第百二十四話 催花雨
2097年4月6日
時間を遡る。
それは、第一高の入学式を明日に控えた日の事だった。
生徒会は当然、風紀委員も式の準備で長く学校に留まった。風紀委員である雫も、学校に長く留まった1人である。
「雫、少し良いか」
「達也さん?」
式の準備は万全で、雫が帰路に立とうとした時、達也がそんな彼女を捕まえたのだ。
雫は声を掛けてきた達也へと振り返った。そうして、いつになく真剣な達也の顔を見て、雫は察する。
十六夜について、また重要な事が分かったのだと。
「……また、家に行った方が良い?」
「ああ、頼む。……万が一にでも、十六夜に悟られる事は避けたい。すまないが、別々に動こう」
「分かった。一旦帰るフリしてから、達也さんの家に向かう」
慎重に慎重を重ねる達也の提案に、雫は異論なく従った。それだけ重要な情報が共有されると、雫は達也の態度から読み取っていたのだ。
そうして、達也と雫は一旦それぞれの帰路に就く。雫はほのかとほぼ同じ帰路なので、途中で進路変更する事を不思議がられたが、『達也さんに十六夜さんの事で話をしてくる』とほぼ真実を告げた。ほのかはそれを恋愛相談と勘違いし、応援の言葉を送ると共に、雫を見送るのだった。
こうして、雫は難なく達也と合流する。
『2人で話すから、深雪と水波は自室に控えてくれ』と達也が頼めば、深雪と水波はそれに素直に従っていた。深雪は『雫、ファイト』と、おそらくこっちも恋愛相談と勘違いしている雰囲気を醸しながら。
達也と雫はそれぞれ正面に座り、それぞれの緊張感を解すため、出されていた紅茶に各々口を付けた。温かい飲み物で心も暖められ、氷のように固まっていた緊張も融けたところで、達也は口を開く。
「3月末日に、ご当主様から十六夜について聞き出す事ができた。……端的に言おう、雫。十六夜は、あいつは、『四葉十六夜』と名乗る誰かだ」
「……やっぱり、そうだったんだね」
達也から告げられた驚愕の真実に、雫はまったく驚かなかった。
それもそうだ。そこまでは、達也も雫も推測できていた。むしろ、その可能性が高いとさえ考えていた。その推測が確定となっただけで、驚く事は何もないのだ。
「達也さんは決めたの?弟でも親戚でもない十六夜さんと、どう関わるのか」
「あいつに俺の弟ではない過去があったとして、今は俺の弟だ」
雫は十六夜のその真実より、達也の行動方針を気にしていたのだが。達也は十六夜の味方であり続ける事を決心しており、そう即答した。
その即答ぶりと無茶苦茶な理論に、雫は少し吹きだす。紅茶を口に含んでいたら、鼻に回っていた事だろう。
「た、達也さんの考えは、よく分かった……っ」
「……」
雫が笑いを堪えて震える姿には、達也はとても不服そうだ。
「……雫は、考えを変えないんだな」
「……ゴホン。……そうだよ。元より、十六夜さんが、彼が何者かなんてどうでも良いから。いや、ちゃんと彼の口から何者なのか聞きたいけど。それは彼の心を開かせるためのものであって、自身の判断材料を増やすためじゃない」
お互い空気を引き締める。達也は訊くまでもない事を念のため訊けば、雫から予想通りの言葉が返ってきた。達也より先に十六夜の味方である事を決めていたのだから、さもありなん。
「重要な情報もあるから、共有しておく。……あいつの遺伝子を書き換える力は、どうにも魔法どころかサイキックでもないようだ」
「……どういう事?」
「あいつの力は、『リライト能力』と呼称されるモノで、生命エネルギーを糧として使用するモノだそうだ」
達也から聞かされたこの真実に、雫は歯を食いしばり、涙を堪えた。
「……遺伝子を書き換える力が、寿命を削っている原因だったんだね」
「……そうなる」
その真実を雫と達也は受け止めた、重く、深く。
実のところ、2人はその事も予測していた、と言うか、いつだか達也がその可能性がある事象を観測していて、雫に共有されていたのだ。エイドスに記録されている、常に減り続ける何か。達也が『寿命』と当たりを付けたそれを。
2人にとって、その寿命の用途が、遺伝子を書き換える力だったと判明しただけなのだ。
「……『リライト能力』に関する情報の出所は、本家の機密情報が混じっているから共有できない。あいつと雫が正式に結婚したら、その時に伝えよう。それより、頼みたい事がある」
「……何?」
