2096年10月22日
月曜日たる今日。本来だったら登校日だが、俺は登校していなかった。昨日大火傷を負って治療中という事になっているから、診療所に絶賛入院中である。
その診療所は病床が18個と少ない、東京で営まれるこじんまりとした医療機関だ。当然、四葉の息がひっそりとかかっている。故に、まだ火傷が治っていないという体裁を取り繕う、
俺はこの入院を不服に思っている。治癒魔法がある昨今、火傷程度なら何度も治癒魔法をかけ直せば良く、通院でも充分なはずだ。なのに入院させられているのは、達也と真夜から揃って「1日間頭を冷やせ」とお達しを受けたからなのである。
頭に血が上った覚えはないのだが、その2人からの指示だ。逆らえる余地はない。
「達也は、まだ京都かな」
俺はベッドに伏せながら、暇にかまけて状況を反芻する。
達也は俺にひっそり『再成』をかけて京都からの移送を見送った後、周公瑾捜索に戻っている。しかも、今日もその捜索を続行中。俺が病院送りとなったせいで、必要最低限の進捗にすら届いていなかったらしい。
ただ、残ったのは達也だけだ。幹比古にレオ、エリカ、そして深雪と水波、さらには真由美も昨日の時点で捜索を打ち切っている。達也だけでの捜索となるからほぼ一日がかり。東京に帰ってくるのは早くても夕方だろう。
現時刻は、魔法科高校の授業が終わったくらいである。
(それにしても、真由美は残らなかったんだな……。原作では真由美も京都に残った気がするんだが、何が彼女の行動を変えたのか……)
原作との相違に、俺は頭を捻る。
何が真由美を達也に同行させなかったのか。考えられる要因は、彼女の協力相手が達也でなくて俺になっている事。あくまで俺が協力相手のため、協力相手の居ない現場から引き上げたのかもしれない。
そんな可能性を考えたところで、やはり煮え切らない。想像の域を出ないのだ。
ならば無駄だろうと、その思考を打ち切ろうとした時である。
「十六夜くん……?」
病室の扉越しに、真由美の声が聞こえた。見舞いに来たようだ。大学なら履修科目次第で早く下校できるだろうし、見舞いに来てもおかしくない時間ではある。
「入っても構いませんよ」
「……ええ」
疑問を晴らすのに丁度良いかと、俺は真由美の入室を受け入れた。真由美は、俺の許可を得てから数瞬後、まるで躊躇でもあるかのようにその扉を開ける。
そうして覗かせた彼女の顔は、その躊躇を滲ませていたのに相応しい、実に悲しげな顔だった。
「こんにちは、でしょうか。まだ日は沈んでいませんからね」
「……そうね。こんにちは、十六夜くん」
挨拶への返事も緩慢な真由美。いったい何を躊躇しているのか、扉を潜ろうとしない。
「……どうかしましたか?」
「……どんな顔して見舞いに来れば良かったのか、正直分かってないの」
真由美の視線は床に注がれ、こちらと視線を合わせようとしない。
「どんな顔って、何か悩むような事がありますか?」
「……十六夜くんに協力を願っておいて、私は貴方の力に何1つなれなかったわ」
真由美は己の無力を嘆いているようだが、何を以って力になれていないと言うのか。
確かに、名倉の遺留品を見せてもらった事について、まだ芳しい成果は得られていない。だが、重要な情報である事は間違いない。その情報を得るための渡りをつけておいて、彼女はなんの力にもなれてないと言っている。
「あまりにも謙遜が過ぎますよ、真由美さん。貴女は名倉さんの死について、俺たちに情報をくれた。それだけで、俺の力になっています」
「……ありがとう。でも違うの。あの現場で、十六夜くんが怪我してしまったあの戦いで、私は全く力になれなかった。これで七草家の長女なのだから、笑ってしまうわ。私がしてきた努力は、学校の中でしか役に立たない。実戦において、なんの役にも立たなかったわ」
「それは違う」
真由美が自身の努力を鼻で笑っていた。それは、俺にとって看過できるモノではない。
「……え?」
「努力を、否定しないでください」
努力を否定するなんて、俺には看過できない。
「貴女は貴女が持つ才能を磨いてきた。才能を花開かせるために努力してきたはずだ。そうである事を数字が、学業の成績が証明してくれている」
「でも所詮、情報システムの中でしか意味のない数字よ……」
「ならば!」
俺はついつい声を荒げた。無力感に苛まれる真由美の姿が、どうしても前世の俺と重ねってしまい、声を荒げずにはいられない。
「その数字を土台にすれば良い!今まで培ってきたモノを礎に、これから足掻けば良い!貴女はまだ間に合うはずだ。貴女には、まだ足掻けるだけの時間とあり余った伸びしろがあるはずだ!」
