もしも八幡とあーしさんが運命の赤い糸で結ばれていたら 作:しゃけ式
何の話か?トーマスの映画に決まってるじゃないですか。グレートレールウェイショーの前日、アシマに引かれたアニー(クララベルかもしれませんが)のトーマスを心配する顔は完全にメスのそれでした。いつも一緒にいるが故に顔を見ること、また見られることは叶わないため、心配はいつもトーマスに見られずに終わる。それが今回顔を合わせての心配だったところに思わずテンションが上がりました。久しぶりに見るトーマスってやっぱり面白いですよ。
携帯灰皿をポケットに、俺は一服していた。高級マンションの下で喫煙は初めてであり、中から出てくる人になんか言われねえだろうなとビビりながら煙を吐く。漂う煙はすぐに消えた。何も吸わずに息を吐き、もう一度煙を吸う。今度は味わうように、肺を煙で満たす。昔はむせそうになったが今ではすっかり慣れ、ゆっくりと肺の中をリセットする。長めの煙草も半分ほどとなったところで、前方に知った顔を見つけた気がした。
「…最近よく会うな、葉山」
「比企谷か。奇遇だね」
濃いめのデニムパンツに白シャツを合わせ、黒のカーディガンを上から羽織っている。三浦と同様いかにも大学生といった服装を遺憾なく着こなす爽やか野郎は、いつもの笑顔を貼り付けてこちらへ歩み寄ってきた。
「雪乃ちゃんへのお返しだよね?」
「ああ。てかお前も貰ったのな」
雪ノ下が葉山にあげるとは。高校時代はあれだけ嫌っていたのに、心境の変化というやつは怖いものだ。
「まあ限りなく義理に近いかな。大学生になって前よりも家族間の結び付きが強くなったんだよね。陽乃さんのチョコなんて食べるのが怖くて仕方なかったよ」
それは普通にわかる。生憎俺にはなかったが、あの人の贈るものなんて何が入っているか知れたもんじゃないからな。
「というかなんで比企谷はこんなところでタバコを吸っているんだ?それとも緊張しているのか?」
「……説明は面倒臭いから省くが、端的に言うと三浦が俺の買ったやつを渡しに行ったんだよ」
「じゃあ俺はここにいない方がいいかな」
思案顔で顎に手を添える葉山。一々行動が様になっており、つくづくイケメンは得だと再確認する。俺でさえ思うレベルなのだ、女からすれば飛んで火に入る夏の虫どころの話じゃないのだろう。
だからこそ、過去の三浦は惹かれたのだろう。それが偽物だとしても。
「優美子のことだけどさ」
唐突に話を変える。それまでの軽い空気とは少し異なる。
「俺と優美子は根本的に合っていなかったんだよ」
「だろうな」
片や完璧人間、片や世話の焼きたがり。本質を見ると相容れないのは明白だ。
「優美子には君が合ってるよ」
俺のことを“君”と呼んだ口調から、なぜか俺は高校時の俺と葉山の関係を想起した。いつからかこいつは俺のことを“ヒキタニ”と呼ばなくなっていた。それの意味するところは知る由もないが、今の二人称の意味は当たりをつけることが出来る。
つまるところ、高校時代の関係との決別。その対象は俺ではなく三浦であり、あいつが俺に三浦を譲ったということだ。別に三浦があいつのものだったわけではなく(望めば手に入っただろうが)、まして俺のものになるわけでもないが、その言及に意味は無いだろう。
本質はそこじゃない。
「…そろそろ三浦が帰ってくる頃だ。そこの茂みにでも隠れていろよ」
「かな。まあ適当に散歩でもしているよ」
そのまま来た道を引き返し、葉山は辺りへ消えていった。
◆◆◆
雪ノ下さんとの口争を終え、エントランスへ戻る。煙草を吸っているのかと考えていたが、そんなこともなく1人その場に佇んでいた。
「って、やっぱ煙草吸ってたんじゃん」
「まあ吸いたてだからな。人差し指とかまだ匂い残りまくってるし」
