2097年9月19日
『起きろ、亮』
明朝の事だ。
そんな声が、堺亮/十六夜には聞こえた気がした。
煩くはない、しかし確かに自身の意識に響く声だ。
意識が、覚醒する。
「ふあぁぁ~~~……。もう、何だよ……。ドッキリか?お母さん、お父さん、姉貴、兄貴……。イデラもキノも家に上げてよ……。というか、他の人も居なかったか……?聞き覚えは、いくつかあるな……。花澤香菜さんっぽい声も聞こえたし……。それこそあの声は、真夜、の……?」
堺亮/十六夜の頭も、徐々にその思考が寝ぼけから覚醒していく。
最初は、家族が親友たちも集めて寝起きドッキリでも仕掛けてきたのかと思った。
でも、聞こえてきた声を精査していく程に、そのおかしさを理解する。
どうして、前世の家族・親友と、真夜、それだけでなく雫や真由美、リーナの声が一緒に聞こえてきているのか。
そも、聞き覚えのない声も何故聞こえたのか。不思議と、聞き馴染みがあるような気もするし。
いや、そうだ。前提がおかしい。
(俺は、『四葉十六夜』だ。『堺亮』は前世だ)
自分は、堺亮ではない。
彼はそう、自分の前世を揉み消し、その記録の一切を他者に悟らせないようにしてきた。
今は『四葉十六夜』として生きている。
(全部、幻聴だ……。……なんで俺は、眠ってたんだ?)
色んな声が聞こえてきた事を幻聴と断定し、『四葉十六夜』としての現実に帰ってくる。
寝る直前の記憶が曖昧だ。ベッドで横になった記憶がない。
そうしてようやく、十六夜は視覚情報を読み取る。
(病院、なのか……?いや、部屋の様子は病室だが。何で床にマットレス敷き詰めて寝てる……?いや、というかなんで真夜、雫、真由美、リーナと添い寝している……?)
現状が意味不明すぎて、直前の記憶を再生するのも中断されてしまった。
「……。母上、雫、真由美さん、リーナ。起きてくれ。起きて説明してくれ」
どうにも頭の整理が付かないと、周りにその手助けを求める十六夜である。
十六夜に揺すられた彼女らは、一様に眠そうで、多様に寝起きのルーチンを熟す。水差しに手を伸ばしたり、寝返りして二度寝かまそうとしたり、欠伸をしたり、伸びをしたり、だ。
寝ぼけからの覚醒が早かったのは、延々と水差しが見つからない事を訝しんだ、真夜だった。
寝起きのルーチンが熟せない状況を脳が異常事態であると急遽自らを叩き起こしたように、真夜は目を見開き、周囲を伺い、視認した情報で状況を完全に思い出す。
自分たちは、昏睡状態の彼を起こす事、彼の秘密を知る事を目的とし、彼を囲んで就寝したのだった。
そして自分たちは、彼の秘密を多く知り得た状態で、彼の起きている姿を目撃している。
「みなさん、しっかりしなさい!彼が、『堺亮』が起きています!」
慌てふためいて、真夜からも他3人の乙女を揺する。
真由美とリーナはそれで頭が覚醒して、目を見開いた。
雫はまだ。上体を起こして瞼を擦っている段階だ。
「そんな、俺が起きているだけで一大z―――『堺亮』……?」
十六夜は、思わず聞き逃してしまいそうだった。
その単語が、自身の前世の名前が、真夜の口から出てくる訳はないのだから。
では、どうして『堺亮』という名前が、真夜の口から出てきた?
