もしも八幡とあーしさんが運命の赤い糸で結ばれていたら   作:しゃけ式

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24話

 11月にもなると落葉樹は大体の葉を落とし、残っているのは半分そこらになる。今も歩く先に見える黄色の葉っぱは地面に散乱しており、その粗雑とも言える葉の置き方がかえって秋を際立たせる。ふと思い立ったので、扇形の葉っぱを手に取り裏返したりして観察してみたが特に何もない。ただ地面に落ちていたものだから汚いかな、という感想しか湧かなかった。

 

 

「あたしなんでこんなことしてるんだろ」

 

 

 ヒッキーとのデートまでの数時間、あたしは外に出て暇を潰していた。ヒッキーは授業のためデートは昼からであり、空いた2時間をどう使おうか頭を悩ませていた。

 

 

(デート先の下見……、ううん。そんなことしたら一緒に楽しめないか。やっぱりカフェとかかなあ)

 

 

 やや強引に行き先を決め、ここから1番近いであろうカフェに向かう。こじんまりしたその店は店員の人と距離が近く、アットホームな感じと言うに相応しい雰囲気である。あたしも何回か行っただけで顔を覚えてもらい、それ以来近くに来ると行くようになった。

 

 

 時刻は午前の10時頃であり、この時間人は昼や夕方に比べてまばらになる。見慣れた時間より幾分か閑散とする街並みはどこか寂しく映り、今の寒い気候も相まってなんとなく街に悲哀を見た。街は賑わっていてこそ街になり、その賑わいを失った街は定義を破綻する。なんかこういうの考えるのはヒッキーみたいと思いつつ、しかしヒッキーならこんな風には思わないだろうという確信がある。

 たぶんヒッキーなら、否応なしに聞こえる車の音も耳を塞いでも入ってくる人々の喧騒も、また歩く以上どうしても目に入る人間や車がない今の状態は街の本来あるべき姿だ、なんて言うんだろう。そこにゆきのんが街は元々人が大人数で作った場所なんだから、街に人は居て然るべきだわ、とか突っ込んで。そこにヒッキーがお前も静かなのは好きだろとか言うんだよね。

 

 

 あたしが想像するヒッキーの隣には、決まっていつもゆきのんがいる。それは2人がお似合いとかそういうのじゃなくて、あたしとヒッキーが一緒にいるならゆきのんもいるだろうという固定観念、片仮名で言うとステレオタイプのようなものだ。前にゆきのんから教えてもらった言葉がまさかこんなところで生きるとは思わなかったけど、多分使い方は合っているはずである。今はもう違うけど海浜の生徒会長だったらレッテルにおける固定観念的なステレオタイプとか言うのかな。これも後から教えてもらったけど、あの人同じことを続けていってたらしいんだよね。初めて聞いたときはびっくりした。

 

 

 縦に長い2階建ての建物に着く。上階は古着屋さんで、その下、つまり目の前の扉の向こうが目的のカフェである。外からみた感じだと中に人は数名しかおらず(まあ10人も入ったら満席になっちゃうんだけど)、入れるとわかったので扉を開けた。お店の奥からいらっしゃいませという声が聞こえ、店員さんが来るのを待っていたが、それより早くある“人”を見つけてしまった。

 

 

「あれ、優美子じゃん」

 

 

 いつものゆるふわウェーブに上はミルクコーヒーの色をしたニット、ズボンに濃い紺のデニムと革の長いブーツを履いていた。大人っぽく見えるそのコーデはここの雰囲気と合致しているとは言いがたいが、遠くから見ると貫禄さえ感じるほど似合っていた。勿論周りの風景込みで。

 

 

「ああ、結衣。こっち来なよ。それともヒキオとのデートの待ち合わせ?」

 

 

「ヒッキー朝は授業なんだって。だから昼からデートで、今は時間潰してるとこ」

 

 

 あたしは店員さんに軽く会釈をしつつ優美子の席へ向かった。どうやら本を読んでいたらしく、開いた本が逆さまになって机の上に置かれていた。

 

 

「珍しいね、優美子が読書とか」

 

 

 あたしの記憶だと高校時代に優美子が本を読んでいた覚えはなく、今のこの光景に酷く違和感が残った。読書をするなんて、それはまるでゆきのんとかヒッキーみたいで──

 

 

「前ヒキオから読んでみろって言われてさ。てかあーし高校の頃から若干は読んでたし」

 

 

