第百二十六話 再起
2097年4月27日
達也たちが十六夜の原点という謎の前で立ち止まる日の、その前日。
「周胤……。いくら密入国のためとはいえ、ボスを死体袋に入れて運ぶのはどうなんだ……」
とある病院の霊安室にて、十六夜、いや、
「人を国外に運ぶ方法の中で、一番無難な方法がこれなのですよ。死体と分かって好き好んで調べたい人は、そうそう居ませんからね」
ボスにそんな視線を向けられてなお、一切の悪びれもない周胤。亡命ブローカーをしていた彼、と言うか周としてはこれが常套手段であり、同時に亡命者から睨まれるのはいつも通りなのである。
「……とりあえず、密入国は成功したみたいだが。ここは何処なんだ?」
『
ちなみに、この入国方法も同じく聞かされていなかった事を、ここに明記しておく。
「詳細な場所は諸事情により話せないのですが、とりあえずは日本のとある病院とだけ」
「まぁ、国だけ分かればそれで構わん。……それにしても、よりによって日本か」
話せない諸事情というのはやや気になる
良くも悪くも『四葉』の居る国だ。十六夜である時は味方だから良いが、
「『四葉』含めた日本の諜報力をご心配でしたら、ある程度は問題ないかと。何せ、今回の依頼人が依頼人ですから」
「依頼人?」
ボスの不安を察した周胤は、それを緩和しようと動く。
そうして薄暗い病棟を我が物顔で闊歩していた周胤に連れられ、どうせ周の息が掛かった病院なのだろうと、同じようにして彼の後に続いた
「……。貴女方が、そうなのですか……」
開かれた扉の先には、くたびれた男性1人。降ろし立てのようなビジネススーツを身に纏う40代後半だろう体格、されどその顔は疲れ果てているようで、白髪交じりの髪は諦め果てたようで。ただ、その目だけは、
「あ、貴方は……」
病床の傍で椅子に腰掛けているその男性。
それも当然。彼は、日本内閣、現・防衛大臣を47歳で務める政治家なのだから。日本在住かつ身内に軍属が居る十六夜としては、見覚えがなければ失礼に当たる相手なのだ。
「……あの方が今回の依頼人です。……患者はあの方のご息女、1年程前交通事故に遭ったきり、目が覚めぬ女性です」
今回の依頼人と患者について、周胤は
目の前に居る男性と、病床で目を閉じたままの女性を、ただ置き去りにしたそれを。
「……、初めまして。俺は
被害者への同情心やら、痛ましいニュースを忘れ去ろうとしていた申し訳なさやら。それらの感情を引っ込めて、
「……初めまして、お嬢さん。……既に知っているようだし、事情があるから、私の名前は伏せさせてもらうよ」
疲れきっていても礼儀は持ち続けている防衛大臣。しかし、
人工呼吸器や点滴機、その他医療器具に繋がれた女性を真っ正面に捉え、
「俺たちは、言ってしまえばマフィアだ。マフィアを相手に、貴方は取引するのか?しかも、全く未知の手術法を求めて?悪魔との取引と、何ら変わらないんじゃないか?」
相手は防衛大臣とはいえ依頼人で、
では、何故そうしないのか。
親近感を覚えてしまったのだ。防衛大臣に、●●が。防衛大臣のこの姿に、かつての己が重なってしまったのだ。自己愛が自己嫌悪に負けるまで足掻いた、あの時の己が。
「……神は、娘と、私と妻に、理不尽な試練を与えた。……見限るのには、それで充分すぎる。……海外の医者も当たって、はっきり言われたよ。目覚める可能性はない。安楽死させてやるのが、貴方方のためであると……っ」
防衛大臣は、歯も目も食いしばった。
どうして、自分が、自分の娘が、こんな目に遭わなければならないのか。
確かに、自身が清廉潔白とは、間違っても言えない。汚い事をしてきた。露呈すれば引責まで追い込まれるだろう事は何度かやった。でも、それは国を想ってのモノだ。決して、私利私欲で以ってやった行いではない。
いずれ罰が降るだろう事は覚悟していた。辞職を求められたら、潔く政治から身を退こうと考えていた。しかるべき償いをすると誓っていた。
そんな自分に降る罰が、これなのか。何故娘の昏睡なのか。何故自分ではなくて娘なのか。
罰が当たったとは、理解している。でも、正当な罰であるとは、納得できない。
「納得できないから、マフィアにも縋ると?こちらが求める対価はしっかり分かっているのか?」
「……海外に対する国防軍の動きと、我が国の戦略級魔法師、公認・非公認問わずその運用。……私が知る事の出来る限りで君たちに流す。……奇跡の対価にしては、安いモノだ」
対価については、周が既に文書にしたためて共有しており、防衛大臣はその文書を隅から隅まで目を通している。その対価を了承した上で、防衛大臣は此処に居るのだ。
「……国を売るつもりか?」
国の大臣、しかも防衛を担うそれだ。国防軍や国家所属の戦略級魔法師、それらの情報をこの国で最も得られる人間と言っても過言ではない。ともすれば、国を売ると取られてもおかしくない情報量だ。
だが、この問いは無意味だ。
「……妻や我が子が、孫やひ孫が平穏な世で暮らせるように、それが実現できるだろう役職に就いたんだ。……そうでなければ、防衛大臣なんて苦労も苦情も絶えない仕事、やっていられないよ」