十六夜の頭はその衝撃でフリーズ、しなかった。
逆に、走馬灯のように、記憶が再生される。
死に瀕した時、その打開の術を過去の経験から探す。そんな走馬灯の一説に従うように。
ただ、打開の術は見つからない。代わりとして十六夜は、寝る直前の記憶、ウッド・メタルの鎖で首を吊ったのだと、思い出せた。
そこから、状況の分析は高速で行われる。
転生者という事実を真夜たちに知られた事。
首吊りで死ねなかった事。
病院で寝かされ、五体満足で起こされた事。
これでも謎は残る。
何故、彼女らは自身に添い寝していたのか。
何故、真夜、おそらく他3人も、『堺亮』という名前を知っているのか。
気になるが、聞きたくなかった。
自殺した転生者である事を知られた以上の、絶望が待っている事が容易に想像できたから。
脂汗をかく。体が固まる。舌が回らない。喉が渇く。
金魚にでもなってしまったかのように、緩慢に、口をパクパクと開閉させる事しかできない。
真夜は、雫もちゃんと頭が覚醒した事を確認してから、突き付ける。
「貴方と添い寝すると、貴方の前世について、知る事が出来ます。当初は、貴方、『堺亮』が自殺する直前の光景しか見られなかったけど。今回は、『堺亮』の家族から、思いを受け取る事が出来ました」
そんな馬鹿な。
乾いた喉と、動かぬ舌では、発せられなかった。
カヒュっと、空気を漏らすだけである。
「お姉さん、凄かったね……。何か、もうブラコンを通り越した何かだった……」
「雫?初手でそれはちょっと、その、思慮が足りないのではない……?」
無遠慮な雫、遠回りに失礼な真由美。
十六夜はあの姉の事を否応なく想起させられ、姉のブラコン記録が脳内を駆け巡る。
分かってしまう。
実の姉を他者が見たら、雫と真由美のような反応をする。前世でも何度もされてきた事だ。
つまりそれは、雫と真由美が、真夜とリーナも、『堺亮』の家族をその目にしてきた証拠である。
「サキーのファミリー、凄い人たちだったわね。マザーは家族のために努力するよう呪いを掛けてしまったとか。ファザーはティーチャーでコーチなのに息子を幸せに導けなかったとか。シスターは、うん。絶対貴方の事を幸せにしろって言っていたわよ?ブラーザーは、凄い大人ね。ワタシたちの幸せまで願ってくれたわ。あ、ソウル・ブラザーも居たわね。良い友達だったじゃない。貴方の死を一生抱えていくって、覚悟を決めていたわ」
リーナが、世間話のように語って聞かせた。
十六夜にとって、それは何よりの追撃だ。
やはり家族と、おまけに親友たちと、そしてその者たちから語られただろう己の前世と、彼女らは触れてきている。
「……十六夜。いえ、亮。誰も貴方を、恨んでなどいなかった。多くが、許しを求めていた」
渡された思いを、真夜は伝えた。
前世に気兼ねする事は何もないのだ。
「―――堺亮。貴方は、もう許して良いの」
もう、荷を降ろして良いのだ。
分かっている。分かっている。
それでも己を許せなかったのが、堺亮だ。
堺亮/十六夜は―――
―――己の両手で己の首を絞める。
「っ!?止めてっ、十六夜!」
真夜が、そして他3人も、堺亮/十六夜のその両手を引き剥がしにかかった。
しかし、堺亮/十六夜は超人だ。一般人4人でその自由を奪えるような膂力ではない。
だが、逆におかしい部分がある。
超人の膂力なら、首の骨を折る事など容易い。例えそれが超人の頑強な骨であったとしても。
堺亮/十六夜が手を抜いている、という訳ではない。昏睡が体を弱らせている、という訳でもない。
―十六夜!
―十六夜くん!
―十六夜さん!
―サキー!
幻聴が、堺亮/十六夜の耳に響いていた。
いったい、何人分だろう。十はくだらない。下手したら百に届く。
そして、その幻聴に合わせるように、堺亮/十六夜の両手に、不可視にして不可思議な力が掛かっていた。
それこそ、声がする人数分だけ、堺亮/十六夜の両手を引き剥がしに掛かっているような。
真夜たち4人分+不可視の約百人分。
その力でなお、首を折る事の制止で手一杯だ。
気道は締まって、窒息死に至る可能性が残っている。
それが、堺亮/十六夜が自殺に掛ける妄執である。
(ダメっ、彼を抑えられない!どうしたら……。魔法?無理よ。『領域干渉』されたら、突破できるのはおそらくリーナさんだけ……。でもどんな魔法を使わせる?疑似スタンガンなんてしたら、逆に筋肉が硬直して引き剥がせなくなる。リーナさんに何をさせたら……―――)
考えあぐねる真夜。
しかし、ふとリーナを視界に入れた時、天啓が降りる。
真夜は、堺亮/十六夜に口付けをする。
「むぐっ!?」
堺亮/十六夜はまさしく、虚を突かれた。
真夜からのまさかのキスにより、混乱、頭が思考停止。頭から出される腕への指令も途絶え、力が抜ける。
