真・恋姫†無双 鬼龍伝   作:三十路のおっさん

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鬼と竜の問答

高長恭軍二万二千、蜀軍二万。二つの軍が半里(250メートル)ほどの距離を挟んで、長坂にて相対する。

 

辺りには独特の緊張感が漂っていた。お互いの兵、それぞれがこれから殺し合う事を認識している証明でもある。

 

余裕があるのは、やはり蜀軍だ。彼らは先の戦乱を経験している。それに比べ、一刀の軍の兵は戦の経験が少ない。それどころかこの戦が初陣の兵も少なからず居た。

 

勿論、彼らは凪の調練を受けている。練度は精鋭と言っていいだろう。それでも真の精鋭とは言えない。

 

一つの実戦は十の調練に勝る。実戦を重ね、己の身を血に染める事で彼らは真の精鋭となっていくのだ。

 

……だが、今回はお前達の出番はないがな。

 

一刀は凪の第一師団の兵達に心でそう語り掛ける。今回の戦で一刀から彼らに望むのは、少しでも実戦の空気を肌で感じてもらう事だけだった。

 

蜀軍を倒すのは一刀と黒鬼隊の役目だ。一刀がふと、黒鬼隊に目をやると、既に臨戦の態勢が整えられている。

 

黒鬼隊の目には恐怖の感情は一切ない。彼らはただ静かに一刀の号令を待っていた。

 

一つの実戦は十の調練に勝る。それは間違いないが、さらに付け加えて置かなければならない言葉があった。

 

黒鬼隊の一回の調練は十の実戦に勝る。

 

一刀は彼らに死んだ方がマシと言う調練を課して来た。今、此処に居る黒鬼隊はそれを潜り抜けてきた猛者だ。死ぬ事が怖いなんて感情は何処かに置いて来ている。

 

彼らにあるのは、一刀に対する絶対の忠誠心と畏怖だけだった。

 

黒鬼隊は一刀が死ねと言えば死ぬ。もし、そういう事態になれば一刀はその命令を躊躇なく下す覚悟は出来ていた。代わりに遺された黒鬼隊の遺族の面倒は例え自分が泥水を啜る事になろうとも見る覚悟も出来ている。

 

黒鬼隊もそれはわかっている。だからこうして自分達より多数の敵を前にしても平静で必要とあれば一刀の盾となって死にに行けるのだ。

 

一刀はそんな黒鬼隊を誇りに思いながら、再び蜀軍の方向に目を向けると、その中から一人、見覚えのある美女が此方に向けて進み出て来ている。……趙雲だった。

 

「お主が高長恭か?」

 

話し始めた趙雲の目は真っ直ぐに一刀を見据えていた。その顔には何処か余裕が、いや、侮りがある。無理もなかった、大陸中に名を馳せた趙雲に対して、少しずつ名が知られているとは言っても、一刀はぽっと出の男に過ぎない。

 

「お初にお目に掛かる、趙子龍。確かに俺が高長恭さ」

 

趙雲の侮りの視線を気にする事なく、一刀は手振り身振りを交えながら、大げさに言葉を返す。

 

そんな一刀の姿に趙雲は微かに笑みを浮かべる。

 

「漆黒の鬼面龍、賊殺しの鬼と物騒な異名は聞いていたが、本人は存外面白い男の様だ」

 

「お前の様な美女に褒められるとは実に光栄だ。どうだ?俺と一晩、愛を語り合わないか?」

 

一刀の軽口に、二つの強い視線が一刀の背に突き刺さる。

 

「……お兄さん」

 

「……隊長」

 

一刀は背中に感じる重圧をあえて無視する。……戦いが終わった後に考えればいい。

 

「ふむ、それは魅力的な誘いだが、生憎と自分の素顔も晒せない男の誘いに乗ろうとは思えんな」

 

「そりゃ、残念だ。だが、仮面を被っているのは俺だけじゃないさ。……なぁ、美と正義の使者さん」

 

一刀のその一言で趙雲の表情が凍り付く。

 

「なっ!……何の事を言っている?」

 

一刀はそんな趙雲の姿を見て、軽く笑いながら、

 

「あぁ、確か、この事は秘密だったかな?」

 

と、挑発気味に問いかけた。

 

「……お主、いい性格をしている様だな」

 

「そんなに褒めるなよ。照れるだろ」

 

「……随分と人を食った男だ」

 

「俺にはお前もそんな人間に見えるぞ。……まぁ、いい。で、お前は一体何しに此処までやって来たんだ?俺と愛を語り合う気がないなら帰って欲しいんだが……」

 

趙雲が此処に来た目的なんてわかってる。だが、あえて一刀は趙雲にその目的を問うた。

 

「私は盗人に奪われた荊州を取り戻しに来たのだよ」

 

「あーちょっといいか?お前の言葉からすると、盗人は俺。それはわかる。じゃあ、盗まれた人は誰なんだ?」

 

