十六夜は、月に居た。
草花が淡く輝き、そして、天辺にシミュレーターである石板が埋まっている丘。
『篝の丘』。
十六夜は歩み、シミュレーター、『庭の文明』を前にして立ち止まる。
『庭の文明』を
「……」
屈み、石板へと手を伸ばす。その動きは緩慢だ。
恐怖がある。
(『Rewrite』原作の主人公、天王寺瑚太朗でも耐えられなかった、高すぎる情報密度……)
十六夜は、天王寺瑚太朗を尊敬している。
人類を、絶滅一歩手前とはいえ、救って見せた大英雄。
自分の遥か高みにあると捉える大人物。
そんな人すら、
それに、挑まなければならない。
(臆するな。真夜たちのために)
真夜たちを、救うために。
十六夜の手が、『庭の文明』に触れる。
地球の始まりから終わりが、何回分も頭に叩き込まれる。
「ぐ、がぁあぁあっぁぁぁぁああああああああ!!!!」
耐えられるはずがない。
人間の脳髄は140年分が限界とされている。
そこに、1ルート46億年以上のデータが何ルートも保存されようとしているのだ。物理的に耐えられるはずがない。
十六夜は軋むように痛む頭も両手で抱え、地面にのたうち回る。
そこに、リボンが伸びる。
腕に巻き付いたかと思えば、呼応するように頭の痛みが引いていく。
十六夜を圧し潰そうとしていたデータを、リボンの主が引き受けたのだ。
十六夜は、荒い呼吸を整え、脂汗を拭ってから、横たわったままでリボンの主に目を向ける。
月の篝だ。いつも通り、半透明な姿を晒している。
「……ありがとう、篝」
「どういたしまして」
十六夜の感謝を受け取って、篝は微笑みを浮かべた。
十六夜は、体を起こして地面に胡坐をかく。顎に手を添え、考え、苦悶する。
(やっぱり、『庭の文明』を手中にするとなると、人間を逸脱する必要がある、な……)
人間を、『超える』のではなく、『逸脱する』。
その必要を、十六夜は確認した。
『庭の文明』を扱えるようになるには、人を、止めなくてはならない。
そのための道具はある。
『リライト能力』は、それすら可能にする。
天王寺瑚太朗が実行した方法である。
でも、その前例に沿うには、足りないモノがある。
最適な人間逸脱方法を取るためのロードマップ。それを実行するための膨大な『
そして、人間を逸脱してなお、人間の領域に戻るための灯台。
天王寺瑚太朗は、繰り返されるシミュレーションの中で、偶然にもそれらを手にしていた。
十六夜にはない。
(ロードマップと、『
目の前に実態例が居る。
月の篝。人間を逸脱した存在。『
彼女を模倣して、人間を逸脱すれば良い。
彼女から、『篝の丘』の管理権限を奪えば良い。
そう―――
(―――彼女から、奪うしかない)
月の篝から、その命もデータ構成も、奪うしかない。
十六夜は、倫理観を凍らせた。
冷徹に、月の篝を殺害するという方法案を取った。
貫き手に構え、月の篝に敵意を向ける。
その瞬間、篝のリボンが、十六夜の胸を貫いた。
篝のリボンは、半自動迎撃装置だ。
篝を害する物理的な障害に自動で反応し、それを迎撃する。
そんな事は、十六夜には分かっていた。
だから、気を強く持って、神風的に挑むつもりだった。
(……っ!このリボンは、攻撃じゃない!)
