前作と違ってこの体たらく。
ともかく、更新です。
涙の跡も新しい早霜先生の顔は、張り詰めていた。
その表情がどんなものに変わろうとしているのかは、誰が見たって分かる。
けれど、先生は私の乱れた髪、帽子を見て、
「……髪、まとめられなかったのね」
少し強張ったため息を吐いて、微笑んで、一度瞼を閉じた。すると、顔の引き攣れはなくなっていて、私の知っている先生の顔になった。
……私はなんだか、急にそわそわしてきて、
「髪、自分でまともに纏めたことないから……」
早口にそう白状した。先生は短く笑いながら鼻をすすって、
「ゴムは?」
「ある、けど……」
ゴムは右手に持ったままだったから、それをつまんでぶら下げて見せた。
先生は、
「そう。一つあれば十分よ」
そう言うと、流れるように靴を脱いで部屋に上がり込んで来て、私の右隣に腰を下ろした。
そこにあった帽子は私の膝に置いて。
その仕草に、心臓を甘噛みされたような感覚を覚えた。
私は隣の先生をじっと見てしまって、間の抜けた―――――私にとっては引き絞った弦のような――――時間が一瞬流れて、
「……ベルトやネクタイみたいには出来ないわよ?」
「え……あ」
呆けた私の右頬に左手で触れて、左を向けと軽く押し込んできた。
「ほら、あっち向いて」
「うん……」
それに従って―――――というか当然のこととして―――――私は左に顔を向ける……それだけだとちょっと角度が足りなかったから、座り直して体を左に向けた。すると、すぐに髪に触れられる感覚が始まった。それが首筋を伝って、背筋を通り過ぎていく。
慣れない感覚、母親ではない人から与えられる、初めての感覚に私は身震いして、
「……ん」
「くすぐったい……? ごめんなさいね」
「……ううん、ごめん」
「謝るようなことじゃないでしょう」
「そっちだって……」
そうした短い言葉のやり取りの間にも、私の髪は手櫛で梳かされて整えられていく。引っかかる感覚はそんなにない。するりと指先が頭から髪先を往復して、その度に慣れない感覚が体を震わせる。
「……猫みたいね」
「飼ったこと、あるの?」
ペット扱いされたことへの軽い憤懣を喉の奥に押し込めて、代わりに質問にして吐き出した。その言葉に、
「無いわ。野良とじゃれてたくらい」
「ふぅん……」
……それで会話は途切れた。
そして、髪を解し終わった後は結びに掛かる。少し引っ張られながら、髪がくるくると巻かれていくのがわかった。
「……秋雲はね、いい子だったわ」
「?」
唐突に話が始まった。……多分、話すことがそれくらいになったからだろう。だから、先生は故人となった同居人の話を始めることにした……のだと思う。私は黙って続きを待つ。
「それに、絵を描くのが好きな子だった」
「……水彩画、とか?」
「いいえ、漫画よ」
さらさらとした音。それが私の髪と先生の指とで擦れる音に重なって聞こえた。先生の髪が、横に振った頭に揺られて服と触れ合った音だろう。
「私に見せてくれたほとんどはイラストだったけれどね。……漫画は、買えなかったって言ってたわ。家が母子家庭で貧乏だって……。だから漫画雑誌を立ち読みして、それこそ穴が空くくらい見て、目に焼き付けて……家でそれを思い出しながら練習、だったかしら」
「……」