 あたしはヒッキーにこれを読んでみろなんて言われたことがない。何気ない優美子の言葉にある種の劣等感を感じ、しかしそれを顔に出すことはなかった。

 本の題名は忍ぶ川と書かれているが、あたしにその名前はピンと来なかった。単にあたしが知らないだけか有名じゃないからなのかはわからないけど、これを話題にするのは難しい。

 

 

 というか、あたしが嫌だ。

 

 

「優美子はなんでここにいるの?」

 

 

 流れるように話題を変える。自分から振った話題をすぐに変えるのはどうなのかと思わないでもないが、そんな些細な罪悪感なら無視してしまえるくらいその話は嫌だった。こういう自分は本当に嫌い。取り繕っているはずなのに、ほつれが見えたらそこに目をやらない。見た目さえなんとかなっていたら良い。ヒッキーに言わせると“欺瞞”をあたしは既に武器としてふるっていた。

 

 

「その前になんか頼むし」

 

 

 優美子はテーブルに備え付けられているメニュー表を手に取り、あたしに渡してくれた。さりげなく気が利くところにどこかヒッキーを感じ、お礼も言わないでそれをもらう。代わりにうんとだけ返したところ、優美子は何も気にせず裏返していた本を再度手に取り読み出した。

 

 メニュー表には前に来たときには書かれていなかった期間限定の紅茶があった。特に何かを飲みたいわけでもなかったのでその場からそれを頼み、カウンターからはいという返事があったのを聞いて席へ向き直す。あたしは手持ち無沙汰になりポケットに入ってるスマホを取り出した。ヒッキーからの連絡を期待したが着信はゼロで、意味もないが軽く息をついた。この感じで長く息を吐くとヒッキーの癖と同じになるが、そんな同一視みたいなことをしても恥ずかしいだけ。あたしは滞っている連絡を返し始めた。

 

 

 ちょっとすると頼んだ紅茶が運ばれてきた。見た目は普通の紅茶だが、匂いが若干違う気がする。まあこれはいつものとは違うってわかってるからそう感じるだけかな。ふと正面を見ると、優美子が煙草を取り出したところで止まっているのが見えた。

 

 

「ごめん、紅茶飲む時に煙草はダメだね」

 

 

「いやいや、全然良いよ?ヒッキーもよく吸ってるし、あたしもそろそろ馴れてきたから」

 

 

 その言葉に優美子はほんの一瞬だけ視線を落としたが、普通なら気付かないほどの時間だったので自然な感じでわかったと言い煙草を取り出した。

 咥えるところであろう場所は純粋な白で、煙草全体の3分の1を占めていた。刺繍みたいな金のところを境に色は変わっており、残りの3分の2はボーダーみたいになっていた。

 優美子は煙草を右手の親指と人差し指の2本で持ち、手慣れた様子で火をつけた。煙を吐く姿はまたヒッキーと重なり、あたしは自然と目をそらした。しかし今度はそれだけでは足りず、香ってくる匂いがヒッキーの吸うものと同じことに気がついた。

 

 

「もしかして、ヒッキーと同じやつ?」

 

 

 耐えきれず聞くと、優美子は素直に驚いた様子だった。

 

 

「それいろはにも言われたし。わかるもんかな」

 

 

 火のついている方を自分へ向け、匂いを嗅ぐ。しかしわからなかったのか、軽く首をかしげて煙草を灰皿の上に置いた。

 

 “わかるもんかな。”さりげない肯定にあたしはもうやっぱりとしか思えなかった。あたしの知らないところで2人は繋がりすぎている。こういった煙草の銘柄やさりげない仕草から、共有している濃密な思い出まで色々と。醜い嫉妬心がもたげる。付き合うまではなかった暗い感情にある意味で当惑し、焦る気持ちが膨れ上がる。

 

 優美子はヒッキーのことを好きじゃないと言った。その言葉の真偽はわからないけど、ヒッキーはそうじゃない。あたしといる時は気を遣っているのがはっきりと見てとれ、間違ってもそれはたまに見る優美子といる顔ではない。そこに恋愛感情があるのかと言われたら断言は出来ないけど、それも濃密な思い出の中に内包されているかもしれない。

 

 

 あたしは本当にずるい。気付いたときにはもう出ていた言葉に、後から自分で驚いた。

 

 

「あたしさ、今日のデートでヒッキーとキスしようと思う」

 

 

 これ自体は今日を迎える前から考えていた、距離を詰めるための作戦だったけど、優美子に言うつもりは全くなかった。言ってしまった理由なんて、完全に嫉妬でそれ以外には考えられない。

 

 突然の告白に目を大きくした優美子だったが、それも少しすると納得したような、見間違いじゃなかったら諦めたような顔をした。

 