自分の愛する者たちが平穏を享受できる国だからこそ、その国を想うのだ。そうでなければ、国を想って行動などできない。少なくともこの防衛大臣は、そういう考えを持っている。
「保証がないモノに対価は払えない、という事か。なら、この取引も同じだ。何の保証もない。最悪、ただ毟り取られるぞ」
この男は何を言っても止まらない。とっくに覚悟を決めた人だ。
ならば、何故こんな問いをするのか。それを自分へ問うために、男に問っている。
「……『溺れる者は藁をも掴む』と言うだろう?……私は、溺れているんだよ。だから、わずかな可能性に、与太話に縋った。……でも、この可能性を掴めて、君に縋れて、良かったと思う」
「……何故」
「君の目を見れば分かる……。君は、やり遂げる人の、目をしている……」
「……」
疲れ切っていながら穏やかに微笑む防衛大臣。彼を目に映して、彼の目に映る自分を目にして、
この男と自分は、同類なのだ。両者共に、善悪を計算式的に勘定し、己に利すると判断すれば善行も悪行も行える、エゴを貫く人間なのだ。
それが理解できた事は、彼の言葉を貰えた事は、この無意味で無駄で無価値な問いに、無じゃないそれらを与えてくれる。そんな気が、●●はしていた。
「成功確率は高くない。何しろ、手術症例がない」
「失敗した場合は娘を被検体にすると、契約書に明記してあったね。安心してほしい、封筒ごとちゃんと自分の手で焼却してある。火災報知機も鳴らさなかったよ」
失敗した場合の事も既に共有済みの了承済み。再度記述するようだが、覚悟はとっくに決まっているのだ。
問うべき事も、確認すべき事も、もうない。後は、
(……は。今さらだな。俺の行いは、全て己の償いのためにある。そして、その覚悟はとっくに決めたはずだ。それに、言われたじゃないか。俺は、『やり遂げる人』だと)
既に賽は投げている。背中は押されている。だからこそ、●●は良心も恐怖も追い越していく。
「手術を始める」
「ああ」
防衛大臣の応答を経て、
指先に針を刺し、『
とかく。
女性はもう液体を飲み込む事もできないので、
こうして簡易『僵尸術』の下準備は整い、
「……」
『僵尸術』は成功したが、それにより感じ取れるようになった女性の状態に、
酷く感覚的なモノだが、女性の存在感が薄いのだ。それは、存在情報の消耗を意味しているのか。あるいは、『
その推測が当たっていた場合、『
その不安を噛み砕き、
「周、最終段階に移る。術に集中するから、体は任せた」
「かしこまってございます」
そうすれば、十六夜は
十六夜は焦らず、その感覚に身を任せた。この感覚はジロー・マーシャルを書き換えた時に体験済みなのだ。
そうして、糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちる
「……毎度毎度此処に来なくちゃならないのは、変な感覚だな」
十六夜は十六夜の姿で、月から、『篝の丘』から地球を眺める。
『Rewrite』において、『篝の丘』に至る事は至難の
ならば、彼らと同じ事ができている自分は、彼らと同等の偉業を成しているのではないか。
そんな頭に過った思考を、十六夜は妄想として頭を振って振り落とす。
自分を、世界を救った彼と、1人の少女を守り抜いた彼らと、並べるなんて烏滸がましい。
「……。さて、妄想に耽ってないで。さっさと仕事を済ませるか」
十六夜が振り向けば、千葉寿和の時と同じように、ジロー・マーシャルの時と同じように、患者である女性が横たわっている。半透明になっているのも同様である。
ただ、前者の2人よりも、女性はさらに透明度が高いように見えた。
「……患者の分だけで、足りるのか?」
女性の『アウロラ』は、残り少ないかもしれない。女性を目覚めさせるのに、足りないかもしれない。
「……いや、そんな事は知ったこっちゃない。……失敗する場合も、依頼人は了承済みなんだ」
自分の分を使うという選択肢はない。それでは本末転倒も良いところだ。
だから、十六夜はダメ元気分で、最終段階に移る。
女性に手を伸ばし、存在座標が重なる。
女性の記憶が、十六夜に流れ込んでくる。それらの記憶をただの情報であると、十六夜は意識した。そうしなければ、女性に感情移入してしまいそうだったから。
「……『書き換えることができるだろうか。彼女の、その運命を。』……なんてな」
十六夜は女性の書き換え、書き戻しを始め、ふいに『Rewrite』のキャッチフレーズを口から零しては、自嘲気味に笑った。
誰かの運命なんて、背負い込む気はないくせに、と。
―私は、貴方/お父さん/お母さんの事を愛してるわ?だって、貴方/お父さん/お母さんは―――
―とっても精いっぱいなんですもの
―自分の意志を貫き通してるんですもの
―誰かを想って動ける人ですもの
―だから私も、貴方/お父さん/お母さんように生きていきたいの
―貴方/お父さん/お母さんの恋人/娘として、ね?
