魔法科高校の編輯人   作:霓霞霖

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※訳あってちょっと長いです(普段は八千字くらいのところ、今回は一万字越え)。ご了承ください。


第百五十六話 涓滴と夜露

涓滴(けんてき)

 

2097年7月13日

 

 土曜日。既に魔法科高校は午前授業を終え、学生たちが学業から解放されて少し経つ頃。

 十六夜宅前に、リムジンが停まった。

 

「やぁ、雫。リムジン出させちゃって悪いね。埋め合わせだから、こっちが用意するのが筋だと思うんだけど」

 

 リムジンから降りてくる雫を、玄関前で出迎える十六夜。

 十六夜は色々あった事(主にリーナへディープ・キス事件)で雫へ埋め合わせをするために、今日これからの時間を雫に捧げる約束をしていたのだ。

 

「ううん。こっちが連れ回す予定だから、運転手は家の人を使った方が都合が良い」

 

「そうか……。まぁ、そうだな」

 

 雫の『連れ回す』というワードに一抹の不安を覚える十六夜だったが、全て呑み込んだ。

 埋め合わせなのだから、今日の十六夜は如何なる不利益も甘受すべき立場なのだ。少なくとも、十六夜はそう考えている。

 

「じゃあ行こう。まずはランチ」

 

「ああ。食べずに待ってたから、お腹ペコペコだ」

 

 雫からリムジン内に誘われ、空腹感もあって無警戒に乗り込む十六夜。彼はまだ知らない。雫は、押しが強い事を。

 当然、車内の広さなど気にせず、雫は十六夜の隣に座って腕を絡める。もちろん胸も当てる。

 そうして雫は十六夜の反応を窺うのだが、彼はそんな雫に微笑みを返すだけだ。

 

「……最低でもリーナくらいはないとダメか」

 

「……まずはそこから話し合わないとダメなのか?―――良いか、雫。俺は今から下賤な事を言うが。性交渉の観点だけに絞れば、男は皆大きい方が好きだ。試せる事が多いからな。ただ、古くより言い争われている、日常では大小どちらが優れているかという議論は、実は既に決着している。日常の観点で言えば、大小に優劣はない。何故なら、大きかろうが小さかろうが、触る事が許されていないそれは、絵に描いた餅だからだ。つまり、触っても許される胸が、男は大好きなんだ」

 

「触っても許される胸だったら、どれが好きなの?私か、真由美か、リーナか」

 

「……雫、落ち着こう。まず、君が許していると一応は仮定して話すが。真由美さんとリーナさんから許しを得た記憶は俺にはない」

 

「あの2人なら、十六夜さんが求めれば許してくれるよ?」

 

「待とうか、雫。俺が悪かった。この話は君の機嫌を著しく損ねるモノだった。すまない。謝るから、もう止めよう」

 

「むしろ私が振った話題だから、続けて?」

 

「待ってくれ、雫」

 

 昼食を取る予定のレストランに辿り着くまで、十六夜は雫から追及され続け、どうにか躱そうと四苦八苦する時間を過ごすのだった。

 さすがの雫も、車外、周囲に耳目がある場では、その話題を掘り返す事はなかった。

 

 昼食を摂った後、雫はあえて、レストランから徒歩で散策する予定を立てていた。もはや慣れ親しんだ東京都内を歩くのである。

 

「良かったのか?この辺り、観光する物もないだろう」

 

「良い。ちょっと歩けば、デパートがある。十六夜さんがチェックしてたカフェもある所。観光地もないから、カフェだけ目的だと、足が伸びないでしょ?」

 

「そういう事だったか。確かに、そのカフェにはまだ行ってなかったな」

 

「おべっかで行った事あるの隠してたらビンタする」

 

「……俺は信用を、そんなに失ってるかい?」

 

 揶揄い交じりに、嘘ではない事を確かめる雫。そんな軽い調子の彼女に反して、十六夜の微笑みには、影が差していた。

 十六夜には、彼女からの信用は失っている自覚があるから。この前、隠し事をしていたと白状したから。

 十六夜にとってあの時の白状が、切れる手札の中で最上であったから。

 

「……。その顔止めて」

 

 雫は、引くか押すかで数秒思考した後、押す事を選んだ。

 

「……そうだな。せっかくのデートで、暗い顔をするもんじゃ―――」

 

「無理して笑うのを()めて」

 

 取り繕おうとする十六夜に、目の前の男に、雫は切り込む。

 彼にはここで切り込んでくるとは予想外で、真顔になるしかない。

 

「信用してないのは、貴方の方だよ。ずっと微笑んでなきゃ、嫌われると思ってるんでしょ?」

 

「……そう、かもな。『笑顔が交流を円滑にする』。そんなビジネス書でも面接指南でも学校でも言われる定型文を、妄信してきた。いや、それ以外の方法を、俺は知らないのかもしれない」

