「なるほどねぇーえ、つまり君がわたぁーしの領地を救ってくれたわぁーけだ。感謝を尽くそうじゃぁないか。」
事の顛末をロズワールに話せば礼をするロズワール。
「ほんまに?なら、今日1日休ませてくれや。疲れとるさかい。」
西谷はそう願い出て約束すれば、自室に戻って泥の様に眠る。
---黒い靄の漂う世界に西谷の意識は再び招かれていた。
何もない漆黒の『無』だけに支配された世界。
意識のみが宙を舞い西谷は自身の存在をぼんやりと自覚する。
そこが何処なのか考えると不意に答えから近づいて来た。
西谷の正面にその答えを持つ何者かが立ったのだ。
地面--と思われる位置から人型の影が伸びている。
顔は見えず姿も朧げだが、辛うじて女性だと分かった。
影はゆったりとした動きで西谷の方へ手を伸ばす。
指を伸ばせば届く距離まで近づくと西谷はある事に気付く。
何もないはずだった世界に自分の右手を感じたのだ。
触れられる距離で右手が現れた事による意識の戸惑い。
触れていいものか悩んでいると、強烈に意識が引き戻される。
右手を白く柔らかい手が熱いほどの感触を持って握りしめてきたのだ。
振り向いてその手の持ち主を確認したいが振り向く頭がなかった。
伸ばされた黒い手は懇願する様に縋る様に悩ましく動いて西谷を誘う。
だが意識は引っ張られていき影との距離は開いていく一方だ。
遠ざかり消えゆく影が最後に残したのは言葉だった。
『--いしてる』
聞き取れなかった言葉を最後に全てはおぼろげになり変えていった。
目覚めた西谷の最初に目に入ったのは見慣れた天井だった。
「おはようございます、ホマレ君。」
「おー、おはようさん、レムちゃん。」
西谷がレムに目覚めの挨拶をするとある事に気付いた。
「おろ、ワシ、レムちゃんの手ぇ離さんかったんか?」
「いえ、これはその...」
西谷の問いかけに対し握ったままの手を動かし頬を赤らめる。
「レムの方から、です...」
「そうなんや、どないしたん?ワシに惚れたんか?」
レムの答えにクスクスと笑いながら冗談を返す西谷。
「ホマレ君が...」
握ったままの手をチラチラと見ながら、口篭るレム。
西谷は穏やかな気持ちで、急かす事なく待つ。
何度か呼吸をしてそれから上目遣いで西谷を見つめる。
「眠っているホマレ君が苦しんでる様に見えたので...」
「それで、わざわざ握っとってくれたんか。」
「レムは無知で、無才で、欠点だらけです。ですから、こういうときになにをしてあげたらいいのかがわかりません。わからなかったから、レムがされて一番嬉しかったことを、したいと、そう思ったんです。」
レムは恥ずかしいのか、言葉を詰まらせ、たどたどしく喋った。
西谷はそんなレムを見て嬉しそうに口を綻ばせた。
「おおきにな。せやけど、レムちゃんは随分と自分を卑下しよるのう。そんなんじゃ浮き上がってこれへんで。」
「そうかもしれませんね。レムの場合浮き上がれず溺れてしまってるかもしれません。」
あまりにも弱々しい微笑みを浮かべるレム。
「...まぁ、ええわ。レムちゃんも元気そうやし。」
「その、経過の事に関してホマレ君のお体のお話があります。」
「ん?なんや?ワシの体、どこも悪いとこなさそうやで。」
レムの話に身体を動かして大丈夫そうだという西谷。
「そんな事はありません。たしかに目立つ傷の治療は終わってますし、日常生活に支障をきたす後遺症も幸いありません。でもーーー」
言葉を切って悲痛な影を落とすレム。
「傷跡は残ります。身体はもちろん、心にだって。全てはレムのせいで...だから...ごめんなさい。」
「頭上げぇや、レムちゃん。大した影響はあらへん。心の傷なんざあらへんし、体の傷は男の勲章や。それにもともと傷だらけやしの。」
頭を下げて謝るレムに、気にするなとおどける西谷。
「...レムは非力で非才で鬼族の落ちこぼれです。それに比べて姉様は才能もあり強くて、まさに天才でした。」
レムは悲しそうに、ぽつりぽつりと、過去を話し始める。