だって、羨ましかったのだ。その才能が、前世の俺になかったモノが、今世の俺でも寿命を対価にしたそれが、羨ましかったのだ。
半ば、嫉妬心で叫んでいたかもしれない。どうしてそんな才能がありながら、無力感に苛まれているのかと。だから、才能がなかった俺に、才能がある彼女が重なって欲しくなかった。その無力感は俺のモノだと、声高に叫んでしまった。
「いざよい、くん……?」
「……すみません、急に叫んでしまって」
そんなお門違いな嫉妬心を向ければ、場は当然の如く気まずい雰囲気に包まれる。真由美の瞳が潤んでいる辺り、微妙に泣かせてしまったか。
八つ当たりで女性を泣かせるなど、恥さらしも良いところだ。
「……いえ、良いの。私こそ、ごめんなさい」
真由美は十師族の一員だけあって余裕があり、大人の対応をしてくれた。自身で涙を拭い、気丈に振る舞っている。微笑みかけてさえくれていた。
その微笑みを受ける俺としては、非常に居たたまれない。ここは俺の病室だと言うのに。
「え、えーと……。その、それって見舞いの品ですか?」
「ふふっ、ええ。病院食だけじゃ絶対足らないと思ったから、見舞いにも丁度良いと思って持ってきたわ。フルーツバスケットなんて、今時酔狂かもしれないけど」
俺が真由美の手にある物を指差せば、彼女は少し笑いを零しながら俺のベッドの傍に寄った。
そうしてから俺の目の前に、その果物の盛り合わせ、フルーツバスケットを掲げる。
真由美の行動は実に見事と言えるだろう。空気の切り替えもお見舞い品のチョイスも。先程の気まずさはどこかに吹き飛んでいるし、俺が腹を空かせているのも正解だ。
「ありがとうございます。病院食って味は随分と改善されてきているんですが、個々人に合わせるとまではいっていないようで」
「十六夜くんに合わせようとしたら、入院費が多分倍額になるでしょうね」
真由美は俺の大食いを揶揄った。正鵠を射ているその揶揄いに俺は反論できず、ただ苦笑を浮かべる。
「さて、何から食べたいかしら」
「あー、じゃあ林檎で」
俺の空腹を慮ってか、真由美はそのまま弄り倒したりしなかった。上機嫌に俺の注文を受け取り、ベッド横の椅子に腰かけては、林檎をバスケットより取り出して皮を剥こうとする。
しかし、そこで多少問題が起こった。
「……」
「……あの、真由美さん?……林檎の皮って、ナイフで剥いた事あります?」
真由美のナイフを持つ手が微振動しており、非常に危うい手付きだったのだ。
「……馬鹿を言わないで。十師族の娘が、林檎の皮剥き1つできないなんて事はないわ」
そうは言うが、真由美の面持ちは非常に真剣で、集中力を使っているのが一目瞭然。なのに、先程から林檎の皮は一繋ぎになる事なく、欠片として崩れ落ちていく。
「あの……。大変すみませんが、貸してください」
「え、でも……」
「貸してください」
「……はい」
俺は真由美に圧力をかけ、林檎とナイフを引き渡すよう強要した。そうして、無事俺の手に林檎とナイフが収まる。
それから俺は包帯が巻かれた左手を林檎に添え、右手の4本指と手の平でナイフを掴んで林檎に当て、余っている右手の親指で林檎を回していく。
これが正しい林檎の皮剥きなのかは俺も知らない。左手がまだ治りきっていない事を取り繕うため、こうするしかないだけだ。ただし、刃物の扱いに長けた伐採系超人の俺は、現状においてそのナイフ裁きが最適と直感している。
「……十六夜くんって、料理できるの?」
「いえ?刃物の扱いが得意というだけです」
真由美は俺が料理上手と錯覚しているが、前述の通り正しい皮剥きすら知らない素人である。前世で一人暮らししていた時はだいたいレトルトだったし、今世においてもホーム・オートメーション・ロボット頼りだ。
「そ、そう……」
敗北感でも味わっているのか、真由美は少し項垂れていた。女性の社会進出が進んでいる昨今でも、料理人でもない男性に敗北するのは、女性として屈辱なのかもしれない。
そんな彼女の屈辱を少しでも拭おうと、俺は演芸の披露を決意する。
「林檎を盛る皿とか、ありますか?」
「ええ。あるわよ」
「では、そのまま持っていてください」
「……へ?」
俺は真由美がバスケットから小皿を取り出した瞬間を見計らい、その小皿の方へと林檎を放り投げた。そして、ナイフを振るう。残るのは、林檎が芯を切り抜かれ、くし形に切り分けられ、皿に盛られるという結果のみ。
「どうです?中々曲芸じみてるでしょう?」