「訊かないの?」
「雪ノ下との話か?別に渡せたんならそれでいい。……怖くて訊けねえのが大半だが」
「聞こえてるし」
インターホンを鳴らし、出てきた時の雪ノ下さんの顔は凄かった。若干上気した顔かと思えば私を見るなり温度が急転直下し、極めて冷静に、見ようによれば理知的に質問してきた。どうしてあなたがいるの、や私は比企谷君しか入れないと言ったはずよ、などなど。私が別に入らなくてもいいからこれだけ受け取ってと言うと、雪ノ下さんはどこか悔しそうにそれを受け取った。あれだけ感情を見せた雪ノ下さんは初めて見た。そう思うとやはり奉仕部の関係はいとも簡単に感情を動かす、安っぽい言い方をすれば絆のようなものが3人を繋いでいるのだろう。そう思うと少し悪いことをしたな、と感じ流石に次からはこういうことはしないでおこうと1人反省をした。私がされたら確かに嫌だしね。
「次は川崎ん家だな」
「歩きで行ける距離?」
「多分な」
歩き出すヒキオに慌ててついていき、隣を歩く。身長差はあるはずなのにそれを感じさせないスピードは、いつもながらよくそんなこと出来るなと思う。今日はその教育者である小町?には会えるのかな。前に一度あった時はほとんど話さずに別れたため、話せるならば話してみたい。そう思いながら私は自分のペースで歩いた。
それから間もなくして一軒家へ到着する。表札にはしっかり川崎と書かれており、目的地だと確信する。結衣の家ほど大きくなく、かつ雪ノ下さんのマンションほど高級感は漂ってはいないが親しみの持てる家である。やや古びたインターホンをヒキオが押し、応答を待つ。カメラは付いているが正面にヒキオが立っているせいで私の姿は映ってないだろう。
『はっ、はい!?今すぐ向かうからちょっと待ってて!』
「別に急がなくても…」
「ごめん、待った!?」
「早えなおい。どんだけ急いでるんだよ」
「だって、いきなり比企谷が来るから……、あ?なんでそこに三浦もいんのさ」
「急に喧嘩ふっかけてくるとかマジ有り得ないんですけど?別にあーしあんたの家に来たかったわけじゃないから。ヒキオについてきただけだし」
「だからなんでついてきてんだよって言ってんの。そんなことも汲めないわけ?」
「待て待て待て。てかそこで見てる大志、助けてくれなきゃ小町は俺が貰うぞ」
「それはダメっすよお兄さん!姉ちゃんも、外に立たせんのは可哀想だろ?早く中入ってもらおうよ!」
「…まあ、後で全部聞くからね。入って」
「別に隠すことなんかないけどね」
私がそう言いながら家に入ると、ヒキオもビクビクしながら家へ上がった。針のむしろなのはわかるけど、売られた喧嘩は買わなきゃ。さっきと違うのは向こうから先にふっかけてきたってとこだし、罪悪感なんて微塵も感じていない。
居間はかなり綺麗にされており、ゴミ一つ見えない。テーブルを挟んで私と川崎は向かい合っており、右にヒキオがいて反対側には大志と呼ばれた子がいる。恐らく弟だろう。
「とりあえず、これ」
短い沈黙を破ったのは意外にもヒキオであり、雪ノ下さんに渡したものと同じものを取り出す。一々言わないが、少しだけ優越感に浸ることが出来た。
川崎は先程とは一転、小さな声でありがとうと呟いた。ほんのり頬を朱に染めている様からどう見てもヒキオに好意を抱いているのは明白だが、ヒキオが気付いている様子はない。
多分、気付けないんじゃなくてあえて気付かないんだろうね。
と、そこへ高い声が乱入してきた。
「あー!はーちゃんだー!」
とたとたとた、と体重のない子が走る時特有の擬音を鳴らしてヒキオに飛びつく。川崎の面影を残す幼女はヒキオに抱きついて頬擦りしていた。
「けーちゃんか。久しぶり」
