全てが思い通りになった。
一刀は屈辱で微かに顔を強張らせている孫策の顔を眺めながら今回の結果、三国同盟を潰せた事に満足していた。
「貴方、最初からこうするつもりだったのね」
目に怒りの感情を宿らせながら孫策が一刀を問い詰める。
「だったらどうした?孫策、お前は武人や軍人としては一流、いや、超一流かもしれないが、文官や使者としては三流以下だな」
孫策の恨み言に近い言葉を一刀は冷酷に切り捨てる。一刀からすれば自分が責められる謂れがないからだ。
「俺もお前も一国の代表としてこうして向かい合っている。お互いに求めるのは自国の利益。やり込められたからと言って相手を責めるのは筋違いだ」
「……そうね、貴方の言う通りだわ。やっぱり向いていない事をするもんじゃないわね」
孫策が自嘲気味に笑う。その目には先ほどまであった怒りの感情は見えない。
「……ねぇ、一つ聞いてもいい?」
「何だ?」
「貴方、一体何者なの?何で貴方ほど人が今まで無名だったの?……いや、本当は無名ではないのでしょうね」
「ほう、どうしてそう思う?」
「顔を隠しているからよ。本当に無名ならば顔を隠す必要なんてないじゃない。貴方も、そこの二人の側近も」
「……まぁ、正解だと言っておこうか」
一刀はあえて否定しなかった。このまま一刀の思い通りに事が進むなら自分達の存在が公になるのはそう先の事ではないからだ。
「その仮面を外してと言っても良いとは言ってくれないわよね?」
「断る。まだその時ではないからな」
「……そっか、じゃあ私は呉に帰るわ」
孫策が外に向かって歩き出す。玉座の間を出る直前、一度振り返り、
「そこの貴女、名前を聞いてもいいかしら?」
一刀の隣に居た祭に声を掛けた。
祭は一瞬、一刀に視線を飛ばすが直ぐに孫策を見据えて名乗る。
「今は石幻果と名乗っておる」
それは一刀が祭に与えた偽名。記憶を失い死んだ事になっている名将に与える名前で一刀の頭に思い浮かんだのは自分が元の世界で読んだ小説に出てくる今の祭と境遇が似ている人物の名前だった。
「『名乗っておる』か……まぁ、いいわ。また会う事になるでしょうし、その時にでも本当の名を聞かせて頂戴」
それだけ言い残して颯爽と去る孫策。その後ろ姿は一刀にやり込められた名残はなく、かつて王であった人間に相応しく堂々たる姿だった。
「……行ったか」
孫策の気配が完全に消えた事を確認した一刀は一言、そう呟く。
「それにしても、随分とやり込めた物ですねー恨まれますよ、お兄さん」
覆面を取りながら、悪戯気な口調で風は一刀に突っ込む。
「別に構わないさ。ああいう人間は頭を抑えておいた方がいい。……後々の為にな」
「それはどういう意味でしょうかー?」
「俺がこの大陸で一番正面から戦いたくないのが、あの女だ」
「ほほぅ、もしかしなくても、孫策さんにまで、手を出すおつもりで?流石、種馬のお兄さんですねー」
「馬鹿を言うな、そんなんじゃない。ただ、ムラのある人間は読み辛いんだ」
「読み辛い?」
「あぁ、ああいう女はその時の状況、感情によって発揮する能力が変わる。凡将の時もあれば、名将の時もあるという風に。で、それが実に厄介でな。こっちが名将の時の能力と見積もって相手をすれば、凡将の時で、深読みしすぎてしまう。逆に凡将の時の能力で見積もれば、名将の時で、こちらの予測を超えた動きされてしまう。……実にやり辛い」
「言っている意味はわかります。確かに孫策さんはそんな所がありますねー」
「それに比べると、華琳は実にわかりやすい。常に最善で意味のある動きをしてくるからな。正直言って、華琳相手なら俺は十回戦えば十回とも勝てる」
「おおぅ、華琳様相手に凄い自信ですねー。では孫策さんなら?」
「十回中九回と言った所かな」
「……それでも九回は勝てるんですねー」
「当たり前だ。俺とあの女では潜った修羅場の数も違うし、積み重ねて来た物も違い過ぎる。……正直な話、俺にとって天下を取るというのは難しい事ではないんだ。魏、蜀、呉、晋に忍び込んで首脳陣を全員暗殺すればそれで済む事だからな」
