2019/02/20
ほぼ全面改稿。多分こっちのほうが現状のプロットに即しているかなと。
「私達は逃げ出すんだ」
彼女の口ぶりは、まるで恍惚の中にいるようで。
「私達を誰も捕まえられない。誰も私達に追いつけない」
まるで天にも昇るような神聖さで、彼女はその卑劣を語った。
私にとって、彼女とは“正しさ”だった。それが、あろうことか裏切りを口にしている。
周りは海。沖合数十キロまで来ている。
ここは戦場――――――――だった。
……今は硝煙の匂いが、戦いの名残を残すだけになっている。
けれど、逃げ出す?
何から?
西を見る。大陸の影がうっすらと水平線に映っているだけ。
東を見る。最早住み慣れたと言える舞鶴が小さく見える。
私は……どちらにも行きたくない。
ここは多分、世界の果ての目の前だった。
行き詰まり、そんなのは息苦しくて嫌になる。
もううんざりだった……。
疲れていた……。
欲しい答えなんてなかった……。
そんな私の嫌気を彼女は見破っていたのか、彼女は口の端を歪めて続けた。
「そうだな……私達は北に行こう。――――――――そこに向かって逃げるのさ」
それは……とても魅力的な提案だった。
見えないそこへ。結局のところ、真北に進路を取れば陸地にたどり着いてしまうのだけれど。
しかしそれは、私達にとっては現在見えないもの。見えてきた瞬間にそれが”果て”に変わるのだとしても。
それでも、東西に今それが見えていることよりはずっといい。
でも、
「どうして、逃げるの?」
問いかける。確かに私は逃げたい。けれど、彼女はなぜ?
「勿論、君が可愛いからさ。……この道は、きっと楽しい」
楽しい。それは、とてもいいことだ。素敵だ。
海をひたすら北へと進む。
きっと今より楽になる。何か答えがあるかもしれない。
今までよりずっと素晴らしい……何かを見つけられる気さえする。
それに、私は自分の運命から逃げられる。そのはずだ。根拠もない確信があった。
……背任への決心はついた。けれど、私はまだ呆然としている。
それは正しいことなのか?
それは間違いではないのか?
裏切りを必要とする道はあってはならないのではないか?
誰を裏切ろうとしているのか分かっているのか?
誰を置き去りにしようとしているのか分かっているのか?
心意気に反しないのか?
”師匠”を裏切るのか?
全ての思い出を無にするのか?
それに……”先生”のことはどうするんだ?
そんな問いかけが頭の中で渦巻いている。
この源は良心か?倫理?それとも哲学?
……もしかすると、忌々しい私の運命がそう命じているのか?
―――――捨ててしまえ。
この裏切りに、そんなもの必要ない。
もはや、答えることなどない。
……そうだ、”どこかに捨てちまえ”。
でも……ああ、くそ。
今はそのワンフレーズすらも厭わしい……。
踏ん切ったのに足を止めている私を他所に、彼女は目の前を過ぎ去り、霧を裂いて海を走る。
けれど突然主機を止めて、
「知っているかい?」
問いかけと共に、左肩越しに私の方を覗き込む。
首を回すのに合わせて、彼女の白に近い銀色の髪が揺れる。
こんなにも白んだ視界の中で、それでもはっきりと輝いて見える。まるで星のように。水晶のように。
あれが、私のなりたいものなのだ。……きっとそのはず。
今や問いかけという自責は消え去り、彼女の航跡が光って見える。
あれを辿りたい。
私の憧憬の視線に気付いたのだろうか。
彼女は被った白い海軍帽のつばを左手で握り、向きを細々と直し、居住いを正す。
意外にも格好を気にするのだな、と親しみを覚えた。
「昔流行った、ロシア出身のガールズデュオ。彼女達の”背景”はね、それはそれは背徳的で扇情的だった。今や本人達もそれを”演出”と言っているけれど、――――――――私にとって、それは”抵抗”だったんだ」
知っている。私も彼女も小さい頃、彼女達は一瞬だけ世界を魅了した。そして、騒がすだけ騒がせて、いつのまにやら消えていた。今はどうしているのか、マニアじゃない私には分からなかった。
私が、なんとなく問い掛ける。
「だから、ファンなの?」
すると思った通り彼女は頷く。答えの分かっている問いかけ。合いの手のようなものだ。
彼女は頷き、流した左目で私を見ると、
「私も、そういうことがしてみたくなる年頃ってことさ」
不器用な笑みだった。
けれどもそれはまさに、彼女を彩る”演出”としてこの上ないものだった。
いつも纏っている退廃的な雰囲気と合わせて、それは本当に、破滅的な美しさ。
私は、いつしか海を走り出していた。
私が寄ってくるのを目に捉えると、彼女は少女のような、けれどどこか不敵な笑顔で、
「
言っていることはわからないけれど、言っている意図はわかる。
――――――――私は、逃げ出した。
自分の運命から逃れたくて、彼女の伸ばした手を握ったのだ。
誘われるままに。
それはきっと正しいのだ、正しく間違えるのだと信じて。
私は走った。
走って……すべてのものから逃げ出した。