左頬にくっつく“けーちゃん”を左手で器用に撫で、その行動にけーちゃんは目を細める。嬉しそうな顔は見ているだけでこちらも癒される。
「ほら、けーちゃんにもホワイトデー」
そう言って鞄から小さな袋を取り出す。けーちゃんはそれを受け取って自慢げに川崎に見せた。よかったじゃん、と川崎も同様嬉しそうにして頭を撫で、またけーちゃんはにこにこしていた。
「…ヒキオ、あんた幼女にもホワイトデーとかやばいね。やっぱロリコンだし」
「ちげえよ馬鹿。川崎にだけやってけーちゃんにあげない時のことを考えろ」
言われてみると、確かに気まずそうな雰囲気になりそうだ。体良くあしらわれた気がしないでもないが、口には出さない。
「レディーに貴賎はないっすからね!」
大志とやらも意味のわからないことを言う。ヒキオも意味わからなそうな顔をしていた。
「てか比企谷。なんで三浦といんの?あんたらそんな仲良くなかったでしょ。てか三浦は比企谷のこと嫌ってたじゃん」
「あー、なんつうかな。説明すんの面倒臭えな…」
「今は仲良いから別にいいっしょ。今日も気付いたら朝同じ布団で寝てたし」
「ばっ、お前馬鹿オイ」
予想だにしない私の発言に単純罵倒しかできないヒキオ。その焦りが逆にリアルに思えて(実際本当のことだが)、川崎は見るからに焦った。
「え?嘘、マジ、ええ?」
「お兄さんやべー!かっけえ!!」
「すまん俺帰るからまた今度なあと大志うるせえ」
矢継ぎ早にそう言って鞄を取るのと歩き出す動作を同時に行い玄関へ逃げる。ショートした川崎は引き止めることも叶わず、また私もそれに続いて玄関へ足早に移動した。
最後にけーちゃんがばいばいと大きな声で言ったので、ヒキオは同じくばいばいと返した。ヒキオじゃないけど、小さい子ってやっぱ可愛い。保育士とかもいいかもしれないね。免許とか取れないから無理だけど。
◇◇◇
次はヒキオの家に向かうことになった。残すは妹さんと後輩生徒会長だけであり、後者の家は知らないため呼び出すことになった。近くの公園でいいかとヒキオは1人呟いて、移動中にスマホでメールを送っていた。返事はわかりましたとだけ来て、効率良く時間を使うためにまずは家に行くという流れである。その公園は家からも近いらしいし、特に私からも異論はなかった。
「あんたの実家ってここなんだ。あーしあんまりこっちには来たことなかったかな」
「高校時代の話か。俺もここ以外あんま行ったことなかったな」
「…根暗自慢やめるし。陰気が移る」
他愛もないことを話しながら歩くこと十分程、比企谷と書かれた表札を見つけた。
「あんたん家イイじゃん。良い感じにおっきい」
「なんでわかるんだよ…って表札か。まだここから遠いのに良く見えたな」
「あーし目は良いから。……訂正、目も良いから」
「何の訂正だよ」
話しているうちにヒキオの家の前に到着する。門を開くと鍵を差す前に扉が開いた。
「おかえりお兄ちゃん!と…、ああ!三浦さん!お兄ちゃんがいつもお世話になっています!」
「小町だっけ?いつもお世話してるけど、気にしなくていいからね」
「俺の知ってる社交辞令と違うぞ。酒で酔ったお前を介抱すんのは誰だよ」
私と妹さんの会話にツッコミを入れつつ、家に入ろうとする。しかし妹さんに邪魔されてヒキオは入ることが出来なかった。
「何で邪魔するんだよ」
「早く向かった方が良いんじゃない?いろはさんああ見えて真面目だし」
「…それもそうだな。なら先にこれ渡しとくわ」
鞄から既に見慣れたクッキーの箱を妹さんに渡す。妹さんがありがと、とだけ言うのを確認するとヒキオはこちらを見てきた。
「どうした、行かねえのか?」
「……あーし小町ちゃんと話してていい?公園にはヒキオが1人で行ってきな。良い?」