「……」
流れ込んできたそれは、記憶と言うより、その女性を成す思いだった。
言葉の中に出てきた者たちに言った言葉ではない。しかし、だからこそ彼女の根幹と言えるモノであると、十六夜は感じている。
では、自分は、この生きたいと願った女性を、この手で殺すのか。
『アウロラ』が足りないと、見捨てるのか。
「良ければ、此処の『アウロラ』を使ってください」
「は?」
言葉として認識できないそれが、十六夜の鼓膜を揺らす。本能的な危機感を刺激するそれに、十六夜は素っ頓狂な声を上げながら、発生源へと反射的に目をやった。
そして、十六夜は瞠目する。
「かが、り……?」
もう、居ないと思いたかった存在が、『篝の丘』の主たるその存在が、十六夜の視界に居る。無垢ではなく、慈しむような笑みを浮かべて、十六夜のすぐ傍に在る。
その時に十六夜が抱いた感情は、絶望感と呼ぶべきか、焦燥感と呼ぶべきか。そのような感情に囚われていたせいで、十六夜は篝自身が半透明である事を認識できない。
十六夜自身が抱いた感情を理解する前に、篝自身が半透明である事を認識する前に、篝の両腕に巻かれたリボンが、敵を穿つように迫ってくる。
「待―――」
『
十六夜は『
ただ、痛みはなく、暖かさが、十六夜の体に広がった。
「はっ」
十六夜は自分のベッドの上、つまり十六夜宅で目を覚ました。いつもだったらすぐに
まず十六夜は、篝に刺された胸を確かめる。
「傷がない……。いや、そうじゃない。あれには、痛みがなかった。逆に、何かを注がれたような……。あの篝に、敵意はない……?いや、敵意とかそういう人間的尺度はないはずだ。あれは高次の存在。でも、あの篝には……」
ともすれば、無垢と錯覚してしまう程の神々しさを持つはずの存在・篝。人間とは別次元の存在であるはずなのに、十六夜は彼女から人間らしさを見出していた。
情報密度が高すぎたため、何を言ったのかは解読できなかったが、彼女が発した言葉には優しさが込められていた気がしてならない。彼女が、人間のように微笑んでいたような気がしてならない。
しかしそれは、通常の篝ならありえない。
篝とは、端的に言ってしまえばシステムなのだ。生命がより長く存続するよう、働きかけるシステム。
であるからこそ、篝は人間から見れば無機質なのだ。
でも、十六夜が見た篝には、人間味があった。
「……無茶苦茶気になるが。今は患者の方だ」
気になる事を確かめる術は、十六夜でも思い付いている。でも、今は確かめる勇気がなく、それを先送りにした。
十六夜は患者がどうなったか確認すべく、
ある意味で、1つのターニングポイントを過ぎた。篝を敵と断定するか否かの、ターニングポイントを。
「……ん」
「お戻りになりましたか、
「すまん、少し遅れた。どうなった?って、見れば分かるか」
周胤によって椅子に座らされていた
依頼人である防衛大臣と患者であるその娘が、お互い涙を流しながら抱き合っている。
『
「……契約書に副作用の事は書いたか?」
「ご心配なく。身体機能及び代謝機能の向上、得られる超人技能、寿命の減少。
「そうか、なら良い。……後はお前に任せる。俺は、もう
周胤に確認すべき事を終え、十六夜が
ただ、それはほんの少し遮られる。
「待っていただけますか?」
患者である女性が、いや、患者だった女性が、
「……何か?」
「お名前を、聞かせていただけますか?」
「私からも是非、お願いします」
泣いていた親子が、まだ涙の筋が乾かぬその顔を、
「さっきから部下が俺の名前を呼んでいたと思うが」
「貴女の口から聞きたいのです」
「……
「そう、ですか……。……ありがとうございます、
「私からも改めて感謝させてくれ。ありがとう。貴女のおかげで、私はまた娘と話す事ができた。これから、話す事ができる」
親子は揃って、純粋な感謝を
「……契約を守ってくれさえすれば良い。特に、患者だった貴女の方には事後承諾になるからな」
「奇跡の対価は、しっかりお払いします」
「なら良いんだ」
そうして眠りいくような
閲覧、感謝します。
次回の更新は、2月25日の予定です。