2097年6月22日
土曜日。午後2時を過ぎた頃。
第一高の学生は午前授業を終え、帰路に着いたり、部活に勤しんだり、自治活動を熟したり、青春を謳歌している。
そんな中、司波兄妹、それと幹比古は俺の自宅に来ていた。
幹比古は対パラサイトで協力してもらっているので、そんな彼に報告しようと集まってもらったのだ。
彼にまず報告したのは、悪いニュースだ。
「『伝統派』もパラサイトの手に落ちてるって、本当なのかい……」
幹比古は信じたいかい事実に驚愕していた。
司波兄妹に驚愕はない。その事実が判明した木曜の内に、真夜と共に俺から聞かされたからだ。まぁ、改めて聞かされたその事実に、それぞれ表情を強張らせているが。
「京都・奈良・滋賀・紀伊方面は、十師族の監視が緩まっていた箇所だ。その役を担っていた家が九島から七宝に変わったばっかりだからね。その隙を突かれたのかもしれない」
「いや、でも、古式魔法師だよ……?そんな簡単に妖魔の手に落ちるなんて……」
「『伝統派』が何処まで元々属していたところの教義に忠実か分からないから、これはあくまで邪推なんだが。手に落ちた者たちは、進んでパラサイトを受け入れたのかもしれない。あるいは、自分たちなら一方的に利用できると高を括っていて、足を掬われたか」
幹比古は、対妖魔の術もあるだろう者たちが妖魔に負けるか、という話をしているが。俺はそれに反論した。対妖魔の術を持っていたけど、力欲しさに迎合したか、呑み込まれたか、という論だ。
説得力を感じてしまってか、幹比古は神妙な顔つきで俯いている。できれば言い返してほしかったが、ダメらしい。
「悪いニュースは以上。良いニュースもある。リーナの御守に込められた魔法が何だったのか、おおよそ把握できた」
「できちゃったのかい……。僕も調べて、てんで分からなかったのに……」
「助言を貰ったからな。九重八雲と、春日大社付近に拠点を構える由緒正しき古式魔法師に」
「オーケー……、そんな達人たちに張り合う気はないよ……」
自分の仕事を奪われて嘆く幹比古だったが、さすがに俺が上げられた2人と己を比較して引き下がった。
意気消沈している彼を見ると、これも良いニュースだったのか分からなくなる。ただ、それでやる気を失ってしまっても困る。
「幹比古さん、君にはやってもらいたい事がまだまだある。それこそ、達也との特訓は続けてほしいし、俺が作ろうと思ってる魔法に知恵を貸してほしいんだ」
「何だい、何でも言ってくれ、今度こそ力になるから」
食い気味でやる気を復活させる幹比古。
彼の事が少し心配になる。騙されやすいんじゃないかって事とか、気苦労が絶えなそうな性格している事とか。
「事前知識として、あの御守について分かってる事を共有しておきたい」
俺が作ろうとしている魔法に理解を得るための、情報共有。
御守の制作者は九島健であると推測させれる事。
御守は『類感呪術』の道具、触媒のような物である事。
1つの図で3つの効果を得ようとした物である事。
梵字と六芒星のような図形で、仏教の『
それらで、妖魔に打ち勝つ効果と、妖魔を使役する効果を得ようとした事。
以上を説明する。
説明された幹比古は、難しい顔をしている。
「……無茶苦茶だ。こんなんじゃ、どの効果も抽出できない。……でも、だからか。だから、シールズさん*1程の魔法師じゃないと、効果を発揮しなかった。……それに、シールズさんは御守の事を大切な物と教えられていたから、そこに意味が付与されたのかも」
幹比古は己の思考を口から漏らしていた。
だが、俺もなんとなく理解する。
『類感呪術』というのは、言ってしまえば、何か効果がありそうだと魔法師に錯覚させる事によって、魔法師の干渉力、
聖剣エクスカリバーのレプリカを本物の聖剣エクスカリバーと勘違いさせられれば、そのレプリカからビームが撃てる、という事である。もちろん、それを実現するには恐ろしく優れた魔法資質が必要であるが。少なくとも、俺の知る限りそこまでの魔法師は存在しない。
達也も無理だ。
