2097年6月10日
月曜日。バランスから重大な情報を共有されたのは既に昨日の事であり、本日の就学も終えて、もう自宅でゆっくりしている時間である。
そんなゆっくりする時間を堪能する俺は、夕食を待ってリビングでテレビニュースを見ていた。
そのニュースでは大きく、「『ディオーネー計画』の主導者、逃亡!?」とテロップを表示している。
そう。『ディオーネー計画』の発表者にして主導者だったエドワード・クラークが行方をくらませた事実は、昨日の時点で世界に公表されていたのだ。
俺は、バランスから共有された事を反芻する。
『彼が所属していたUSNA国家科学局のサーバー、そのいくつかが、システム的に大部分、ハード的に一部分、破壊されていた。所属研究員の目撃情報、及び科学局の入出管理ログを調べたら、そのサーバーに最後に触れた可能性が高いのは、エドワード・クラーク氏だった』
エドワード自身も所属するUSNA国家科学局で起こったサーバー破壊。容疑者はもちろんエドワードで、警察が家宅調査に乗り出したのだが。
『クラーク氏は不在。さらに、いくつかの文書、紙媒体のそれと、コンピューターが持ち去られた形跡があった。それも、荒らされたような様子ではなく、だ』
エドワードは、サーバー破壊の容疑が掛かった時点で、とっくに逃亡していたのである。
文書とコンピューターが綺麗に持ち去られているのに合わせ、警備厳重なUSNA国家科学局のサーバーをシステム的にだけでなくハード的にも破壊されている。これらの事実を鑑みれば、間違ってもエドワードが誘拐された、なんて事は考えられない。自分の意志で、持ち出せる物は持ち出し、そうでない物は壊して、綺麗に逃げたのである。
そうすると、壊されたサーバーというのがフリズスキャルヴの大本だったのかもしれない。
(バランス大佐も同意見だったみたいだしな。壊されたサーバーがほぼ復旧も解析も不可能と来て、凄く嘆いてたし)
壊されたサーバーがフリズスキャルヴ、『七賢人』が使うハッキングツールの大本、というのはあくまでも状況証拠。確証が持てる証拠はなく、解析ができないとなれば、最早確証を得る手段は、エドワードを本人に自白剤を浴びるように投与するしかない。
その最悪の未来が想像できたからこそ、エドワードは形振り構わず逃げたのだろう。尋問の後、健常な肉体が残っている保証は何処にもないのだから。
俺がそんな思考をしている最中にも、ニュースキャスターはエドワード逃亡に関する情報を読み上げる。
〈USNA警察当局の発表によりますと。エドワード・クラーク氏の逃亡は、国際犯罪組織への関与を疑われ、その追及から逃れるためものだと考えられる。警察当局は、国際犯罪組織への関与を含め、余罪を調査中。との事です。この事を受け、USNA国家科学局はクラーク容疑者が主導していた『ディオーネー計画』の正当性・正常性を見直す必要があるとして、計画を一時凍結する声明を出しました〉
〈『ディオーネー計画』については、四葉十六夜氏がその正常性を疑っていましたからねぇ。クラーク氏が私的に計画を捻じ曲げていた、という事なんでしょうねぇ。人類の未来に繋がる話を私的に歪めていたというのは、許せない話ですねぇ〉
ニュースの内容に、自身の意見を語ったコメンテーター。
俺はその発言に対し、不機嫌に鼻を鳴らす。
そのコメンテーターは、少し前まで『ディオーネー計画』に賛成するような発言をしていた人物なのだ。その見事な掌返しは、まさに鼻についたのである。
テレビに映し出されている者たちのほぼ全てが似たように掌返し。大衆が『ディオーネー計画』の現状に疑問を持ったと確認できた時点で、俺はテレビの電源を落とした。
とかく。『ディオーネー計画』は凍結された。エドワード・クラークはUSNAという後ろ盾を亡くした。フリズスキャルヴは現在、完全に機能を停止している。
以上3つが、俺にとって重要な事だ。
『では、もしも、ですが。俺たちがエドワード氏を捕まえた場合は、好きにしてしまって良いのですね?』
『……ああ、日本に逃亡している可能性もあるだろう。……その場合は、できればで良いのだが、抵抗が激しくて、勢い余って殺してしまった、という事にしてほしい』
俺はそうやって、疲れ切ったようなバランスから言質を得ていた。
まさしく、彼女は疲れていたのだろう。好きにして良い、という事は、こっちが好きに使って良い、という事なのだから。
フリズスキャルヴを独占して良いと言っているも同然なのだから。