雫たちも虚を突かれたのだが、彼を助けたいという彼女らの思いが、体を即行で動かした。
マットレスと体で挿む込むように、彼の腕を押さえつける。
4+約百人の力と体重が掛かったかのように、堺亮/十六夜の腕は、もう動かない。
堺亮/十六夜の、頭が冷える。
「……真夜さん、どうして俺なんかに口付けを?」
「40年もののファースト・キスよ。察しの悪い貴方でも分かるのではないかしら?亮」
「言葉にしてくれないと分からない……。俺が、他人との擦れ違いを恐れるような臆病者だって、分かってるだろう……?」
「ほん、とうにっ、貴方ときたら!―――好きだからよ!貴方の事が!息子とかではなく男として!」
分からず屋に、真夜は思いの丈をぶつけた。
その様子はまさに、朴念仁に告白する少女のようである。
40越えの美魔女が羞恥で顔を赤らめる姿は、少女以上の決心を感じさせもするだろう。40越えのおばさんに、生娘みたいな事をさせるな、と。
分からず屋は、真夜の目をしっかり瞳に映し、脳裏に写してから、雫、真由美、リーナの方を見やる。
「……君たちも、そうなのか?……『堺亮』というロクデナシを知ってなお、好きだと宣うのか?」
「レディーズをたぶらかしておいて、ジェントル・メンにならない時点で、ロクデナシよ。それでも、ワタシを救ってくれたサキーが好きなの。悪い?」
「貴方のおかげで、素直になれたの。愛しい人と結婚したい。もう、政略結婚なんて出来ないくらい、貴方が愛おしい。責任を取って頂戴」
「ずっと、運命を感じてた。月のシミュレーター内の自分にも会ってきたけど、やっぱり貴方の事が好きだって。私が言ってた通り。私は、何回生まれ変わっても、貴方に恋をする」
分からず屋の問いに、リーナ、真由美、雫は、思いを浴びせかけた。
でも、これではダメだ。
愛だけでは、この分からず屋は止まらない。
故に、雫は仕掛ける。
「亮。私は、恋をしてるの。だから―――」
雫は、分からず屋と唇を重ねた。
雫以外が驚いているのを他所に、雫は語る。
「貴方の全てが欲しい。貴方が生きてるだけじゃ足りない。貴方に、私を愛してほしい。貴方の愛が欲しい」
自分は、与えるだけでは満たされない。愛だけでは満ち足りない。
恋をしている。求めている。相手の全てを。
分からず屋は、分かった。
離された唇が、口寂しかった。
艶めかしく、艶やかな、雫の唇。
彼は確かに、その唇に、自分から唇を重ねたくなっている。
リーナに不意打ちでした時や、真夜に不意打ちでされた時以上に。
(これが、俺の、欲しかったモノか……?)
相手が欲しているモノが、自分も欲しい。
両者が求め合う、この思い。
これが、愛だけではないモノ。同時に、恋だけではないモノ。
『恋愛』と表現される、それ。
堺亮/十六夜は、考え込んでいる。
「……もう一押しかも。―――真由美。貴女もキス」
「ええ!?」
「ちょ、ちょっと待て!踏み止まっていたんじゃなくて整理してただけだ!もう充分だ!」
「な、わ、私のキスは要らないって言うの!?亮くん!?」
「したくないのか、したいのか、どっちなんだ!?」
「したいに決まってるでしょう!?―――んちゅ」
雫に仕向けられ、真由美は激流に流されるかの如く、堺亮/十六夜と唇を重ねた。
真由美にとって初めてのキスは、幸福感に満たされた、理性が融けてしまいそうなモノだった。
真由美はその融けた理性のまま、蕩けた表情で、もう一度唇を重ねようとする。
「ストップ!順番でしょっ、次はワタシよ!」
リーナが真由美を制した。
理性が融けているのは、乙女たち全員のようだ。
「そ、その次は、もう一度私にもさせてもらえないかしら……?」
そう。理性が解けているのは乙女たち全員だ。
真夜は、今度は純粋なキスを求めていた。
「……もう、好きにしてくれ」
堺亮/十六夜は、呆れと諦念と小さな嬉しさを苦笑に混ぜ、そう、許可を出してしまった。
乙女たちは待てという指令から解放された犬。餌は想い人の唇。
それが、ここから数分の光景である。
ただ、もう一度だけ言うと。乙女たちの理性は融けているのだ。
堺亮/十六夜の下半身に、心地良い電流が走る。
雫が、ナニかに手を添えていた。一応だが、まだ服越しである。
「し、雫っ、落ち着け!TPOと好感度ゲージをしっかり管理しろ!?」
堺亮/十六夜は混乱している。
「無理矢理襲われるの、好きでしょ?」
「な、何故俺の性的趣向を……。今生ではまだその手のはリスク回避のために買って―――はっ!俺の前世を知れるって、俺の性的趣向まで知れるとでも言うのか!?」
「鍵付きの棚。AV2本と、妙に薄い本10冊」
「チクショウ!死んだら処分してくれと、兄貴に頼んどくんだった!」
彼女らが見たのは死ぬ直前の光景なので、仮にそんな契約をしていたとしても遅いのだが。