達也並みにサイオンを持っていて、俺が見た事のない高い
ただ、そもそもの話。ただビーム打ちたいんだったら、リーナに『ブリオネイク』を使わせた方が早い*2。
閑話休題。
「その、リーナだから中途半端に効果を及ぼしてしまった魔法。それに対抗する魔法を作る。春日大社の古式魔法師から助言を貰った。般若心経を教えてやれ、という事だ」
「そうか、今のシールズさんは、言うなれば妖魔に唆されかけている仏僧。改めて仏道を説けば、妖魔、パラサイトの干渉を切り離せるかもしれない」
俺の説明に、幹比古は深い納得を示していた。さすがは古式魔法師と言ったところか。
「でも、パラサイトの干渉を切り離せるにしても、パラサイト自体は残る。彼女はパラサイト憑依者のままになる。それは、大丈夫なのかい?」
「大丈夫だ。パラサイト本体をどうにかする術は、すでに持ってる。ただ、範囲を対象とする精神干渉系だから、そのまま使うとリーナにも影響を及ぼしてしまうんだ。般若心経を使った魔法なら仏道、つまり精神を安定させる効果が期待できる。その精神干渉系を使うのにも有難いな」
「……確かに。上手く行けば、精神干渉系へ対抗する効果が期待できるな」
リーナをパラサイト憑依者として生かすのかどうかという、社会的問題が気がかりな幹比古。俺は彼に取らぬ狸の皮算用じみた目算を語れば、達也の方がその目算の実現性を見た。
達也のおかげで、幹比古も幾分か胸の閊えと取っている。
「お兄様、十六夜、吉田君。私には、その実現性が何処までのモノか分からないのだけれど。可能であるなら、リーナを人間の戻す道を取ってほしいです」
深雪が切実に、俺達3人に無理を強いている事を自覚しながら、そう切望してきた。
俺達3人は、一切の躊躇なく、彼女のお願いに頷きで以って返すのだった。
「……」
司波兄妹も幹比古も帰したリビングにて、俺は思考する。
リーナの状態を改善させる、般若心経を用いた魔法、仮名『般若心経写経』。
それは、どう足掻いても古式魔法だ。精神干渉系の分野も噛むだろうが、精神干渉系の分野を噛んだ古式魔法でしかない。
そして、それは『類感呪術』の技術を用いる魔法でもある。
端的に言おう。完成した『般若心経写経』は、精神干渉系と古式魔法、それらへの高い適性を求められる。
(……行使できるのか?俺に、あるいは仲間の誰かに)
求められる適性を持っている、その保障ができる人物が、俺の仲間に居るのか。
居ないかもしれないと、頭に過る。不安が拭えない。
(と、するならば。使うしかないか……)
あらゆる懸念を呑み込んで、ただリーナを救う一点では使うべき存在が、俺の頭に浮かんでいた。
あの肉体は、精神干渉系と古式魔法に高い適性を持っている。おそらく、『般若心経写経』の行使者として、最高の適任者だろう。
達也に色々が露呈するかもしれないという、大きすぎる懸念を除けば。
(達也の視界に
『エレメンタル・サイト』。対象の
だからこそ、俺は達也の目に
(俺の疑似的な子供とバレても、それが俺の故意であるとは、すぐには繋げられないかもしれない。だが、俺の遺伝子を盗んだ存在と断定して、即座に周妃を排除しにかかるだろう)
俺が下手人とは露呈しないかもしれないが、周妃は絶対に敵認定される、という話。
敵認定されたら、俺がどう庇ったところで達也は止まらないだろう。最悪、周胤、続いて周循も処分しに動きかねない。ここで最悪と評せる部分は、真夜も手を貸すだろう事だ。
四葉家の全面協力がある達也なんて、誰も止められるはずがない。
やはり、
(周たちを失う訳にはいかない……。どうすれば良い……。いったいどうすれば……)
考えあぐねる。無意識に、頭を抱える。
そこに、ロイヤルミルクティーの注がれたティーカップが、目の前に置かれる。
あからさま、しかし静かに音を鳴らして、ティーカップが置かれたのだ。普段の周妃なら、そんな音を立てない。
その不自然さに、俺は自然と俯いていた頭を上げた。
案の定、周妃は俺を心配そうに見ていたのである。
「お困りですか?
