星は愛槍の龍牙を力強く握り締める。目の前に居る男は強い。それはわかった。が、自分は今まで様々な強者と戦い、勝利を積み重ねてきた。
そんな自分が敵わないと思ったのはただ一人。飛将軍呂奉先だけだ。
高長恭は強いが、呂布……恋ほどではない。ならば自分は勝てる。それが星の見立てだった。
だが、気になる事もあった。星は高長恭から僅かに視線を剃らし、一点を見つめる。
そこには、高長恭が黒鬼隊と呼ぶ兵に囲まれている蒲公英の姿。
蒲公英は地面に座り込み、自分の身体をかき抱いて震えている。
その姿は星に意外な物だった。蒲公英はまだ未熟な所があるとは言え、一線級の武人で戦の経験も豊富だ。
そんな彼女がまるで何も出来ない無力な少女の様に恐怖で怯えていた。
「お主、蒲公英に何をした?」
「?……あぁ、馬岱の事か。別に何もしちゃいない。優しく捕らえただけだ。ほら、傷一つないだろ」
星の詰問に高長恭はどうでもいい事を答える様に答えを返す。高長恭の態度は星を苛立たせるのに充分な態度だった。
「私の妹分を怯えさせた報い、その身で受けてもらうぞ!」
「ご託はいい、早くかかって来い」
その言葉で星は高長恭に向かって駆け出す。必ず倒す。その意志を持って。
「我が槍の冴え、思う存分味わうがいい!」
高速の踏み込み、突き出した槍は眼前の男の心臓を穿つが如く疾る。
高長恭はそんな星の一撃を事もなげに右手に持つ細い剣で捌く。
驚きはしなかった。これぐらいの事はやれると予想もついていた。
「ハイ!ハイ!ハイぃぃ!」
星は休まず攻め続ける。高速の槍裁き。虚実を織り混ぜながら、高長恭を攻め立てた。
傍目から見れば、星が一方的に攻めている様に見える。だが、そうではない事が戦っている二人が良くわかっていた。
「何故、攻めて来ない!私を侮っているのか!?」
星は自分の槍がまるで届かない事に苛立ちと焦りを感じつつ、高長恭に問う。
しかし、高長恭はそれに答える事なく、ただ星の槍を捌き続けた。
……二刻(三十分)
目まぐるしく動き攻める星とそれを受ける高長恭。その構図はそれだけの時間続いている。
いつしか星の全身からは汗が吹き出ていた。それに対し高長恭はその場から一歩も動かず、そして汗一つ浮かべずに口元で笑みを浮かべていた。その様子に
……この男は自分の予想より強いのではないか?
星の頭にその様な疑問が過った。その時、
「もう、わかった」
今まで黙っていた高長恭がつまらなさそうに一言呟く。
「何がわかったと言うのだ!?」
「お前の力量だ。……まぁ、強いんだろうな。槍の速さも大した物と言っていい。だが、それだけだ」
「なっ!」
「怖さがないんだよ。速いだけで怖さがまるでない。そんな槍じゃ何年経とうが俺を倒す事は不可能だ」
高長恭の言葉が星の胸を突く。その言葉はかつて恋に言われた言葉。ほとんどそのままだった。
「そろそろ俺からも攻めさせてもらうか。……ちゃんと受けきれよ」
その言葉と同時に星に襲い掛かる鋭い斬撃。それをかわし、返し技を返そうとした星の身体に衝撃が走る。
「がはっ!」
一瞬、自分が何をされたのか、わからなかった。
「おいおい、斬撃をかわしたくらいで安心してたら駄目だろ」
身体に残る痛みを我慢し、星が視線を高長恭に向けると、その左手には鞘が握られていた。
……そうか、私は鞘を打ちこまれたのか。
星は唇を噛む事で自分に喝を入れ、再び槍を構える。
「流石と言った方がいいか?肋骨の二、三本は折った手応えはあったがな。……じゃあ続けていくぞ」
そこからは先ほどまでの構図とは逆だった。高長恭が攻め、星が受ける。いや、正確には受け止めきれてはいなかった。
「ぐっ!」
高長恭が攻めに出始めてから、まだ半刻しか経っていないのに、既に星の身体には幾多の打撃が打ち込まれている。
一つ一つは避けられない攻撃ではない。ならば何故、星の身体に高長恭の攻撃が当たるのか、その理由は……
「ほら、また斬撃に意識が行き過ぎてるぞ」
高長恭の技の多彩さが星の反応速度の上をいっているからだ。
右手の剣の斬撃を避けても左手の鞘の打撃が来る。そしてそれを受けたとしても強烈な蹴撃が的確に星の隙をつく。
全力を出していた。自分が全力を出してなお、高長恭には余裕がある。
もはや、戦いではない。星は自分が高長恭に稽古をつけられている様な感覚に襲われていた。
その現状に星の身体中に憤怒の感情が駆け巡る。このままでは終われない。そう思っても自分の槍は眼前の男には届かない。
星の見立ては間違っていない。恋より力強くはなく、恋より攻撃は遅い。それなのに何故、
……何故、恋と戦う時以上の力量の差を感じるのだ!?
