もしも八幡とあーしさんが運命の赤い糸で結ばれていたら   作:しゃけ式

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18話

 雨の擬音にはしとしとというものがあるが、よく聞いてみると雨はサーやザーザー、音だけを抽出して切り取ったらパタタタタと言った方が的確である。別にしとしとが雨の降る音だけを表したものだとは一概には言えないが、私には文学的に創り出された一種の比喩、言い換えるなら心象風景としての言葉だと感じる。

 

 でもなぜ突然私がそんな話をしたのか。理由は単純、雨の音をじっくり聞く機会があったからだ。ベッドの上で、することもなくただひたすらに雨の音を聞いていた。

 

 

 不意に着信音が鳴る。メールだけは送ったはずなのに、それだけでは信じられなかったのかな。私は重い体に鞭を打ちスマホを手に取った。

 

 

『もしもし、優美子?今日スイパラ来れないってマジ?私達1ヶ月くらい前から言ってたやつだよ?』

 

 

 電話の相手はいつもの大学の友達であり、電話口の後ろからは話し声が聞こえた。電話主の他に2人いるはずなので、恐らくはその子らの会話だろう。

 

 

「ごめ、ゴホッゴホッ!…あーし今マジでヤバイからさ。あんたらだけで行ってきな」

 

 

『マジな方で風邪じゃん。スイパラの後お見舞でも行こうか?独りだと寂しいでしょ?』

 

 

「いや、これ伝染ったらヤバめのやつだし来なくていいよ。てか来んなし」

 

 

『ふ〜ん。……あ、いいこと思いついた』

 

 

「何」

 

 

『えっと、まあそれは後のお楽しみってことで!じゃあバイバイ』

 

 

「え、ちょ」

 

 

 こちらの返事も聞かず電話を切り、プープーと音が部屋に響く。“いいこと”が何かは結局聞けずじまいのままだが、それに思考を巡らすことが出来るほどの余裕は今の私にはなかった。

 

 ベッドの近くに置かれている体温計を手に取り、脇に挟む。ひんやりとした感触が心地よいが、すぐに常温に温められてしまう。

 

 

「うっわ、8度6分……」

 

 

 7度台ならまだ気合でなんとかなるが、普通に高熱と言えるような体温だと何かするにも一苦労だ。やはり動く気にはなれず、体温計を元の場所へ戻して仰向けに寝る。朝のため電気は消しているが、雨のため雲が空を覆っているため少し暗い。

 

 梅雨はそもそも動くこと自体が億劫になる季節なのに、風邪なんて引いた時には本当に何もしたくなくなる。晴耕雨読とはよく言ったものだが、本を読もうにもこの調子だと集中出来なさそう。私は八方塞がりになり、また天井を見上げた。何の変哲もなく代わり映えのない景色に溜め息をつくが、天井の柄が変わる見込みはない。

 

 自分が寝ているベッドから地面の高さとベッドから天井までの高さを相対比較する。そうやって見ると意外と天井は近くにあり、どことなく圧迫感を覚えて寝返りを打った。すると今度は地面との近さにいつもの平衡感覚が揺さぶられた感じがした。熱のせいだろうと判断はつくが、原因が地面なのかもという疑念は晴れない。嫌になって目を瞑ってもなぜか息苦しくなる。

 

 

「……学校なくてよかった」

 

 

 無理やり独り言を捻り出し、いつもの私らしくしようと努める。こう見えて私は大学の授業はほとんど漏らしたことがない。そのためみんなが思っているほど私は大学の授業を休むことに抵抗がないわけではなく、出れる日は必ず出るようにしている。と言っても周りには必ず友人がおり、真に1人で受けたことは殆どないためいざ1人で受けるとなったら尻込みしてしまいそうではあるが。

 

 

(つかこの時期に風邪って何。夏風邪にしては早いし)

 

 

 まあ1000年くらい前ならギリ夏だけど。あまりのくだらなさに失笑する。そういえばヒキオもたまにこんな感じで笑うっけ。ヒキオの場合はなんかキモいけど、もしかしたらこんな感じで変なことを考えては笑ってるのかな。

 

 

 ……なんか人のこと考えると余計虚しくなる。風邪だから誰も呼ぶことは出来ないけれど、そんな合理的な話は関係なしに寂しい。今の私はまさに“独り”であって“1人”ではない。病気時特有の孤独に潰されそうになるが、それをリセットするかのようにペットボトルへ手を伸ばす。一度喉を潤せば眠くなるだろう。