「……私は時々、十六夜くんの世界観が分からなくなるわ」
真由美はその曲芸に引いていた。演芸は失敗である。
「いや、本当にどうやったの。まな板も使わず、こんな綺麗に切れるものかしら。何か魔法は使った?」
「……使ってませんよ」
一瞬使った事にしようか迷ったが、目の前の才女に知覚させないレベルの隠蔽はさすがの俺も無理だ。素直にナイフ裁きだけである事を明かした。なのだが、真由美はむしろ魔法を使われていた方が納得したのか、怪訝な視線で俺と林檎を交互に見やる。
「ま、十六夜くんだから仕方ないかしら」
結局、真由美は謎理論で己の懐疑心を引っ込めた。それで良いのかと、俺はツッコみたくなる。
しかし、俺はツッコむ暇を与えぬように、病室の扉がノックされた。
「十六夜さん、起きてる?」
「見舞いに来たよ」
響いたのは雫と幹比古の声。後、他にも見知った気配がある。若干名、というか1人、招き入れたら騒がれるような予感がしたが、拒む理由は思い当たらない。
「起きてるよ」
「十六夜さま!!いったい何があったのですか!!」
俺が返事をすれば予感通り、泉美が突貫してきた。
どうして彼女を連れてきたのか。俺はそんな抗議の目を、泉美に続いて扉を潜った者たちに注ぐ。その容疑者らは雫、幹比古、エリカ、レオの4名だ。
「……すまない、十六夜。泉美さんは司波さん経由で経緯の概要を耳にしてしまったようで。……それから司波さんが何度も言い聞かせたようだけど、この通りなんだ」
言い聞かせられなかった深雪に代わって、幹比古が謝罪を告げた。深雪が言って聞かないならどうしようもないだろうと、俺は諦念を抱いて溜息を吐く。
「まぁ、落ち着いてくれ。俺が襲われたのは四葉の仕事が原因なんだ。論文コンペでのいざこざじゃない」
「己が身を省みず、己が責務を優先したという事ですか!それは、それはなんと儚くも気高き志でしょう……ッ!」
何故か泉美は感涙しだした。こんな暴走状態では、深雪が言い聞かせられないのも止む無しだ。
「泉美、ここは医療機関なんだから騒ぐのを止めなさい?」
「あ、お姉さま!いらっしゃったのですね。さすがお姉さま、あざとい。弱っているところに付け込んで、そのハー―――ヘブシ」
「貴女は本当にいい加減にしなさい!」
実の姉に注意されてもなお留まる事を知らない泉美に、真由美は愛の制裁を行使した。失礼な疑惑だが、泉美と真由美が揃った時は確実に騒がしくなる気がする。
「十六夜君が怪我を負うなんて。とんだ手練れが出てきたもんね」
「全くだ。俺にはどうやって十六夜に傷を負わせられるのか、見当も付かねぇ」
暴走する泉美の抑え役を真由美に任せ、エリカとレオは自身の興味を優先した。彼女らからすれば、俺に火傷を負わせた相手が恐ろしい程強い魔法師と誤認されているらしい。
「足を掬われただけだよ。古式魔法の発動は遅いと高を括った、その結果がこの怪我な訳さ」
「達也や一条君から聞いているよ。おそらくは『
俺がエリカたちの誤解を解くために経緯を話せば、幹比古がその経緯に至った過程を推測してくれた。古式の知識混じりであるために理解しきれない部分があるが、そういう技術があるという事で多少あった疑問が解決される。
「それにしても、『
誤解を解こうとしたはずなのだが、幹比古は別の切り口から強者説が補強されてしまった。古式魔法は門外漢なので、幹比古のその論を覆す反論はできない。
それに、幹比古からそういう説を唱えられると、俺も彼らが強者だった気がしてきたのだ。炎との接触で魔法式を破壊するとはいえ、言うなれば接触型『グラム・デモリッション』。そんな強力な対抗魔法を行使していた彼らが、未熟な魔法師とは考えづらい。代償に腕を燃やしていた部分は、未熟な部分かもしれないが。
「一応確認だが、その『俱利伽羅剣』っていうのは剣の形を模した炎の事だよな?」
「そうだよ。不動明王が持っていた降魔の利剣、それを模って効果を模倣する術式だ。魔法式を破壊する効果があるから、その魔法式の破壊に抗いながら維持しなきゃいけない。おまけに自身の手が燃えないよう、手から放す相対位置設定の術式を噛ませるか、自身の手に熱を相殺する術式を付与する必要がある。だから、使える術者はかなり少ないんだ」
幹比古が熱心に説明してくれたが、俺が見た物と相違がある事に気付く。
俺が見た炎剣は、先述した通り腕を燃やしていた。幹比古が説明していた、相対位置を設定したり、熱を相殺したり、そういう工程が省かれている。
あの炎剣を手にしていた者たちは操られていたようだし、そういう安全装置を省かれた粗悪品を強制的に行使させられていたのかもしれない。となると、やはり未熟さが際立つ。
