真・恋姫†無双 鬼龍伝   作:三十路のおっさん

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想いは遠く

傾けた酒壷から水滴が途切れる。

 

「なんや、もう空っぽかいな」

 

霞は酒壷の中を少し覗き込む様に見詰めながら、独りごちる。

 

今、大陸は再び戦乱の気配を見せているが、霞が居る合肥は平和な物だった。

 

だが、その平和もいつまで続くかわからない。現に合肥の北のそれほど離れていない地では魏を離反した司馬懿の晋と呉が戦いの真っ最中だ。

 

二国の争う寿春戦線は火を噴いていた。

 

勿論、それは比喩だが、そう表しても可笑しくない激烈な戦いが繰り広げられている。

 

霞は当初は晋があっさり勝つと思っていた。その予想は兵力が違う事もあるが、司馬懿という男の才を見て霞は判断した。個人的には司馬懿と言う男は好きではないが、その才覚は認めていた。

 

司馬懿の下に居る将もそれぞれが魏で重臣となっていても可笑しくない位の才の持ち主。

 

幼い頃から司馬懿に仕えていた郭淮はともかく、他の人間はどこから見付けて来たんだと思う。そういう人材を集めて統率出来る。その事実だけで司馬懿の才覚が並ではない事を証明していた。

 

それに対して、呉の総司令官は陸遜の義娘とは言え、外での実績が殆どない、霞から見れば子供としか言えない将。

 

孫権に王を譲った孫策や周瑜が出張るならともかく、そんな子供が指揮を執っている様では勝敗は見えている。

 

だが、事態は霞の思わぬ方向へと動いていた。霞は子供と思っていた将、陸抗が見事な戦いぶりを見せたのだ。

 

晋の攻撃を巧みにいなし、自軍の被害を抑えて今だ寿春を保持していた。

 

しかし、その陸抗の善戦も、もうすぐ終わりを告げるだろう。

 

霞が放っていた間者から晋の本隊が動き始めたと報告が入ったからだ。

 

「よう、頑張ったんやけどなぁ」

 

霞は会った事もない陸抗に届かぬ事がわかっていながら賛辞の言葉を送った後、ある事を決めた。

 

おもむろに歩き始める霞。向かった場所は執務室。

 

「満寵!満寵はおるか!?」

 

執務室の扉を開きながら、霞は合肥に来てから自分の副官を務めている男の名を呼ぶ。

 

「張遼将軍、如何されました?」

 

霞の呼びかけに応える一人の男、満寵が目を落としていた書簡から目を上げて霞を見据える。

 

「出掛けるで、準備しい」

 

「出掛けるのは宜しいですが、一体どちらへ?」

 

「寿春や」

 

「わかりました。あまり大勢で行くと目立つので、供回りだけで向かいましょう」

 

悪戯っ子の様な笑みを浮かべながら、激戦地に赴くと言う霞に動揺する事なく、満寵は淡々と霞に返事をした後、執務室を出て、準備に取り掛かる。

 

内心では満寵を驚かそうと思っていた霞は満寵の対応に肩透かしを食らった様な気分になっていた。

 

「相変わらずやなぁ、あの男は」

 

満寵が出て行って一人になった執務室で霞は呟く。そう、満寵という男は何があっても動じないのだ。彼の上官になって二年と少しになるが、霞は満寵の動揺した所を見た事がない。

 

霞がどんな無茶を言っても、彼は決してそれを無理とは言わずに出来る方法を模索していく。そして結果を出す。

 

明らかに自分の副官に収まっていて良い男ではなかった。器量は間違いなく将軍級、いや、内向きの事も万事滞りなくこなす働きは何処かの太守や州牧でも不足はない。

 

自分が昼から酒を飲んでいられるのも、彼が居るからだ。

 

正直言って、霞は戦い以外で満寵に勝てる気がしない。戦いでも彼の得意な防衛戦では勝てるかどうか怪しかった。

 

「なんであの男はウチの副官なんかしとるんやろなぁ?」

 

霞は本当にそう思っていた。はっきり言ってしまえば、自分と満寵の位が逆でも霞は不満はない。それだけの実力を持った男だ。

 

霞は軍人として随分と長く生きてきたが、女性が活躍するこの大陸で明確に実力を認めた男は司馬懿と満寵の二人だけだった。

 

「まぁ、あの男が居るなら合肥はウチがおらんでも大丈夫やろ」

 