 

 

 ゴトッ。

 

 

「…っ、最悪…」

 

 

 熱のため朦朧としており、握っていたはずのペットボトルがいつのまにか地面に落ちた。体を曲げて床にあるペットボトルを取ると、そのまま蓋を開けて水を飲む。朝ご飯には何も食べていないので水でお腹を膨らませる。500mLあったうちの半分弱を一気に飲み干し、また机の上に置き直す。そのままベッドへ戻り、また天井とのにらめっこを始める。

 

 

 やっぱダメ、寝る。このままだと治るものも治らない。病は気から、なんて言うけど気をどうにかしなかったら病はずっと残るから。目を閉じ睡魔に身を委ねようとするが、肝心の睡魔がどうにも襲ってこない。激しい頭痛が顔の熱と相まって寝たくても寝かせてくれないのだ。一人暮らしでの風邪は初めてで、新たな経験だと思い込むもこんな経験いらないと心が勝手に判断する。

 

 

 ……なんで私こんな辛いんだろ。悪いこととかなんかしたっけ。ていうかお見舞いいらないって言ったけど、やっぱ寂しいものは寂しい。掛け布団を抱きしめるが隙間を埋める媒体にはなり得ず、虚しさだけが残る。いつもはお母さんが看病しててくれたんだよね。一人暮らしすると親のありがたみがわかるって話、マジだったんだ。今ほど親を恋しく思ったことはない。

 

 

 窓を叩く雨音は他の雑音を消し、無情に一人であることを自覚させる。しとしとと降る雨に私はなぜか共感を覚えた。

 

 

 私はおもむろにスマホを手に取り、カバーを外した。機体とカバーの間には1枚の写真が挟まっている。

 

 

 半年ほど前に証明写真で撮ったツーショット。抱きつく私にヒキオは目を丸くしており、私もまたほんのり顔を赤らめている。写真に映る服は冬物で、窓の外の光景もあり季節の移り変わりを感じた。

 

 

「…こんなことしてるから寂しくなるんだってば。……独りってマジで嫌…」

 

 

 そんな泣き言を漏らしても返ってくる声はない。雨のBGMは私の不安を払ってくれるはずもなく、むしろ助長さえしてくる。空一面に広がる雨雲を恨みのこもった視線で睨めつけるが、そんな自分にまたも虚しさを感じた。

 

 

「逢い…」

 

 

 その言葉が続かなかったのは、不意に鳴ったインターホンのせいだ。体を動かすだけで頭痛が走るが、出ないわけにはいかないので寝ていた体を起こす。しかし鍵の開く音がしたので行動を止めた。

 

 

(あーしお母さんに言ったっけ。……ダメ、なんも考えられない)

 

 

 ともかく入ってこれる人ならいいや。私は起こした体をまたベッドへ落ち着かせ、丁寧に掛け布団を被った。

 

 

 私の家は玄関から少し歩いたところにドアがある。この家は一間なので私からはドアがしっかりと視界に映る。天井を見ないせめてもの抵抗からか、私はドアをじっと見ていた。

 

 

「お邪魔します。…顔赤いな。マジで風邪じゃねえか」

 

 

「ヒキオ…?」

 

 

「おう」

 

 

「なんで……」

 

 

「前に鍵渡されただろ。…こっちじゃないな、お前の友達に連絡貰ったんだよ。合コンの時から一切なかったメールがな」

 

 

 そう言いながらヒキオは部屋の中心にあるテーブルへ荷物を置き、腰を落ち着ける。ビニール袋は2つあり、恐らくは近くの薬局とコンビニのものだろう。

 

 

「薬は?」

 

 

「飲んでない。朝も食べてないからね」

 

 

「ならお粥作るから待ってろ」

 

 

 立ち上がったヒキオを私は声で静止し、ヒキオは訝しげにこちらを覗いた。

 

 

「なんだよ」

 

 

「帰って」

 

 

「いや、だってお前風邪…」

 

 

「いいから帰って!!伝染すとかマジないから…」

 

 

 声がだんだん弱くなる。さっきまでは寂しくて仕方なかったのに、いざ人が来ると追い返してしまう。そんな二律背反のような、寒くて体を温められないヤマアラシのような自分に嫌気が差す。しかし今言っていることも本心なのは事実である。