(今まで散々引っ掻き回してくれたフリズスキャルヴの元凶とはいえ、フリズスキャルヴの利用価値は失うに惜しい。大本を押さえられるなら、是が非でも手に入れたい)
俺はフリズスキャルヴを独占すべく、エドワードを保護するよう、既に周へと指示を出していた。亡命幇助はお手の物な周の事だ。すぐにエドワードを捕縛、ではなく、保護してくれるだろう。
俺は思わずニヤけてしまうが、まだ反芻すべき情報があると、顔を引き締める。
『『七賢人』のハッキングツールは機能が停止している、と見て良いですね。それは好都合です。母上とミスに早くお伝えしたい情報がありましたので』
『な、何だと?』
『な、何ですって?』
俺が情報を共有しようとした際の、バランスと真夜の呆けた顔。あれは今になって思うと、なかなか笑える絵面だった。彼女らにとっては笑えない話だっただろうが。
『ミス。USNAでまたパラサイトが発生した恐れがあります。とある筋からの情報です。ダラス国立加速器研究所で、マイクロブラックホール実験が再度行われた形跡があると』
『……スターズ第三隊が極秘で行っていた作戦!前回の実験が工作員の手引きであった疑いがあり、その工作員を誘き出すために行う、という作戦だったが。……事前報告では、実験は見せかけで、実際にマイクロブラックホールは発生させないという事になっていたが。……してやられたか』
俺からの情報に思い当たりがあったバランス。彼女は歯噛みして、己の浅慮を恥じていた。
彼女としては、工作員が居るという隊員たちの杞憂を晴らすために、許可を出してしまったのだろう。それがパラサイト再出現を招くとは、思っても見なかった訳だ。
『実験を唆したのは、『七賢人』の1人、レイモンド・クラークだと思われます。彼はダラス国立加速器研究所に立ち入っていたようなので。目的は、考えたくないですが、腹いせ、ではないでしょうか。我々四葉家は『ディオーネー計画』への勧誘を散々突っぱねていましたからね』
『クラーク……。あの家族はつくづく、USNAの安寧を脅かしてくれる……』
バランスは苦悶の表情で頭を押さえていた。彼女が感じているだろう頭の痛みは、推して知るべし、だ。
『ちなみに、レイモンド・クラークの所在は?』
『……行方不明だ。……エドワード・クラークの手掛かりを掴むべく、彼の捜索をしたが。……捜索願は出ていなかった。親子で動いているかは分からないが、同時期に動いたのは確かだろう』
出来るならレイモンドはさっさと片付けたかったのだが、そう上手くはいかなかった。
頭痛が酷くなる一方のバランスには、さすがの俺も現在進行形で同情している。
『ミス。再出現したパラサイトは秘密裏に増殖している可能性があります。スターズも、何人がパラサイトに乗っ取られているか……』
『……第三隊、及びその隊員と接触した者たちに、密かに検査を行います。……我々も、前回の事件で反省している。パラサイトに関して、外部の専門家と繋がりを得ています』
さすが大佐と言ったところか、パラサイト対策は準備していたようだ。事前の対策にはなっていないが。それを言及するのは彼女を責めるも同義なので、俺は控えておいた。
しかし正直、『外部の専門家』という対策は心許ない。
だから、俺は俺の企てを進める。
『ミス、1つだけもしもの備えを提案させていただきます』
『『もしもの備え』?』
『検査がパラサイトたちに露呈し、奴らが暴れ出した場合の備えです』
バランスはその『もしも』が容易に想像できてしまったのだろう。強張った表情で、耳を傾けていた。
『最も避けねばならない事態は、シリウスがパラサイトに憑依される事です。シリウスがパラサイトに憑依されれば、恐ろしい敵となる。そして貴女方USNAは、貴重な戦力を失う事となる。単純な武力ではパラサイトを滅ぼせない事を考えれば、シリウスは逃がすべきだ』
『……ええ。もしその状態に陥った時、パラサイトは最初にシリウスを狙う確率は高いでしょう。武力としては一級品であり、そして、
バランスは、シリウスがパラサイト側に回る危険性を把握していた。ともすれば俺よりも。
『逃がすというのは、最善手だ。だが、逃げられるか?何処に逃がすにしても、奴らは追っていくだろう』
『我々四葉家に保護させてください。我々なら、パラサイトにも対処できる。心強い専門家の手も借りられる』
『願ってもない事だが、間に合うとは思えない。国外逃亡の準備が済む前に勘付かれるだろう』
