両軍にざわめきが広がっていた。顔色を変えていないのは、言葉を言い放った一刀と黒鬼隊のみ。
戦場に主だった者達の視線は一刀に集中する。一刀はその視線を受けながら、趙雲に向かってさらに言葉を続ける。
「賭けと言ってしまえば、一か八かの要素があるのではないかと思うだろうが、お前にとって決して悪い話ではない。むしろ良い話と言っていいだろう」
「ほう、では賭けとはどういう物なのかな?」
趙雲が一刀の言葉の内容を問い返す。趙雲のその言葉に一刀は今まで抑えていた笑みを我慢仕切れずに表に出す。
……勝った。
一刀は内心で既に自分の求める勝利がほぼ手に入った事を確信する。
「なに、そんなに難しい話じゃない。お前が率いる二万の軍で俺の率いる二千の軍を撃ち破ればお前の勝ちだ。荊州はお前に渡そう」
一刀のその言葉で両軍のざわめきがさらに大きくなる。
「!!お主は冗談でも言っているのか?……さもなくば私を愚弄している事になるが……」
趙雲から一刀に向けて殺気が放たれる。常人なら気を失うほどの殺気。だが、一刀にとってその程度の殺気など何の意味もない。
「勿論、本気だ。そしてお前を愚弄している訳でもない」
趙雲は一刀の言葉が真実とわかったのだろう。放たれていた殺気が鎮まる。
「お主は十倍の兵力差で勝てると思っているのか?」
「違うな。間違っている、間違っているぞ趙子龍。俺は既に勝っている」
「!?……それは一体どういう意味かな?」
「さあ、どういう意味だろうな。その答えは後になったらわかるさ」
一刀は笑いながら、趙雲にそう答える。それに対して趙雲は怪訝な顔を浮かべながらも……
「……お主は賭けと言ったな。賭けであるならば私にも賭けの代価を要求するつもりなのだろう?それは一体何だ?」
一刀に問いかける。
……やはり、馬鹿ではないな。まぁ、そうでなければわざわざこんなまどろっこしい事をした意味もなくなる。
一刀は自分の中の趙雲の評価が外れではない事が確認出来た。
「あぁ、そんなに警戒しなくていい。別に益州を寄越せなんて無理難題を言うつもりもない。俺が要求する賭けの代価は……趙子龍、お前だよ」
「はっ?」
「俺は趙子龍、お前の全てが欲しい」
一刀がその言葉を言ったと同時に背後から声が聞こえてくる。
「……隊長」
呆れた様な凪の声。そして、
「いくら変わっても、やっぱりお兄さんはお兄さんですねー。種馬が健在である事を風は思い知ったのですよー。でもまさか星ちゃんにまで手を出そうとするとは思いませんでしたが……」
どこか面白がっている風の声。
……うるさい。特に風。お前の願いを叶える為にはこれがベストなんだよ。
一刀は心中で全力で二人に対して抗議する。とは言っても、元々、一刀は蜀の将軍の中では趙雲だけは何としても生かすつもりではあった。
「お主、それは私に対する愛の告白か?」
「どう取るかはお前に任せるさ」
一刀はあえて否定はしなかった。人は自分に好意を持つ人間に対して甘さが出る。ストーカーまでいくと論外だが、今の状況では否定する意味はない。
……まぁ、趙雲ほどの美女なら男からそういう事を言われ慣れているだろうから、あまり効果はないだろうな。
「そ、そうか……それにしても私も随分と高く買って貰えた様だ。まさか一州の代価にされるとはな」
「俺からすれば安過ぎるくらいだ。お前には一州以上の価値があるさ。……で、どうする?賭けを受けるのか?」
「お主の言う通り、私にとっては良い話だとは思う。だが、懸念もある。それは……」
「俺が負けた時、賭けを反古にして江陵に籠る事だろう?確かに俺が江陵に籠城すれば、お前達だけでは荊州は落とせないしな」
「……そうだ」
「要はお前は俺が負けた後、荊州を自分達に渡すという保証が欲しい訳だ。逆に聞くが、その保証があればお前は俺の話に乗るんだな?」
「あぁ、の……」
「ちょっと待って星姉様!そいつ何かおかしい!」
ここで、今まで黙って俺と趙雲の話を聞いていた馬岱が趙雲を止める為に口を挟む。
……なかなか、勘が良いな。
一刀は馬岱の評価を上方に修正する。……だが、もう遅い。
「いいだろう。保証が欲しいならくれてやる」
そう言って、一刀は全軍に向かって言葉を放つ。……それはこの大陸の人間にとっての必殺の言葉。
『私が趙子龍に負けた時、荊州は趙子龍に明け渡す事をこの高長恭の真名に誓おう!!』
「た、隊長!」
「!!……お兄さん!」
「なっ!なんだと!」
全軍が一刀の言葉に驚愕していた。真名に誓うという行為はこの大陸の人間にとっては命に等しい、ある意味では命以上の行為。
一刀はそれを言ってしまった。破る事は許されない。いや、破る事など考えようともしない。
「どうだ?これではお前が望む保証にはならないか?」
「……」
趙雲は何も言えなかった。一刀がこの大陸で最大の保証を出したからだ。
「どうやら、満足して貰えた様だな。これでお前の懸念は解消されたはずだ。俺の申し出を受けて貰えるかな?」
一刀は答えがわかっていながら、あえて、趙雲に聞き返す。
断るなんて出来るはずがない。この賭けは趙雲にとって有利な賭け。自分一人の身で一州が手に入るというローリスクハイリターンな賭けなのだ。
さらに一刀は真名に誓うという事で約束を反古にしないという覚悟も全軍に知らしめた。
これだけ有利な状況が揃っているのに、賭けを断れば、趙雲が今まで築き上げてきた武名、矜持が全て地に墜ちる。それは誇り高い武人であろう趙雲には耐え難い屈辱に違いない。
言うなれば、これは実質、選択肢のない
全てが一刀の思惑通りだった。
何故なら一刀にはリスクのない賭けなのだから。一刀は自分が勝つとわかっているし、万が一、負けたとしても真名に誓うなんて行為、この大陸の人間ではない一刀にとって何の意味もない。反古にしてしまえば良い。
それによって一刀自身の名が地に墜ちても一刀は気にもしない。一刀が求めるのは武名や矜持ではなく結果。最終的に勝てば良いのだ。
歴史は勝者が紡ぐ金糸。最終的に勝って、良い政治を敷けば、誰もが一刀を認める。過程の汚名や悪名などどうでもいいと思っていた。
「わかった。その話を受け入れよう」
「星姉様!」
「言うな蒲公英!この話を受け入れざる得ない事は武人の端くれならわかるな?」
「でも!」
「なに、勝てば荊州が手に入る。この趙子龍が負けるとでも?」
「そうじゃないけど……」
「ならば、私を信じろ」
「……」
「話は纏まったみたいだな。では趙子龍、お前も賭けの保証を示して貰おうか」
一刀の言葉に趙雲が頷き、
「私が負けた時は高長恭の軍門に降る事をこの趙子龍の真名において誓おう!」
全軍に自らの真名に誓う。
一刀はその誓いを聞き届け、
「陣形を組む時間は欲しいだろう。会戦は二刻後でいいか?趙子龍」
趙雲にそう告げる。
「あぁ、それで良い」
一刀の言葉に趙雲は意思の込もった瞳で頷き返答した。