 

 雫が言葉を突き刺せば、彼は告解し出した。

 このシチュエーションにおける最適解を踏むように。

 

 だから、雫は彼の手を引っ張る。ずっと、握るのではなく重ね合わせていた手を掴んで、雫は彼を引っ張っていく。

 

「雫……?」

 

 訝しみながらも彼は付いてくる。そう、無理矢理引き連れられてはいない。雫の力では、彼を無理矢理引き連れる事はできない。

 引き連れられている事を装うのが最適解だとしている。その事に、雫は気付いている。

 好都合だ。雫はそんな彼を利用する。

 路地裏に引き連れ、さらにはビルの隙間まで連れ込む。室外機もパイプも剝き出しな、腹を擦らねば擦れ違えないような狭い場所に、雫は連れ込む。

 

 そうして彼女は、壁と両手で、囲いを作るのだ。比較的小さな彼女の体では、もはや壁・彼・彼女でサンドイッチを作っているような状態だが、これで良いのだ。

 彼が逃がさないためには。目を背けさせないためには。

 

「雫、どうしたってこんな―――」

 

「貴方を愛しています」

 

 困惑する彼は、体を密着させて見上げてくる彼女から、告白を受けた。

 困惑は加速する。

 

「きゅ、急にどうしたんだ?俺は君からの愛を疑った事はないぞ?」

 

「貴方が割り出している以上に、私は貴方を愛しているの」

 

 聞かせねばならない。言葉を尽くさねばならない。態度で示さねばならない。

 そこまでしなければ、どれ程愛されているのか分からないこの男に。

 

「例え、何万回生まれ変わっても。それがシミュレーションを繰り返される仮想世界の中だったとしても。私は、出会った貴方に恋をする」

 

 雫には、直感的ながら、確信がある。

 彼と出会ってしまったら、自身は彼に恋心を抱く。

 

「……そうか。それは、嬉しいな。雫は、四葉十六夜(おれ)に会ったら、どの世界線でも恋してくれるのか」

 

「ううん」

 

「……は?」

 

 どう見聞きしても、『四葉十六夜(じぶん)』と会ったら絶対に恋をすると言われている。少なくとも、彼にとっては。

 そんな状況なのに、首を横に振られた。

 彼の困惑は続く。

 

「例え貴方が『四葉十六夜』じゃなかったとしても、私は貴方に恋をする」

 

 彼女の告白に、彼は心臓が止まるような錯覚を覚えた。恐怖で。

 

「そ、それは、どういう―――」

 

「一番の理想は、貴方が私の幼馴染として生まれてきてくれる事。次点は、貴方が孤児とかで、私の家に拾われる事。『北山十六夜』とかになったりするのかな」

 

「な、何の話をしてるんだ……?その、ロマンチックな話なら、カフェに着いてからにしないか……?」

 

「逃げないで。逃げたら嫌いになる」

 

 熱くもないのに汗をかく彼。身じろぎして、今にも逃げ出しそうな彼。そんな彼の心に、彼女は言葉のナイフを突き付けた。

 これが、彼の弱点だ。この言葉が、彼を縛る鎖であり、ずっと付けられている枷だ。

 分かっていて突き付ける。逃げられたら嫌だから。

 

 効果はてきめんだ。彼は、蛇に睨まれた蛙のように、動かなくなる。

 

「貴方を愛するまで行くのは、その2つと、今の1つだけだと思う。後は、恋するだけに留まるか、恋心を自覚できないか。だから、今が私にとって、千載一遇の好機なんだ」

 

 彼女は真っすぐな瞳に彼を映す。

 全てを映し撮りたいと願っている。

 でもきっと、三分の一も、映せていない。

 故にせめて、見逃さない。彼の仮面が綻ぶ、僅かな瞬間も。三分の一を越える、その先を。

 

「…………ごめんな、雫」

 

 彼は、綻びを見せる。

 睨まれて強張っていた体も顔も弛緩させ、懐かしい顔を覗かせる。

 入学当時の、張り付いていたような憂い顔を。

 悲しい話に思える。人を遠ざけていたあの時が、最も壁が薄い時だったのだ。

 

「……君が告白してくれたから、なおさら強く感じる事がある。……俺は例え、何回、何十回、何百回人生をやり直しても。……自分を、肯定できない。……自分を肯定してくれる他人が、理解できない」

 

 あの懐かしい憂い顔で、彼は吐露した。

 これが、せめてもの報いだと。こんな男を愛してしまった彼女への。こんなにも愛されてまだ受け入れ切れない自分への。

 

「……貴方は、そんな馬鹿じゃないよ。……何十回もやり直せたなら、きっと、貴方は理解できるようになってる。……多くの人に、愛されて」

 