違和感に気付いた。
痛みが来ない。
どころか、暖かいモノが注がれている感覚すらある。
察する。
月の篝は、初めから全て渡すつもりだったのだ。
ロードマップと、管理権限と、命。
己の構成する全てを。
「篝!」
「もっと早く、こうしてくれて良かった」
「篝、止めろ!君が協力的なら、何も奪わなくて良いんだ!」
「私が、こうしたかったんです。貴方に全てを渡して、私はこの罪の意識から解放されたかった」
十六夜が言葉で制止しようとするも、篝に止める気配はない。
彼女は、微笑みながら、涙を浮かべている。
満たされているようで、空っぽになっていくような、そんな顔だ。
十六夜には、何故だか彼女の様子が如実に分かってしまう。
彼女の様子は、独りよがりに罪の償いをして、自分勝手に救われようとしている者のそれだ。
未来の自分がそれだからこそ、分かってしまったのかもしれない。
「何なんだよ……。お前は俺に何かしたってのかよ!ずっと分かんねぇんだよ!どうしてお前が俺にそんな罪悪感を抱いてんだか!なんでこんなに俺の尽くそうとしているのか!」
十六夜は、分かっていて咆えた。
だって、他人にとって訳が分からない罪悪感で意味不明な滅私奉公をするなんて、まるで十六夜自身の事ではないか。
だから、十六夜は言葉だけで、抵抗できない。
報われようとする彼女を、止める事が出来ない。
「訳は、ここに置いていきます」
篝は十六夜のすぐ傍に寄り、十六夜の胸に、自身の手を添えた。
そうして、十六夜の中に、何かが植えこまれる。
■
圧縮データ。
今の十六夜でも受け取れるように小さくされた物。読み取るには、十六夜が人を逸脱しなければならない物。
同時に、これこそがロードマップだ。そして、ゴール・テープでもある。
この圧縮データが解読できるようになれば、それは『庭の文明』を手中に収めるに足る事が示される。
「……篝」
ただでさえ半透明なその体が、どんどん薄くなっている。
十六夜の胸中にあったのは、寂寥感に似たようなモノだ。
交流は少なかった。
でも、思い入れはあった。
出来れば、もっと彼女の事を知りたかった。
殺そうと敵意を向けておいて、十六夜の中にはそんな思いがあった。
そんな相手が、消えていく。
「さようなら、私たちのヒーロー」
「……ありがとう、篝」
微笑みを浮かべて消えゆく篝を、十六夜は涙を堪えて必死に笑顔を作って、そうして見送った。
草花に、2つ、雫が垂れる。
十六夜は、顔を拭う。
それから再び、『庭の文明』を真正面に捉える。
さぁ、人間逸脱の旅を始めよう。
十六夜は、篝が残してくれた■を読み解けるように、己を書き換える。
草花が、しおれていく。
魂が、肉体と遠ざかるような感覚を味わう。
―■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
階段を登る。
周りが暗くなっていくような錯覚に陥る。
―konomessejigaanatanishikkaritotodokukotowonegaimasu
階段を登る。
肌寒いように感じ始める。
―konomessejigaanatanishikkaritotodokukotowonegaimasu
階段を登る。
感覚が、鈍くなる。
―konomessejigaanatanishikkaritotodokukotowonegaimasu
階段を登る。
周りが真っ暗で、何も感じなくなる。
―bふぁぎうhgfびgfびぁびbくあいああいlばいfq
階段を登る。
どうして、ここまで登ってきたのだったか。
―nttiiiosokoukkrnegaaimkoosahdntmtaueowgaaaijooeskns
階段を、登った。
そうだ、覚えている。
この心を、受け取るために来たのだった。
―このメッセージが、貴方にしっかりと届く事を願います
十六夜の視界が広がる。
地球誕生を背景に、月の篝と対面する。
本体ではない。あくまで、これはビデオ・メッセージのようなものだ。
―辿り着きましたか?
「……ああ。……辿り着いたよ」
月の篝が放つ圧縮言語が解読できるところに、十六夜は辿り着いた。
もう、自分の姿まで曖昧だ。
魂が、堺亮としても、四葉十六夜としても、形を保てていない。
―貴方に、ずっと謝りたかった……。私は、この世界に漂着した貴方の魂を、身勝手に利用した事を
背景映像が、当時を
それは、地球と月の雛形が出来た頃の再現映像。
月でようやく、後に月の篝となる、光の塊が生まれた。