そう言った霞の脳裏に一人の男の顔が浮かぶ。

 

「……一刀」

 

呟くのは自分の想い人の名。軍人として自分が認めた男は司馬懿と満寵の二人であっても、女として自分が愛した男は北郷一刀、ただ一人だけであった。

 

川のほとりで沢山の光に囲まれながら、一刀と愛を語り合ったあの夜の事は今も霞の心に焼き付いている。

 

嫌っている司馬懿はともかく、満寵にすら真名を許さないのは、常に一刀が自分の心の真ん中に居るからだと思っていた。

 

一刀以外の男に真名を許すのは、一刀に対する、いや、自分の気持ちに対する裏切りだと霞は勝手に思っていた。

 

司馬懿に対しては最初から合わなかった。客観的に見て美形で物腰も柔らかで才もある。

 

嫌う要素などないはずなのに、司馬懿と話す度に霞は心に何処かざらついた物を感じていた。

 

それは時が経っても消える事はなく、司馬懿が華琳と結婚する事になった時、一刀の場所であったそこに入り込んで来た時、曖昧だったその気持ちははっきりとした嫌悪感に変わった。

 

司馬懿も霞が自分を嫌っているのがわかったのだろう。必要以上に霞に話し掛けて来る事はなかった。

 

「それにしても一刀が州牧になるなんてなぁ」

 

霞の知っている一刀は決して無能ではないが、州牧を務められる器量を持っている訳でもない。

 

風からの文でその事を知った時、霞は素直に驚いた。本音を言えば、一刀の帰還を知った段階で役職を返上してすぐに彼の元へ向かいたかった。

 

そしてそれは今でも変わりはしない。けれど、自分は華琳の臣下であり恩もある。

 

通すべき筋を通さないで全てを放り出して一刀の元へ向かう事など出来ない。それが霞の生き方だった。

 

自分に比べ、風は上手くやった物だと思う。そんな風以上に霞にとって羨ましいのは凪だ。

 

凪は帰ってくるかもわからない一刀を待つ為に友を捨て、仲間を捨て、追い出される様な形で魏から出た。それは自分には出来ない決断で凪の決断を神という存在が居るなら見ていたのだろう。

 

魏を出た当日にこの大陸に帰ってきた一刀と再会したのだ。華琳の結婚を知った一刀にしてみれば全てを捨てて自分を待つ事を決めた凪の気持ちはどれほど嬉しかったか想像に難くない。

 

霞は今でも華琳が司馬懿と結婚すると言った時に華琳に対して堂々と一刀に対する想いを言い放った凪の姿を思い出す。

 

羨ましいと思うが、嫉妬はなかった。それは霞が凪の事を魏の他の誰よりも好きだからだ。

 

何の裏表もなく愚直なまでに真っ直ぐな凪の性格を知っているから一刀と再会した事も素直に祝福出来た。

 

だから凪の事はいい。それより気になるのは一刀本人の事だ。

 

「高長恭……」

 

それは一刀が今、名乗っている名。風からの文で書いてあったのは、

 

 

……今のお兄さんを昔のお兄さんと思わないで下さい。

 

 

その一文が一刀の新しい名と一緒に記されていた。

 

一刀は一刀。確かに数年の時が経っているから、多少は変わった所もあるだろうが、それでも人間の本質が変わる訳ではない。

 

霞はそう思ったが、文に書いてあった事が引っ掛かった。風がそんな些細な変化をああいう形で記すとは思えない。

 

だから霞は高長恭について独自に調べた。その結果は……漆黒の鬼面龍、賊殺しの鬼といった自分が知っている一刀からは想像出来ない風評。

 

霞は高長恭が一刀である事は誰にも言ってなかった。それは高長恭について集めた情報の中で人前では常に鬼の面を被り、素顔を見せる事はないとあったからだ。恐らく自分の事を一刀は知られたくないのだろう。

 

一刀がそう思っているなら、霞としても誰かに話そうとは思わない。

 

……ただ、どうしようもなく一刀に会いたかった。会って何があったのか聞きたかった。

 

一刀は今、交州を平定し、荊州で蜀と事を構えている。自分は合肥から動く事は出来なく、まだ会えない。霞に出来るのは自分と再会する前に取り返しのつかない事態にならない事を願うだけだった。

 

 




今回は霞視点です。次回もう一回霞視点が続きます。
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