「……そうだな。……そうかもな」

 

 泣きそうになりながらもしてくれる慰めの言葉。その彼女の言葉が、彼にはとても心苦しかった。

 天王寺瑚太朗のように、尊敬しているあの主人公のように。シミュレーションされていた世界の記憶を持ち越せていたら。もしかしたら、彼女の言う通り、自分を肯定できるようになっていたかもしれない。本当の意味で、やり直せていたかもしれない。

 でも現実は無情だ。そんな『もしも』は、現実にはない。全て、『文明の庭』と呼ばれるあのシミュレーターの中に、置いてきてしまった。

 

 やるせない。こんな自分は、きっと嫌われてしまう。

 

「嫌いに、なったか……?」

 

「愛しています。ずっと、愛しています……っ」

 

 彼の予想は裏切られ、彼女は泣かせた男の胸に顔を(うず)めた。

 彼には分からない。どうしてこんな酷い男を、こうまで愛してしまえるのか。

 

「……ごめんな、雫」

 

 だからせめて、彼は彼女を優しく抱き留めた。

 彼女の嗚咽が、聞こえなくなるまで。

 強い彼女は、3分もすれば泣き止んだが。

 

 彼女は顔を離し、涙を拭い去る。

 

「……目、赤い?」

 

「いいや。いつもより少し潤んでて、いつも以上に綺麗な目だよ」

 

「……そういう趣味だから泣かせたの?」

 

 泣いた後には、いつもの彼女がそこに居る。物静かだが、確かな芯を持つ彼女が。彼に微笑みかけている。

 

「そんな訳ないだろう?泣かせた罪をどう償おうか、必死に考えてるくらいだ」

 

「じゃあ、償いとしてホテルに行こ。ラブなホテル」

 

「……風営法、俺の知らない内に変わってたりしないよな」

 

「18歳未満禁止って、いつからなんだろうね?」

 

「やっぱりダメじゃないか」

 

「じゃあ代わりに貴方の家」

 

「ああ、そういうドア・イン・ザ・フェイスだったのか。いやでも、ヤらないからな」

 

「安心して。泊まり込んで周りにヤったと思わせるだけだから。具体的には、次の日に自分の下腹部を意味深長にさするのを周りに見せ付ける」

 

「雫、シャレになってないぞ……」

 

「シャレなんて言ってない。―――逃がさないから」

 

 彼女は今夜、彼の家に泊まった。

 彼はソファで寝た。

 

◇◇◇

 

~夜露~

 

2097年7月20日

 

 雫と十六夜がデートした日から丁度1週間、故に当然の土曜日。

 今日は、真由美の番だ。

 前回と同じく、とうに魔法科高校は午前授業を終えている。前回と違うのは、今回の集合時間は日が長い夏の夕暮れ時、という事だ。

 十六夜と真由美は、ディナーに向かうところからご一緒する事になる。

 

 それで、十六夜はまた、玄関の前で待っている。

 そうすれば、家の前にリムジンが停まり、真由美が車内から姿を表す。

 なんとなく、色々とフラッシュ・バックする十六夜である。具体的には、先週の雫の事。同衾を願われたところとか。

 

「こんばんは、十六夜くん」

 

「こんばんは、真由美さん。……この時間からで良かったんですか?雫にはお昼頃から連れ回されましたが」

 

「私の心臓が耐えられないから良いの。2人っきりのデートで半日一緒なんて、私は確実に何処かで頭がパンクするわ」

 

 真由美の挨拶へ返事をすると共に、平等性を重んじて訊ねた十六夜。そんな彼に、真由美は深刻な面持ちで胸と頭を押さえて答えた。

 重要器官が両方やられるのかと、苦笑する十六夜である。

 

「……泉美って、有難い存在だったのね。あの子のおかげで、途中途中緊張が解けていた気がするわ?」

 

「呼びました?お姉さま」

 

「ホーム」

 

 泉美の存在を有難がる真由美だったが、塀からひょこっと顔出してきた本人には、飼い犬にでもするように即座に帰宅を命令した。

 お隣なので、帰りやすいだろう。

 今更だが、七草三姉妹は相変わらず十六夜のお隣さんである。

 と言っても、節度を弁えている。たまに夕飯を作り過ぎたという方便でその三姉妹が訪問し、泉美が無理矢理真由美を置いていこうとしていたが。

 ちなみに、本当に『夕飯を作り過ぎた』というのは方便だ。彼女らの食事は彼女ら付きの侍従が用意しているのだから、間違っても1人分の過不足など出るはずがない。

 泉美の要望で、侍従は十六夜の分を時々作らされているのである。作らされている侍従は、真由美の恋を応援したいがために、かなり乗り気で要望を受け入れているが。

 