ともかく。
嫌と嘯きながら襲われるのが彼の性的趣向。拒否の反応は、その性的趣向が誘いへと反転させる。
彼が誘ってきているんだから仕方がない。
大義名分を得た侵略軍が如く、乙女たちは一様にして、世界樹が立つ大地へと手を伸ばす。
「誰かーーーー!!!男の人呼んでーーーーー!!!?」
堺亮/十六夜は肉食獣が放たれた闘技場で、プライドも良識も投げ捨てて、助けを求めた。
闘技場なら、その姿を笑い物にされ、酒のつまみとされる。
肉食獣の餌場だったなら、その叫びは誰の耳にも届かない。
ここは、病院である。
扉がピシャっと開かれる。
医者が注意を引くために、わざと音を鳴らしたのだ。
子羊(堺亮/十六夜)は、神が居られたと思った。
淫魔(乙女たち)は、神が居やがったと思った。
神(医者)は審判を降す。
「面会謝絶です」
乙女たちは数時間、林檎の木が生える楽園から追放された。
精密検査、それと頭を冷やす時間を経て、面会謝絶は解かれる。
冷静になったおかげで、自らの淫行を省みた乙女たちは、羞恥心で重くなった体を引き摺って、堺亮/十六夜の前に顔を出す。
真夜も真由美も、リーナも顔を赤らめてそっぽを向いていた。堺亮/十六夜は胡乱な目で彼女らを見る。
雫は、顔を赤らめているのは他3人と同じだが、表情は素面のそれだった。反省点は行動に移った場所のみ、という表情に、堺亮/十六夜は苦く唸る。
2人きりで密室に入るのだけはしばらく止めようと、堺亮/十六夜は心に決めておく。
「診察結果、どうだった?」
「ん?ああ。健康そのものだってさ。3日とはいえ、ずっと寝てたから身体機能が低下するはずだが。衰えがまるでなくて、お医者様は逆にそれが異常だって言ってたよ」
雫に容体を確認され、異常でない事が異常であるという皮肉を、堺亮/十六夜は医者から継投した。
何にせよ、堺亮/十六夜の肉体は健康そのもの。
その事に、乙女たちは安堵する。
「……自殺は、もうしない?」
「できない」
「……約束できないって事?」
「違う」
雫に精確な返答をすべく、堺亮/十六夜はまた、自身の両手を自身の首に添えようとした。
だが、それが途中で、まるで百人に引っ張られているかのように、動きが止まる。堺亮/十六夜がどれ程力を籠めても、そこからは、全く進まない。力んで数センチ進めても、力を解いた瞬間に数センチ戻される。
堺亮/十六夜の自殺行為は、見えざる約百人に止められている。
堺亮/十六夜にとっては、正直未知すぎて怖い。しかし、何故か暖かみを感じる。それこそ、約百人の手が己に触れているかのように。
乙女たちは直感的に察する。あの、彼の心の中に居た者たちが、彼に干渉している。
約百人、仮想世界のヒロインたちが情報量を重ねないと干渉できないため、仮想世界のヒロインたちが意志を統一させて動かないと何もできないが。
仮想世界のヒロインたちは、彼に自殺をさせないという意志で、統一されている。
堺亮/十六夜は、雫たちに約束させられるまでもなく、自殺行為ができない。
「亮。それは、貴方の魂が、シミュレーションの中で築いた、貴方へ向けられた愛よ」
仮想世界のヒロインたち、彼女たちの存在が堺亮/十六夜に知られぬままなんて、寂しすぎる。
その同情心が、真夜にそんな言葉を吐かせた。
「……なるほど。……分からん」
堺亮/十六夜は、冗談めかして、思わず鼻で笑ってしまった。
何をどうしたら、シミュレーション世界の人間たちがこうできる程、こうしたくなる程、己が愛されるのか。
純真な少女たちをたぶらかす、酷い結婚詐欺師だったのだろう。
そんな自嘲が、堺亮/十六夜の胸に込み上げている。
ただ、ああ。どうしてだろう。涙も共に込み上げるのは。
その涙が、妙に暖かいのは。
堺亮/十六夜は涙を拭う。
分からない事を思索するのは、目の前の問題を片付けてからだ。
堺亮/十六夜は、乙女たちを見やる。
「どう振舞えば良い?」
堺亮/十六夜の質問。その意図は、乙女たちも想像できる。
でも、想像どおりであってほしくないから、続く言葉を待つ。
「俺は、『四葉十六夜』として振舞えば良いのか?それとも、『堺亮』としてか?」
当たってほしくない想像が当たった。
「もう一回襲った方が良い?」
「止めてくれ、その策は俺に効く」
雫がまた淫行に走ろうとしたので、堺亮/十六夜は咄嗟に手で制した。
彼女らの想像どおりな姿は、半分冗談だったのだ。
堺亮/十六夜は、もう『四葉十六夜』としては振舞えない。
とっくに化けの皮は剥がれている。堺亮/十六夜にとっては、これでも本性を曝しているのだ。
密かに、前世で染みついたネットミーム用語を漏らしているのが、その証拠である。
でも、思ってしまう。
この、他人の言葉を借りて喋るのは、果たして自分か?