「でもね、高校に入って彼女の友人達がいろいろ漫画を読ませてくれたって。それに、執念でイラストの技術を伸ばしていたからかしらね、高校生のときにはもうファンがいた。つまり、その友達をファンにつけていたのよ」
「……凄い絵描きさんだったんだ」
「そうね。部活は漫研だったらしいけれど、実質、彼女に投資するために友人一同が立ち上げたようなものだった。”貸す”って名目で、ね。おかげで参考に出来る漫画はたくさん読めて、いろいろなパターンの漫画を描けたって。イラストもたくさん描いた……」
多分相槌はそんなに求められていないだろうから、そこからは黙っていることにした。
意図して黙っていることに気付いているのかは分からないけれど、先生は続けて、
「申し訳程度に、その友人達も漫画作りを手伝っていたらしいけれど……話を作れなかった秋雲の代わりにネームを……ネームって分かる?本格的に絵を描く前に、何を描くのかをあらかじめ書き出しておく、って感じのやつだけれど……そういうのを作ってくれていたって。それを実際に漫画にするのが秋雲。最初、あの子って漫画で“何を描けばいいのか”自分自身よく分かってなかったって言うし」
話の一方、私は髪をねじられる感覚に、少し戸惑っていた。髪を編むのとは違う、頭皮全体が突っ張るような。
「でも、そのうちあの子自身で話を作れるようになって、他人のネームや脚本はいらなくなった。けど、その友人達はずっとあの子を支援し続けた。手を変え品を変え……は過言かしら。普通に、文学やライトノベル、も貸し出してた。多分、“これを描いてみたい”とか、“こういうお話を考えてみたい”とか、そういうモチベーションやスキルの養成、漫画描きとしての下地作りを促したんじゃないかしら。……流石にこれはやり過ぎだと思ったけれど、デジタル作画環境を作って使わせてた、って友人もいたそうよ。“どうせ自分も使うし”って言って、遠慮なく使えって……聞けば、その子本当は活字のほうが好きだったらしいわ。それに、ネームが作れないから脚本で秋雲にストーリーを差し出していたくらいの。当然漫画だって好きだったみたいだけれどね」
頭の後ろがちょっと重くなってきた気がして、首の据わりがちょっと良くない。私が首をよじると、
「ほら、じっとして」
「……はい」
がっしりと後頭部を両手で掴まれて、”この位置で止めろ”って感じにしてきた。それに、話を聞いているのは良いけれど、会話をするなら対面であるべきだ。後ろから聞こえてくるだけというのは、少しくすぐったい。
それを理解してはいないだろうし仕方ないけれど、先生は、
「続きだけれど……まぁ、あなたも分かるでしょ。これはファンと作家の関係とはちょっと違うって」
「え……熱心すぎるくらいのファン、でいいんじゃないの?」
思い出話が急に会話になったから、私は面食らって気の利かない馬鹿らしい言葉を返してしまった。
それに私が肩を縮こまらせると、先生は私の肩に手の平で柔らかく触れた。指は、そよ風のように曖昧に首筋を撫ぜた。力んでいた私は、その絹のような接触に、
「は……ぉぅ」
……なんか、声になった瞬間に飲み込もうとしたら、こんな呻きになってしまった。
先生は、
「……あら? 感じちゃったの?」
心なしかねっとりとした、ため息混じりの低い声色で、愉快そうに私を茶化す。
というか、
「か」
「か?」
感じちゃった?
何を?