「日和ってはダメですよ、お姉さま。十六夜お兄さまの周りは強敵揃い。好機を窺うなどと言っている場合ではありません。唯一の二十歳越えとして、その強みを活かして行かなければ。やはりここは夜這いなどを。お父さまも推しょ―――うぐっ」

 

「はぁい、泉美ぃ。そこまでにしようねぇ。家長がショットガン・ウェディング狙ってるとか不名誉な事実は広めないでねぇ」

 

 暴走する泉美の制御に掛かったのは、香澄だった。

 香澄は泉美の首根っこ掴んで引きずっていく。

 十六夜は、『不名誉な事実』辺りは聞かなかった事にした。それはつまり、弘一がデキ婚を狙っている事が事実である事を示しているから。と言っても最早、十六夜と真由美の婚姻を無理矢理にでも結びたいなどという事は、言われるまでもなく知っている事ではあるが。

 

「でも、お姉ちゃん。悔いを残さず、全力でね。やらなかった後悔より、やった後悔だよ」

 

「香澄、貴女もホーム」

 

「はいはぁい」

 

 急に振り返ったと思えば、泉美と似たように下世話な応援をする香澄。真由美からは当然帰宅命令が下され、香澄は大人しく踵を返した。

 香澄も、十六夜には思うところがあるが(特に優柔不断でキープを作っているような状態のところ)、それでも姉の幸せを願っているのだ。見合いを散々蹴ってきた姉の、その今の恋に右往左往する姿が、傍からは幸せそうに見えたから。

 例えそれが結局破断して終わるとしても、女として、妹として、今の恋に熱中してほしいのだ。二十八家のご息女である自分たちが、滅多にできる事ではないから。

 

「い、妹たちがごめんなさい。その、気を急いていると言うか……。熱に浮かされて、暴走しているのよ」

 

 妹たちが三姉妹の家に消えていくのを見送ってから、真由美は頬を赤らめながら謝罪した。

 その赤は、身内の痴態を恥じらうそれ、ではない。

 

「熱に浮かされて、気が急いている。その言い方ですと、真由美さんが熱を持っている上に、いつかはそうなる事を望んでいるように聞こえますよ?そうなる事を目標として、そこへの到達を急いでいる、という事ですから」

 

 十六夜が悪戯っぽい笑みを浮かべながら、そう指摘した。

 真由美の顔は、見る見るうちに真っ赤になる。

 

「ち、違うの!言葉の選択を間違っただけで、そういう事を言ってる訳じゃっ」

 

「では、そうなる事を微塵も望んでいないと?」

 

「望んでいるわ!望んでない訳ないでしょう!?」

 

 羞恥が毒の如く頭に回った真由美。おかげで却って十六夜が揶揄っている事を理解し、あえて正直に吐き出した。

 こうした方が、揶揄ってきた相手も驚いて怯むものだ。実際、十六夜は驚いて目を(しばたた)かせている。

 

「でも順番よ!最初は雫さんで、私は2番目以降!できれば2番目が良いわ!周妃さんとかリーナさんに2番目を持ってかれるかもって最近思っているけど!」

 

 正直に吐き出したついでに、無駄に胸張ってぶっちゃける真由美である。

 

「その2人は考慮から外してください。特に周妃。俺はあいつを異性として見た事は一瞬たりともありません」

 

「でも彼女の方からは怪しいわ!隙あらば狙っているって感じよ!」

 

「嫌な意味で重々承知ですよ!」

 

「『重々承知』!?やっぱりそういう関係なの!?」

 

「……落ち着こう、真由美さん。人通りがない場所とはいえ、野外でする話じゃない。後、言及しておくと。あいつと俺の関係は雇われと雇い主です」

 

「そ、そういう雇用契約なの……?」

 

「真由美さん、貴女は夏の外気温に頭をやられている。車内で涼んで頭を冷やそう」

 

 熱暴走する真由美を、十六夜は言葉を尽くしてリムジンに押し込んだ。

 しばらくの間、真由美は真っ赤な顔で俯き、黙り込む事となった。顔の温度は上がったが、頭の温度は下がっただろう。

 

 レストランでのディナーは、無難に過ぎていった。

 ディナー後の予定は、パブリック・ハウス、いわゆるバーだ。

 十六夜はまだ18歳にもなっていないので、お酒は付き合えない。ただ、真由美はそれでも良いとする。

 

「私、バーの雰囲気は好きなんだけど、そうそう行けないのよ。誘って付き合ってくれるのは摩利くらいだし、その摩利も忙しい身だから誘いづらいし。お誘いしてくる人は、その、素直な談笑ができない人たちだから。じゃあ1人で行こう、ていうのもできないし。護衛の人、だいたい影ながら付いてきてるから。気になっちゃって、心が休まらないのよね」

 