 

 

 じゃないと、排反事象にはなり得ないから。

 

 

「…頼むから、早く帰ってよ……」

 

 

 最後には声が潤んで、そのまま消えた。

 

 

「……残ってやるから」

 

 

「…え?」

 

 

 

「いいから、とりあえず掴む手を離せって」

 

 

 

 風邪のせいなのか、孤独のせいなのか。気付かぬうちに服を握っていた手に気付き、ゆっくりと離す。居てほしいと思う心に対しての帰れという言葉。しかし無意識のうちに居てくれるよう頼んでいるこれまた心。トリレンマとも言えない私の身体はまるで自分のものではないみたいだ。

 

 

「泣くなよ」

 

 

 立ったまま私の頭に手を置く。途端私はその暖かい手に優しさを感じ、押し留めていた涙が決壊した。

 

 

「あんたがそんなことするから、泣くんじゃん…っ…!」

 

 

 泣いている私は明らかに先ほどよりも悲しそうに見えるだろう。しかし内面はその見た目とは180度逆なのは、言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「ほら、出来たぞ」

 

 

 小さなお椀に入った少量のお粥を差し出してくる。よく風邪に良いと言われる葱や生姜が入っていた。お椀を持つ手のひらはほんのり温まり、ほっと一息つく。

 

 

「…美味いじゃん」

 

 

「俺が料理出来んのは知ってるだろ。何回ツマミ作ったと思ってるんだ」

 

 

 実家のものとはまた違う、ヒキオの味。その感じにどこか慣れを覚えていたのは、やはりそれだけ一緒にいたからなのかな。

 

 

 まだ本格的にいるようになってから1年も経ってないのにね。相性ってやつ?

 

 

 その後は私がお粥を食べ終わるまで無言だった。私は所々躓きながらも黙々と食べ続け、ヒキオは鞄から取り出した本を読んでいた。私が食べ終わるとヒキオは本を閉じ、薬局の袋から薬を出した。

 

 

「ほら、食ったんなら飲んで寝ろ。水は…、これか」

 

 

 ちょっと前に落としたペットボトルと一緒にヒキオは薬を渡す。受け取る時に少しだけ手が触れ、変に意識してしまったが顔には出さない。てか出たとしても熱だからと言えば顔の赤さは誤魔化せるけどね。

 

 渡された3錠を口に放り込み、続けて水で流す。ペットボトルの蓋を閉めて床に座っているヒキオへ返した。

 

 

「あ、なんか効いてきたかも」

 

 

「プラシーボ早すぎだろ」

 

 

「でもほら、もう普通に……っ!」

 

 

 急に体が動かなくなり、後方へ倒れる。声も出ずただやばいな、これと楽観的に考えていた。

 

 

 しかし、私が布団へ倒れ込むことはなかった。

 

 

 

 

「…ったく、まだ寝てろ」

 

 

「ちょ、ヒキオ……」

 

 

 

 

 ヒキオは私が倒れる寸前私の肩を抱くようにして受け止めた。必然的に距離は近付き、思わず私は軽く拳を作って胸の前に当てていた。

 

 

「ち、近いって……」

 

 

「ん、悪い」

 

 

 そう言ってヒキオは私を丁寧に寝かせた。手持ち無沙汰な握り拳は掛け布団を掴み、顔の上まで一気に引き寄せた。

 

 

「…?寝顔見られたくないんなら反対向いてるけど」

 

 

 全然違う。そんなことすら訂正できず、布団の中で丸まっている。

 

 

 

 思えば私は何度ヒキオを意識したのかな。性別を越えた友情、いつもそんな風に思っていた。初めは居酒屋で、次は合コン。そこから仲良くなって、去年はクリスマスまで一緒に過ごした。どれだけヒキオを男として見てしまっていたかはわからないけど、この心地良い関係を続けたくて私はひたすら友達だと言い聞かせてきた。

 

 

 

 でも、さっきので気付いた。あんなベタなので気付かされてしまった。

 

 

 

 今になって思い返すとどれも運命的であるヒキオとの出逢いに、私は初めから惹かれていたのだ。

 

 

 

 

 ──私はヒキオのことが好き。やっと気付いたのは、しとしとと降る梅雨の日だった。

 

 

 

 





今回の話は丁度4500字だったんですよ。そしてこの話は18話。余りなくピッタリ割り切れるってなんか凄いですよね。


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