「でも、ある時レムを庇って姉様の角が折れてしまいました。角が折れてしまえば、その力は無くなってしまいます。だから...だから、レムは姉様の代替え品...なんです。それもずっとずっと劣った本当の姉様にいつまでたっても追いつけない、出来損ないなんです。」
その青く綺麗な瞳に涙を浮かべながら続けるレム。
「どうして、レムの方に角が残ってしまったんですか? どうして、姉様の方の角が残らなかったんですか? どうして、姉様は生まれながらに角を一本しか持っていなかったんですか? どうして――姉様とレムは、双子だったんですか?」
自分の存在意義を求めるように唇を震わせているレム。
その頬には溢れ出した涙が雫となって伝っていた。
「ご、ごめんなさい。おかしなことを言ってしまいました。忘れてください。こんなこと、人に話したのなんて初めてで、変なことに……」
「なぁ、レムちゃん。一言言わしてもらうで?」
早口で先程の言葉を帳消しにしようとするレムを遮る西谷。
「.......アホくさ。」
「---え?」
「レムちゃんが鬼なんは分かったし、レムちゃんを庇ってラムちゃんの角が折れたんも分かった。だからなんやねん。あれか、今は何も出来ない姉を憐れんでくれっちゅう事か?」
西谷はレムの話を聞き素直に思った事を答える。
「ちが、違うんです。姉様は、本当の姉様はもっと違うって言いたいだけで....角があれば、姉様の角があったらこんな……」
「ほなら、何か?頼まれもせんで、勝手に引き受けた気になっとる、姉貴の代わりが辛いから慰めてくれっちゅう事か?」
西谷は飾る事なくただただ思った言葉を綴っていく。
「そんな.......!?レムは……レムは、姉様の代替品だってずっと……」
「ずっと思ってきたからなんや。ラムちゃんが代わりになってくれって頼んだんか?違うやろ。」
「それは......でも......レムは...非才で...非力で...だから---」
西谷の言葉にそれでもなお、自分を卑下するラムに割って入る西谷。
「ええ加減にせぇよ!非才?非力?だからなんやねん!たまたまラムちゃんの角が折れたっちゅうだけの事やろが!それを....グズグズグズグズ....いつまで悲劇の主人公気取っとんのじゃボケッ!!!」
レムの話にイラついた、西谷の怒鳴り声がこだまする。
「ラムちゃんが恨み言言いよったんか!?違うやろ!!助けたいから助けた!!ワシもそうじゃ!!要は自己満足じゃ!!....それとも、何か?逆の立場なら、いつまでもそうやって引きずって欲しいんか?」
「いや....そんな事は.......」
西谷の問い掛けに、首をフリ答えるレム。
「せやったら、助けられたもんは、御礼でも言うてその後の人生楽しんどったらええ。....それでも、考えてしまうんやったら、とりあえず明日の事でも考えてろや。」
「...明日の...こと...?」
「せや、明日の事や。何でもええねん。明日食べる飯の事でもええし、たまには逆に髪を整えたろか、とか、ラムちゃんとやる漫才のネタとか何でもええ。とにかく、今すぐその惨めったらしい考えは捨てぇや。.......前向きに明日の話でもしようや。ワシの故郷じゃ未来の話をすれば鬼は笑うって言うんやで。」
レムの頭をくしゃくしゃと撫でれば優しげに笑いそう話す西谷。
「レムは、とても弱いです。ですからきっと、寄りかかってしまいますよ?」
「ええやないか。ワシはもちろん頼ってええし、周りにも頼ったらええ。そしたら頼られる事もあるやろ。そん時は支えてやればええ。そうやって明日に向かって進むねん。幸せはー♪歩いてこないー♪せやから歩いて行くんやでー♪ってな。」
「...素敵、ですね。」
「せやろ?」
西谷が片目を瞑り口元を歪めれば、レムもつられて笑う。
笑い出し、その瞳の端からぼろぼろと涙が溢れでて頬を伝う。
止まる事を知らない涙に、それでもレムは笑い続ける。
泣き笑いして、嗚咽と笑い声を押し殺す様に布団を口元に押し付ける。
それでもレムの泣き笑い声は部屋の中に静かに落ちる。
そんなレムの頭を西谷はただただ撫で続けた。