――――――――何も。
ただ、首に触られてくすぐったいだけ。それにびっくりした、それだけ。
そう声にしようとしたのに、喉がカチコチに固まって詰まっている。息も。
私が固まっていると、今度は豪快に肩を掴んで揉みながら、
「冗談よ……ごめんなさい」
普通の触られ方をされてようやく調子が戻ってきた私は、
「……なんの」
「でも、思ったとおりウブね、あなた。……けど、これからお葬式だって言うのに、こんな馬鹿な話するんじゃなかった……」
「本当……」
「馬鹿よね。私は、本当に馬鹿……」
クスクス笑いだったけれど、どこか渇いていて……けれど涙で濡れているような、矛盾した印象。
多分それは正しかった。先生は事実、一度深く溜息した。
「話を戻すわ。……あなたの言う通り、“熱心すぎるくらいのファン”というのは全く間違ってない。けれど、それは“ファン”という枠組みからしたら、些か以上に“やりすぎ”なのよ」
「……まぁ、それくらい熱心ってことなんでしょ」
「そう、それくらい熱心にクリエイターを支援する人々は、ファンという言い回しの枠を越えて―――――パトロン、ってことになるのよ」
「パトロン……」
一応、言葉としては知っている。何故かいい意味で私は捉えていない。何故だろう。つまり、それはひどい言い方をすると、
「金蔓?」
「そうよ」
私の悪ふざけみたいな回答に、先生は予想に反してそう採点した。
驚いたまま呆けていると、先生は私の髪をつつくように弄り回しながら、
「――――――――あの子はね、それに耐えられなくなったのよ。吐き気すら催すほどに」
私は、その意味があまり分からなかった。
まぁ、他人の脛をかじっているという事実を考えると、心が穏やかじゃないというのも分からなくはない。
それでも支援者は喉から手が出る程欲しいはず。そもそも当然のように必要だっただろう。
なのに、彼女はそれを手放した……いや、拒んだ。
私にはその選択が理解できない――――――――違う。
私はその選択に至った心境を察することが出来ない。
家柄が違う。夢の有無でも違う。
差し詰め……彼女の立っている場所は分かっても、彼女の見ていたものが分からない。
そうして答えあぐねていると、
「――――――――っ」
声にする前に噛み潰したような―――――多分私でもそうなる―――――、子音の音だけが隙間風のように吹いて、消えた。
それは、か行の言葉だっただろう。噛み潰す前に鳴ったのは、おそらくは、Kの音だった。
か行の音で始まる何か。それは何だったんだろう、そう内心で推測しようとして、
「……はい、完成。鏡、見てみたら?」
「……あり、がとう」
考え込んでいたから、反応が遅れて少し詰まった感じになった。
確認を促されたので帽子を右手に持って立ち上がって、クローゼットの扉裏の鏡を覗き込む。
見事に髪は纏められていて、正面からだとあのうざったい髪は見えない。後ろも気になるけれど……先生が見て問題ないと判断したんだから、構わない。
「うん、凄い……」
もっと気の利いた言葉があると思ったんだけれど、私にはそれを用意できなかった。……先生の前だと、なんだかやたらと恥ずかしい気持ちになる。それを振り払うように、俯きながら帽子を被る。少し深すぎるくらいに。
けれど、帽子はすっと浮いていく。目を右に流すと、先生の指先が後ろから伸びていて、
「駄目よ、そんなに詰め込むみたいに被っちゃ」
「……」
ファッションチェックを受けるのは二度目だ。恥ずかしい。なんだか悔しくて今度は顔を上げた。
お直しを受けた後の私をちゃんと見る。
鏡の中の私は、……なんというか、ちゃんとしていた。少しだけ垢抜けていたというか―――――そりゃあ艦娘の顔は綺麗だし、私だってそういう風に変わった――――――今までの私より、”らしい”格好だった。
でも、”らしい”のに。
”私らしく”というか――――それはなんだか御大層にして陳腐にすぎる――――、”私っぽく”はなかった。
鏡の向こうを、うだうだした考えを透かして見ていると、
「決めた」