日本に逃亡させる、四葉家の手を借りるという手は、既にバランスの頭の中にもあったらしい。それでも彼女は、通常の手段では国外逃亡の準備が間に合わないと試算していた。
ただ、俺は四葉でリーナを保護する事に対し、彼女が『願ってもない』と言った事を聞き逃さない。
それは、手があればリーナを四葉家で保護してもらいたいと、彼女が思っている事に他ならないからだ。
だからこそ、俺は彼女の背中を押した。
『どうにか準備の間に合う手があるかもしれません』
『間に合う手が……?それが、ミスターの言う『もしもの備え』か』
『はい。その手は、亡命ブローカーを生業とする者の協力を得る事です』
俺のその言葉に、バランスだけでなく真夜も驚いていた。
『十六夜、まさか……!』
真夜の驚きは、亡命ブローカーが誰か思い当たったためのそれだった。俺の望みどおり。
『……母さん。そもそも、パラサイト再出現の情報筋っていうのが、あの組織なんだよ』
『……ミスター、『あの組織』とは』
『本人ら曰く、新興のマフィア組織です。その組織は、我々にとある話を持ち掛けてきました。『トゥマーン・ボンバ』を凌いで見せたお前のところの従者を治してやる、と』
ここで、バランスは数秒、熟考の時間を設ける。
情報が複合的だったので、致し方ない。
『……ミスターの兄が狙われたあの襲撃、従者の障壁魔法で被害を抑えられたのだったか。しかし、その代償に、従者は倒れたと』
『我々が、魔法演算領域のオーバーヒートと、呼んでいる症状を発症しました。魔法の過剰行使により、魔法演算領域が機能を低下ないし停止し、合わせて肉体に不調を及ぼす病です』
『魔法演算領域の、オーバーヒートっ……。なるほど……、理解した』
未知の病に対し、あっさりと呑み込んだバランス。もしかしたら、彼女にとってそれは未知ではなかったのかもしれない。彼女が見送ってきた者たちの中に、その病で説明が付く者たちが居たのかもしれない。
『……ミスターはそのマフィアの言葉を信じたのか?貴方方でも治せない病気なのだろう?』
『治せる証拠を、奴らは提示してきました。その証拠は、虚弱体質が改善された、五輪澪です』
『待て、待ってくれミスター……。その、大丈夫なのか……?』
色んな立場、考慮しなければいけない事項に四苦八苦するバランスの表情は、何とも言えないモノだった。冷や汗を流しているという事だけは、分かりやすく表現できる。
その『大丈夫なのか』という言葉には、バランスの思慮深さが窺えた。
『色んな意味で、危険です。だからこそ、ミス・バランス、貴女には伝えておきたい』
トップシークレットレベルの情報を共有、日本の戦略級魔法師がマフィアの魔の手にかかっているという状況。それらを考慮に入れた上で、貴女にお伝えしているのだと。俺はそう、信頼を言葉にし、同時に盾にした。
これで、バランスはこの信頼を失う行動が取れなくなった事だろう。失えばどうなるかを、『四葉』の恐ろしさを、正しく認識しているが故に。
『……貴方方で持ってしても、対処が難しい相手なのか』
『全容が把握できていません。話を持ち掛けてきた者は、おそらく組織の重鎮ではあったのでしょうが。その者1人処分した程度でどうなるとも思えませんでした。いや、その重鎮1人を処分できるかも、怪しかった』
マフィア組織に対する俺の評価を聞いて、バランスは固唾を呑んでいた。
今、あの『四葉』すら手をこまねくマフィアが蠢いているのだろう。
『それに合わせ、奴らが有用であるとも思いました。奴らはまず、五輪澪の虚弱を治した術を持つ。我々四葉家に話を持ってきた時点で、魔法演算領域のオーバーヒートを治す術も、同じく持っている。少なくとも、奴らはそれも治せると確信している』
『……相手が有用となれば、全容を探るのも合わせて、取引する価値がある。ミスターは、そう判断したのか』
頭の良いバランスは俺が話そうとしていた事を読み取っていた。俺が、ミスリードのために話そうとしていた事を。
俺はそんな彼女に、ミスリード成功を内心歓喜しながら、頷いたのだ。
『……話の流れから察すると、その組織は亡命幇助も手がけている。そうだろう?』
『ええ。俺にこの情報を伝えてきたのは、俺と貴女の協力関係を利用したかったからでしょう。俺の信頼を、奴らは担保として使いたかったんだ』
話が早いバランスのおかげで、話は実にスムーズに進んでいた。
『ミス、背に腹は変えられません。俺が
『……いや、ミスター。リスクは分散すべきだ。君たちと私たち、二手でそれぞれ切り込むべきだろう。場合によっては、まとめて撒かれる可能性もある』