何の生命も知らないその無垢な光の塊は、ただただ月が生み出せる唯一の生命として、高度な演算能力を持つ以外、智慧すら持っていない。
『Rewrite』原作だったら、この光の塊は地球で生まれる様々な生命の形、そして知能を模倣し、いずれ、生まれた人間の形を真似て、その知能も模倣しながら、されど高度な演算能力を以って昇華させる。
人間では辿り着けない上位存在となる―――
―――はずだった。
―まだ無垢だった私は、この世界に漂着した貴方の魂に触れ、全てを知りました
光の塊が、在るはずのない生命、突然現れた堺亮の魂に触れ、そこに蓄積された全ての情報を読み取った。
彼女は、『Rewrite』原作を知った。
『Rewrite』原作における『篝』の姿を模倣しながら、『Rewrite』原作の悲劇を読み取ったのだ。
地球人類が、絶滅一歩手前まで行く光景を、この世界の、この篝が知ってしまったのだ。
―私には、受け入れ難かった……。人間、地球の子供たちが、そんな末路を迎えるなんて……。だから私は、その未来を覆す事に決めた
『Rewrite』原作の悲劇が在ってはならない。人類が絶滅に向かってはならない。人類の未来は明るいものでなければならない。
だから、この篝は、まだ生命も生まれていない地球から、『
人類の、より良い未来を願って。
それは、ある種暴走だったかもしれない。
異世界から漂着した魂から読み取った、この世界でも起こり得る未来。
それは、無垢な魂には劇薬が過ぎたのだ。
そもそも、月の生命たる月の篝が、何故地球の生物たる人類に加担するのか。
月が地球の衛星である、という概念は地球人が生み出したもので、月の生命には関係のない事だろう。
月の篝にとって、そこにはもっと深い概念がある。
月は、地球の雛形に隕石が衝突して出来た、という説がある。
そう。月と地球は、お互いに地球の雛形と隕石から出来た星で、言うなれば姉妹なのだ。
その姉妹がそれぞれ生み出した生命、それが地球人類と月の篝。
地球人類と月の篝は、姉妹から生み出された子供、従姉妹に相当するのだ。
そして、月の篝からすれば、地球人類は、親戚の赤子。可愛らしく、庇護欲が煽られる存在なのである。
そこに、前述の劇薬である。
篝は親戚の赤子を是が非でも庇護しようとする、親戚のお姉ちゃんとなったのである。
閑話休題。
月の篝は、異世界から漂着した魂、堺亮の知識を用い、地球から奪った膨大な『
―『科学』、『魔物』、『超人』。この3つだけでは、人類が滅亡一歩手前まで行く事は、貴方の知識で示されていました。だから私は、それ以外の技術を欲した
月の篝は、堺亮の頭にある、現実に近いファンタジー・フィクションの再現を目論んだ。
『科学』、『魔物』、『超人』の3つに成り代わる、永久不滅のエネルギーを求めて。
いくつも、試される事となる。
『霊力』がある、『BLEACH』。現世、
『霊力』なら有名どころで『幽☆遊☆白書』もあるだろうが、これは堺亮が未履修だったため、そもそも情報不足で試行すら不可。
『波紋エネルギー』がある、『ジョジョの奇妙な冒険』。幾度か試行された結果、『波紋エネルギー』が『科学』、『魔物』、『超人』に代替できなかったので、否決。
呼吸関連で『鬼滅の刃』があるが、これは堺亮が自殺した以降の作品であるため未履修。情報不足の試行不可。
『死ぬ気の炎』がある、『
個人に依存しすぎたり、代替に使える程の安定供給ができなかったりで、否決されたモノは多い。
『金色のガッシュ‼』、『魔法少女まどか☆マギカ』、『絶対可憐チルドレン』、『〈ペルソナ〉シリーズ』etc.
そもそも、未履修も多い。
『寄生獣』、『東京喰種』、『亜人』、『呪術廻戦』、『夏目友人帳』、『青の祓魔師』、『〈スターオーシャン〉シリーズ』etc.
そして、そもそも世界観が定着しなかったのも多い。
『東京レイヴンズ』、『地獄先生ぬ〜べ〜』、『結界師』、『犬夜叉』、『妖狐×僕SS』、『〈物語〉シリーズ』etc.
妖力、その類のモノは特に定着が悪いと言えた。
逆に、一番定着率が良かったのは、『魔力』系。
しかも、それは―――
―人間由来の魔力。それが最も世界に定着しやすく、そして、安定供給を可能とする確率が高いモノだった
人外からもたらされた魔力ではなく、人間自体が発する魔力。
月の篝は、そこに希望を見出した。
『〈ハリー・ポッター〉シリーズ』、『〈Fate〉シリーズ』『幼女戦記』、『魔法先生ネギま!』、『スズノネセブン!』etc.