後ろで衣擦れの音。とすん、という音は多分立ち上がった音。
先生が決意表明―――――いや、”表明”というには中身が何もわからない――――したのが聞こえて、振り返る。
「何を?」
すると、立っていた先生の顔。大粒の涙が伝って光っていた。
……私の髪を結んでいる間、ずっと泣いていたんだろう。涙を拭くこともせずに。
私の視線に気付いたのか、先生は苦笑いしながら右手、その袖で顔を拭った。涙はなくなったけれども、目に差した赤みや、腫れた瞼はすぐに元に戻りはしない。
私には……それに何かを言うことはしなかった。
「せっかくだから、私も着替えることにしたわ。そんなに時間は掛けないつもりだけれど……一人で行ける?」
「ううん、待つ」
即、口からその返答が出た。
だって……一人だけ身繕いの世話をしてもらって、それでハイさよなら、って言うのは……なんだか違うと思ったのだ。
先生は私の言葉に何も訝ることもなく、いつもの無表情で手を一つ打ち鳴らし、
「ここで待つ?」
「ついていく」
「じゃあ、行きましょうか」
クローゼットの前で立っている私の右肩をかすめて、先生はそろりと部屋を出ていく。靴はいい加減に履いて―――――というか踵を潰してしまっている―――――――、部屋の重いドアを開けて、廊下に出た。クローゼットを閉じて―――――ドアが閉じるのとほぼ同時だ―――――、玄関脇の下駄箱から礼服合わせのパンプスを取り出すと、それを突っかけて部屋を出る。……なんだ、私だって靴の踵を踏んでいる。つま先立ちのように立って潰さないようにしているけれど。
そうしてドアを開けて、
「……あ、」
少し、蹴躓きながらドアに寄り掛かる私が廊下に現れる。
それを廊下の少し先で先生が振り返って、屈託ない、けれど密やかな笑みを私に放り投げる。
「……慌てん坊ね」
……強烈に恥ずかしくて、思わず二歩下がってドアを閉じた。ついでに靴の踵も踏んづけて。
私は顔にものすごい勢いで血液が集まっていくのを感じながら、下駄箱の中から靴べらを探し出そうとする。けれど、普段の私がそんなものを使うことはなかったことに気付いて、
「……本当に、そうだ」
先生の言った通りの人間なのだと、私はしみじみと実感しながら、身を屈める。
なんでこんなに恥ずかしいんだろう。
……異常だ。生きてきて、こうまで恥ずかしかったことがあるだろうか?
指で靴の縁を引っ張りながら、足をそこに収めた。
立ち上がりながら、右頬に右手の甲を当てる。
「……あつい」
手の冷たさや、冷えた空気が、少しだけすずしいと。
そしてこんなに恥ずかしがることの馬鹿馬鹿しさが、笑えてきた。
●
今度はきっちり靴を履いて部屋の外、廊下に出ると、先生は四部屋くらい向こう、私から見て右の方にいた。そこが先生の部屋なのだろう。
私は慣れない靴をつかつかと鳴らしながら歩いて、その部屋の前に来る。
「それじゃ、私着替えるから。そこで待ってて」
「え」
待たせるにしても、こんな寒々しい廊下で、なのだろうか。手をかけさせた私が言えることでもないのかもしれないけれど。
そうしてボケッとしていると、先生は一度、ああ、と言って、
「……着替え、見られたくないの」
そんな、今更のことを明言した。
私がそれに納得がいかない顔をしていると、
「じゃあ、入っていいけれど。そのかわり、終わるまではこのドアの方を向いていること」
先生はドアを開けて、つかつかと入っていった。私もそれに続いて玄関に入る。
廊下よりはマシだけれど、冷たい空気が溜まった空間というのは当然寒々しい。どうにも。
靴を脱いで床に上がった先生は、続いて上がろうとする私を右手で押し留めて、
「そこで待機」
「……はい」
”え”と言ってやっても良かったんだけれど、それは芸がないと思ってやめた。
私はその場で回れ右する。ドアの方を向いていること、と言われたから。
「いい子」
帽子越しに後ろから頭を撫でられた。……私は犬でも猫でもない。もちろん野良じゃないし。
だからちょっと腹が立ったけれど、褒められたことに逆上するのはなんだかおかしな話。