 

「……そっか。もう付き合って3ヶ月だもんね」

 

 

「……うん」

 

 

 付き合いだした8月から既に3ヶ月が経過している。正確にはまだ3ヶ月じゃないけど、それだけの時間があったのにあたしたちはまだ何も出来ていない。もしかしたらヒッキーと優美子の方が何かやっているかも、と思えるくらいには。

 

 それきり優美子は何も言わず、同じページを長い時間読んでいるなあと思った辺りで再び口を開いた。

 

 

「まあ頑張りなよ。ヒキオは押さなきゃ来てくれないし。……帰るね」

 

 

 そう言い残して優美子はレジの方へ進み、お金を払ってここを出た。結局何でここにいたのか聞けず終いで、後に残ったのは言い様のない暗い感情だった。

 あたしは残っていた紅茶を一気に飲み干し、足早にそこを出た。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

「悪い、待たせた」

 

 

「ううん。あたしも今来たところだから」

 

 

 大学の授業が終わるなり、俺はやっと待ち合わせ場所へと到着した。今日に限って延長を言い出した教授に間の悪さを覚えたがそんなことを愚痴っても仕方が無く、なるべく早く移動したのだった。

 

 

「じゃあ行くか」

 

 

 今日はモールで適当に服を見る予定である。そろそろ本格的に寒くなってきたので、防寒具なりコートなりを見るつもりだ。

 俺が先んじて歩き出すと、由比ヶ浜は少ししてからついてきた。その一瞬に何の意味があるのかはわからないが、追求することでもないかと結論付け、由比ヶ浜の隣に並ぶ。並んだ瞬間由比ヶ浜はいつも嬉しそうな顔をする。対小町で培ったレディーファーストスキルが役に立っているのだろうか。それこそ聞けたもんじゃないのでスルーするが、逆に三浦はこういったことにはあまり反応していなかったことを思い出す。何度か口に出して良い行いだと言っていた気もするが、由比ヶ浜のように顔に出すということはなかったはずだ。

 

 

 モールは待ち合わせ場所からちょっとであり、中に入ると外の寒さとはうって変わって暖かい空気が辺りを包む。効きすぎとも思えるほどの暖房なのでコートは完全に無駄になり、歩きながら脱いで左手で持った。

 

 

「由比ヶ浜はほしいものあるのか」

 

 

 正面を向いたまま訊く。しかし答えは返ってこず、俺の少し後ろで自身の左手を中途半端に握り視線を泳がせていた。

 

 

「……由比ヶ浜?」

 

 

「えっ、あ!ごめんヒッキー、話聞いてなかった!どうしたの?」

 

 

 今度は聞こえたようで、俺の訝しんだ顔に驚いたのか咄嗟に謝った。中途半端だった左手はしっかり握られていた。

 

 

「いや、別に大事なことじゃない」

 

 

 言ってから、これは返事しにくい言葉だったと後悔する。恐らくここでこういった言葉を選択してしまうことこそがコミュ力の無さに起因しているのだろうな。

 

 

「それより由比ヶ浜こそ大丈夫か?なんというか、心ここにあらずって感じだったが」

 

 

「いや、まあ……」

 

 

 言いよどむ由比ヶ浜に、俺は視線で先を促した。由比ヶ浜はその後も少し躊躇ったが、やがて。

 

 

「あたし達、付き合ってもうすぐ3ヶ月なのにまだ手も繋いでないなー、って思って」

 

 

「……悪い」

 

 

 そう言って俺はまた中途半端な位置で止まっていた由比ヶ浜の左手を俺の右手で握る。指を絡めない繋ぎ方だったが、由比ヶ浜の高い体温はしっかり伝わってきた。

 

 

「ごめんね、ヒッキー……」

 

 

 申し訳なさそうに握り返す。繋がれた手は鼓動を伝えてしまわないかと心配になるが、由比ヶ浜の鼓動が伝わってこないところを見るに杞憂であることは明白だ。

 

 

 ──いつもと殆ど変わらない拍動。彼女に対してこれほど失礼な仕打ちはないだろう。

 

 

 服屋に着いた。こういうのは確かブティックと言ったはずだ。店の奥には女物の服がズラリと並んであり、店頭にはモデルばりに着こなすマネキンがポーズを取っている。

 

 

「なんか欲しいものはあるか?」

 

 

「うーん、小物とかかなあ。ストールとか」

 

 