『魔力』というエネルギーは定着する。
しかし、どれも未来を約束しない。
一番、人類が永く繁栄する確率が高かったのは―――
―――『魔法科高校の劣等生』
―『魔法科高校の劣等生』。今、真の世界で展開されている世界が、この世界との親和性が高かった。もしかしたら、この世界は元々、『Rewrite』を基盤とした『魔法科高校の劣等生』の世界、だったのかもしれませんね。なんの科学的根拠も提示できませんが
月の篝がした推測。
元からこの世界は『Rewrite』と『魔法科高校の劣等生』が混ざった世界だった。
検証している余裕はない。
月の篝は、『魔法科高校の劣等生』1本に絞って、シミュレーションを繰り返し始めた。
ただ、問題が起こったのだ。
―『科学』、『魔物』、『超人』、そして『魔法』。これらが定着し、永く人類史が続くのは良かったのですが……。どれも、『Rewrite』の世界観、『聖女』によって滅ぼされてしまいました。『魔法科高校の劣等生』では、『聖女』を排除できなかったのです
科学の延長線上に『魔法』があるという『魔法科高校の劣等生』は、世界観の軸とするには盤石な現実性があったが。
『Rewrite』のファンタジー性、『聖女』を前に敗北してしまう。
何せ、『聖女』は延々と悪意を継承するようなシステムだ。人類を滅ぼすまで、そのシステムは止まらない。
『魔法科高校の劣等生』は、『Rewrite』の『聖女』に耐久戦、あるいは消耗戦を挑まれ、敗北してしまうのだ。
―『聖女』を排除するには、『魔法科高校の劣等生』も『Rewrite』も知っている、貴方が必要だった
『聖女』というバグの修正パッチ、『堺亮』をシミュレーションに組み込むしかなくなった。
知識を借りるだけに留まっていた罪科に、その魂自体の利用という重罪が加算される。
シミュレーションを繰り返す度に、加算され続ける。
―地球を、人類史を救うには、利用するしかなかった。人類に未来を、私に希望をくれた、貴方を
月の篝は、泣いている。
救世主を生贄にするようなものだ。人類を救うため、なんて免罪符がどこまで適応されるものか。
残念ながら、月の篝は早々に罪悪感に囚われた。
せめてその生贄に報いようと、確定された勝利を望み続けた。
―
『殺された』と言うには、月の篝は晴れやかな表情をしている。
それもそうだ。
『罰が当たった』。つまりは、罪が清算されたのだ。
―私は、私を殺した『リライター』の思い、人類の自由と未来を願う思いに、託しました。私はもう、不要だったのだと。幼いと思っていた人類は、もう私の手など借りずとも、己の足で立てるのだと
見守ってきた子供の成長を見て、従姉妹のお姉ちゃんは見送る事にしたのだ。
もう、疲れていた事だし。
後はただ親戚として、口を挿まず見ているだけにしよう。
そう思って月で隠居していたところに、ある男が来た。
『堺亮』、いや、『四葉十六夜』である。
―貴方の悲しい姿を、見てしまった。それで、私は私の罪を思い出した。貴方をいいように利用してきた、私の過去を思い出した
月の篝は、また表情を曇らせる。
―貴方に何も償わないまま、私はのうのうと在り続けた……!そんな私が許せなかった!貴方に償えるなら、私はなんだってしたかった!でも、私にはもう、何もなかったっ……!
もう、現実に干渉する手立てがない。
自分は、彼の悲しい姿を、指をくわえて見続ける事しかできない。
本当に?
―貴方が『
月の篝は、大粒の涙を流しながら、微笑んでいた。
償いたいと思っていた相手に、直接償う事ができる。
何もできないと思っていた自分に、これ程まで嬉しい事があるか。
―だから、私は何の躊躇いもなく、貴方に全てを渡せる。私は、貴方に償える
月の篝は、万感の思いを込め、笑う。
―だから私を―――
―――■して―――
背景も篝の残像も消えた真っ暗な空間。
それは極光を放ちながら、そこに浮かぶ。
『■して』
そんなメッセージ・ボックス。
「……これは」
今の十六夜なら読み解ける圧縮言語。
ただ、これは圧縮されているとおり、膨大な想いの集合体だった。
十六夜は触れる。
自分の思いすら、その中にある。
単純に要約すれば、『殺して』、『許して』、『愛して』。
まさに、自己愛と自己嫌悪の塊だ。
自身の思いだけだったら、十六夜は汚らしいモノとして握り潰していた事だろう。
だが、そこには月の篝の『殺して』『許して』『愛して』も詰まっている。
そして、それだけじゃない。
他にも、たくさんの人の思いが、詰まっている。
「……雫?……いや、これは、俺の知る雫じゃない。……もしかして、シミュレーション世界の雫か?他にも、真由美さん?……リーナっぽいのもあるか?……おい、四十九院沓子の声も聞こえるぞ。クソ、彼女攻略ルートだと?我ながら羨ましいな」