 真由美は色々と言葉を濁しながらも、バーのカウンター席で横に並ぶ十六夜へ、苦笑を何度も零していた。

 改めて記すが、彼女は名家のご息女だ。下心で擦り寄って来るのならまだ良い方。敵意を持って近寄ってくる人間も、少なからず居てしまう身分なのだ。

 故に、1人になれない。心を許せる相手がいない。心休まる時が少ない。

 それでも気力溢れる女性でいられるのが、彼女の強さ、あるいは強かさだろう。

 

「だーかーら。今日は護衛も兼ねて付き合って?十六夜くん」

 

 ウィンク、顔の角度、顔への人差し指の添え方。コケティッシュで小悪魔的な振る舞いも、彼女に余裕がある証左か。

 

「とても、抱かれるなら2番目が良いなんて勢いでかましていた人と同一人物なんて、思えませんね?」

 

「な、わ、忘れて、それは!」

 

 このように、十六夜に揶揄われれば、彼女の余裕は途端になくなり、初心な少女の顔を覗かせるが。

 

「……もう。十六夜くんって、そんな意地悪だったかしら」

 

「真由美さんに合わせているだけですよ」

 

「……私、十六夜くんにそんな悪戯したかしら?」

 

 真由美の思い返すような推察に、十六夜は一瞬だけ己の失態に歯噛みする。

 彼女が言うように、十六夜自身はあまり彼女から悪戯を受けていない。彼女を悪戯好きの小悪魔としているのは、原作でそのような姿を見てきたからだ。

 十六夜は、目の前の現実ではなく、原作という幻想に引っ張られているのである。

 でも、十六夜はすぐにリカバリーする。

 

「俺に対しては少なかったですが、服部先輩には随分と思わせぶりな態度を取っていたでしょう」

 

 原作で読んだ、おそらく現実でもそうだっただろうという事を持ち出した。

 これが見事なリカバリーとなる。

 

「……いや、その。……若気の至りと言いますか。……あの堅物そうな子が初心な反応するのが面白くて、つい」

 

 真由美は、非常に気まずそうである。

 彼女は服部刑部にしてきた行いを反省しているのだろう。思い返せば、良くない行いだったと。

 

「何人そうやって惑わしたんですか」

 

「そんな何人もにはやってないわよ!?それこそアレだけやったのは、はんぞーくんだけよ。生徒会としてそこそこの時間を共にしたし。十文字くんは本当の堅物で、というか若干天然で、揶揄い甲斐がなかったし。達也くんなんて、逆にこっちが振り回された気がするし」

 

 十六夜は真由美の告解を、内心では真に受けないでおく。沁みついたコケティッシュな振る舞いで無意識にもっと惑わしていただろうから。

 それはともかく、である。

 

「さりげなく兄が毒牙の標的にされかけていたのはともかく。その節は、ご迷惑お掛けしました」

 

 十六夜は達也の代わりに頭を下げた。

 達也が彼女を振り回したであろう事柄、あの規格外さが招いた大小様々な事件に思い当たる節がありすぎるのだ。

 

「良いのよ。身から出た錆だったし、膿を出せたと思うし、意識改革に踏み出せたし。一番は、私は1年間だけだったから。達也くんの事だから、私の卒業後は別の誰かを振り回していたんでしょう?」

 

「……そうですね」

 

 真由美のその推測にも思い当たる節があり過ぎたので、十六夜は擁護できず、肯定の言葉だけが絞り出された。

 悔し紛れに、十六夜はノン・アルコール・カクテルに口を付ける。

 真由美はクスクスと笑ってから、倣うようにカクテルグラスを傾けた。これで、彼女のグラスは空になる。

 

「……十六夜くんって、お酒強い方?」

 

 空のグラスを見て、思いついたのだろう。彼女は興味本位を隠す事なく訊ねた。

 

「18歳に何を訊いてるんですか」

 

 ちょっと酔い出したのだろうと、十六夜は呆れながらもちゃんと応対する。

 

「でも、こっそりビールとか飲んでたりするでしょ?」

 

「飲んだ事ありますけど……。実のところ、ワインとか、日本酒も、少しだけ」

 

「ほら、やっぱり」

 

「でも、強いかどうか分かる程は飲んでいませんし。そもそも、俺はお酒が苦手、というより子供舌なのが分かりました。どれも、口に合わない」

 

「えーー?そうなのー?」

 

 真由美は十六夜とちゃんと会話をしつつ、会話中に頼んでいた2杯目のカクテルに進む。

 ちなみに、1杯目と変わらず、アレキサンダーだ。

 

「紅茶の味がするっていうカクテルは、一度飲んでみたいですけどね。ロングアイランド・アイスティーでしたっけ」

 

「ああ、あれね……。ちょっと変わった紅茶だって言われると、信じそうになるわよ……?」

 