結婚して正式に四葉家の人間になれば、家の機密情報を伝えられると言う、達也の強かな論。その論を正論として理解しつつ、ちょっとバラ色の未来を夢想してから、雫は達也が続けようとする言葉に耳を傾けた。
「どうやらあいつは、就寝時にだけ指輪を付けるらしい。その指輪について、あいつから聞き出してもらいたい」
「指輪?」
唐突に出てきた指輪。前後に繋がりを見出せない雫は、思わず首を傾げてしまった。そうなるのは、達也にとって織り込み済みだが。
「ご当主様にあいつの出自を聞いたんだが、その返しが指輪についてだった。出自についてぼかした、という様子ではなかったから、話題を逸らした訳ではないと思う。もしかしたら、あいつの秘密を探る上で、その指輪は重要なのかもしれない。出自を判明させる以上に、な」
達也は十六夜の秘密に関して、真夜が口にしたその指輪が重要だと、真夜の話口から察していた。そして、その秘密はまだ真夜も知れていないという事も。真夜もしっかり十六夜を深く知ろうとしている事も。
「確かに、出自を知った程度で私たちの考えは変わらないし。正直、何処かの国の孤児だったとしても、もう驚かないし。遺伝子を好きに書き換えられるんだから」
「俺も同意見だ。ただ、あいつが元から日本人だった事は推測できる。価値観が日本人のそれだからな。子供の頃に身に着く価値観は、そう簡単に矯正できないだろう」
出自はもはや考慮に値しない雫と達也。しかし、達也は持っている情報からその出自を推測していた。面白いのが、今生だけで見れば外れだが、前世込みなら当たっているところだろう。
ちなみに、雫も達也と近い推測をしているので、異論は一切唱えない。前世日本人が染み出している十六夜なのである。
「とりあえず。当面は彼の指輪について調べれば良いんだね」
「ああ、頼む。俺も探る機会を逃す気はないが、その機会が訪れる可能性は婚約者である雫の方が高いだろう」
「うん、分かった」
雫と達也は、十六夜を探るための途中目標を共有し合い、頷き合った。
そうして思考を他に割く余裕ができたところで、雫はふと思う。
「……この情報って、七草先輩には共有しない方が良い?」
そのふと思った事は、恋敵とも言えるが、同時に十六夜攻略の協力者とも言える関係の真由美について、である。実際、彼女と二股状態になった事で、十六夜の心を揺さぶる事ができ、十六夜の素顔を少し覗けたと、雫は捉えている。
だから、協力者に情報を共有したいというのが、雫の本心だ。
「……俺としては、この情報を知る者はあまり増やしたくない。が、七草先輩なら、とも思う。……情報を共有するか否か、共有するとなればどこまでか、その判断は雫に任せよう」
「了解。まずは、指輪についてだけでも聞いてみようと思う」
「俺の承諾は必要ないぞ。できれば報告はしてほしいが」
「そこも含めて、了解」
十六夜攻略戦線における真由美の引き込みは、完全に雫に一任された。
今回の用件は済んだ事を読み取り、雫は席を立つ。
また情報共有の席を約束するように、雫と達也は別れの挨拶を告げ合うのだった。
雫は帰路に再び就く。そこで、『噂をすれば影が差す』ではないが、話題に上げた人物と出くわす事になった。
「あら、雫さん?」
「こんばんは、七草先輩」
雫と同じく帰路の途中であろう真由美。そんな彼女は、その帰路の途中で雫と出くわした事に意外感を覚え、反して雫はほぼ当然のモノと受け止めていた。
それもそうだ。真由美が今住んでいる家は十六夜宅の隣であり、その十六夜宅は司波兄妹宅に近い。自然、真由美の帰路には司波兄妹宅の帰路と重なる部分が出てくる。となれば、司波兄妹宅の帰路を逆巡りしていた雫が、帰路を順巡りする真由美とかち合う可能性は、なくはないのだ。まぁ、可能性としてはかなり低いはずなのだが。
「えっと。雫さんのお宅って、こっち方面じゃないわよね?」
「はい。先程達也さんのお家で話してたので、その帰りです」
「ああ、そう言う事だったのね」
雫の応答を受け、真由美も前述の可能性に思い至り、納得した。同時に、その先の結論にも、真由美は至る。
「達也くんのお家に居たって事は、もしかして十六夜くん関連かしら……」
真由美は、躊躇いがちにそう訊ねた。聞くべきか、十六夜関連と確定すべきか、躊躇っていた。
「そうです」
「……そう」
躊躇ってなお聞いたはずなのに、真由美はそこから踏み出せない。
真由美は、迷っている。十六夜という男を深く知るべきなのかを。
