと言いたげに立ち上がった慧は気迫をみなぎらせながら一刀を見下ろしていた。
闘気を隠そうともしない慧を見て一刀は思わず笑みを浮かべる。
……やってもいい。
そんな気分になっていた。
「いいだろう。……村長、これは余興だ。お前達は気にする事はない」
そう言って一刀は立ち上がって、天幕の外に出た。