 小物にストール、それにブティック。半ば不可抗力的な連想ゲームではあるが、俺は去年三浦にストールを買ったことをふと思い出した。あれは確かクリスマスプレゼントとして買ったもので、その場で巻いてくれたことが何よりも印象的だった。こういったプレゼントをするのは馴れていないので内心ビビりながらだったが、三浦は快く受け入れたくれた。

 

 

 ……彼女といる時に別の女のことを考えるのはダメだな。裏切りに近い行為だと気付いたそばから俺は考えるのをやめ、由比ヶ浜の手に取る小物に集中し出した。

 

 

「これとか良くない?ルージュのストール」

 

 

「だな。大人っぽい感じが良いんじゃねえの」

 

 

「ゆきのんとか似合いそうかな?大人っぽいし」

 

 

「いや、これは雪ノ下というより……」

 

 

 言葉に詰まる。雪ノ下の名前は普通に出せたのに(先に由比ヶ浜が出したというのはあるだろうが)、()()()の名前を出すことはなぜか躊躇われる。過剰に反応しすぎているのは裏を返すと意識してしまっていることと同義だ。

 

 そんな俺を見かねてか、由比ヶ浜はある提案をした。

 

 

「ね、公園行こっか。近くにあるでしょ?静かなとこ」

 

 

 その言葉に初めて俺は心臓を驚かせ、由比ヶ浜の今までとは違う雰囲気に言い様のない緊張を感じた。

 

 しかし断る理由もなければ拒否することもできず、あったはずだと曖昧な答えを返して店を出た。結局俺と由比ヶ浜は冷やかしに来ただけになったが、そんなことを気にする状況じゃないことだけははっきりと感じ取れた。

 

 

 

 

 

 モールを出て道なりに進むと細い路地があり、そこを抜けると割りと大きめで、かつ遊具があまり置かれていない静かな公園がある。見覚えがあるなと思い返すと、そこは恐らく優ちゃんと初めて会った場所だった。行く気もなかったのにふと思い立って歩いていたところ、優ちゃんが転けたのが見えたので公園に入り、三浦と出会う。どこまでも出来すぎている巡り合わせに俺は純粋な疑問と少しの罪悪感を抱いた。

 

 

「ねえ、ヒッキー」

 

 

 今までにない真剣な表情。由比ヶ浜は俺を真っ直ぐ見据え、その視線を受け止める。

 

 

「遠慮しないで答えてね」

 

 

 俺は首肯し、続きを待つ。……いや、違うな。俺は言葉を発することができず、ただ頭を下げた。

 

 

「あたしと付き合うの、気が乗らない?」

 

 

「それは……」

 

 

 すぐに答えられない。それは言葉通りだったからではなく、もっと別の理由があるのはすぐに理解できた。他ならない自分のことだ。しかしそれを正確に、真っ直ぐ伝えられる自信もない。

 

 

「ごめんね、ヒッキー」

 

 

 今日何度目かわからない謝罪。俺が謝るのはこっちだと言う前に由比ヶ浜は言葉を続けた。

 

 

「本当は優美子のことが好きなんでしょ?」

 

 

「……」

 

 

 答えることができない。仮にも3ヶ月弱は付き合っていたのだ。由比ヶ浜に好意がないとは言えるはずもないが、一方で三浦に感じていたものが虚像とも思えない。言葉を必死に選ぶが、これが由比ヶ浜の言う“遠慮”であり、単語としてその意味を理解した瞬間俺は浮かんでいた言葉を伝えることにした。

 

 

「由比ヶ浜には悪いことをしたと思う。……縁を切られても仕方のないことだ。それでも、包み隠さず言うならば」

 

 

 短く息を吸い、腹から息を吐く。

 

 

 

 

「俺は、三浦のことが好きだ」

 

 

 

 

「……だよね。じゃああたし達のカレカノ期間はおしまいっ!」

 

 

 あっけらかんとした由比ヶ浜の態度は明らかに無理が透けて見えた。

 

 

「由比ヶ浜……」

 

 

「いいの!」

 

 

 遮るように言葉を挟む。

 

 

「ホントにいいから、ね?」

 

 

 人差し指で目尻を指す。確かに涙が滲んでいるようには見えなかった。

 

 

「多分だけど、あたし達はゆきのんも入れて3人でいるのが1番合ってるんだよ。……丁度この季節かな、ヒッキー言ってたよね。本物がほしいって。その時点で、あたし達は3人で本物を見つけることが決まってたんじゃないかな?だから、2人だとうまくいかない的な?」

 

 

 自嘲にも聞こえる由比ヶ浜の自己分析。俺がそれに口出しする資格はないため、ただ閉口していた。

 

 