真由美の脳裏には、二股状態が発覚した際の、どちらも手放したくないと苦しむ十六夜の姿が焼き付いている。
彼を深く知りたいという思いはあるが、それで彼を傷付けたくないという思いも、真由美にはあるのだ。
彼が傷付かない事を願うなら、自身のその欲求を、彼の秘密を知らない事の不安を、抑えるべきだ。
真由美は自分にそう言い聞かせながら、それでも、その欲求を抑えきれていない。
「七草先輩。私は言いました。十六夜さんは、自身から幸せを遠ざけようとしてるって。だから、私たちが引っ張り上げるべきだって」
真由美がその欲求を抑えられないのは、雫のその言葉が一因としてある。
以前にも、雫からそういう言葉を言われているのだ。
十六夜と共に行った沖縄旅行の最中に。
でも、その言葉を言われたあの時も、今も、真由美は踏み出せずにいる。
「私には、分からない。私には、十六夜くんが自分から幸せを遠ざけてるって事すら、分からないの。私には、傷付きながらも幸せに向かっているように見えてたから」
踏み出せない理由はそれだ。真由美は、十六夜の態度を誤認していた。十六夜が自分から幸せを遠ざけているようには見えなかった。今も、頑張って前に進んでいるようにだけ、真由美には見えている。
そんな誤認をして、十六夜の本当の姿に気付けない自分が、彼に近付く権利があるのか。
真由美はそうして踏み出せず、されど欲求が抑えられずに中途半端な立ち位置にある。
「私たちが彼を引き留めなきゃ、彼は1人になる。独りで、死に突き進んでいく」
雫は、真由美へ言い聞かせるように断言した。
でも、真由美はその言葉を頭から追い出そうと首を振る。
「分からない、分からないわ!誰だって死にたくないはずよ、彼だって幸せに進んでるはずよ!」
受け入れたくない。真由美は、十六夜の頑張った先が死という不幸だなんて、受け入れられない。
だって真由美にとって彼は―――
「……先輩、彼に夢を見ないでください」
「っ!」
そう。雫が怒気を込めて言った言葉が、真由美にとって図星なのだ。
真由美は、十六夜に夢を見ていた。彼こそが、生い立ちに腐らず、才能に胡坐をかかなかった、自分のもしもの姿なのだと。
だから、そんなもしもの自分の行き着き場所が死なんて、真由美には受け入れられない。
「彼は凄い力を持っていて、凄く頑張ってきただけの、普通の人間です。超人や偉人、英雄なんかじゃない。むしろ、彼の本性はきっと、酷くちっぽけです」
「十六夜くんをちっぽけなんて言わないで!」
「じゃあ彼に理想を押し付けて縋っていくつもりかっ、貴女は!」
理想像を崩そうとしてくる相手に、真由美は拒絶しようと声を荒げていた。でも、それ以上の怒声が雫から返ってきた。
雫は、失望し、憤慨しているのだ。まさか恋敵とも思っていた相手が、彼の事を微塵も理解していない、逆に理解した気になって彼を見ようとしていない相手だとは、思っても見なかった。こんな相手と競争していたのかと、こんな相手に取られるかもと不安を一抹でも抱えていたのかと。
「彼を支える気がないんだったら、寄り掛かるだけのつもりだったら、彼にもう近付かないで!」
「わた、私は……」
真由美は、雫の怒りに正当性を感じ、言い返す言葉が思い付かず、ただ震えた。
雫の怒りに怯え、何も言い返せない自分に悲しむ真由美。彼女はそれらから逃げ出したくて、何かに頼るように、自然と自身が身に着けているペンダントを握り込む。
そして、真由美はハッとする。ここ最近、心細くなった時はいつも握り込んでしまうそのペンダントは、いったい何なのかに気付く。
そのペンダントは、四葉のクローバー、雫、桔梗の花、それぞれの形をしたペンダントトップを並べた物。沖縄旅行の際、十六夜、雫、真由美の3人で買った、お揃いのペンダントだ。
真由美は、雫の方を見やる。雫の首に、そのペンダントはない。だが、何かを探す視線から察した雫は、すぐに懐からそのお揃いのペンダントを取り出した。
「第一高の校則、アクセサリー着用の禁止は覚えてますよね」
「ええ、覚えてるわ……」
中学・高校でよくある校則、ペンダントやイヤリングなどのアクセサリー着用を禁じるそれ。心の乱れなどという前時代的な理由で、第一高にも採用されている。
なのに、雫はそのペンダントを持ち歩いていた。着用できないなら、学校に持って来ない方が面倒はない。それでも、雫は肌身離さず持ち歩いているのだ。3人でのデートが、宝物であるから。
「桔梗の花も……、付けたままにしてくれているのね……」