「……信じたんですか?」

 

「……だって、摩利が家でのお茶会でそう言ってきたんだもん」

 

 真由美は摩利を家に呼んだ時、それを仕掛けられたのだ。

 彼女の頬は不機嫌にちょっと膨らんでいる。

 酒の席で紅茶とお酒を間違う間抜けとは、さすがに思われたくなかった彼女である。

 

「摩利ったら酷いのよー?人にそれ飲ませておいて、『お前はもう二度と、味で度数を騙している類のカクテルを飲むな』って言うのー。ねー、十六夜くんはどう思うー?」

 

「それは、酷いですね……」

 

 酒で火照った体をじりじり寄せてくる真由美へ、十六夜は苦笑しながら素直な感想を返した。

 何を『酷い』としたかは、明記しないでおく。ただ、十六夜は摩利を、騙して酒を飲ませるのは愚行と反省しただろう彼女を、責める気は一切ない。

 

「そー、酷いのよー。ちょっとお酒の付き合い悪くなったしー……。マスター、同じのを頂戴」

 

 言葉の途中で2杯目を呷った真由美は、休憩も挿まず3杯目に挑もうとしていた。

 十六夜は、その事に甘い意味でも諫める意味でもカン言を言えない。

 今日は、埋め合わせとして彼女に振り回される日なのだ。

 急性中毒の兆候でもない限り、十六夜は止めない。

 幸いと言って良いのか、真由美は十六夜が止めるまでもなく、その3杯目で打ち止めとなった。

 

「やー()ー!きょうはいざよいくんちにとまるー!チューもエッチもするのー」

 

 打ち止めとなったのは、このように幼児退行したからだが。

 彼女の名誉のため、ここに明記するが。彼女の飲んだカクテル・アレキサンダーは度数が20を越えるモノだ。標準的に、生クリームと、クレーム・ド・カカオという甘めのリキュールが使われるため、度数の割りに甘くて飲みやすいカクテルである。

 なので、加減を間違える人も少なくないし、3杯で普通に酔える、人によっては『味で度数を騙している類』に区分するカクテルなのだ。

 

 それはさておき。

 そんな幼児退行する程の酔いで、当然足取りもおぼつかない真由美。十六夜は彼女を抱えて迎えのリムジンに乗り込んだのだ。

 それで、十六夜は自分の家に車が停まったのを見計らい、真由美を置いて出ようとした時に起きたのが、上記の幼児退行である。

 絶賛、十六夜が座っている上から真由美に乗っかられている。

 

「泉美さん、引き取ってくれ」

 

「嫌です。女性を酔わせた責任を、男として取るべきかと」

 

 十六夜は玄関前まで来ていた泉美(家の近くに長く鎮座するリムジンの様子を見に来たのだろう)に頼んだが、すげなく断られた。『すげなく』とは言ったが、その表情は満面の笑みである。

 十六夜は、察する。全ては計画の内だと。

 

(自前でリムジン用意したのも、酔う程酒を飲んだのも、俺の家に泊まるためか……!)

 

 十六夜側が用意したリムジンなら、運転手は十六夜の命令に従い、家の前で適切に下ろしてきてくれただろう。

 真由美が酔っていなければ、彼女の羞恥心を煽って、彼女自身から引き下がるように仕向ける事ができただろう。

 真由美は、自分の方に従う従者を侍らせる策略を仕掛けながら、お酒の力で自らを猪武者としたのだ。

 

 雫もリムジンの策略は仕掛けていた。それ以降は、雫と持っている手札が違うからこそ、違う攻め方をしてきているのだ。

 目的が一様に、同衾にまで持っていく事であるのは、十六夜としては小さな違和感を覚えるが。

 特に、引け目があって奥手な彼女が、こんな強硬策に出たのは違和感がある。

 

(……リーナや周妃に警戒していたな。……二番手すら失うかもしれないと、焦っているのか)

 

 とりあえずは説明が付く仮説で、十六夜は自身の思考を締めておく。

 今は現実を対処しなければいけない。

 

「リーナさんとチューまでしたなら、雫さんとはせっくしゅまでしてるんでしょー!雫さんとせっくしゅしたなら、次はわたしの番ーーー」

 

 酔いが覚めたら羞恥心で爆発しそうな暴論を展開している真由美。

 彼女は十六夜にしがみ付いて離れない。十六夜は色々と達観して彼女を抱っこして運んでいる。自身の寝室まで。

 来客用のベッドがないと感じた彼は、リビングのソファをちゃんとしたベッドにもなるそれに替えようと決心した。当然、自分がそこで寝るために。

 客を自身のベッドに寝かせる事は問題ない。周妃が毎日ベッドメイクしているから、寝汗など微塵も沁みていない。

 それに、来客用が家主のベッドとなれば、宿泊を遠慮してくれる可能性も高まるだろう。例外が雫と真由美である。

 十六夜の脳内では、澪もその例外に計上しておく。リーナは保留だ。リーナとは来週の予定でデートする事になっているから、その時にでもそうしてくる事が考慮できるから。

 