「勿論ですよ!ささ、三浦さん入って入って!お兄ちゃんはすぐ行く!」
はいはい、といつもの気だるそうな感じで門を再度開け、右へ曲がる。歩くスピードは先程よりも早かった。
「じゃあ中へどうぞ!」
私は促されるままヒキオの家へ招かれた。
◆◆◆
「お待たせしましたか?」
「今来たところだ」
「合格です。今のいろは的にポイント高いですよ!」
公園に着き10分くらいすると、一色が公園へ入ってきた。実際待ったと言うには短い時間なので、別段意識した答えではなかった。言葉は選んだという点では意識したとも言えるが。
一色は黄色のミモレ丈のスカートに体のラインが出るような白の上服を着ていた。春らしい服装に、今年初の春の季節感を感じた。
「とりあえずこれを…」
鞄の中からクッキーを取り出そうとする。しかしそれを遮るように一色は大きな声で静止した。
「待ってください!……その前に1つ、言いたいことがありますので」
俺はその独特な雰囲気に何も言うことが出来なるなり、鞄に突っ込んでいた手を体の横へ戻した。無論クッキーは持っていない。
「先輩」
「なんだ」
「今からわたしが言うこと、予想つきますか?」
「……」
「好きです、先輩」
俺はまだ何も言わず、一色の目を見続ける。正面からその視線を一色は受け止め、同じように見つめ返す。
「葉山先輩の時とは違います。憧れとかステータスとか、そんなのは関係なく好きになりました」
言わなくても、こいつの目を見ればそれは簡単にわかることだ。あの日に見せた涙が嘘というわけじゃない。しかし“おもい”の漢字が違うこともまた事実だろう。
「俺は」
「はい」
「…なんというか、告白されんのは初めてなんだ。だから返事が変な感じだったとしても許してくれ」
「ふふっ、先輩らしいですね」
今日初めて見せた笑顔に、俺は思わず安堵してしまう。この関係が続けばいいのに。そう思わずにはいられず、俺の返事によって変わってしまうだろうことは火を見るより明らかだった。
「ごめん」
無情な一言は、気付けば口から出ていた。
「お前にそういう気持ちを持ったことはない」
「……そうですか!ですよね〜、やっぱりわたしじゃ分が悪いですもん!ちゃんと返事してくれて、ありがとうございます!」
意外にもあっけらかんとしている一色に逆に俺が戸惑う。何を言えばいいかわからず、口を開いては閉める挙動不審なことをしていた。
「じゃ、早く帰ってください!ほら、早く早く!」
「あ、いやでも俺お返し渡して…」
「いいですからっ!…早く」
尻すぼみの言葉に心配をしてしまうが、振った俺にそんなことをする資格はない。振り返らず歩き出すが、一色の足音は聞こえない。恐らくその場で立ったままなのだろう。
──公園を出る間際、鼻をすする音が聞こえたのは空耳ではなかったのだろう。
◇◇◇
「じゃあね、小町」
「さようならです優美子さん!」
家から三浦を拾う。いつの間にかこの2人はファーストネームで呼び合うほどに仲良くなっていた。
「で、どう?渡せた?」
「いや」
「……そ。それって多分今のヒキオの顔と関係あるんだよね」
「俺の顔?」
考えてもいなかった三浦の言葉に俺は首を傾げ、オウム返しをしてしまう。
「なんか泣きそうな顔になってるし。パッと見はそんな感じじゃないけどね」
どういうことなんだよ、と返そうとするが声は出なかった。しかし理由は確かめずともわかる。
あの心地よかった関係が崩れたからだろうな。これからも一色は普通に接してくれるかもしれないが、お互いの間に開いた溝は埋まることがない。
「……帰るか」
その日飲んだ酒の量は、いつもよりも多かった。その時の俺はチョコレートリキュールだから飲みやすいのだと、自分を誤魔化すので必死だったことだけは覚えていた。