「では何故そうしないんですか?」
「逆に聞くが、風、お前はその手段を取られたらどうする?」
「……誰かが殺された時点で間違いなく報復します」
「それが答えだ。こういう裏のやり方は禍根を残す。お互いに行き着く所まで行っちまうんだよ。その後に残るは憎しみの連鎖と死骸の山。制圧は出来ても統治は出来ない状態になる」
「戦後の復興を考えるとウンザリしますねー」
「あぁ、俺もこれ以上政務が増えるのは絶対に嫌だ」
一刀にとってその言葉は割と切実な願いが籠められた言葉だった。
「華琳は覇道という手段を取ったが、俺は天下を取るには王道が一番だと思ってる。負けた方に自分達が何故負けたかを納得させる事が禍根を残さない方法だと考えているからな」
ゲリラ時代に泥沼の殺し合いに参加していた一刀はただ勝つだけではなく、勝ち方に拘りたかった。
「ところで過去の主君を見た訳だが、何か思い出したか?」
一刀は風との会話を切り上げ、これまで沈黙を保っていた祭に声を掛ける。
「いや、全く何も思い出せん。……じゃが初めて会った感じはしなかった」
「……そうか。まぁ、気長に構えてればいいさ。慌ててどうにかなるもんでもないしな」
「そうかのう?」
「そんなもんさ。それに思い出すという事が必ずしも良いって事でもない」
「どういう事じゃ?」
「思い出せばお前は選ばないといけなくなる。嘗ての主君と戦うか、それとも……俺と戦うかをな」
「……」
「そして俺は敵となったからには容赦はしない。……祭、俺にお前を斬らす様な真似はするな」
「一刀、お主は優しい男じゃの」
「あり得ないな。俺はそんな甘い男じゃない。斬ると言ったら斬る」
自分の手は血で染まり抜いている。もし祭が裏切れば斬る覚悟は一刀には出来ている。
「ならば、何故、儂は生きておる?儂はいつお主を裏切るかわからん女じゃ。一刀、お主は強い。強過ぎると言っても良いほどじゃ。そんなお主なら儂を殺す事など容易い筈じゃ」
「っ!それは!」
一刀にとって祭は既に大事な人間となっている。いつか裏切るかもしれない。それでも記憶を取り戻した後でも自分の傍に居てくれる可能性に賭けたかった。はっきり言えば記憶など取り戻しては欲しくなかった。
「……俺は小さい男だな。お前に記憶を取り戻して欲しくないと願ってしまった。俺の手の届く所に居て欲しいと……お前を孫策に会わせたのもお前が記憶を取り戻そうとするのを阻止する様な男と思われたくなかっただけだ。……本当につくづく小さい男だ」
溢れた一刀の本音。その言葉を聞いて祭は破顔する。
「ははっ!お主ほどの男にそうまで言われるとは儂もまだまだ捨てた物ではないのう!」
そう言った祭は一刀の頭を自身の豊かな胸に抱き込み耳元で囁く。
「心配せずとも儂は惚れた男にこの身を斬らせる気はないぞ。……例え嘗ての記憶を取り戻したとしてもお主の傍に居よう」
「……ありがとう、祭」
二人の中で流れる暖かな空気、それを遮るかの様に強烈な視線が一刀に突き刺さる。
「お兄さん、風を無視して祭さんを口説かないで欲しいのですよーまぁ、お兄さんは種馬ですから女性が居れば口説かずには入られないのでしょうが」
「この兄ちゃんは女を見たら見境ねえな」
「ダメですよ宝慧、そんな本当の事を言っては」
「いや、俺はそんなに見境なく女を口説かな……」
「ないと言えますか?」
「……」
強烈な風の笑顔の圧力。身に覚えがあり過ぎる一刀は思わず黙り込んでしまう。
「英雄、色を好むと言うしのう。風もあまり五月蝿く言うと一刀が逃げるぞ」
「祭さんはお兄さんを甘やかし過ぎですねーほっとくとお兄さんは新しい肌馬を捕まえてきますよー」
自分の事をああだこうだ言い合う二人に少々、げんなりしながら一刀は再びこの世界に戻って来てからの事を思い出す。
再びこの世界に戻って喪った物はあった。それと同時に得た物もある。そして得た物は喪った物と比べても決して劣る物ではなかった。
これから先どうなるかはわからない。それでも歩みを止める気はない。自分は多くの人の思いを背負う王で道はまだ半ばなのだから……