 彼がそんな思考をしている内に、無意識で動かしていた足は彼の寝室へと辿り着く。

 そうしてベッドに彼女を寝かせれば、素直に彼女はしがみ付きを止めてくれるが、即座に手は取ってきた。

 

「いーざよーいくーん。今ならー、夢だってことにできるよー?わたし、酔ってるからー」

 

 真由美は己のボディーラインを空いている右手で沿い、あからさまに誘惑している。

 彼女は、据え膳となったのだ。お酒に酔っているように。

 でも、そこにはまだ理性があった。お酒のせいにしているのがその証拠だ。お酒のせいと、自身に暗示を掛けているが、十六夜はそこを見逃さない。見逃すようなら、ここまで詐欺師のような立ち回りはできていない。

 玄人に素人が挑んだのが、運の尽きだ。

 

「……ああ、そうだ。……今だったら、夢だった事にできる」

 

「……へ?―――え!?」

 

 牙を覗かせるように微笑み、真由美を押し倒す十六夜。彼の豹変ぶりに、陥った自体に、真由美の酔いは、暗示は、脆くも吹っ飛んだ。

 両手は相手の両手で強く縫い留められている。足も、相手に足の甲を置かれただけで、ほとんど動かせなくなっている。

 

「い、十六夜くん……?本気、なの……?」

 

「貴女が悪いんですよ?真由美さん。いや、雫も悪いか。2人揃って肉体的に迫ってきて、男子高校生が耐えられると思いますか?いいや、耐えられる訳がない。それに、今なら夢だった事にできる。溜まったものを発散させるのに、この好機を逃す手はない」

 

 真由美からは、十六夜の笑みが捕食者のそれに見えた。

 しかし、彼女の胸が打つ早鐘は、恐怖心からか、期待感からか。言うまでもないだろう。

 

「……せっかくだ。……後からも楽しめるようにしよう。―――周妃!」

 

「お呼びでしょうか」

 

「カメラを持って来い」

 

「既に持ってきております。動画撮影という事でよろしかったでしょうか?」

 

「よろしいんだけど何で言う前に持ってきてる」

 

「1人進展すれば、後はなし崩しで進むでしょう?」

 

「……とりあえず、撮影を頼む」

 

 十六夜は周妃にツッコみ疲れた。

 無駄に高性能なビデオカメラ、21世紀初頭の姿に先祖返りしたそれでの撮影に、十六夜も周妃も望む。

 

「え?撮影……?え!?」

 

 真由美の脳内に、これからされる辱めの妄想が放映される。

 その顔は、酔いが覚めたはずなのに、酔いが覚める前より真っ赤だ。

 

「……さぁ、この淫らな夢を楽しみましょう?……真由美さん。……はむ」

 

「っ―――きゅう……」

 

 耳元で囁いていた十六夜に耳たぶを噛まれ、真由美の脳はついにオーバーヒートした。

 彼女の意識は、夢へと落ちていく。

 十六夜が願う事は、この続きを夢で見ていない事だ。

 

「……気絶したな、助かった。これを耐えられたら、どうしたもんかと思ったよ」

 

「抱けば良いのでは?」

 

「ノー・コメントだ。まだ動画回してるだろ?お前」

 

「あわよくば、言質を取らせる事ができるかと」

 

「何のためにカメラ回させたと思ってるんだ。俺が寝込みを襲わなかった証拠を残すためだよ」

 

 冷や汗を拭う十六夜は、周妃のボケ具合に悪態を吐いた。

 そう。カメラを回したのは、襲ってない物証を残し、ここまでの行いはあくまで真由美を気絶させるための演技であると証明するためだったのだ。

 本当に襲う気だったら、せっかく夢だった事にできるシチュエーションなのだから、あからさまな証拠を残すような事はしない。

 

「はぁ……、疲れた……。据え膳ってのは悪い気はしないが、回避は大変だな」

 

「良い手があります。相手を骨抜きにするのです」

 

「お前はちょっと黙れ」

 

 十六夜は真由美の上から退き、疲労感でベッドの縁に腰掛ける。

 

「服脱がせるのはお前に任せる。フォーマルなドレスだが、ドレスはドレス。シワを付けるのは勿体ないし、寝間着には不適当だ」

 

「着替えは了承しますが、寝間着の準備がありません。十六夜様のワイシャツでも着せましょうか」

 

「なんでだよ!本人の寝間着を取って来いっ、お隣だろうが!」

 