「聞きたいんだ。雫、真夜さん、真由美さん、リーナ。本当の俺って、どれだ?」
堺亮/十六夜は、曖昧に笑っていた。
苦笑のようであり、穏やかなようであり、苦悶に満ちているようであり、気を置いていないようでもある。
さて。では、乙女たちの目に映る笑顔は、どれだ?
それが、彼女らの言う、彼女らの求める、本性だ。
堺亮/十六夜は、とっくの昔に、他人が求める姿しか取れなくなっている。
人生1つ分、家族の期待する『堺亮』を演じてしまったのだから。
2つ目の人生で、『四葉十六夜』を演じているのだから。
あらゆる並行世界で、ヒロインが各々求めた人間を演じてしまったのだから。
だからこそ、北山雫は言うのだ。
「どれでも良い」
どれでも良いのだ。
「え、あの、お客様……。『どれでも良い』は困ります……」
「強いて言うなら、それ」
今も変な仮面を被った堺亮/十六夜を、雫は指差した。
「『それ』、と、仰いますと?」
「貴方は、貴方の好きな時に、好きな貴方を演じて良い」
雫は、全てを受け入れるつもりだった。
彼は、茫然とする。
「全て含めて、貴方だ。『堺亮』はもちろん、『四葉十六夜』も。別の『十六夜』も、『サキー』も。貴方が演じる貴方を全て含めて、貴方だ」
人間は、多面的だ。
親と友達に同じ態度で接する人間は、ほぼ居ない。
気に入らない上司、気に入った部下、気の置けない同僚。それらに同じ態度を取っていたら、どう考えても社会で浮き、最悪は孤立する。
人間とは元より、状況状況で仮面を使い分け、そうして社会の一員となる、社会的生き物なのだ。
追い詰められた時に出るのが本性などと言うが、それは生物としての本能、生存本能が揺り起こされただけ。
追い詰められた時に出るのは、追い詰められた人間の姿だ。
そも、人間とは、本能の上に理性という衣服を羽織った存在。衣服を剥いで毛無し猿にしておいて、それを指して人間と呼称するのは、毛無し猿に囲まれて育ったと、自己紹介しているようなものではないだろうか。
閑話休題。
堺亮/十六夜は、苦悶の表情を浮かべていた。
「全て、受け入れるつもりか……。愛なんてモノでっ、罪も醜態も許すつもりか!」
ペチンと、音が響く。
醜態を晒した堺亮/十六夜に、雫が平手打ちしたのだ。
超人だから打たれた所は別に痛くないのに、堺亮/十六夜は、幻痛を覚えて打たれた頬を抑えた。
あるいはそれは、心の痛みだったのかもしれない。
「許さない。貴方は私の恋人なんだから、それ相応の振る舞いをして」
雫は、実に我がままだった。
醜態を晒す姿も愛しく思っていながら、自身に寄り添ってくれる姿を恋しく思っているのだ。
「ああ……」
堺亮/十六夜の胸に、淡い想いが広がった。
好きになってほしい人に、本気で好きになってもらえた。『四葉十六夜』でも、『堺亮』でもない、自分を。
フィルター越しに見ていた世界を、ようやく直に見たような、そんな気分だ。
フィルター越しでも綺麗だった雫が、直だと、より一層綺麗に見える。
何より喜ばしいのが、直接、そんな綺麗で好きな人に、直接触れられる事だ。
彼は雫の頬に手を伸ばす。
雫は、大人しくその手が触れるのを待った。
「ストーーーーーップ!」
残念ながら、待ったが掛かった。
リーナが、彼と雫の間に割って入ったのだ。
「ねぇ!ワタシも居るんだけど!?サキーの心を解すためにシズクを邪魔しなかったけど、ワタシもシズクと同じくらい好きなんだけど!?」
「そ、そうよ!私も亮くんの事が好き!」
「亮を見出したのは私よ!?私が一番だわ!」
どうやら、まだ理性は回復しきっていなかったようだ。
リーナだけに留まらず、先を越されまいと、真由美も真夜も割り込んできた。
雫はすごく顔をしかめるが、彼は逆だった。
「く、はははははははは!」