俺はこっちがリスクを背負う事によって、バランスを話に乗らせる算段を立てていたが。幸か不幸か、バランスの方から進んで乗ってきたのだ。
大分
ただ、後で手のひらを返されないよう、俺は念を押す。
『……マフィアとの取引です。よろしいのですか?』
『『清濁を併せ吞む』というのが、そちらの
『……そちらにリスクを負わせる事になって、申し訳ありません』
『顧慮、痛み入る。だが、これが誠意というモノだ。君に対すると、これは『釈迦に説法』か?』
少し冗談めかしたようなバランスの微笑みが、とても印象的だった。彼女もそんな笑みを浮かべるのだと。
ただ思うのが、彼女の爪の垢を煎じて色んな奴に飲ませたい、という事だ。軍人とは、愛国者とはかくあるべし、だ。
『……近く、周循という少年が接触してくるでしょう。しつこいでしょうが警戒を。見た目通りの人物ではありません』
『承知した。感謝する、ミスター』
『こちらこそ、ミス』
話し合いの最後に忠告を送り、そうしてからバランスと俺は感謝を言い合って、その会談を終えたのだった。
そのバランスが通話を切った後、真夜とサシになって少し話もしたが。周妃の情報網を使う事の危険性、その情報網が周循に盗み見されているという事を真夜が指摘していたが、俺はあえて盗み見させる事でこちらの警戒度を下げさせていると、それらしく言い繕っておいた。
実態は、周循も俺の味方であるという茶番も甚だしいモノなのだし。
俺のその返しに釈然とはしていなかったが、一理あると真夜は呑み込んだ。2・3注意されながら、真夜も通話を切って、完全にお開きとなったのである。
昨日の反芻を終えたところで、思考を現在に戻す。
「さて。リーナを迎え入れる準備もしなくちゃいけないとなると、本当に忙しくなるな」
現在、俺が動いている事項は2つ。
前述したとおり、リーナを国外逃亡させる事項。これはまぁ、リーナを逃がすのは周循がほとんどやってくれるので、俺がやる事はリーナを日本の何処で匿うか、真夜や司波兄妹と検討しなければならないくらいか。
普通に四葉の管理地に匿えば良いとも思うが、情報漏洩のリスクを考えると、四葉の里のような四葉家重要拠点には匿えない。妥当な所は、恒星炉プラントを建設する予定の島・巳焼島、辺りか。あそこは四葉家の管理下にあるが、元が収監施設なのもあって、それ程重要な設備は置いていない。恒星炉プラントは重要施設と言えば重要施設だが、まだ未完成品だから、見せてしまっても問題ないだろう。
「リーナの事項だけなら充分余裕があるな。問題なのは、もう1つと重なった場合だ」
俺がもう1つ動いている事項。それは、対新ソ連、だ。
ベゾブラゾフの攻撃がこの前の1回限りとは思えない。むしろ、戦略級魔法を既に1回使ってしまっているのだから、もう遠慮なく戦略級を使ってくる、というのまで想像できる。
「野放しにするのは、やっぱりなしだな」
1回だけでも、水波を損耗した。そして、おそらく水波では2回目の対処ができない。達也が対策を考えているかもしれないが、2回も3回も相手の攻撃に付き合いたくはない。
「次で殺そう。あいつは邪魔だ」
次、こっちに仕掛けてきた時、確実にベゾブラゾフを殺す。
そのために組み立てた計画を想起し、自然と悪い笑みを浮かべてしまった。
「楽しそうですね、
その顔を周妃に微笑ましそうに見られ、俺の笑みは苦みで染められる。
「ベゾブラゾフの動き、追えてるんだよな?」
「はい、問題ありません。
周は滞りなく、計画を進めてくれていた。
俺の計画では、ベゾブラゾフの近くで
狙うタイミングは、『トゥマーン・ボンバ』専用大型CAD、それを牽引する軍用列車に乗った時。より正確に言えば、ベゾブラゾフの逃走経路がない状態で、傍に『トゥマーン・ボンバ』専用の調整を受けた調整体魔法師がある時、だ。
その調整体が『イグローク』と呼称される存在、ベゾブラゾフのクローンたちである事は、周の情報網で調査済み。手に入れれば、『トゥマーン・ボンバ』が手に入る、という事だ。無菌室でしか生きられない程の病弱だそうだが、その病弱をどうにかする算段はとうに付いている。
「全部貰っていくぞ、新ソ連」
輝かしい未来に思いを馳せ、俺はまたついつい悪い笑みを浮かべるのだった。
「
「……」
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次回の更新は、9月22日の予定です。