「……ああ。
「こ、子供と、認知していただけるのですね……!」
聞いてきたのは周妃だし、こっちは真面目に打ち明けたのに、こいつはまるで不貞の子を認知してもらった妾のように感動をして涙を浮かべていた。
己の行いを悔いて、さっさと書斎に籠る事を考える。出されて物だけはしっかり消費しようと、ティーカップに手を掛けた時だ。
周妃はいつもの微笑に戻り、口を開く。
「『
俺の懸念を詳細には明かしていないのに、その懸念を解消できるだろう回答を、周妃は事も無げに提示した。
ティーカップに口を付けようとしていた俺は、ティーカップを持ち上げた体勢と何とも言えない表情で固まる。
どうしてその手が思いつかなかったのか、という事。分かってるならふざける前に言ってほしい、という事。
それらが俺の内心で渦巻く感情の根源だ。
俺はその渦を収めるべく、一旦落ち着いてロイヤルミルクティーを一口含み、甘みを味わってから喉を通す。
甘味は良い。俺に幸福感と冷静さを与えてくれる。体質的に太らないので、罪悪感を覚えなくて良いのも有難い。
「ふぅ……。そうだな。『
「情報詐称の効力を高められないか、私も力を入れてみましょう」
「ああ、ありがとう……」
俺は周妃の提案を呑み、周妃の頼もしい言葉を聞いてから、感謝と共に少し考え込んだ。
『
その魔法で役を羽織る事ができる。もしかしたら、僧侶の役でも羽織れば、『類感呪術』を用いる『般若心経写経』の効力も高められるのではないか。
その想像が正しければ、『
それで、俺は思い付く。
「周妃、少し用意してもらいたい物があるんだが」
「何なりと」
周妃の快諾を得て、俺は頼む。
『
そして、真鍮と鉄でできた10個の指輪を。
さらに、後詰のとある人員を。
◇◇◇
2097年6月28日
四葉家内で対リーナについて話し合ったり、幹比古や達也と対パラサイト魔法の制作に取り掛かったり、他十師族とリーナたちが全然見つからない事を話し合ったりで、暇のない日々を過ごした。
そうして迎える今日、金曜日。
17日に2週間の時間を貰ったから、タイムリミットは7月1日。その日の3日前と迫った日。
俺は、寝ており―――
「いらっしゃいませ、王子様?いえ、今はお姫様と呼ぶべきかしら?」
―――
順を追って、かつ、簡単に説明しよう。
リーナからパラサイトの影響を取り除くために、
そして、
俺が考えあぐねるまでもなく、周は五輪家、ついでに防衛大臣と連絡を取り、悠々と輸送船に乗って密入国。身を隠す場所は五輪家が提供、というか五輪家本宅に招かれた。
以上である。
そう。俺、というか
(今更思うと、妥当と言うか適任すぎるよな……。澪、というか五輪家は
「あー……。改めて訊くけど、付き人ごと今日は泊まって良いんだよな?」
小金持ちの住居といった風体の家の、少し庶民的な飾り気の薄いリビングにて(澪がかつて車椅子生活だったから、バリアフリーに気を使って飾りを少なくしたのだろう)。テーブル挿んで共に腰掛ける澪へ、
事前に身を隠す場所を提供してもらう手筈にはなっているが、それが実は本宅だったとなれば、こう再確認したくもなろう。
「ええ。そちらの付き人の方、周胤さんでしたよね?その方の分も、しっかり部屋を用意しております。荷物の方も、我が家のガレージの一角に纏めてあります。あのガレージは父の仕事関連の荷物も置かれる事がありますので、周囲から疑われる事はないかと。他の十師族、特に
俺の疑いを取っ払うためか、事細かに説明する澪。ついでにエネルギーが有り余っているのか、九島家に対する皮肉をお茶目として披露していた。
有り余るエネルギーの放出方法を間違えて暴走しないか、ちょっと心配だ。
「あ、ちなみに王子様は私と同じ寝屋に……」
やっぱり暴走していた。澪は赤らめた頬を両手で包むような仕草で恥ずかしげを演出しているが、その吊りあがった口端が獲物を定めたヘビのそれと同じである事を、俺は見逃さない。