彼は傍から見ても純粋に、笑った。
乙女たちが一瞬きょとんとしながらも、暖かく見守ってしまうくらいに。初めて見る彼の心からの笑顔を、目に焼き付けるように。
「はーーー、全く。こんな結婚詐欺師に引っ掛かるなんて、先が思いやられるぞ?」
「貴方が責任を取れば大丈夫」
「そうだな。確かにそうすれば、大丈夫そうだ。傍から見ればハーレム野郎である事と、君たちの中で意外とまだ折り合いが付き切ってない事を除けば、な」
ハーレム野郎に引っ掛かった乙女たちへ、そして迂遠に言質を取りに行く雫へ、彼は皮肉げなジョークを噛ました。
それから、息を整えるように、息を吐く。
「―――すまない。誰か、遮音バリアを張ってくれないか?もう、全部、吐き出しときたいんだ」
彼の注文。
彼にとって重要な儀式なのだろうと、乙女たちも想像する。
故に、乙女たちは頷き合って、遮音バリアが一番得意な雫がその役を担う。
彼は、遮音バリアが張られた事を、サイオン知覚で感じ取る。
彼は乙女たちだけに、その
「すぅ……。―――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
顔を覆って、なお溢れ出るかの如く、慟哭し、涙を流した。
周りを騙してきた。矮小な自分が露呈してしまった。
許された事に安堵を感じる自分が嫌いだ。騙して愛を得た事に達成感を覚える自分が嫌いだ。
家族・親友に許してもらえない自分など居なかった。周りを騙し続けたのは無駄な努力だった。
そういう、自分を責める思い。
そういう、心の中で凝り固まっていた重石。
そういう、物事を屈折させてしまうフィルター。
彼は、全て投げ捨てた。
「―――全部、意味のあるモノだった」
ようやく彼は、自分を肯定できた。
「家族に愛してもらえる『堺亮』も、真夜さんたちに愛してもらえる『四葉十六夜』も、全部意味があった。そうして、それらを装ってきたから、俺は『堺亮』でも、『四葉十六夜』でもない、『おれ』を愛し・恋してくれる人たちに、巡り合えた」
全部、愛してもらうための演技だった。
全部、周りを騙すお面だった。
全部、『おれ』を愛し・恋してもらうための過程だった。
とても、納得感がある。苦労してきた分だけの、充足感がある。
辛い道のりだったからこそ、幸せに至れた事を受け止められる。
自身の人生は、このために在った。
ゆっくりと目を拭う。
ゆっくりと目を開ける。
現実を直視する。
何者でもない自分を愛し、恋してくれる人が居る幸せを、受け入れる。
「真夜さん、雫、真由美さん、リーナ。ありがとう―――」
少し、苦々しく。少し、恥ずかしそうに。でも、とても嬉しそうに。
『堺亮』らしくもあり、『四葉十六夜』らしくもあり。でも、それらではない。
『堺亮』としての成果物も、『四葉十六夜』としての成果物も1つに統合した、1人の男。
「―――貴女たちの事が、昔から大好きでした」
そうして1人の何者でもない男が、やっとその素顔を見せたのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回の更新は、11月2日の予定です。
ファン・アートを新たに6個ほどいただきましたので、ここで一部を紹介させていただきます。
○メビウス斎藤 様 作 (AIイラスト)『
【挿絵表示】
○メビウス斎藤 様 作 (AIイラスト)『周妃』
【挿絵表示】
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あと4個は一覧の方へまとめて掲載させていただきます。
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【『魔法科高校の編輯人』ファン・アート一覧】