「……それは」

 

「この荊州の地は先の戦乱の時は劉表が治めていて、劉表が死んだ後は蔡一族が民を苦しめながら好き勝手にしていた。そしてその蔡一族は俺が討った。……さて、ここからが本題だ。今の話を聞いてもらったらわかると思うが、此処に至るまで、お前の主君の劉備は荊州に何の関係もない。一体、どういう大義名分があって荊州を取り戻しに来たなんて言えるのかな?」

 

「……」

 

「答えられないか?俺には荊州を取る大義名分があったぞ。蔡一族は随分と荊州を荒らしていたからな。……まさか、荊州を荒らす俺から民を救う為とでも言うつもりか?」

 

「……」

 

「言えないよな?俺がどれだけ善政を敷いているか、お前の所の商人とも取引があるからわかっているはずだしなぁ」

 

一刀は理路整然と言葉で趙雲を追い詰めていく。

 

「はっきり言って、俺の政はお前達、蜀の政を凌いでいる。お前達は数年掛けて今の状態に持っていったが、俺は数ヶ月でお前達の数年を超えてみせた。民からして俺と劉備、どっちが優れた統治者なのか、聞くまでもないだろうよ」

 

「……お主は一体何者だ?確かに商人達はお主の政は素晴らしいと褒めていた。なら何故、お主は先の戦乱の時に出て来なかった?それだけの力量があるのだろう?」

 

「んな事はどうでもいい。で、どうするんだ?蜀に帰るのか?」

 

「……それは出来ん。お主が言ってる事が正しい。それはわかる。なれど、私も主命を受けて此処に来ている。引く事は出来んのだよ」

 

「それで民が苦しむ事になってもか?」

 

「……」

 

「みんなが笑って過ごせる世の中にしたいだったか?劉備の理想は?」

 

「……そうだ」

 

「やっている事は正反対だな」

 

一刀の侮蔑の笑みを浮かべてそう言い放つ。

 

「うっ!」

 

その一刀の言葉に趙雲の表情が歪む。

 

「趙子龍、蜀の将軍ではない。一人の民を想う武人のお前に聞きたい。お前はそれを是とするのか?」

 

「そんな訳あるまい!私は!……」

 

趙雲はそれ以上は何も言えず黙り込む。

 

「……どうやら、お前は腐り切ってはない様だな」

 

「何を言っている?」

 

「趙子龍よ、俺はお前の主君、劉備が嫌いだ。甘い理想を語りながら部下を死地に追いやり、自分は安全な場所で綺麗なままで居ようとする」

 

「違う!桃香様はその様な方ではない!」

 

「お前の言う通り、劉備はそんな人間ではないのかも知れない。だが、現実として俺の言った通りになっている。劉備の理想はお前達にとって支える物に値するのだろうが、俺にとっては出来損ないのガラクタだ」

 

「貴様!その言葉、訂正して貰おうか!」

 

趙雲が槍を一刀に向けて構えた。一刀はそれを気にする事なく言葉を続ける。

 

「じゃあ、聞くが、俺が間違っていると言うなら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうして、お前は今、此処に居るんだ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

「それ…は……」

 

「劉備が本当に民の事を想い、平和を望むなら、兵を出す前に使者を寄越す事も出来ただろう。……かつて曹孟徳にも同じ様な事を言われたはずだ」

 

「……」

 

「いい加減はっきり言ったらどうだ?自分達は荊州が欲しくて欲しくてたまらないから奪いに来ました、とな。曹孟徳なら間違いなくそう言うはずだ」

 

「……」

 

「それを言えないのが、劉備の、いや、劉備の理想の限界だ。だからお前達は先の戦乱で曹孟徳に負けた。そして曹孟徳との一騎討ちの後でも理想という甘さは消せなかった」

 

「……」

 

趙雲が一刀の言葉に何か考え込む。そして……

 

「そうだな。お主の言う通りだ。私は力付くでお主から荊州を奪わさせてもらおう」

 

「それは劉備の理想と相反する決断だぞ。今回はお前達が益州を奪った時の様な大義名分もない」

 

「それでもだ」

 

そう言った趙雲の顔には迷いはない。流石に先の戦乱を戦い抜いた将だった。

 

一刀はその趙雲の顔を見てほくそ笑む。今まで舌戦は言うなれば前座。ここからが一刀オンステージの始まり。

 

「……そうか、そんなに荊州が欲しいのか。……いいぞ荊州をお前達にやろう」

 

「何だと!」

 

一刀の言葉に趙雲だけではなく、それまで黙って話を聞いていた凪や風、馬岱までが驚いていた。

 

「ただ、何もせずに荊州をやる事は流石に出来ない。だから趙子龍よ、俺と賭けをしようじゃないか」

 

一刀は笑ってしまいそうになる顔を必死に取り繕いながら真剣な表情で趙雲にそう言い放った。






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