北郷流――それは、戦国時代より端を発した剣術の流派である。
創始者は薩摩の島津家の分家、北郷家三代目当主の四男、北郷義政。
北郷流の理念は現代の剣道の様に礼儀作法は必要ない。只、実践、ひたすらに実践。如何に人を効率良く斬るか、それだけを求めた剣術。
極めて合理的な剣術であるからして雅さの欠片もなかったが、江戸時代には強くなりたい薩摩の武士はこぞって北郷流に打ち込んだ。
明治維新以後は、その理念故に一時期の勢いは無くしはしたが、それでも北郷流はその在り方を変える事なく、命脈を保っていた。
平成の時代になっても、竹刀ではなく、木刀を使うのもその名残であろう。
現在は一刀の伯父が北郷流第二十一代当主として鹿児島で道場を開いていた。もし、一刀が北郷流を継げば一刀が二十二代目になる。万が一にもそんな事はありえないが……
一刀が今、所在無げに立っているのは、実家の近くにある小さな道場。数人程度が鍛練する広さしかない道場ではあるが、清掃は行き届き、厳かな雰囲気に漂っていた。
そんな一刀の前に木刀を持って立つ一人の老人。北郷流、歴代最強と謳われた男。
――北郷流第二十代当主、北郷一心。一刀の祖父、その人である。
「……爺さん、何でいきなり道場に連れて来たんだ?」
「一刀、お前がこの三年半何をしてきたか、昨日息子から電話で聞いた。だが、話だけではわからん事もある。お前がどう変わったか、儂はそれを確かめたいのよ」
「……それで手合わせって訳か」
「そうじゃ、壁に立て掛けている木刀で好きな物を選んで来い」
「わかった。久しぶりに会った爺さんの頼みだ。付き合うよ」
一刀は軽い口調で木刀を取りに行く。壁に立て掛けてある様々な種類の木刀。
一通り目を通した一刀が選んだのは、脇差しサイズの木刀。それを二振り持って、一心の元へ戻る。
この得物を選んで理由は小回りが利く事と自分が使い慣れたサバイバルナイフにサイズが似ていたからだ。
一心は一刀の持ってきた得物を興味深い様子で見つめる。
「脇差し二刀か……まぁ、良い。それでは……」
一心が言い終える前に、一刀は一心に襲い掛かる。一心は虚を突かれて、一瞬、体勢を崩すが、すぐ様立て直し、一刀の剣を捌き、距離を取る。
「……戦いはお互いがやると決めた時には始まっているもんだろ。卑怯なんて言わないよな?」
「……言わんよ。むしろ今の不意討ちを褒めたい位だ」
「それはどうも」
一刀は軽口を叩きながら、一心との間合いをはかっていた。そんな一刀に一心は話し掛けてくる。
「一刀、お前は随分と暗い目をする様になったな。先程の不意討ちにしても、昔はあった甘さが一切無くなっている」
「……目を輝かせながら人殺しは出来ないさ」
「そりゃ、そうじゃな。……このままお見合いをしていても
そう言って間合いに飛び込んで来た一心の剣を一刀は捌く。その剣は鋭く、一刀は受けに徹するしかない。そして数合、剣を合わせた時、一刀の表情に微かな笑みが浮かぶ。
……強い。
力は春蘭より劣り、速さは霞より劣る。総合的な実力も二人よりは劣るだろう。
だが、長年鍛え上げたその技は二人のそれを確実に上回っていた。
曲がりなりにも一刀が打ち合えているのは、鍛え抜いた身体能力と動体視力でごり押ししているからだ。
単純な剣の技術なら秒殺だろう。それでも一刀は
……勝てないとは思っていなかった。
一刀は挑発する様な口調で一心に問いかける。
「……なぁ、爺さん、俺は勝っていいのか?」
「ほう、防戦一方のお前がこの状況でどうやって勝つつもりじゃ?」
「そんなもん、何とでもなる。……爺さん、俺の三年半を舐めるなよ!」
その言葉と同時に一刀は一心の剣を弾き、間合いを取る。間、髪は入れなかった。
一刀は持っていた木刀を投擲する。狙いは一心の顔面、もっと言えば眼球。
一心はその木刀を落ち着いて叩き落とすが、気を抜くのが早かった事を思い知る。二本目の木刀が一本目と全く同じ軌道で、されど一本目より速く一心の眼前に迫る。
弾く事は、一本目で剣を振りきっているから不可能。唯一の方法は避ける事だけ。
二本目の木刀を避ける事に集中した故に一瞬、一心は一刀を自分の視界から外してしまう。
……その隙を見逃す一刀ではなかった。
全身のバネを利かせ、地を這う様な姿勢で一心の懐に飛び込み、手刀を一心の水月を突き刺す形で突き付けていた。
「俺の勝ちだ。これも卑怯……なんて言わないよな?」
ニヤリと笑いながら、一心に自分の勝利を告げる一刀。
「……あぁ、一刀、お前の勝ちじゃ。見事な詰めだった」
「それで、何かわかったか?」
「……良くも悪くも戦争は人を変えるな。今のお前は儂が知ってるお前とは別人の様じゃ。顔付きは鋭くなり、口調も変わり、纏っている空気は二十を越えたばかりの若造とは思えない程、重厚な物。……それに心も身体も眩しい程に強くなった。……今の日本ではそれが良い事だとは一概には言えないが」
「爺さんに強いと言われても皮肉にしか聞こえないぞ。剣の腕は比べ物にならん位に爺さんの方が上じゃねぇか。…………で、まぁ、そんな爺さんに頼みがある。俺に剣を教えてくれないか?」
これは、打ち合っている時に一刀が考えていた事だった。一心の剣の技は凄まじい。出来る事なら自分もその技を身に付けたかった。
「一刀、お前は充分強い」
「何でもありな戦いならな。俺の戦い方は手札の多さを生かして効率よく敵を殺す戦い方だ。正面きっての戦いでも半端な奴には絶対負けないが、爺さんみたいな達人には分が悪すぎる。……まぁ、邪道を極めたから正道を学びたいのさ」
「……一刀、お前は……」
「爺さん、何の為に強くなりたいのか?とか、強くなってどうしたいのか?なんてオムツも取れていないガキに聞く様な事を俺に聞くなよ。俺はそんなもん聞かれる段階はとうに飛び越えて、今此処に立っている」
「……そうか、そうじゃな。一刀、明日から此処へ来い。儂の持つ全てをお前に叩き込んでやる」
「ありがとよ、爺さん」
そう言って道場を出ようとした一刀は一度振り返り
「爺さんが生きていて良かったよ。帰ってくる時、死んでるんじゃないかと思っていたからな」
からかい混じりで一心に声を掛ける。
「ぬかせ、若造!儂は後、三十年は生きるぞ!」
そして二人はお互いの顔を見て笑い合う。
「……じゃあ、爺さん、また明日な」
「遅刻は許さんぞ」
一刀は頷き、道場から出て行く。一心はその背中を暖かく、そして何処か悲しげな眼差しで見送っていた。
次で外史入りします。