「そろそろ負けを認める気になったか?」
嵐の様な連撃を繰り出しながら、高長恭が星に問いかけて来る。
「……相手をなぶる様な真似を楽しいか?本気を出して一思いに仕留めたらどうだ?」
それは星の精一杯の強がりだった。武人としての意地と言ってもいい。
星は自分と高長恭の力量の差を悟っている。ここまで一方的に押されているのだ。星でなくともわかると言う物だろう。それでも本気も出していない相手の遊び半分に負けるというのは星にとって耐え難い苦痛だった。
そんな星の言葉に返ってきたのは、高長恭の大きなため息。
「……どうやら、まだ思い上がりが抜けない様だ」
高長恭の動きが人から獣の様な動きに変わる。俊敏かつしなやかな動き。
「そんなに死にたいなら死ね」
星の反応速度を遥かに超える速さで星の間合いの内側に踏み込み、剣を星の首筋目掛けて振るう。
……あぁ、私は死ぬのだな。
刃が首筋に食い込む。星にはそれがはっきりとわかった。
「……何故、私は生きている?」
星は自分の首筋を触る。そこには斬られた後はない。
訳がわからなかった。確かに自分は首を跳ねられたはずだ。
困惑する星を見て、高長恭が笑っていた。
「どうした?趙子龍。自分が死ぬ幻でも見えたか?」
「……お主、私に何をした?」
「別に大した事はしていない。少し殺気を出しただけだ」
「なんだとっ!」
それは星にとって信じがたい言葉だった。高長恭の言う事が真実なら自分はただの殺気で死の幻影を見せられた事になる。
戦場で恋の敵として立った兵の生き残りがその様な感覚に襲われた事があると聞いた事があるが、それは恋と兵卒の圧倒的な武の差があっての事だ。
自分は兵卒ではない。蜀の将軍の一角を担っているという自負もある。
そんな自分があ……
「あり得ないか?」
星の思考を先読みしたかの様な高長恭の言葉。
「そうだよな。あり得ないよな。天下に名を轟かせた趙子龍が俺みたいな突然現れた男に力の差を見せつけられて今まで積み上げた全てが崩されていく。それを不条理と嘆くか、理不尽と怒るかはお前の好きにすればいい。だが、俺から言わせれば」
『人生なんてそんなもんさ』
「一瞬なんだよ。いくら積み上げようが、崩れる時は砂糖菓子の様に溶けて崩れていく。自分の中で当たり前であった事が当たり前でなくなっていく。人生なんてそれの繰り返しさ。それは俺が一番良く知っている」
高長恭の目に暗い光が過る。どうしようもなく暗い光。
「最後にもう一度だけ聞いてやる。……俺は本気を出していいのか?」
今度は幻は見なかった。代わりに膝が震えるほどの殺気。蒲公英がああなった理由がわかった。これを間近で受けたからだ。
星の手から龍牙がこぼれ落ちる。自分の中にあった自信は高長恭が言った様に粉々に打ち砕かれていた。
「……私の負けだ」
星は絞り出す様にそう告げた。