 十六夜は周妃へ率直に怒った。わざとボケているのはお見通しなのだ。変な謀略には付き合いきれないのである。

 

「では、取ってまいりますので、カメラの方をよろしくお願いします」

 

 十六夜は何も言わず、周妃の手からビデオカメラをひったくる。

 そうして、周妃は微笑みを携えながら、自身の仕事に取り掛かる。

 

「はぁ……。まったく……。ん?」

 

 疲労感が酷くなる中、十六夜は撮影を止めようとする。

 そこで気付いたのだ。ベッドに突いていた左手が、いつの間に真由美に捕まれている事に。

 

「…………ふぅ」

 

 十六夜はカメラを右手で操作して撮影を止めたが、しばらくベッドに腰を掛けたままでいる。

 

 今日は埋め合わせであるため、真由美に振り回される予定だった。

 しかし、最終的にはこっちが振り回したような状況になっている。

 その事に少し罪悪感を抱き、せめてもの償いとして、しばらく真由美の傍に居ようと決めたのだ。

 

 少女の寝息だけが耳に届く空間。周妃の帰りが遅い事を訝しみながら、少しばかり物思いにふける。

 

「……どうして君たちは、こんな男を好きになったんだろうな」

 

 他人事のように、彼は呟いた。

 自身で振り返っても、酷い嘘吐きで、詐欺師だ。ホストの方が余程良いとすら自虐する。

 いや、客観視すれば、嘘吐きである事を除けば、『四葉十六夜』という男性はかなりの優良物件である。それは理解している。

 日本魔法師界の名家・四葉家の現当主直系、及び、次期当主とは従兄妹であり、その婿とは兄弟。名家の方針に意見できる立場であり、『四葉』という組織の幹部として見られる事すらある。おまけに、自身の子供は四葉家当主の継承権が得られるだろうから、その親となれば普通に権力者と言って良い。

 有体に言って、将来が盤石なのだ。

 合わせて、実績がある。社会に貢献し、『日本若手魔法師の旗手』と称され、実際日本の若手たちへ意見できる状況を作り上げ、日本魔法師の次代に影響を与え得る存在になっている。

 さらに付け足すと、普通に外見が良い。

 

 要約しよう。家も良いし、実績も良いし、顔も良いのだ。

 そんな群がられそうで群がられてないのは、高嶺の花、だからだ。色んな意味で。

 

 彼は、それらを全て理解している。『四葉十六夜』のステータスとして。

 でも、彼女らは、特に雫は、そのステータスが『●●』を覆い隠すメッキであると察しているはずなのだ。

 

「……何故、君たちは『●●(おれ)』を愛そうとするんだ」

 

 分からない。彼には分からない。彼女たちがそこに至った経緯が、分からない。

 彼女たちの心が、分からない。

 

「いざよい、くん……」

 

 彼は咄嗟に振り返る。

 真由美の声だ。

 起こしてしまったかと、不思議と汗が噴き出している。

 ただ、彼女は眠ったままだった。

 寝言を言うタイプなのだと、彼は胸を撫で下ろす。

 

「もう、良いの……。あなたは、しあわせになって、良いの……」

 

 彼女の寝言が続く。

 彼の幸せを寝言でも願うとは、いったいどのような夢を見ているのだろうか。

 

「あなたは、もう何度も、世界のためにがんばったから……。あなたは、どの世界線でも、がんばったから……。もう、報われて、良いの……」

 

 夢だというのに、彼女は願っていた。彼の幸せを。

 彼は苦笑する。この前に話した、人類史シミュレーター。それに釣られて、自身が何度もやり直しているなんて妄想を夢で見てしまっているのだろうと。

 

「ああ、神様……。どうか……、どうか……」

 

 彼の手を掴んでいた彼女の手が緩む。

 ただし、手放した、という感じではない。彼女の手は小さく動き、彼の手を撫でていた。

 そこに彼の手が実在する事を、確かめるように。

 そうしてから、彼女は再び掴み直すのだ。二度と離さないように、強く掴むのだ。

 

「次は、どうか……。彼が、幸せでありますように……」

 

 現実(ここ)では幸せであってくれと、彼女は一筋の涙を流しながら、祈っていた。

 彼はつい、笑う。

 まるで自身が壮大なバッド・エンドを何度も踏んでいるようだと。

 

 彼は、彼女の涙を掬い取る。

 

「大丈夫ですよ、真由美さん……。俺は、幸せですよ……」

 

 彼は幸せを感じている。その言葉に嘘はない。

 

「もう少しで、償いが終わるんだから……」

 

 何せ、あと少しで、人生を1回やり切れるのだから。

 

 彼女はもう一筋、涙を流していた。




 お読みいただき、ありがとうございます。
 次回の更新は、5月25日の予定です。
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