「周胤の部屋で寝る」
「私の部屋で同衾ですか。大丈夫です、心得ております」
「どうして逃げた先で従者に刺されるような目に遭わないかんのだ」
逃げ道でも悪寒を感じる俺である。澪と周は
「失礼しました、王子様。そう仰られた時のために、ちゃんと貴女様の部屋を用意してあります」
「……言わなければ本気で寝屋を共にする気だったりしなかったか?」
『そう仰られた時のため』という不思議な言い回しをした澪を訝しめば、彼女はただ微笑むばかりである。
言わなかったら寝屋を共にする気だったようだ。
話を切り替えよう。このままでは調子が狂う。
「四葉と九島以外から俺について、
「そこまで譲歩してくださるのですか?我々五輪家は是が非でも貴女様を守るつもりですのに」
「俺が秘密にしたいのは、
俺が何処まで秘匿するかの線引きをすれば、意外感を顔に出す澪。彼女は全て秘匿するつもりだったようだが、俺としては露呈してもメリットが生まれるし、完全秘匿は多大な労力がかかる。それらを考慮した思惑だ。
最悪、五輪家以外の十師族から敵認定されても、周の能力があれば逃げるのは難しくない。亡命ブローカー様様である。後、本拠地は大亜連の方だから、十師族もそこまで追ってこれないだろう。
「かしこまりました。悲嘆にくれる我等に甘言を囁いてきた悪魔と、お伝えしておきます」
自分たちはあくまで脅されている側だと、彼女は吹聴する気らしい。逃げ道をしっかり用意する彼女は、とてもニッコリしていた。
「何日ほど此処にお泊りで?私共はいつまでも居てほしいのですが、あまり長く引き止めるのも、お互いにとって都合が悪いでしょう」
「明日には東京へ立つよ。経路は周が用意してるから、ご心配なく」
「明日、ですか?2日は猶予があるのですから、もう少しゆっくりされていけば良いのに……」
長く引き止める気がありありな澪。彼女に短い宿泊期間を言い捨てたら、やはり彼女は名残惜しく声音を弱めた。
『お互いにとって都合が悪い』と言ったのはどの口だったか。
「期日をあっちが守るかは分からないんだ。早めに現地入りするさ」
相手がしっかり時間を守るとは、俺は思えなかった。
というか、レイモンド辺りが痺れを切らすと思っている。その場合はリーナと分断できるので、有難さすらある。
リーナと古式魔法師、パラサイトで強化されているそれらを同時に相手なんて、願い下げだ。同時に来た際も、四葉の手勢で分断する計画である。
なんと、夕歌の家、津久葉家は精鋭並べて出てくるという。津久葉家は精神干渉系魔法の調整に暗に力を入れていたようで、その過程で古式魔法の知識も取り込んでいる、とか。慮外の助っ人である。
「そうですか……。では、その短い間、私が誠心誠意お世話させていただきます。風呂の世話も、シモの世話も」
「……」
話を変えたはずなのに、ヨーヨー風船の如く戻ってきた事には、さすがの俺も絶句した。
素面で言ってるんだから
「……なぁ、アンタ。……ハッチャケすぎだろ」
「解き放ったのは王子様ですよ?」
「ここまでとは思わないじゃん……」
「十数年も無欲に漬け込まれていたのですから、その反動かと思います」
「……」
自覚できててなお
相手が戦略級魔法師だから、切るには惜しい縁だし、不興を買うのも拙いしで、
結局俺は、彼女の暴走をやんわり宥め、貞操だけは守ると心に誓うのだった。
「縁切りたいけど切れないんだよなって、オーラに出てますよ?」
「……読めてるんなら態度を和らげてくれよ」
「だから行動には移していないでしょう?」
「……」
俺の事情を知っている奴は、こういうのしか居ない気がするなぁと、遠慮せず溜息を吐く俺だった。
閲覧、感謝します。
本年も本作とのお付き合いの程、よろしくお願いいたします。