馬鹿にした言い方ではなかったし、厭味ったらしさはもちろんなかった。
純粋な好意だ。好意は受け取るものだ。それも、なるだけ上手いこと。
そして、今それは無言によって果たされるものだろう。
「じゃあ、待っていて」
ドアを開けて、バタンと閉める音。
……すぐに着替えの音は始まった。乱暴にクローゼットが開く音。そして少し重いものがバサッとベッドの上に落ちる音。それが2回。
そして、とすっ、と言うべきか、どすっ、と言うべきか微妙な音。多分ベッドに座ったんだと思う。
それから、ごく軽いものがフローリングの上に放り投げられた音、それも2回。
……そこからは、ものすごい速さだった。
次々と床に服が放り出される、わさわさとした音が続き、それが止むとパツンという音、カッターシャツとスカートと思しき衣擦れの音、ベルトのバックルが出したカチャッとした金属音、ズバッ、としか言いようのない音―――――多分ネクタイの音だろう――――――、それで最後にドアの開く音。
「髪は歩きながらやるわ」
後ろへ振り返る。
そこには、私の格好とほとんど遜色なく着こなしを決めた先生の姿があった。
何か話をする間もなく、非常識な速度で準備が半ば終わってしまった。
多分、合計で2分弱。異常だ。
「……速すぎない?」
「ラブホでギリギリまで粘る手段」
……さいですか。
と考えて、私ってばそればっかりだな、と思い返す。けれど、いや、もう、そうとしか言いようがない。コメントがまるで思いつかないのだ。
「40秒とは行かないわね。普段着なら間違いなくフルコースで40秒だったんだけど」
「いや……そもそも普段着がランチで、礼服がフルコースなんでしょ」
「……確かにそうね」
普段着がどんなもんかは知らないけれど、それは書き込み/掻っ込み時の簡素化されたメニューみたいなものだろう。それこそ、Tシャツとジーンズ、なにか羽織るもの……みたいな。食事に当てはめると、ご飯と味噌汁、他に一品。
予想もしなかったことだけれど、先生は私の例え方に意外と驚き、そして深く納得したようで、
「……そう言われてみると。でも、この慌てっぷりを考えるとコンビニのおにぎりじゃない?遅刻寸前の」
「そこまで行ったらもう10秒チャージでしょ。おむすびですらなくて」
「そっちのほうが早いわね、確かに。じゃあ出ましょ。髪にもう2分よ。今度は立ち食い蕎麦ね」
……それは、髪の毛と麺を掛けているということなんだろうか?
ふとそんな疑問がよぎった。本当にどうでもいい。例えに一貫性もないし。
ともかく先生は帽子を脇に挟みつつ、ヘアゴムとピンを咥えてこっちに歩いてきた。
ドアを開けて先に出る。
先生が外に出るのを、ドアを開けたままにして待った。
左肩越しに先生の方を覗き込むと、彼女は左手で下駄箱の右扉を勢いよく開けて……それから少し中を見詰めた。
一息吐くと、パンプスを右手で引っ張り出して土間に叩きつけ、返す刀で靴べらも引き抜いて靴にあてがう。
そして、歩くように右足を靴に滑り込ませ、踵を押し込む。靴べらを左手に持ち替えて左足も。用が済んだ靴べらはそのまま下駄箱に叩き込まれ、左足の軽い蹴りで下駄箱を閉じる。
……無駄に洗練された、日常において無駄な所作だった。これもまた確かに早業ではあるけれど、私にはそれの必要性が分からない。ただ、”なんと見事にまぁ”……と思わないこともないのも事実。
歩き始めると、先生は髪をねじり始める。私は肩を並べて、ではなくて後ろにつく。
歩幅を合わせやすいし、何より見ていて参考になると思ったのだ。
しかしながら、大ボリュームの長い髪をいとも簡単に、ぐるぐると捻っていく様は早回しのようで上手く理解できない。
私がそれに目を取られていると、
「そういえば」
「?」
向けられた声に私は首を傾げてしまう。対面でない今、意味がないとはすぐに分かったけれど。
だからやめてみると、続いてもう一言が来た。
「おにぎりじゃない?」
「何が」
「おにぎりはおにぎりでしょう」
…………ああ、言いたいことはわかった。
いわゆる言い回し、もとい表記ぶれみたいなものだ。