だが、その事を俺は指摘しなかった。指摘する必要があれば、昨日の時点で達也と一条がしているだろう。そうされていないという事は、達也たちがあえて伏せたのだ。その行為を不意にするのは反感を買い得る。
「うん。まぁ、古式魔法師にも侮れない者が居るんだと、良い経験になったよ」
なので、すごくざっくり感想を語り、今回の敵に関する考察を打ち切った。あまり話を聞いていなさそうな打ち切り方だったためか、幹比古がちょっと不機嫌になっている。
「そっちの収穫は?」
話を逸らすついでに、俺は幹比古の捜索結果を尋ねた。幹比古が担当したのは論文コンペ警備の下見。周公瑾捜索をぼかす表向きの理由だが、表向きの理由だからこそ手抜かりをしない。それは風紀委員長としての、大事な仕事なのだ。
「大した収穫はなかったよ。不審者は見当たらなかったし、隠れ家らしい物もなし。式神も無反応だった。だけど、巡回している警官が多く居たのは見て取れたね。あれなら不審者はすぐに捕縛される。去年のような大事件は起こしづらいんじゃないかな」
「充分な収穫だよ。不審者も隠れ家も、式神反応もなし。幹比古さんが見つけられなかったんだとしても、見つけられない程少ないって事が分かる。公的機関が動いていたという情報も貴重な収穫だ」
幹比古が自身の成果を過小評価していたので、俺はその評価を改めさせた。そうすれば、先程の不機嫌が何処かに吹っ飛んで、幹比古は照れくさそうに頬をかく。
「十六夜さん、怪我人なんだから仕事の話はなし。今は療養に専念」
情報共有が一区切りついたのを見計らい、雫がそれの中断に掛かった。怪我はもう『再成』で完治されている事を知らないのか、こちらの体裁に付き合ってくれているのか、雫は俺を慮ってくれている。
「そうだな。すまない、雫。昨日の事が気になって、気が休まらなかったんだ。これで、療養に専念できるよ」
「そう。なら、これを食べて早く元気になってね」
雫がそう掲げたのは、果物の盛り合わせ。丁度、真由美が持って来て、ベッドの横に置かれたそれと酷似した物である。
「……被っちゃったわね」
「……」
真由美が言及した事で、雫も先に置かれていた真由美の見舞い品に気付いてしまった。そんな事前連絡がなかったために起こった珍事が、微妙な空気を場に展開する。
「まぁ、量が多いに越した事はないですよ。病院食じゃ足りませんでしたし」
「そうかい。それなら気兼ねなくこっちも出せるよ」
「あたしも」
「俺も」
空気を元に戻そうと本音を述べれば、乗っかって見舞い品を取り出す幹比古、エリカ、レオ。それぞれの見舞い品はサンドイッチ、おにぎり、肉まん。
「……なんで全員食べ物?」
「十六夜君なら喜ぶでしょ?」
「……」
エリカの暴論に、俺は悔しいが何も言えなかった。だって、言う通りなのだ。俺は花とかより食べ物の方が断然嬉しい。
「ちなみに、このサンドイッチは森崎君からだよ。「それでも食べて早く治せ。じゃないと俺の委員長代理期間が長くなる」って」
「君ら、さりげなく委員長代理を彼に投げてきたのかよ」
風紀委員が2人、しかも片方委員長代理に任命したはずの雫が早めに見舞いに来ていると内心思っていたが、まさか代理を森崎に投げてきているとまでは予想できなかった。おまけに、俺の入院が続けば毎日見舞いに来て、その期間森崎に代理を続けさせる状態のようである。予想外すぎて若干素のツッコみを入れてしまった。
そのコントじみたやり取りが皆の笑いを攫い、場の空気は和やかなモノへと切り替わる。
もう少し抗議したかった俺だが、空気が良くなったから良しとした。
3人も欠けてしまっている風紀委員会、そんな委員会のトップを代理してもらっている森崎へ心の中で謝りつつ、俺はこの和やかなこの場でくつろぐのだった。
瞳を潤ませる真由美:悲し泣きだと勘違いするのは、おそらく十六夜くらいだろう。ここで厄介なのは、その後の十六夜の話題逸らしである。誰がどう見たって気恥ずかしさを誤魔化すそれだ。恋愛感情故とは、さすがの真由美も誤認していないが。
見舞いに来ない深雪:生徒会役員である達也と泉美が不在であるため、生徒会長である自身まで学校を空ける事はできなかった。風紀委員は病欠の委員長を含め、3人が学校を空けているが。
風紀委員長代理となった森崎:直接見舞いには来ないが、これでも十六夜を心配している。心配しているからこそ、十六夜の友達である幹比古と雫を送り出し、委員長代理を引き受けている。
閲覧、感謝します。