たくさんの、思いが詰まっている。
どれも、『許して』『愛して』だ。
「この声……。まさか、お袋!?」
母親の声が聞こえ、十六夜はそのメッセージ・ボックスを両手で強く包んでしまった。
思いが、光が、溢れる。
光に眩み、閉じた視界。
開けた先にあったのは、色づいた景色と、たくさんの人影。
雫、真夜、真由美、リーナ。四十九院沓子の姿もある。他にも、十六夜が思い出せない女性が複数。
十六夜は察する。
この彼女らは、シミュレーション世界で、自身を愛してくれた人たちである。
自身の自殺を不可視の力で止めてくる人たちである。
その最前列に、家族と親友が居る。
『亮。私/俺たちはお前を許している』
家族と親友の思いが、重唱される。
それは、独り先立ってしまった者への許し。
『亮。私/俺たちはお前を愛している』
共に在った親愛なる者への告白。
『亮。私/俺たちを許してくれ』
深層心理の孤独から救えなかった者への謝罪。
『亮。私/俺たちを愛してくれ』
共に在り続けて欲しかった者への求愛。
『亮。自身を許してやってくれ』
己に対する嫌悪により自罰的な者への救済。
『亮。自身を愛してやってくれ』
自己愛と自己嫌悪で矛盾崩壊した者への嘆願。
要は、幸せに生きてほしいという、祈りだ。
「……ああ、そうか。……家族と親友たちのこの思いが、俺に来世をくれたのか」
前世世界から弾き飛ばす程のエネルギーが、その祈りには籠められていた。
それが、堺亮が転生した理由だったのだ。
「で、俺をこの世界に繋ぎとめたのが、君たちか」
シミュレーション世界のヒロインズ。
前世世界から弾き飛ばされた堺亮は、未来で結ばれるその縁たちによって、この世界に引っ張られたのだ。
ヒロインズの想いは、因果を逆転させるほど、大きく重く、積み重なっているのである。
「そして、今回引きずり下ろすのも、君たちなんだな」
シミュレーション世界のヒロインズが皆、十六夜の手を掴む。
それは最早、この世界から逃がさないとする怨念が如きエネルギーだ。
そのエネルギーが、高度になりすぎて肉体から離れてしまった魂を、無理矢理肉体へと戻す。
十六夜の手が、宇宙空間から月へ向けて、引っ張られる。
「ジェット・コースターみてぇだな!?」
勢いが凄すぎて、十六夜の魂に伝わる風圧も凄かった。宇宙だから真空状態だし、そもそもこの光景はイメージ映像なのだが。
十六夜は、また極光に眩む。
次に目を開けたら、『篝の丘』で、『庭の文明』を目前に立っていた。
肉体と魂のリンクが、幾筋もの赤い糸、もはや綱のようなそれで補強されている。
「―――さて。やっちまいますか」
打ち明けられた多くの想いを胸に、十六夜は邁進する。
『庭の文明』に触れる。
流れ込んでくる高度情報は、今の十六夜にとってただネット・サーフィンしているような感覚だ。
「お、シミュレーション世界の俺の記憶めっけ。……うわ、俺、やっぱり結婚詐欺師すぎ」
約百通りあるヒロイン・ルートの情報を取得しながら、己の華麗なヒロイン攻略ぶりにドン引く十六夜である。
いつか背中を刺される、と。ヒロイン攻略は各個ルートだから回避できているが。
まぁ、ヒロイン個別に最適な己を演じたからこその諸行であるので、実際ハーレム・ルートはシミュレーション世界内では存在しない。
じゃあどうして現実がハーレム・ルートになっているのかは、数奇な運命、あるいは因果というヤツである。
「おし、『魔物』化終了」
各ルート閲覧する片手間に、十六夜は『庭の文明』を手中に収めた。
人間を逸脱した今の十六夜なら、簡単ではないが難しくもない事だ。
ただ、まだやる事がある。
『庭の文明』を、
これを
「はい、ハッキング・ツール化も終了っと」
月の篝と並び立つ能力を得た十六夜には、その書き換えも時間はかからなかった。
正し、淡い光を放つ草花溢れる丘は、もう、枯れ果てた大地、見慣れた月面になっていた。
『篝の丘』に残っていた『
「準備は万端。じゃ、地球に戻りますか」
十六夜は、赤い綱となってしまった肉体とのリンクを辿り、地球へと戻るのだった。
2097年9月23日
「……ん。……朝じゃん」
十六夜の体感時間は永く見積もっても2時間ほどだったが、実際は夜が更けて明ける時間が経過していた。
部屋の扉が開く。
「おはよう。朝食が出来てるよ」
そして、十六夜の余裕に満ちた雰囲気を感じ取って、
「―――準備の程は?」
「万全」
「了解。じゃあ、手筈どおりに」
そうして、食堂へと向かうのだ。
十六夜は羅漢床のような寝具から立ち上がり、歩み出す。
彼が横になっていたその場所には、小さく、砂塵が積もっているのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回の更新は、12月14日の予定です。