「あ、そうだ。これだけは受け取ってくれる?」

 

 

 由比ヶ浜はそう言うと鞄から1本のマフラーを取り出した。丹念に織られているが、手編みであることは容易にわかる。黒いマフラーを由比ヶ浜は折り畳んで、俺へと手渡した。

 

 

「えへへ、ヒッキーのために一生懸命編んだんだよ」

 

 

「そうか……。ありがとう」

 

 

 畳まれたマフラーを1本に広げ、俺は巻いていたストールを自分の鞄に入れそれを巻いた。

 

 

「暖かいな」

 

 

「ぷっ、ヒッキーさっきまでストール巻いてたじゃん」

 

 

 軽く笑う由比ヶ浜の声に、空気が弛緩した気がした。

 

 

「……一応俺もプレゼント、……みたいなもんは買ってたんだが、受け取ってもらえるか?」

 

 

「ダメ」

 

 

「え、お前ここは受けとる流れじゃねえの」

 

 

 不意をつかれた俺は、さっきまでの緊張を伴った言葉ではなく素のままで突っ込んだ。

 

 

「こういうのはさ、“彼女”に渡すものでしょ?」

 

 

「いや、それならこれも……」

 

 

 そう言って首に巻いたマフラーに手をかけるが、由比ヶ浜は無言で俺の腕を首から下ろした。

 

 

「それは、なんというかな。……あっ、そう!感謝の印!」

 

 

「お前絶対今思い付いただろ」

 

 

「いいの!まあだから、ヒッキーのプレゼントは彼女さんにあげてね。……ほら、行ってきたら?」

 

 

 目的地をあえて言わないのはお互いにとってそれがどこかわかりきっているから。いつもの由比ヶ浜……、付き合う前までの由比ヶ浜の調子に俺は不覚にも安心してしまった。そんな気遣いに癒されるのは浅ましいことこの上ないが、無下にするのはもっと愚かだ。

 

 

「……ありがとうな、由比ヶ浜。行ってくる」

 

 

「うん。行ってらっしゃい!」

 

 

 

 

 ──いつかのあり得た未来。玄関口に由比ヶ浜がいたら、こいつはこんな顔をして見送ってくれるのだろうか。そんな妄想が最後に頭をよぎった。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 ヒッキーを見送ってから、あたしは独り公園のベンチに座っていた。すぐ側には銀杏の木が立っており、夏ならば丁度ここは影になるだろう。今は半分ほど葉が落ちているため中途半端にしかあたしを隠してくれない。もっと暗くしてくれても良いのに。

 

 

(……優美子には悪いことしちゃったなあ)

 

 

 今考えてみると、あの時の優美子の言葉は明らかに嘘だとわかった。今日の朝のキス発言で確信が持て、あたしはなんて残酷なことをしていたのだろうと自己嫌悪に陥る。

 

 正直なところ、あたしはその可能性を勝手に閉ざして都合の良い表面ばかりを追っていた。より簡単に言えば、あたしは優美子に甘えていた。というか今回はヒッキーがわかりやすかったのかな。多分初めて本気で好きになった相手なんだろう。普段はひねくれているくせにヒッキーの好意は誰よりもストレートで、その好意を向けてもらえる優美子が本当に羨ましい。どこで間違ったか、なんて問いはこの場合は適さない。強いて言うならば、どこで押さなかったからダメだったんだろう、かな。

 

 

 涙は流さない。だってこれは悲しい別れじゃなくて、嬉しい発見だったから。あたしとヒッキーはゆきのんを合わせて初めて3人で運命を感じることができる、そう再認識できたから。だから──

 

 

 

「あ、あれ?あたし、なんで……」

 

 

 

 何かが頬を流れ、どんどん溢れてくる雫をあたしは必死で拭った。

 

 

 

「ダメなのに……っ、泣いちゃったら、悲しい別れになっちゃうのに……」

 

 

 本当はヒッキーと付き合っていたかった。ずっと大好きだった。あたしだって、出来るならヒッキーと結ばれたかった。

 

 

「やだよぉ……、ヒッキー……」

 

 

 嫌だけど、本当は嫌だけど。でもヒッキーが幸せなのはあたしといることじゃなくて、優美子といること。わかってはいるんだけど、心がそれを受け入れてくれない。

 

 

 でも1つだけ。言い忘れていたことを、独りで呟く。

 

 

「……今まで付き合ってくれて、……っ。……ありがと」

 

 

 秋風がさらったのは扇形の葉とあたしの言葉。銀杏はまた葉を散らし、伝った涙の線を寒さが際立たせた。

 


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