「七草先輩を邪魔だと思った事はありません。先輩も、彼の幸せを願ってくれてると思ったから」
真由美は雫の、雫は真由美の、3つ欠ける事なく揃っているペンダントトップを見つめた。
真由美は涙ぐむ。ああ、そうだ。自分も同じ思いなんだと。自身も、あの3人でのデートが宝物なんだと。
そして――
「私も、十六夜くんを、幸せにしたい……」
――そこまで、同じ思いなのだと。
「私じゃ、力不足だと思ったの……。彼への恋慕に気付いてもいなかった私じゃ、彼の婚約者と名乗る事も許してもらえない私じゃ、彼の支えになれないって……っ」
真由美は、涙と共に思いを零した。何故、彼を深く知りたいのか。彼を、傷付けたくないのか。
それは、偏に彼に幸せになってほしいからだ。彼を深く知れば、彼を幸せにできると思った。でも、自分にはそんな力がないと、過小評価した。だから、次善策、彼を傷付けない策、彼を不幸にしない策を取っていた。
でも、限界だ。自分にも彼の幸せを想う心があったと自覚してしまえば、もう抑え込めない。
「彼を幸せにしたい。でも、こんな私が、どうやったら彼を幸せにできるのか、分からないの……」
「私だって同じです。だから、足掻いてる。だから、七草先輩の力も貸してほしい」
俯く真由美の視界に、雫の手が差し込まれた。
相手が握り返すのを待つ、その手が。
「……雫さん」
「七草先輩、もう1度言います。彼に寄り掛かるだけのつもりだったら、彼にもう近付かないでください。でも、そうじゃないなら。力を、貸してください。私は、彼と愛し合いたいんです」
真由美が顔を上げて見つめた雫の顔は、決意に満ちていた。絶対に彼を幸せにしてやるのだという決意が、溢れていた。そして、彼を幸せにした上で、自分も幸せになってやるのだという思いも、同じく。
だから、真由美は我が身を振り返る事ができる。自分も、自分の幸せのために彼を想っていたのだと、自身を振り返る。そして、そういう欲深くて自己中心的な思いが、彼を幸せにしたい動機でも良いのだと悟る。
「……雫さん。私もね、彼と愛し合いたいの」
「知ってます」
「……愛人で妥協するつもりなんだけど、あわよくばって、思っちゃう時があるの」
「分かります。そして、望むところです」
真由美も雫も、彼の事をそれぞれ愛しているのは明白な事だ。ならばこそ、自分が彼の一番になりたいと思っている事など、言われるまでもなく分かっている。
それでも、雫は手を差し出していた。恋敵であるが、怨敵でも、憎い相手でもなく、切磋琢磨する好敵手であるから。正妻の座を狙ってくる相手が居るからこそ、油断せず、怠けず、正妻であろうと心がけられるのである。
「ま、正妻の座を巡り争うのも、まずは彼を幸せにしてからよね」
「はい」
真由美と雫は、視座を同じくした。まずは、彼を救ってからなのだ。でなければ、彼が真に自分たちを愛してくれないと、察しているから。
真由美は背筋を伸ばす。真っすぐ雫を見つめる。雫も、合わせて見つめ返す。
互いは互いに、その瞳に火が灯っているのを見つける。
「これからも宜しくね、雫さん。それと、私の事は『真由美』って呼び捨てて?」
「うん。よろしく、真由美」
真由美は差し出されていた手を握り、雫は固く握り返した。
真由美と雫はここで、真に手を取り合ったのである。
「それで、真由美。彼について、大事な話があるんだけど。……少し、時間が欲しい。お互いに、覚悟する時間が」
「……分かったわ。今度、ちゃんと話をする時間を設けましょう。覚悟は、ちゃんとしておくわ」
真剣に澄ましているが、何処か不安も混ざっている表情の雫。彼女のその表情に、真由美は気を強く持たなければならない程の真実を話してもらえるのだと、喜ぶと同時に覚悟した。
きっと、その真実は、恋に恋する程度の人間では、容易く心変わりしてしまう程のモノだと、真由美は読み取ったのだ。ともすれば、今この場の自分では覚悟が足りない、とも。
だからこそ、真由美は今一度覚悟をするために、その時間を雫から貰い受けた。
そうして、真由美と雫は改めて固い握手を交わした後、どちらともなく別れるのだった。
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次回の更新は、1月28日の予定です。
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