「どっちでもいいんじゃないの?私はおむすび派」
「でもコンビニのは”むすんだ”って感じはしないし、おにぎりじゃないかしら?多分、実際は握ってすらないのはともかくとして。ううん、機械で成形なら……やっぱりどちらかと言えば握ってるのかしら」
「だから、どっちでもいいでしょ……」
「納得が行かないのよ。でも、今する話でもなかったわ。……ごめんなさい」
「謝らなくても……」
本当に、これから葬式ってのが全く信じられないような馬鹿話。
……先生は多分、馬鹿なのか、それとも人一倍悲しいかなんだろう。
私と違って、―――――親しい人が死んだから当然かも知れない。それも互いを知り合うことの出来ただろう同居人だ――――他人のために泣くことが出来る人なのだから。
だからだろうか。
私が、もう少し涙もろい性格なら、と。もっと人情があったならと。
心の片隅で、無い物ねだりをしている気がする。
●
先生は有言実行、髪を2分前後くらいで―――――別に数えてるわけじゃないから曖昧だけれど―――――纏め終わった。今はちょうど、階段を降りているところ。もうすぐ一階だ。
私にやってくれた纏め方と同じなのかは分からないけれど、多分自分の髪の毛の方が扱いやすいからなのだろう、と考えると、その速さは納得がいく。
歩む速さも少し上がった。私は慣れない靴でごく短く小走りすると、彼女と肩を並べた。
それを横目に見られて、ちょっとした微笑みを貰った。私は……目をそらすのは失礼だと思ったから――――照れているとか、そう思われるのが嫌だからじゃない――――――微笑み返してみた。
なのに、
「そんなに照れなくてもいいと思うけれど」
そう言われると、本当にそのとおりだと思えてしまう自分が嫌だ。
早足になって、追い越そうとする自分がいるのも。
二、三歩だけ。ほんの少し早足になっただけで、心のうちに収めた。そうだ。
私がすぐに元の速さに戻ると、
「……霞が泣いていたのは、わかった?」
先生が話を振ってくる。低いトーンで。
それは知っている。先生が、霞に”なぜ?”と聞いた、それを耳にしたからだ。
私がうなずくと、
「あの子の同居人も……死んだの」
――――――――え?
階段を降りきって、止まる足音、自分の、その最後のコツンという音がいやに響いて聞こえる。
階段の上まで、天井まで届いて、音が落ちてくるような。
まるで、心臓の最後の鼓動のように、不吉で、不穏な。
……私はもう一度早足になって、また先生と並ぶ。そして冬の空気が吹き荒ぶ外に出る。
一度大きく風に煽られて、それに帽子を取られまいと、私は頭を右手で押さえた。先生は左手で。
空は見上げると、信じられないくらい、割れたコンクリートの屋根だった。
さっきにましてひどい空模様。これで降ってこなかったなら、私は相当運がいいだろう。……その運が、今回死んだ艦娘達になかったのか、と思うと―――――こんな考えなど全く要領を得ていない―――――なぜか罪悪感が湧いてくる。
……それはともかくとして、
「……三人も……死んだ?」
そう、これで亡くなったと分かっているのは三人。何人行ったか知らないけれど、ともかくとんでもない事態だと言うことは理解できている、そのつもり。
「いいえ……他にも、まだいるみたいで」
――――――――他にも?
四人?
五人?
……想像すらしたくない。
六人艦隊ならほぼ全滅……いや、潰滅だ。完全なる敗北。
「遺影の数を数えないことには分からないけれど、――――――――今回北海道の方に行った面々は」
――――――――一体、何人が、行った?
「ほとんどが、戦死らしいと……」
――――――――一体、何人が、逝った?
一体全体、どうして、何がどうなって……こんな、皆殺しのような目に遭った……?
頭の中の奥の奥から、体中に向かって氷が駆け巡る。
心臓も、耳も、喉も、膝も、全てがまるで凍りついたような、固まり、震える。
――――――――風が寒い。それだけのこと。
一瞬止まった足を、無理やり動かした。
体が潰れると思えるほどの風の中を、……なんでもないことだと、私は歩いていく。